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W・B・Arriance  作者: 栗ムコロッケ
ジパング編
71/72

38.あさぼらけ

 「見えたぞ」

 遠く水平線の向こうに霞む島。視界に入った途端、船内は歓声に溢れた。


 よくわからないと周囲の熱気を不思議そうに見渡す魔導師たちに、ボサボサの黒髪をちょこんと結い上げ、虫食いだらけの着流しに古びた草鞋の男――笠本は得意気に腕を広げてみせた。

 笠本「神判軍国! 魔法圏で言うところのジパング国! 首都の永安京だーっ! わはは!」


 一行は身を乗り出さんばかりの勢いで縁に飛び付いた。

 フィード「家が木と紙でできてるってまじか!?」

 エオル「本当に全員目と髪が真っ黒なのかな!」


 よしの「……遠くてよく見えませんわ……」


 その一言に、一気に現実に引き戻された。まるで旅行気分の自らのはしゃぎっぷりに、二人の魔導師は平静を装わんと咳払いしてみせた。

 フィード&エオル「……確かに」





―――― あさぼらけ(Asaborake) ――――




 船が港に寄せられ、錨が下ろされるとまたまた歓声があがった。

 渡しがかけられ、船内は白いガウンのような巻き衣装人々の行列が作られた。

 笠本は行列の先頭まで走ると声を張り上げた。


 笠本「ええかーっ! こん船降りたら、言語統制は効かんー! やり取りは身振り手振りか筆談になるー! 紙と筆は降りる際に渡す!」


 以降の説明はこうだった。

 巡礼は船を降りた順に4、5人単位のグループで行う。一つのグループには"護衛として"一人のサムライを案内役として付ける。サムライの言うことは絶対で、逆らってはならない。違反行為は斬首刑、そうならないようにサムライをつけるようにしている。


 「……サムライかあ……」


 明るい茶色のくりっとした短髪、焦げ茶色の瞳の快活そうな少年――ハニアはほんの数日前まで兄のように慕っていた用心棒を思い返していた。どこか沈んだ様子のその少年を、よしのの漆黒の真ん丸とした瞳が覗きこんだ。

 よしの「お加減すぐれないのですか?」

 心配はかけられまいと、ハニアは慌てて笑顔を返してみせた。

 ハニア「ううん! 平気!」


 この顔を見ると思い出す、狐のような目の仮面の男。フィードにやられたあれだけの火傷、大丈夫なはずがない。船に揺られながらずっと気がかりだったが、この少年の笑顔は余計によしのの気を病ませた。


 二人揃って重苦しいため息をつくその様子に、二人の魔導師はクエスチョンマークを浮かべていた。


 フィード「なあに沈んでやがんだよ、おら、とっとと行くぞ」

 エオル「フィード、言葉が通じるまでに言っとくけど、絶っっっっ……対にルールだけは守ってね」

 フィード「お前もな」

 エオル「君が一番怪しいんだよ!」






 ついに、列の先頭までたどり着いた。そこにはいつになく神妙な面持ちの笠本が待ち構えていた。

 笠本「市松殿、先ずは王に帰還のご挨拶を頂きたいのだが」

 よしのはきょどきょどと笠本とフィードを交互に見た。王などと聞いてはエオルもたまらず不安な視線をフィードに向けた。

 フィード「うむ、当然だ」

 エオル「……はい?」

 笠本「わはははーっ! 話が早い魔導師殿だ! では先に降りて待っちょってくれ! あんたがたの担当は俺じゃ!」


 そうして早く船から降りろと背中を押された。

 エオル「待ってください! まだ心の準備が……!」


 足を踏み入れた途端、まるで羽織っていた衣服を剥ぎ取られるような、不思議な感覚。肩が軽い。何かをきれいさっぱり削ぎ落とされたような気分だった。どこか心許ない不安感。


 エオル「……魔力が全部無くなった……?」


 魔導師は悪魔と魔法のやり取りをする際に必要とする対価"魔力"を体内に貯蓄している。それを根こそぎ抜き取られた。足を踏み出した途端の違和感は恐らくそれだ。

 フィードを探してさ迷った視線は心配そうに見上げるよしのの姿をとらえた。


 よしの「○¥◎☆♂?」

 エオル「……あれ?」

 きょとんと二人は顔を見合わせた。


 フィード「何言ってっかわかんねーよ」

 エオル「フィード! よかった……俺たち言語圏は同じだった(同じ言葉を喋っていた)みたいだね」

 結果、フィードとエオルは同じ言葉を、よしのは全く別の言葉、ハニアもまた更に別の言葉を話していることがわかった。


 フィード「……やりづれえな」

 エオル「だから言ったじゃん!」


 しばらくして、船の後片付けを部下に託し、笠本が降りてきた。満面の笑みで差し出した紙にフィードとエオルは「おお」と歓声をあげた。そこに記されていたのは見慣れた文字。


 "let's go to the castle!(城へ行きましょう)"


 フィード「yes! yes! perfect!」

 エオル「why can you write it?」

 よしのは笠本のメモとフィードたちの様子をきょどきょどと交互に見ながら困ったように首を傾げた。

 よしの「なんと仰っているのでしょう……」

 笠本「わははは! わからん!」






 笠本の後をついていくと瓦屋根の見上げるほど巨大な朱色の木造の扉がポツンと現れた。周囲はいくら見渡しても更地であった。

 笠本「朱雀門だ。こん時期は巡礼んためにわざわざ港を閉鎖までさしとる」

 門の前まで来ると、小さな窓があり、笠本がノックをすると、小窓から鋭い目が覗いた。その小窓に木札のようなものを差し出し、笠本はニカリと笑った。

 笠本「"巡礼船"の笠本だ」

 小窓の奥でカサカサと紙をめくる音がした。恐らく名簿か何かを確認しているのだろう。暫くして、門はほんの僅か、人一人漸く通れるくらいの隙間を開けた。

 笠本「よっしゃ! 通れ通れ! ごうー!」


 二人の魔導師は互いに顔を見合わせた。

 フィード「通れ(Go)っつったな、今」

 エオル「言ったね、多分。じゃあ、お邪魔しま~す……」


 門を潜り抜けた瞬間、目の前には活気溢れる賑やかさ、低い木造平屋の家屋がみっしりと並ぶ、巨大な街が広がっていた。

 ただし、町行く人は皆髪が黒く目も黒い。皆、同じ色。そして皆、よしのが当初着ていたような独特の帯締めの巻き衣装を身に付けていた。

 木造の家屋も、窓枠にはまっているのはガラスではなく、どうやら本当に紙のようで、噂通り"木と紙でできた家"だった。

 フィード「でもどうせ釘とか使ってんだろ。"木と紙と金属"の間違いじゃねーか」

 エオル「なんか、風通し良さそうだけど、雪が降ったら寒そうじゃない?」

 フィード「火事とかなったらソッコー燃え移りそうだよな」

 フィード&エオル「一体どうやって生活してるんだ?」


 町の規模にしては道路は舗装などされておらずガタガタで、その中をたくさんの人や荷車が行き交っていた。皆靴ではなく草を編んだ薄いサンダルもしくは裸足で、足元は土煙で真っ黒だった。自分たちの姿も巡礼船に乗る前に支給されたこの"白いガウン"と同じ、違いと言えば目と髪と肌の色くらいか。


 笠本「巡礼者はその白い着物ですぐわかるようになっとる、別のもんには着替えたらダメじゃ、斬首になるけえ」

 何を話しているのとハニアはよしのを見上げた。よしのは服を脱ぐ仕草をしてからバツ印を作り、それから首元を指で水平になぞってみせた。

 どうやらそのジェスチャーはうまく伝わったようでハニアは小さく丸印を作ってみせた。


 フィード「なんだ? よしののやつ暑いから服を脱ぎたい?」

 エオル「いやいや絶対違うでしょ! 多分服を脱いだらダメってことじゃない?」

 フィード「ダメとか言われるとやりたくなるな」

 エオル「お願いだからマジでふざけないで」


 門を正面に大きく開けた真っ直ぐの通り。遠くに、少し霞んで一際大きな建物が見える。平屋ひしめくその中でそれだけ五、六階建ての頭を天に向かい突き出していた。石を積み上げた丘の上に建っていることで一際高く見える。


 フィード「げ~あそこ目指すのか、結構距離あるじゃねぇか」

 エオル「町並み見ながら歩けるし、ちょうどいいじゃん……いろいろ話を聞かせてもらいたいからね、君には」

 その冷めた視線に、面倒くさいと言わんばかりに顔をしかめ、耳をほじくりなから、フィードは呟いた。

 フィード「面白い話なんて一個もねぇぞ」






 一行は賑わう大通りを真っ直ぐに歩き始めた。


 エオル「色々聞かなきゃならないよ、王さまに会ってどうするのかとか、よしのさんの記憶の手がかりだって、あと"狂犬"のお金はどうやって工面したのさ」

 縦横無尽に行き交う人の波をかき分けながらも、エオルの視線がフィードから外れることは無かった。


 フィード「金の工面は――」


 青くすんだ空を見上げ、少しの沈黙。その間、エオルの喉は何度もゴクリと音を鳴らした。


 フィード「……あしながおじさん」


 エオル「……はい?」

 フィード「あしながおじさん」

 エオル「誰」

 フィード「あしのながいおっさんだよ」

 エオル「だから誰!?」


 徐々にイライラしだしたエオルを鼻で笑いながら、だがその笑みはどこか自嘲的だった。

 フィード「そのうちわかる、嫌でもな」

 エオル「そのうちっていつ!?」

 フィード「せっかちめ」


 エオル「不安だからだよ! 知らないこっちの身にもなってよ!」


 ついついあらげた声に集まる視線。我に帰ったエオルは恐る恐る辺りを見回した。


 笠本「なんだ、どうしたー!? あー、わっつはぷん?」

 エオル「sorry, It was nothing……(何でもないです)」


 一瞬きょとんと間が置き、エオルは伝わっていないことを理解した。


 笠本「わははははー! とりあえず、」

 唸る拳、脳天を押さえ踞る二人の魔導師、沸き起こる歓声らしきもの。


 笠本「喧嘩両成敗! 仲良くな!」

 フィード「てめーのせいで俺様まで怒られたじゃねえか!」

 エオル「俺のせい!? よくそんなこと言えるな!」


 二人の魔導師のつかみ合いに徐々に野次馬が増え始めた。


 笠本「あー、こらこら、止めんか」

 よしの「お二人とも! 止めてくださいまし!」

 ハニア「∴♂@*▲☆(兄ちゃんたち! 止めなって!)」


 回りの野次馬も二人の魔導師を取り押さえにかかった。


 「何事だ!」


 笠本はしまった、と舌打ちした。






 漆塗りの帽子を被り、皺一つ無い鮮やかな着物に腰には黒く光る鞘、そして浅黄色の羽織――


 笠本「……いかん、神撰組だ、芳也殿、"挨拶は別の機会にしてくれ"」


 いつものおおらかな笑顔で、浅黄の侍の前に立ちはだかると、笠本は腕組みして頑として動かないという意思を示した。

 笠本「すまんすまん、長い船旅に言葉が通じん心労が嵩んどるようだ、大目にみてやってくれ」

 「異人の喧嘩は斬首だ」

 笠本「申し訳無い、わしがまだそれを伝えてなかった」


 浅黄の侍の鋭い目は変わらなかった。


 「巡礼船の責任者を出せ! 都の治安を乱さぬ条件での事業のはずだ」

 直ぐ様、「わはは!」といつもの快活な笑い声が上がった。

 笠本「すまんすまん! わしが責任者の笠本だ」


 その一言に、瞬時に周囲はどよめいた。


 「……貴殿が笠本殿とはつゆ知らず、無礼を詫びましょう。しかし、」

 笠本「わーかったわかった! 後でそちらの局長に詫びを入れに行くけえ、ここは大目に見てくれ、巡礼での規則はキチンと叩き込んでおく」


 どこか納得いかないと顔をしかめ、だが、浅黄の侍は軽く一礼すると踵を返した。不安げに見上げるよしのの視線に気づき、笠本はいつものように笑ってみせた。

 笠本「ふー、焦った焦った! まったく芳也殿はすごいところにおられたのだな! さてと、」


 町の男たちが山となって取り押さえている二人の魔導師の前まで行くと、腰に差した刀を親指で僅かに抜きながら野犬のような瞳で低く唸るように忠告した。


 笠本「Cut it out!(いい加減にしろ)」


 その凄味のきいた言葉に、おとなしくはなったものの、二人の魔導師は互いのにらみ合いをやめることはなかった。


 よしの「こらっ! 喧嘩はおよしになって!」


 その甲高い鈴を転がすような、それでいて厳しく律する声色に、これまでにらみ合い続けていた二人の魔導師は我に帰ったようで、同時にきょとんとよしのを見上げた。


 よしの「めっ!」


 つり上がった眉、への字に曲がった口、その普段の様子からはかけ離れた表情に、いよいよ「しまった」と思い始めたようだ。その空気が周囲にも伝わったのだろう。取り押さえていた男たちがやりきった顔で次々と離れ始めた。

 眉をつり上げ両手を腰に置いたその眼前で二人の魔導師はバツの悪そうに顔を見合せた。


 エオル「……ここでは核心の話はやめとくよ、だけど王さまに会ってどうするのかとか、この国でのことについては話してよね」

 フィード「……わかったよ」


 顎をジャリジャリと擦り、笠本はニカリと白い歯を見せた。

 笠本「大丈夫そうだな、流石、芳也殿だ」

 よしの「い、いえいえ」


 言葉が伝わらないと一体何に揉めているのかさっぱりわからない。それはよしのとハニアに大きな不安を植え付けた。






 なんとも言い難い重苦しい雰囲気のまま、おそらく普段であればそうでもないのだろうが、うんざりするほど長く感じる時間を暫く歩き続け、漸くたどり着いたのは瓦屋根の入口の簡素な木製の跳ね橋。その下は深いお堀となっており、赤や金に輝く魚や鴨がゆったりと泳いでいて、よしのとハニアはついつい足を止めて見入ってしまった。


 笠本「わははーっ! そんなに珍しいか! 芳也殿! "金魚坊"!」


 目をぱちくりさせ、ハニアは自らを指差した。その頭をぐりぐりと撫でくりまわしながら、笠本の腕が橋の向こうを示した。

 笠本「さあ、参りましょう、芳也殿」


 指し示された先は、石を積み上げた、幅の広い段がずっと向こうまで続いていた。


 エオル「で、王さまに会ってどうすんのさ」

 フィード「とりあえず、なんかウマイもん食わしてもらおうぜ」


 一呼吸の間。


 エオル「何目的ぃいいーーーーーー!?」

 フィード「あとほら、王さま権限でパパッとよしのの身元を探してもらってさ」

 エオル「え? なにそれ、ガチ……じゃないよね?」


 何を言っているんだと、フィードの冷めた視線が向けられた。


 エオル「あはは! だよね! さすがに、」

 フィード「それ以外に何があんだよ」

 エオル「ぎゃああああああ!」

 慌ててフィードの胸ぐらを掴みかけたその手は、先ほどの"おしかり"もあって宙をさ迷い、しかしその分の慌てようをどこにぶつけたらよいのかエオルは文字通り右往左往し始めた。

 エオル「そんな超個人的な理由で会って良い人じゃないよ!?」

 フィード「皆のための王さまだろ? 誰がそんなん決めたんだよ」

 エオル「常識だよ!」

 何とも響いていない様子で、両手を後頭部で組みあっけらかんと笑いだした。

 フィード「何とかなんだろ」


 相棒のその一言に腹を括ったか、はたまた諦めたか。深くため息をついて、エオルの険しい瞳は未だ先の見えぬ段の向こうを見据えた。

 エオル「なんとか"する"んだよ」


 一段登るごとに背中にじわじわと汗が滲んだ。一国の王に謁見など、そもそもできるような生まれではない。作法云々もまったくわからないし、言葉遣いもどうしたらよいかわからない。いや、それ以前に言葉など通じぬのだった。外国人であることで多少の無礼は目を瞑って貰えるだろうか。だが、どう話を切り出し、どう切り抜けよう。確かにジパングに来たところでアテなど皆無であることは確かだ。


 やがて段を登り終えると、白壁が眩しい、初めて目にする自分達ですら歴史を感じさせる、それでいて手入れの行き届いた木製の扉が観音開きで待ち構えていた。






 "城"にしては、大した装飾もなく、質素だと思った。

 一歩踏み入れると湿っぽい木の香りに包まれた。靴を脱ぐように指示を受け、これまた皺一つ無い着物に身を包んだ、栗の渋皮のような鋭い瞳の男の後に続いて奥に足を踏み入れた。

 つるつるに磨きあげられた"フローリング"や煤けた磔、柱が醸し出す重厚な空気に無意識に背筋が伸びた。床は踏みしめる度にギシギシと鳴り、エオルはフィードが面白がってはしゃぎ出さないか不安でならなかった。


 そんなエオルとは裏腹にフィードのその横顔は何処か神妙な面持ちだった。


 最上階、廊下から見える、遮るものなど何一つ無いその眺望は空の彼方まで見えてしまいそうだった。

 エオル「かなり広大な平野なんだね、山があんなに遠いよ」

 話しかけた先の相棒は無反応だった。

 エオル「……フィード? おーい」

 ようやく気がついた相棒は何か用かときょとんとしていた。

 エオル「いや、だから、景色……なんでもない」

 珍しく緊張していることが伝わった。


 遥か向こうまで敷き詰められた畳の間。香る藺草。よしのは胸の奥底を突かれるような不思議な懐かしさを感じていた。

 よしの「いい香り……」


 奥で一列に並ぶように腰かけると、合図があるまで頭を下げておくよう指示された。

 ハニア(なんか……とんでもないことになってる気がする)

 エオル(うわわわ……ついに来ちゃった)

 よしの(王さまはどのような方なのでしょう)

 頭の先に、人の気配を感じた。やがてそれがストンと腰かける衣擦れの音が聞こえた。


 笠本「笠本龍馬、巡礼船より無事帰国いたしました! 今回ファリアス便の入国は五百二十八名。巡礼船事業としては現在二千名弱が入国中です」


 「ご苦労だった。苦しゅうない、面を上げよ」


 くぐもった若い男の声だった。くぐもったというのはマスクか何かをしているような、口の前に何かをあてがっているような声だ。笠本が顔をあげたことを確認し、王とおぼしき男は続けた。


 「その者たちは」

 笠本「今回、珍客がありまして、王、市松家の芳也殿です」






 よしのは頭の先に視線を感じた。


 笠本「他三名はその付き人です」

 魔導師である、とは明言しなかった。


 「面をあげよ」


 笠本はそれぞれの肩を叩き、顔をあげるよう指示した。

 上げた先に腰かけていたのは、細かな装飾の美しい着物に身を包んだ、黒髪の――


 ハニア「うわあっ!」


 声を上げた後でしまったとハニアは慌てて両手で口を塞いだ。思わず声をあげるのも無理はない。王とおぼしきその男は、目の大きくせりだした、頭に角を生やした、まるで魔よけの像のような恐ろしい形相の仮面を着けていた。


 「尾上、"世界樹の霊薬"をここに」


 傍に控えていた、どしりとした厳つい老人は、頭を垂れ、音もなく下がった。

 暫しの沈黙の後、よしの以外の一行の前に出されたのは親指ほどの小さなカップ。中には少量の紫色の汁が入っていた。

 笠本はカップの中身を飲む仕草をし、それに従い一行は一口で飲み干した。


 フィード「んぐぶふぉあ!」

 エオル「げほっげほっ」

 ハニア「おげえぇえ」


 尾上「貴重な霊薬だ。異人に飲ませるなど特例だぞ」

 はた、と三人は同時に老人に視線を集めた。この老人が何を話しているかがわかる。


 ハニア「あれ? わかる」

 だが、口の動きと聞こえる内容は合っていない。なるほどとエオルは喉を擦った。

 エオル「精霊の流れを操作して思念の授受を可能にしてるんだ、意志疎通ができる!」

 ハニア「おわあ! にいちゃんの言ってることわかるよ! 内容はよくわかんないけど」


 こほんと老人の咳払いでしまったと二人は肩を縮めた。


 「ははは! 構わぬ! 神使教の霊薬は魔導師には珍しかろう。……さて魔導師、市松芳也が戻ったと笠本から聞いた、桃次郎の様子も併せて聞きたい。尾上以外の者は席を外せ。笠本、ご苦労であった」

 これまで王を取り囲むようにして待機していた大勢の侍たちは全員神妙な面持ちで深く頭を垂れると、そのまま速やかに姿を消した。


 静まり返った広間。王は暫しの間よしのを見つめると、静かに口を開いた。


 「"よしの"殿、懐かしい。だが何故姿を現された」


 一行はぎょっとして一斉によしのに視線を集めた。


 ハニア「ねえちゃん、王さまと知り合いなの?」

 問いかけられた本人は暫し茫然としたのち、ぼんやりと口を開いた。

 よしの「私を……ご存知なのですか……?」






 思わず王の元へ駆け寄りかけたところを尾上に制止され、なおもよしのは声を上げた。


 よしの「私は何者なのですか!? 染井よしのとは偽名だと言われました! 私は……私は一体……」


 暖かな太い腕が背後から伸びた。

 エオル「よしのさん、落ち着いて……! 王さま、彼女は記憶喪失なんです……その、まさかお知り合いだとは……」


 少しの間を置き、なるほどなと王はからかうような口調で問いかけた。

 「芳也を連れてきたとは狂言だな、よしの殿を我が国へ入れるためか」


 狂言、という単語に尾上の目が光った。


 「尾上、構わん。魔導師よ、遥々ご苦労であった。芳也と桃次郎は元気か」

 エオル「は、はい、とても。魔導師の軍の頭として指揮を執っています」

 興味深そうに、そしてどこか安堵したように、仮面の向こうから溜め息が洩れた。


 「芳也はおなごらしくあるか? 桃次郎は強さ以外の大切なものは見つけられたか?」

 すまなそうに、申し訳なさそうに、エオルは答えた。

 エオル「……申し訳ありません、詳しくは存じ上げません」

 「……そうか」


 そして肘掛けにもたれていた背筋を正し、改めてよしのに向かった。


 「そなたが現れたのは何かの"啓示"かもしれん。……記憶無きことは不安であろうが、そなたが今、己が何者かを知ることは"啓示"の障壁となろう。焦ることはない、まずはそなたがすべきことをしなさい」

 よしの「そんな……!」


 「ただし、この国でその名を名乗ってはならん、"別の意味を含む"。ここに入国した通り、芳也の名を借りるがよい」

 エオル「……名乗ってはならないというのは、そんなに有名人なのですか」

 尾上「……"そのように名乗っている"おなごが多い、それだけだ。いざはぐれた際に名だけでは探しきれなくなる」


 よくはわからないが、女性の多くが名乗りたい名前らしいということはわかった。この国ではわりとポピュラーな名前ということなのだろうか。とにもかくにもよしのの取り乱しようは、心が痛んで目も当てられぬ程であった。兎に角落ち着かせてやりたい、エオルはよしのを抱え、王の指示を受けた尾上の案内で部屋を出た。ハニアも心配そうに後を追い、部屋には王とフィードが残った。


 フィード「……ちょうどいい、折り入って話があんだ」

 「紅き瞳の白兎」


 フィードの紅い瞳が真ん丸となった。


 「……と、白桜姫様から伺っておる。真に白兎のようだ」

 フィード「だったら話が早ぇ」

 「時が来れば、そなたの"同盟"とやらに、力を貸すつもりぞ。そのかわり、"役目"は確と果たすのだ」


 紅い瞳は真っ直ぐと仮面の奥に光る瞳を見据え、深く頷いた。


 「……そなたの"連れ"に口出しをするつもりはない」

 フィード「……ちなみによしのはたまたまだ。何なんだよ、あいつの"啓示"って」


 一呼吸、息を吐いて、王はゆっくりと答えた。


 「……"夢"から目覚めさせてはならん。己が正体に気付いた時すなはち、永久の別れとなろう」

 訳がわからない、フィードは肩を竦めた。


 「監視をする者がいるはずだ。それには気を付けろ」

 直ぐ様、よしのがチェシャ猫と呼んだ少年が頭を過った。

 フィード「どういうことだよ!」


 クスクスと、能面の奥から笑い声が聞こえた。

 「知らぬが仏だ。そなたは言われたことをこなせばよい」


 唇を噛んで睨み付けるフィードを尻目に、王は手を叩いて人を呼んだ。


 「歓迎の宴だ。客人をもてなせ」



 宴はジパングの者のみ盛り上がり、肝心の"客人"たちは完全に上の空だった。

 よしのは「長旅で疲れているから」と不参加で、エオルはぼんやりと全く酒が進まず、ハニアもまた上の空で、そのせいなのか、箸が使いこなせないだけなのかポロポロと口の端から食べ物を溢し、フィードは目の前で繰り広げられる演目には目もくれず、八つ当たりのように食事をかきこんでいた。

 やがて宴も終わり、王の厚意で城の近くの高級宿に部屋を用意して貰えた。ここで巡礼船の次の出航までの1ヶ月を過ごす……はずだった。






 ◆



 「おい、どっちだ?」

 「"嫡男"だろ」

 「だが髪が黒いのはこっちだ」

 「異国の水で色が変わっただけかもしれん」

 「……わからん、面倒だ、両方連れていこう」


 何やら顔の前がひそひそと騒がしい。何事かと目を開いた途端、大きな手のひらに口を塞がれた。



 ◆



 エオル「どうしよーーっ!」


 頭を抱え、叫びに似た声をあげているエオルの目の前には、もぬけの殻の二組のふとん。

 朝から、よしのとハニアの姿が見当たらない。初めは辺りを散歩しているのだろうから、しばらくしたら戻ってくるだろうと考えていたが、これがいつまでたっても戻ってこない。おまけにフィードの一言が余計に不安を掻き立てた。


 フィード「アイツ(カサモト)がいねえ」


 サムライがいなければ外出どころか人と話すことすら許されていない。担当サムライであるカサモトがいなければ何をすることもできないのだ。

 "魔導師である自分達だけ残されている"ことに、エオルの脳裏には十数年前のジパング国内での魔導師殺害事件がよぎっていた。


 フィード「なんだそりゃ?」

 エオル「なんで知らないのよ!? 昔一度協会と神使教が歩み寄ろうとしていた時期があって、ほら、カグヤとトウジロウがやってきた……その時に協会側から友好の印にってここに送った魔導師がジパング人に殺されたってことがあったんだよ……それ以来魔導師はこの国に入ったことはない……」

 フィード「んじゃあ俺様らはそれ以降の一番じゃねーか、よっしゃー」

 エオル「おばかーーっ! 今度は俺たちが事件の被害者になるかもしれないって言ってるの!」

 フィード「んなもん、返り討ちにしてやらあ」

 エオル「……忘れたの? 俺たち今、魔法使えないんだよ」


 少しの間を置いて、フィードはくるりと体を翻し、どたどたと歩き始めた。

 エオル「なに!?」

 フィード「よしのとがきんちょを探す」

 エオル「だ、ダメだって! サムライついてないのに外歩き回ったら首跳ねられちゃうよ!」

 フィード「大人しく待っててもブッ殺されんだろ? じゃあ別に変わんねえじゃねえか」

 エオル「いやいや! ブッ殺されるかはわかんないよ……俺のただの推測!」

 フィード「どのみち魔導師野放しにしてるカサモトとかいうやつが悪いだろ。俺様知ぃ~らねっ!」


 咳払いが一つ。目の前には昨日王の側にいて尾上と呼ばれていた鋭い瞳の屈強な老人。


 尾上「やはりか」

 二人の魔導師の、その慌てふためいた様子に対しての、その一言だった。


 フィード「なんだジジイ」

 エオル「何かご存知なのですか?」

 尾上「至急、城へ上がられよ」



 ◆



 夜の間休み無く馬に揺られ、途中緑繁る獣道や岩場の険しい山道、冷たい沢や細い吊り橋のみの切り立った崖を越え、岩山のいっかくに辿り着いた。

 その内の一つの岩をどかすと、縄ばしごが地下に降りていた。


 ここで初めて、男たちは口を開いた。

 「お降りください」


 不安げなハニアを抱きしめ、よしのは耳元で「大丈夫」と呟いた。そうは言ったものの、内心不安で潰れそうだった。

 縄ばしごを降りると、長い横穴が続いており、その所々には煌々と松明が光を放っていた。地下道のようだ。


 「お進みください」


 暫く進むと突き当たりに今度は上から縄ばしごが垂らされており、上るように指示された。

 昇ると更に横穴が続いており、これをまた暫く進むと行き止まりであった。

 誘拐犯の一人が壁を叩いた。すると壁の向こうから声が聞こえた。


 「ヤマ」

 「カワ」


 回答を確認し、「よし」という声を合図に"壁に進むように"指示された。

 「心配ござらん」

 恐る恐る、指示された部分に手を触れると、そこに確かに壁があるのに、伸ばした指先はするりとすり抜けた。目の前に見える壁は幻覚のようであった。


 "壁"を抜けると、薄暗い蓙敷の小さな部屋。待ち構えていた数人の男たちに両脇を抱えられ、ギシギシと音の鳴る古びた階段を登らされた。


 すると今度は、昨日訪れた城のように、広い畳の部屋が広がっていた。

 ただ城と異なるのは、壁や天井に所々空いた穴から光が差し込んでいること。廃屋のようだった。取り囲むように部屋の端を埋め尽くす人影。射し込む光で目が眩み、姿がよく見えない。そのうちの一人が前へ進み、膝をついた。笠本だった。


 笠本「度重なる非礼をお詫びいたす」

 よしの「ここは……」


 笠本「開国推進派"解の衆げのしゅう"本陣でございます。芳也殿、あんたには王を説き伏せるための、人質となってもらう」





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