36.x
10月~11月にかけて本家サイトで連載していた小話シリーズ。トウジロウがスペードのエースになるまでの話。2年前の話です。36.1~36.7話まで。
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「どういうこと……?」
「言うた通りや、婚約破棄」
夜風が生温い、虫たちの合唱がわんさかと、人気の無い公園。池の畔で光炎魔法の街灯がちらちらと照らす二つの影。
「うちの親に何か言われた?」
「ちゃうわアホ」
「言われたんでしょ? 私は貴方となら……」
「親御はんは大事にせなあかん」
女は納得いかないと目に涙が溜まるのを、必死で堪えて言葉を探していた。
「ああ、それと」
男は憮然とした態度で女を見下ろした。
「明日から秘書課に転属や、お前」
◆
翌朝出された人事異動令は誰もが度肝を抜かされた。
殉職したハートのキングと、先日一人の一般隊員との一騎打ちで敗れ、辞表を提出したスペードのキング、この二つのポストに充てられたのは、なんとジパング人。
10年程前にジパング国との国交正常化、友好の証として魔法圏に放り込まれた二人のジパング人の子ども。しかし程無くして、代わりにジパングへ送り込んだ魔導師が殺害。魔法圏と神使教との溝を深めるだけ深め、あっという間に国交断絶、取り残される形となった、腫れ物のような存在。二人のジパング人の立ち位置は魔法圏の中で非常に微妙だった。10年経過した今でも、歩けば殺せと声が上がるほどだ。
そんな二人がトランプのトップとなった。当時この人事を行なったジョーカーには、神使教に媚びているなどと激しくバッシングされた。
そしてもう一つ、一部の隊員たちの間で驚かれたのが、非常に有能だったリシュリュー隊員の秘書課への転属。今朝より大変落ち込んだ様子のリシュリュー隊員を、皆この人事が原因かと懸命に励ました。
この人事が発表された直後、スペード軍のエースが抗議を目的とした辞任。トランプ内は更に大混乱に陥った。
◆
「ちょっと! 見たわよ、ニュースペーパーの号外! 大変なことになってるじゃない」
帰宅するなり、恋人ヨトルヤの第一声はこれだった。
「まあね、いろいろ処理が滞って仕事になんない」
汗まみれの制服を脱ぎ、その場に置こうとした手をはたと止め、洗濯カゴに放り込みながら、ウランドは疲れた様子でソファに身を沈めた。
「あなたはどうなの……? 私はあんまりそういう差別は好きじゃないんだけど」
「目と髪がホントに黒いってことは分かった。それ以外はまだよくわかんない」
「……あなたの人の見方はホントよくわからないわ」
ぽりぽりとライトブラウンのクセッ毛を掻きながら、すがるように婚約者を見上げた。
「ところでなんか食べるものない?」
「もう、こっちは心配してるのに!」
「……いや、だって今日の今日じゃ何ともいえないよ……明日ようやく挨拶なんだ」
◆
「おはよう、ハートのエース。昨日バタバタしていたせいで、挨拶が遅れてすまん」
それが、カグヤがキングとしてエースにかけた最初の言葉だった。"いつものように"キョロキョロと落ち着きなく、ウランドは答えた。
「おかまいなく。早速ですがまずは体制を立て直したいのですが」
「わかっている。キングで止めている書類はすべてよこせ。それとまずは各案件のアサインと状況を把握したい」
やはり浮き足立っている、とウランドは笑いを咳払いで誤魔化した。
「キング、申し訳ありません、私が急かしてしまいましたね。まずはスケジュールの把握から行いましょう。あと10分で上層部会、その後朝礼です。それから次の案件状況報告会議までに30分ほどお時間がありますので、その間に軽くご説明いたします」
「わかった」
互いに謝罪から始まった最初の対面だったが、さほど悪い印象などなく、むしろやっていけそうだと、ウランドは既に手ごたえを感じていた。
そうなってくると気になるのはもう一人のジパング人。エースにまで辞められて、ハート軍より状況は悪い。最悪次のエース選任まではダイヤのエースか自分が兼務する必要があると考えていた。
「キング、本日の上層部会、私も参加させていただきます」
◆
毎朝始業前に執り行われるトランプ上層部会議。ジョーカーの執務室に各軍のキングが集まり、互いに情報交換を行う。
たまに前キングの代理で参加していたが、その日の場の空気はなかなかに殺伐としたものだった。
ピクリとも笑おうとしないジョーカーに、そわそわと落ち着きの無い、相変わらず代理出席のクラブのエース。ダイヤのキングはお得意の討伐遠征。スペードのキングの姿はまだ、ない。
クラブのエース・リケは助けを求めるような視線をウランドに送った。ピリピリとした空気の中、ハートのキングは口を開いた。
「おはようございます、本日は初日ということもあり、エースも参加させていただきます」
ジョーカーの口にいつものイタズラっぽい笑みが宿った。しかしその声色は低かった。
「おはよう、ハートのキング、今日からよろしく頼むぞ」
その後ろで、ウランドはこそこそとリケに話しかけていた。
「スペードのキングはまだですか」
「昨日から連絡とれないって、今スペードで騒ぎになってる」
「へぇ」
この何ともいたたまれない状況に逃げ出したか。多少残念に思ったが、致し方ないとも思えた。
そして定刻になり、会が始まり、少ししてだった。
ドアが開いたと同時に虎のような剣幕でジョーカーは怒鳴り付けた。
「どこほっつき歩いとったんじゃクソガキがーーっ!」
あまり大声を出すことの無い老将のその剣幕はリケを飛び上がらせた。
扉からのそりと現れた黒髪坊主の大男は何食わぬ顔で言ってのけた。
「わざわざこのようけわからん集まりに顔出したったんやで? なんで怒鳴られなあかんねん」
そのジパング人はウランドの想像の遥か斜め上を行っていた。
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初日の初っぱなから総統に怒鳴られたそのジパング人は始終憮然とした何食わぬ態度だった。この男は、悪びれるということを知らないのだろうか。
ハートのキングも明らかに不機嫌で、それはこのスペードのキングの態度のせいだとばかり、その時ウランドは思っていた。
重苦しい空気の中、上層部会議は終了。
長らく潜っていた水中から地上の空気を求めんばかりに、真っ先に退室したのはハートのキングだった。
「……次はハート軍内部の朝礼です」
「わかっている」
低く短いその一言では、機嫌が悪いかどうかなど、窺い知れることはできなかった。
◆
朝礼も堂々と済ませた新たなキングに、一般隊員たちは肩透かしを食らった様子だった。予想以上に、頼りがいがある。一般隊員時代や学生時代よりカグヤを知る一部隊員たちからは、既に歓迎されていた。そのことが、カグヤの人となりを物語っていた。
朝礼も終わりかけ、そんな時だった。バタバタと廊下をかける音、慌てた様子で乱暴に開く扉。
「ハートのエース! 助けてください!」
それは、上層部会議で急遽スペードのエース代理に選定された隊員だった。
それに対してカグヤから発せられた声色はどこか突き放すような形だった。
「行ってやれ。ただし案件報告会議までには戻るように」
◆
スペードのエース代理に連れてこられたのはトランプ本部から少し離れたところにある運動場。
そこはまるで戦地ではないかと見間違えるほどに、倒れこむ隊員たちで埋め尽くされていた。だがよく見ると整列していた様子がある。全員、腹を肩を上下させ、滝のように汗を流していた。
その正面で一人、岩のように胡座をかいてその様子を睨み付けていたのはスペードのキングだった。
隊員たちはみな、ウランドの姿を見つけた途端、すがるように視線を集めた。
「随分過激な朝礼ですね。何事ですか、スペードのキング」
まるで本物の岩のように、スペードのキングはピクリとも動かなかった。その後ろでスペードのエース代理は鬼の首でも取ったかのように得意げに声を張り上げた。
「あんたがどれだけ不適正か! これからハートのエースに訴えてやるからな!」
訴えられたところで、たかだか隣の軍の副将軍の地位である自分にはどうすることもできないのだが、とは言え初日も初日にこれだけのことをというのは単純に興味があった。一先ずスペードのエース代理の話を聞くことにした。
◆
腹筋背筋腕立て1000回ランニング10km。理由は朝礼の時間が勿体無いから。ただそれだけだったが、とても朝礼の短い時間内に終わるものでは無かった。
「どうです!? 貴重な朝礼の時間をこんな……」
「お前はまだ途中やろ」
差し込まれた雷のような声。その"岩"は鷹のような鋭い瞳をエース代理に向けた。
「はよ戻らんかいボケェ」
エース代理はウランドの影に隠れた。そこで初めて、"岩"はウランドを一瞥した。
「邪魔や消えろ」
なるほど、とウランドは顎をさすりながら、しゃがんで目線を合わせた。
「明日はどれだけです? スペードのキング」
何を言い出すのだろうかとその場の全員がウランドに視線を集めた。
「新生スペード軍では朝礼の時間を鍛練に費やす方針と理解しました。今日の量では時間が押すこととこれからの業務に支障をきたすことがわかりましたね。であれば今日のは適正な量ではなかったということですよね、それで? 明日はどのくらいの量になさるのですか?」
この場で、量を減らす約束を取り付けるつもりだった。それであるならキングの方針を尊重しつつ、隊員たちの負担も軽減できる、と考えた。
漆黒の瞳は視線を倒れ込む隊員たちに戻した。
「まだランニングが残ってんで」
完全に、ウランドを無視だった。どうしたら話を聞いてもらえるのか、とあれこれ考えを巡らせていたときだった。再び、漆黒の鋭い瞳がウランドを睨み付けた……かと思った途端、ゴツゴツとした、それこそ岩のような大きな手がウランドの胸ぐらを掴んだ。
「ん?」
「今、ハートのキングと俺を比較したやろ」
一瞬、何を気にしているのかわからなかったが、ジパング人同士でしのぎを削り合っているということだろうか。だがそれを仕事に持ち込まれては困る。トランプの各軍は柔軟性を保つために自由度の高い協力関係になければならない。反論しようと口を開きかけた時だった。
「ハートのエース、そろそろお時間で……きゃあ!」
背後から、ハート軍の秘書官が呼び戻しに来たようだ。答えようと振り向きかけた瞬間、周囲からどよめきに繋がる声が上がった。
大きく吹き飛んだウランドは後頭部をさすりながら口の端の血をなめた。
次に思ったのはメガネのレンズが割れたからヨトルヤに怒られるといったことだった。
そんなウランド本人とは裏腹に周囲は凍りついていた。
スペードのキングが、ハートのエースを殴った――スペード軍に対してハート軍が悪感情を抱く、と。
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「大げさだなあ」
憤怒の表情でウランドの腕を引っ張る秘書の背中を見ながら、殴られた本人は蚊に喰われた程度にしか考えていなかった。
それよりもスペードのキングのあの尖り具合を何とかしなければ、考えを支配していたのはその事ばかり。それくらい、ウランド本人にとっては殴られたことなど大したことはなかった。文字通り、"周囲をよそに"だった。
だが、今度は自身の上司に悩まされることになった。
◆
会議室につくなりその場の全員が、ウランドの腫れた頬に目を見張った。中でも直ぐ様、真っ直ぐと寄ってきたのはハートのキングだった。その怒りに震えるのを押し殺そうとした目に、今度はこっちに(会議に遅刻したため)殴られるのか、などと考えていた。
ところがその白魚のような細い指はそっとウランドの頬に触れると柔らかな光を放った。"治癒魔法"だった。その優しい手の感触とは反対に、漆黒の瞳に宿る光は冷徹だった。
「スペードのキングにやられたのか」
直感的に、是と答えるのはマズイ気がした。
「いいえ、ちょっと大きめの蚊に喰われただけです」
あまりに馬鹿げたその回答に、ハートのエースは殴られたことで不機嫌で、それをキングに当たっていると周囲は受け取った。
「お前は上司である私に虚偽の報告をするのか?」
「お言葉ですが、キング、私個人のプライベートです」
「勤務時間中にプライベート?」
「じゃあ時間休で」
「ガキか貴様は!」
その通りだと、周囲は呆れ返っていた。前ハートのキングが割といい加減な性格だったため、なあなあで流されていた部分が、このキングではそうはいかない。それを以前のいい加減な感じで済まそうとするウランドとは、こういった場面でウマが合うはずがなかった。
「何を気にされているのか理解に苦しみます。もしこの"蚊に刺され"が貴女の想像通りだったとして、どうされるおつもりですか? ただでさえ、今回の人事でトランプ全体が混乱しているのに、さらにそれを引っかき回すおつもりですか」
なるほど、とぼけた回答の意図は更に余計な混乱を招かないためか、場の全員が理解を示したように見えた。一人を除いて。
「金輪際スペードのキングに関わるな」
それは吐き捨てるような、口振りだった。
◆
「もしかしてさあ、スペードのキングとうちのキングって仲悪いの?」
秘書課の休憩室。各軍の秘書たちが集まるその秘密の園は軍を跨いだ人間関係の噂の宝庫だった。そこに現れた珍客に、秘書たちはお茶出し、椅子出し、茶菓子出しの大慌てだった。
「ハートのエース……初日からまたなぜそんな……」
「何か情報ない? このままじゃ仕事に支障がでかねない」
この化粧品の香りに満ち満ちた部屋に足を踏み入れるのは罪悪感というか申し訳なさというか恥ずかしさのようなものがあるが、最早それどころではなかった。たった半日だが、このままではトランプという組織自体が立ち行かなくなるのではないかという不安がこの禁断の地(秘書の休憩室)へと足を向けさせた。
「ご存知ないのですか? かなり有名ですけど」
「なんで?」
その当然のように出てくるべき質問に、答えられる者はいなかった。仲が悪いのは有名な話。だがその有名な噂には原因に関する情報は付随していなかった。
だがこのばつの悪い空気でエースを追い出す訳にもいかないと、ふくよかで気品のある年配の秘書課長が再度声をかけた。
「誰か何か知らない?」
「あの……」
プラチナブロンドに怯えたような澄んだ青い瞳、まるで妖精のような美しい女性。武骨なスペードのキングとは無縁そうだなというのが第一印象だった。
「お疲れ様です、ハートのエース。スペード軍第七秘書官リシュリュー・ラプンツォッドです」
「ご苦労様です、リシュリュー秘書官。何かご存知ですか?」
「お席を外しませんか?」
その様子に、"ビンゴ"と直感した。
◆
何やら秘密にしたそうな話をするのに選択したのは屋根の上だった。
「ここなら誰にも聞かれないでしょう」
そこまで気を使ってくれたのかとどこかホッとした様子で、リシュリューは腰を下ろした。
「スペードのキングはとても几帳面で思慮深く、不器用な方です」
「あー……なんか神経質な感じはしますねえ」
ちらりと青い瞳はウランドの頬の様子を窺った。
「殴られたとうかがいました」
すでに完治した左頬を掻きながらウランドは笑った。
「ああ、あんないきなり殴られたのは久しぶりです、面白かった」
「え……面白……?」
「ああ、で、なぜ殴られたかですが、なぜか話の文脈に全く出てきていない"ハートのキング"を引き合いに"比較しただろう"と。キングの地位であるのに隣の芝生に躍起になられてはトランプが上手く機能しません。別に仲良くならなくて構わないので、せめて仕事が回るようにしてほしい、それだけです」
そうして視線を向けた先の"妖精"はぽかんとウランドを見つめていた。
「……もしかしておかしなことをいいましたか?」
「いいえ、ハートのエース。貴方は正しい……スペードのキングは本当は心の親切な方です。朝の朝礼を鍛練の時間に置いたのも、業務に忙殺されている隊員たちが怪我をしないように、なるべく学生時代の運動量を、とのご意向かと」
あまりにこじつけに近いフォローかと、リシュリュー自身思ったが、ウランドは素直に真に受けたようだった。
「なるほど、それは周囲に伝わっていませんね。成果が出ればよいのでしょうが、このままでは周囲の心が離れるほうが早い。まず初めに集団の納得が必要でしょう」
困ったように、"妖精"の眉根が寄った。
「……貴方であれば、叶うでしょう。ですが、彼には"壁"がもう一枚あるのです。そのため、周囲から認められるには成果を出すことが近道だと考えておいでなんです」
――その壁とは、ジパング人であるということ
「うちのキングも同じですが」
「……カグヤさんとは置かれた環境が違いすぎました。どれだけ努力しても、ジパング人だからと。目に見える結果を残すしかなかったんです」
「やれやれ、未だに学生気分ということですか。困りました」
その痛烈な言葉にリシュリューは驚いた様子でウランドを見上げた。
「確かに結果は大事ですが、これはチームでの仕事です。成果を出せば単位をもらえて卒業ではありません。その先も、多くのヤマを仲間と乗り越えていかなければなりません。できないのであれば、そもそもトランプには向いていないと思います。……聞こえましたか、スペードのキング」
ぎょっとして、リシュリューは慌てて周囲を見渡した。
三角屋根の、丁度反対側。頭をさすりながらむくりと体を起こした、熊のような大男はギラリとウランドを睨み付けた。
「すみませんね、リシュリュー秘書官、ここに来たときにすでにスペードのキングがいらっしゃったのですが、まあちょうど良いかと」
リシュリューの顔には明らかに動揺が拡がっていた。
「トウジロウ、落ち着いて、これ以上内部で暴力なんて振るってクビにでもなったら、あなたマリア先生になんて顔向けするの……」
「どっちが早いか言うたなオッサン」
漆黒の鷹のような鋭い瞳とメガネの奥がぶつかった。
「みとれ、ホンマにどっちが早いか」
ウランドはやれやれとため息をついた。
「威勢の良い若獅子ですね、じゃあ見ててあげますからハート軍に迷惑だけはかけないでくださいね」
その後、確実に着々と、スペード軍はこれまで以上の事件解決率を誇った。だが、それに反比例するように、隊員たちは肉体的に、精神的に、疲弊していった。
そして今から二年前、"スペードのキング"トウジロウは再び事件を起こした。
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それは今からちょうど二年前。
"スペードのキング"トウジロウが築き上げた、まるで独裁国家のような規律と懲罰で締め上げた環境に、エース以下隊員たちがストライキを起こした。
これまで案件解決率がうなぎ登りで、各国の信頼がジパング人将軍に集まりかけていた最中であった。まるでそのタイミングを図っていたかのような、"一見"計画的なストライキであった。
そのきっかけは前日にあった。
◆
「マスター・マリア!」
受付嬢たちは慌てて起立し、その魔導師の業界における要人の突然の訪問に困惑していた。ブロンドの美しい巻き髪に深い森のようなグリーンの瞳、"スペリアルマスター"マリア・フラーレンはいつになく険しい表情で立っていた。
「スペードのキングはどこ? 通して頂戴」
「あ、アポが入っていないのですが……今"朝礼"の時間なのでその後でよろしいで、」
「今よ今」
いつになく語気強めのその様子に、受付嬢たちはただ事ではないと察した。
「……ご用件は?」
「生徒指導よ」
◆
その日の"朝礼"の終盤。徐々に回数を増やされ、当初とは比べ物にならないほどの量をこなせるようになっていた隊員たちがメニューを終えた者からいつものように運動場に倒れ込んでいた時だった。
「おはよう! 今日も良い天気ね!」
運動場に高らかに響く元気一杯の、それでいて懐かしい声。すぐに誰かわかった。隊員たちは慌てて体を起こし、敬礼した。
「何しに来てん、邪魔や消えろ」
いつものように隊員たちの前で岩のように胡座をかいていた大男は、臨戦態勢だと言わんばかりにピリピリとした空気を纏い、鋭い瞳をマリアに向けた。
常人ではすくんで腰を抜かすほどのその威圧感をビシビシと全身に受けながら、いつも陽気で明るいその人はいつになく厳しい瞳で睨み返した。
「あんた、前のスペードのキングをみんなの前で決闘で下して、今の地位を手に入れたわよね」
トウジロウは立ち上がりポケットに両手を突っ込むと、ニヤリと笑った。
「そうやで」
無言で、マリアは剣を引き抜いた。
「トウジロウ、あんたに決闘を申し込むわ。あんたが負けたら、キングの座を降りて頂戴」
◆
それはそのさらに前日のことだった。
マリアの研究室にフラフラとしながら現れたのは以前の教え子。トランプに入ることを熱望し、努力して入隊基準になんとか届き、スペード軍に配属された、夢をかなえた努力家だとマリアは記憶していた。
明るく真面目で、熱血漢、そんなマリアの記憶の中とは似ても似つかぬ、その疲れきった、ボロ雑巾のような様子。
「……座んなさい。ココアでいい?」
その優しく暖かな声に呼応するかのように、頬を伝った涙。
「……もう、トランプやめたい……」
座るように促し、マリアはテーブルに前のめりに寄りかかった。
「いったいどうしたのよ、頑張りすぎちゃった?」
「ちょっとでも逆らえばクビ、ついていけなかったらクビ、成果を出せなかったらクビ、僕はあいつが周りから評価を得るための道具なんかじゃない!」
「あいつ?」
◆
すべての片手剣を扱う魔導師たちの師匠たる最強の魔法剣士、それが周囲のマリアに対する評価。さすがのトウジロウでも敵うはずがないというのがその場の全員の共通認識。
「抜きなさい、トウジロウ」
「俺に命令すなクソババア」
隊員たちが、キングとして剣を抜くトウジロウの姿を目にするのはそれが初めてだった。
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水を打ったような静けさ、呼吸ですら音を立てることを許さぬ空気。
まるで、ほんの少し吐息が触れただけで張り裂けてしまわんばかりの、一瞬の集中力の途絶えが命取りになる。
マリアとトウジロウ、それぞれの剣はピクリとも動くことはなかった。石像のような、完全に生の気配を断った、時の止まった世界に二人だけ、そびえているかのようだった。
どれだけ時間が経ったかわからなくなってきた頃、いつまで経っても戻らない隊員たちを心配し、秘書の一人が呼びに来た。
それを合図に、マリアとトウジロウは寸分のズレなく同時に動いた。
通常であればこの一閃で決するものが、それぞれの刀身は貼り付いたように拮抗した。同時に秘書は叫び声を上げた。それに続いて、場の隊員たちは一斉にマリアへ声援を送った。
「この声援の意味、わかる?」
「そらオバハンが"魔法圏の人間"やからな」
「違うわ!」
火花を散らし、一瞬間合いが空くも、呼吸する間も惜しまんばかりに続けて火花が何度も散った。
何やら運動場が騒がしい、と徐々にトランプ本部から人が集まり出した。
「オーディエンスは多い方が元気が出てくるわね」
「興味ないわ」
「貴方をトランプに入隊させたのは、仲間の存在を感じられる環境をあげたかったからよ」
「いらん言うとるやんけ! ハナから!」
再び、剣と剣とがかち合い、ギリギリと擦れ合った。
「その若さでキング職に就かせたのはゼレルの采配ミスだわ……! 悪いことは言わない! 大人しく役職を降りなさい」
その言葉に、トウジロウの口の端はニヤリとつり上がり、次にバカにしたように鼻で笑ってみせた。
「ハッ! 俺に勝ってから言えやババア……!」
マリアより30センチ以上は上背のあるトウジロウの体重がマリアにのし掛かる。すでにマリアの両足は地面に沈んでいた。
そのこととは別のところで、マリアは不快そうに眉根を寄せた。
(何かしら、嫌な予感がする)
そのままトウジロウの剣に沿って刃を這わせ、鍔ごと指を叩き折ろうとした時だった。トウジロウの手首は滑らかにクルリと回り、マリアの剣を大きく弾いた。この瞬間マリアの胴はがら空きとなった。
貰った、と振り上げられたトウジロウの剣。それを受け止めたのはマリアの足だった。更に、もう片方の手からもう一本剣が引き抜かれ、そのさまに注意が向けられた隙に、弾かれた剣が再びトウジロウの剣と拮抗した。
「出たな、"化石"剣術」
「祖国の伝統芸能よ、古いものから学ぶことはたくさんある」
そうしてもう片方の剣が来るかと思えば蹴り技が襲いかかる。まるで三本の剣を相手にしているかのような錯覚に陥いらせる、マリアの剣術"トライアザン"。
元々は祖国の伝統舞踊だったが、その特殊な動きを魔導師の身体能力を駆使し実践用に組み立てた、マリアが祖の剣術流派。
二刀流と鋭い蹴り技の組み合わせで高い身体能力と空間把握能力、そしてスタミナさえあれば死角無しとうたわれる最強剣術。これにより、マリアは天才とうたわれ、当時のアカデミー最年少卒業記録を打ち出した。
※そののち、更に最年少卒業記録を樹立したのがカグヤとトウジロウ、という構図となっている。
「俺はお前の記録を塗り替えた! ほんなら今度は最強を塗り替えたる!」
「目をさましなさい! あんたが本当に欲しいものは何! 地位や権力なんかじゃ無かったでしょ!?」
何度か金属と金属が激しくぶつかる音が鳴りそして再度ギチギチと拮抗が始まった。
「それがあらな、なんもでけへん! 認められるために結果残せ言うたのは、お前やろうがクソババアーーーっ!」
キン、と高く澄んだ金属音が響いた。
同時に天高く舞い上がった剣。マリアの右手から真っ二つに折れた剣が滑り落ち、そのまま左手を押さえ膝をついた。左手は、空だった。
少し遅れて、遠くでマリアの剣が地面に突き刺さった。
周囲は、起こるはずがないと思っていた目の前の事実を、飲み込めずにいた。
そのうちの一人が呟いた。
「これってまさか……"最強の5人の魔導師"の誕生……?」
周囲のどよめきの中、トウジロウの冷めた瞳に見下ろされ、マリアはただ一人、別のことを考えていた。
――ダメ……! この子たった数年でここまで……私では敵わない……一体どうしたらいいの……!
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"とんでもない形"での"最強の5人の魔導師"誕生のニュースは、その日のうちに全世界を駆け巡った。
トウジロウのこれまでの功績から賞賛を贈る者、ジパング人にこれ以上魔導師としての権力を与えるなと批判する者、魔導師協会連盟国(いわゆる魔法圏)はまさに賛否両論だった。
同時にスペード軍職員すべてが集団ストライキ。各国の注目が集まっていた最中であった。
事態の収拾責任の矛先はジョーカーに向けられた。
◆
――魔導師協会本部"バベルの塔"最上階。
広間に集まっていたのは、余程の事が無い限り見ることの無いそうそうたる顔ぶれだった。会長、スペリアルマスターたち、副会長職にあたる各大陸支部長たち、そしてトランプ総統ゼレル。
この重苦しい空気をいつものごとくジョーカーは笑い飛ばした。
「わっはっは! 災難じゃったのうマリア! まあそう気を落とすな、師は弟子に超えられてこそじゃよ!」
両手の指の何本かと手首に痛々しい包帯を巻いたマリアはぶすりと頬を膨らませ、腕組みした。
「そうね! 本来なら弟子の成長を喜ぶべきなんでしょうけど!」
一番奥で人形のようにロッキングチェアに揺られていた小さな老人は漸く口を開いた。
「スペードのキングは降格させよう。これではスペード軍がままならん」
すぐさま、ジョーカーが割って入った。
「そんなことをしては、またジパング人だからかとかそんなことを言い出すぞ。カグヤと違って上の言うことだからと素直に聞き入れるやつじゃない、何が理由で降格させるか納得させてやらんと」
あからさまに呆れたと大きなため息をついて、ボソリと大きな独り言が一つ。
「何を甘ったれたことを。やつは不向き、それだけではないか」
すぐさま、マリアは声の主を睨み付けた。
「……キリス! トウジロウは学校卒業して、就職して、でも自分はジパング人だからって、魔法圏の中での人生設計に焦っているだけよ。簡単に決めつけないで。あの子が冷静だったら、」
「お前が甘やかすからだ、マリア。敗者に意見を述べる資格はない」
「あんたが勝手にあたしの資格を決めるんじゃないわよ!」
キリスは更に疑惑に満ちた視線を向けた。
「"最強の5人の魔導師"の称号も、お前がわざとプレゼントしたのではあるまいな」
「……もう一度言ってみなさい」
会長の咳払いで、マリアとキリスは互いに顔を背けた。
「キリス、マリア、話を脱線してくれるな。支部長たちも多忙だ。さて、トウジロウを一度この場に呼んでみるか、ジョーカー?」
「呼んでどうする。全員で畳み掛けて論破するか? 今のやつはジパング人であることとカグヤの存在のプレッシャーでコンプレックスの塊だ。本来持っている真っ直ぐさが失われてしまった。それはキングに任命した儂の責任。やつを降ろすのどうのの前に、処分を下すべき人間がここにおるぞ」
その一言に、場の誰もが緊張に満ちた。自分の首を盾に、部下を守ろうと言うのか。仲間のため身を差し出すことを厭わず、忠義に熱い、それが本来あるべきトランプの気質、まさにそれを地で行くこの老将に、誰もが頭が下がる思いだった。それは同時になんとかしてやりたいと、一部の人間に思わせるほどだった。
「あの~~」
どこか照れくさそうに挙手をしたのは、槍ゼミのスペリアルマスター・ジャイブだった。
「こないだ俺んとこ卒業したやつで、口がえらい達者なやつがいるんですけど、そいつをぶつけてみませんか? 期間限定、トウジロウが立ち直るまでって条件なら、"あいつ"も呑むと思います」
「あいつ?」
◆
桃花源国 崑崙山 蒼穹殿――絶えず大量の線香が焚かれた最奥の広間。巨大な簾の前に侍女は膝まづいた。
「白桜姫さま失礼いたします、シェンさまに文が届いております」
簾の端からひょっこりと顔を出した屈託の無い笑顔に侍女は顔をしかめた。
「魔導師協会からでございます」
「ん? 健康診断か何かか?」
赤茶色のツンツン頭に顔を斜めに縦断する大きな傷に、灰色のつり目をぱちくりと、侍女の険悪な態度など何ら気付いていない様子で男は封を開けた。
手紙に灰色の瞳を滑らせ、考え込んだように神妙な面持ちで沈黙した。
少しして、簾の向こうから嗄れたゆったりとした声が"降って"きた。
「行って、おあげなさいな」
同時に侍女は畏まった様子で深々と頭を垂れた。
「……でもさ、お前、」
「わたくしを、枷になさいますおつもりですか」
男はばつが悪そうに頬を掻いた。
「わかったよ、行ってくる」
◆
「おや、奇遇ですね、スペードのキング」
「またお前か……」
トランプ本部、三角屋根の上で寝そべっていたトウジロウは場所を変えようと起き上がった。というのも、以前より何かにつけてはどうでも良いことを話しかけてくるこの隣の軍の副将軍は、はっきり言って鬱陶しかった。
「今日、"お暇"でしょう?」
嫌味かとトウジロウはイライラと睨み付けた。
「そら隊員が誰一人来ぇへんからな、ほらみろとか思てんねやろ」
「いいえ、そういう意味での質問ではありません」
「じゃあ何や、また説教か」
「いいえ。相変わらずひねくれてますね~」
このウダウダした馴れ馴れしい態度にトウジロウの額に青筋が立ち始めた。
「せやから! 何やて聞いてんねん!」
「何仰ってるんですか、暇かとお尋ねしたのですから、飲みにいきませんかと言う意味ですよ」
思いがけぬ申し出とこの馴れ馴れしさにいよいよ不快さが頂点に達しつつあった。
「ほか当たれ、なんで野郎と飲まなあかんねん」
「たまには仕事抜きで仲間と時間を共有するのも、いい息抜きになりますよ」
「誰が仲間や」
「誰って……我々トランプ全員ですよ」
何を訳のわからないことをとトウジロウはついに無視して歩き始めた。ウランドもまた、微塵も気に留めることなく後に続いた。
「貴方が相手にしているのは、頑張ったら飴を貰える"システム"ではありません、いろいろな考えを持つ人間です」
「ほら始まりよった、お得意の説教が」
「向き合う方向がちょっとズレているだけですよ、まだ間に合います」
「よう言えるわ、アホくさ」
「もうお気づきでしょう、やり方が間違っていたことが。壁を崩したかったら貴方がまずは折れなければいけないことも。出来ないのは何故です?」
僅かに、トウジロウの歩く早さが増した。
「……人種の壁で、世の中から梯子を外される恐怖は察するにあまりあります」
ぴたりと、トウジロウの足は止まった。
「でも貴方は気付いていないのか振りをしているのか、梯子から落ちても手を差し伸べてくれる人が何人もいるじゃあないですか」
「……後者や」
振り返ったトウジロウは皮肉に満ちた笑いを浮かべていた。
「差し伸べる手ェ取ったら、そいつも梯子下ろされんねん。落ちるんなら、俺一人でええ、それだけや」
間髪入れず、盛大なため息。
「貴方はわかっていらっしゃらない、貴方がそうお思いだと言うことは、相手も同じなのですよ、何故なら貴方に手を差し伸べる覚悟を持っているから。貴方はもう少し他人を信頼するということを学ぶべきです。でなければ相手は悲しむだけですよ」
「くだらん」
「……チキン野郎」
トウジロウはその聞き逃しそうな呟きを聞き間違いではないかと、思わず聞き返した。
「はあ!?」
今度のウランドの声はこれまでの低くボソボソとしたものではなく、真っ直ぐ、ハッキリとしていた。
「スペードのキングは臆病者だと申し上げました」
「何言い直しとんねん! しかも意味的に変わらんし!」
というより、自分自身何となくわかっていたことだが、まさか他人の口から聞くことになろうとはつゆほども思わなかった。
「キング!」
トウジロウのすぐとなりの窓から顔を出したのはリシュリューだった。
「お客様です、その、キングの座をかけて勝負しろと」
一体どこのバカだ、このタイミングで、しかもマリアを破った相手に。
トウジロウは心底面倒くさそうに、剣を取りに執務室へ戻った。
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「いよお! お前が"問題"のスペードのキングかあ! でけぇなお前!」
「……誰やワレェ」
トランプ本部近くの運動場。なぜかそこにはストライキ中のスペード軍の隊員たちが輪を作っており、マリアとの決闘の時を彷彿とさせた。
「俺はシェン! 半年くらい前にアカデミー卒業の、学科は補助魔法でゼミは槍ゼミ!」
なんだこのよく喋る男は、と怪訝そうなトウジロウの様子に、シェンは灰色の瞳をぱちくりとさせた。
「あれ? 今、誰って質問しなかった?」
「どうでもええけど、新人のペーペーやんけ、見覚えないぞ」
屈託の無い笑顔で、シェンは答えた。
「アハハ! 俺トランプじゃないし! 卒業してからはずっとかみさんのヒモだよヒモ! 桃花源の白桜姫って知らない?」
今、協会が頭を悩ませている外交問題の一つ。神使教の神々の中で唯一地上に居を置く神"白桜姫"。人間と結婚しては年月を経て未亡人となるを繰り返す女神が、この度選んだのがなんと魔導師。世界中を賛否両論の渦に巻き込んでいる衝撃的ニュースである。
そのような背景を踏まえ、トウジロウが下した結論は一つだった。
"こいつは注目を浴びるのが大好きなただの病人"
「病院送りにしたるから、ついでにアタマ見てもろたらええわ」
さっさと終わらせようと先に仕掛けたのはトウジロウだった。礫のような大きな拳がシェンに襲いかかった。
「おわあ!」
受け止めたのは赤い棍。それが何なのか、一目で分かった。
「アーティファクトぉ!?」
「かみさんから貰ったんだ! ていうか、何で剣使わねーのっ?」
「要らんからに決まっとるからやんけ、舐めとんのかコラァ!」
シェンが顎の下に気配を感じた時、それは既に手遅れだった。真っ直ぐ上がったトウジロウの足。一瞬宙を舞ったシェンの体はくるりと一回転すると器用に着地した。顔をあげたシェンは涙目で顎を擦っていた。
「痛っっっ……へ(て)ぇ~~~~!」
「まともに入ってたら病院やったのに、残念やなあ?」
「ほへは、」
「何言うてるかわからんわ」
流れるような足さばきに乗って、次々と繰り出される拳。とても剣だけやっている人間には思えなかった。いくつかはぎりぎり持ち前の瞬発力で避けられるものの、やはり日頃の鍛え方の差がはっきりと見てとれた。周囲を取り囲む隊員のうちの一人がぽつりと呟いた。
「……一体いつ、あんなに鍛えているんだ?」
武器無しの戦いだからこそ、より浮き彫りになる、それだけ、いつもムスリとして岩のように動かない様子からは想像もつかない体さばきだった。
対して挑戦者シェンはというと、瞼は切れ腫れ上がり、肩が上下するほど息が上がっている。ダメだこりゃ、誰もがそう思った。
そのタイミングを見計らってか、シェンは漸く口を開いた。
「お前は強い!」
「当たり前や」
「だからこそお前はトランプに必要だ!」
突然、何を言い出すのかと、トウジロウは目を丸くした。
「お前も、みんなも、それが分かってない!」
「あかん……やっぱ病院、」
「俺は! この傾いたスペード軍を立て直すために協会から派遣された!」
その場の全員が、その発言に呆気にとられた。卒業したばかりの新人には、まず任されるようなことではない。本当に、ただ注目を浴びたいだけの病人ではないかと。
「ハッキリ言って、今トランプにお前の居場所はない」
「"俺が作ったる"言うつもりかアホくさ! お前に何ができるねん」
「見ててよ! ダメだったらボコボコにしてもらって構わない」
立場は逆だが、同じような会話を、以前ウランドと交わしたことを思い出した。ただその時と決定的な違いが一つ。
「……どこから見てろ言うとんのや」
「期限を決めよう! そうだな……三年! 三年俺にちょうだい!」
「聞けやクソガキ」
「きいてる。長らくエースが不在だそうだな」
しばしの沈黙。それは、どっちがどっちの座につくのかということを探りあっているようにもとれた。
「俺に賭けてくれ」
「はよ病院行けアホ」
「三年でいい、キングの座を譲ってくれ」
周りを取り囲む隊員たちから一斉に歓声があがった。もう、トウジロウ(コイツ)以外なら誰でもよいといったところのようだった。それよりも気になったのはその中でちらほら見受けられる部外者の姿。腕章から、いくつかの支部の使いの者であるようだった。
なるほどな、と心の中で呟くと、トウジロウの口の端はニヤリとつり上がった。
「譲ってくれ言う割にはゴミうろつかせて、上から圧力かい、えげつな。ただ"お上"推しいうのんはわかった」
その時、シェンは初めて辺りを見回し、それらの存在に気がついたようだった。
「なんで隊員たちから、お前に声の一つもかからないかわかるか? トウジロウ!」
「俺がジパング人だからや」
その、当然ではないかという呆れの混じった即答に、シェンは何やら考え込んでいる様子だった。
「……一つ、教えてもろてもええですかぁ"大将"はん」
「んえっ!? た、大将? お、お~なんでしょう」
その挑戦的な口振りは、あからさまにシェンへの不信が含まれていた。
「"俺は魔法圏から疎まれとる、ジパング人や"。おどれは何を変える言うてるん?」
「……俺にはお前の気持ちがわかる」
今度は何を言い出すのかと、トウジロウは明らかに不快感を示した。
「俺が白桜姫と結婚してんのは有名な話だよな! なんで俺たちが結婚したかわかるか?」
「玉の輿やろ」
「外野はな、そう言ってる。けど事実は違う。俺は彼女の心根が好きなんだ。彼女もそう」
「あほか、誰が信じんねん」
それだよそれ、とシェンは手を叩いて意図した回答をもらえたことを示した。
「そう! 周囲は誰も信じねえし、認めてもくれねえ! でも、俺にとっては別にどうでもいい。大切にしたいのはそんなんじゃない。俺たち二人の心だ……!」
「ここでもそれが大事やー言いたいんか? 俺には人の心なんぞ動かせへん。俺がジパング人だからや。だから力しかない、これからも、それは変わらんし、おどれごときに変えられへんぞ」
「それは、俺とお前、別々に一人でやってたらな! でも、俺がキングになったらそうはさせない!」
その希望いっぱいの夢いっぱいの"戯言"に、トウジロウは鼻で笑い踵を返した。
「具体的なプランも何もない、ただの夢物語やんけ、せいぜい三年後に"夢から醒めたらええ"わ」
その嫌味たっぷりの批判を、全く気が付いてすらいない様子で、シェンはただ"三年後に"という発言に認めてもらえたと喜んでいた。
「ああ、それと」
その漆黒の鋭い瞳は周囲の隊員たちに向けられた。
「おどれら、三年後に俺がキングに戻ったアカツキに、全員反逆罪でクビや、それまでにその薄汚れたクビ洗とけよ」
その一言に場の空気が縮み上がった。その蛙の集団とそれらを睨みつける蛇とのやり取りに、やれやれとシェンの口から重苦しいため息が洩れた。
◆
「どうも、スペードのエース」
ほとんど全員出払ったはずのスペード軍の建物で、背後からの聞き飽きたその声に、トウジロウはうんざりしたように振り向いた。
「なんや、バカにしにきたん」
振り向いたその先のクロブチメガネはニヤニヤと含み笑いしながら近づいた。
「まあ、そう言うな、エース同士よろしくな」
「なんでタメ語やねんコラァ!」
「だって、同じ階級だろ?」
エースになることに、こんな弊害があったか、とトウジロウはくしゃくしゃに顔をしかめて悔しそうに盛大に舌打ちした。
「まあそう気を落とすな、お前の新しいスタート、俺も楽しみだからさ」
「"お前"ェ!?」
おどけた様子から一変、ウランドは静かに微笑んだ。
「ようこそエースの地位へ。せっかく"与えられた機会"だ、よく勉強しろよ」
「やかましいわ! 言わんでもわかっとるさかい、いちいち俺に構うな!」
スペード軍のキング交代劇は暫くの間、世間を賑わせる大ニュースとなった。
次週は本編37話です。12/1更新予定。