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W・B・Arriance  作者: 栗ムコロッケ
悪魔の薬編―ファリアス港編―
65/72

34.compeito

巡礼船の乗船券。神使教でないフィードたちが手に入れるすべはあるのか?

一方、エリスを置いて出かけたロロの行先は?

 瓦礫に埋もれた洞穴。


 その奥の奥、一番破壊の酷い部屋。


 ベッドや棚や、ソファにローテーブルは見る影もなくなっていた。


 そこに続くまでの道にいくつも張られた"トラップ"。

 普通の人間であれば気づかず掛かるであろうが、今か今かとワクワクしながらこちらを見つめる精霊たちがはっきりと見て取れるその空色の瞳には無意味だった。札を切り抜いた"人型"。術式から誰のものかは一目でわかった。


 (儡乾道のじいさんか)


 拾い上げた粉塵まみれの帽子を叩き、いつものように被る。久々の落ち着く感触。

 次に棚があったはずの付近を探し、辺りを見回した。

 耳と鼻に光るピアスに、通った鼻筋、空色の瞳の端正な顔立ちの男――ロロ・ウー。

 経文の刺青が敷き詰められた腕を捲り、瓦礫をひっくり返しながら、その口からは自嘲的な笑みが零れた。


 ロロ(トランプの奴らは何も仕掛けてない、おれがわざわざ戻ってくるような馬鹿じゃないって考えたかあ~。"ある意味"効率的。でも、)


 徐に立ち上がるといつもの薄ら笑いを浮かべ、背後を振り返った。

 ロロ「それじゃあ小さい可能性は見逃しちゃうよね? あんたは"ある意味"非効率」

 そこに立っていたのは長い髭を蓄えた鋭い眼光の老人――儡乾道。だが、本人ではないことなど直ぐにわかった。

 ロロ「相変わらず、お人形さんごっこが好きなんだから~」





―――― compeito(星降る教会) ――――




 ふと、ロロ・ウーのアジトに仕掛けてきた術との接続が切れた。


 むき栗のような手を裏表と見返し、長い髭を撫でながら儡爺は長い眉の隙間から覗く鋭い瞳を細めた。


 次の瞬間。


 まるで雪崩でも起きたのかと見間違うほどだった。雲一つない晴天の空から大量の紙吹雪。乱暴に千切られたそれはロロ・ウーのアジトに仕掛けた人型たちだった。

 儡爺「……奴め」



 ◆



 瓦礫の中から漸く掘り当てた硯と墨、聖水。

 ロロ(あ~これでなんとかなる~)


 これで力が戻る。

 次に浮かんだのは、あのウザッたい同盟。力さえ戻れば、奴らを殺し同盟など無かったことにするのも容易だ。

 ロロ(あ、違う、簡単じゃあないか、あの悪魔ヤバそうだからな~)

 明らかに手を出してはいけない相手。体に墨が戻り、力に余裕が出来る毎に、いよいよ冷静になってくるのを感じた。

 ロロ(……トランプの追っ手が一人ついてた。居場所は完全にバレたはず。けど追ってこないのは……)

 冗談半分に聞いていたが、トウジロウ・イチマツを退けるほどの悪魔。トランプが未だに捕まえられていない犯罪魔導師。


 "最強の後ろ楯"、という言葉が浮かんだ。


 ロロ(奴らとツルむのは、ある意味オイシイのか)


 あのウザッたい同盟に、利用価値が見えた。






 ◆



 「ぶぇっくっし!」

 「ちょっとフィード! 汚い!」

 鼻をすすりながら、銀髪赤目の黒づくめ――フィードは忌々しいと舌打ちした。

 フィード「誰か俺様のウワサをしてやがんな?」


 置かれた状況を理解しているのかいないのか、その様子にやれやれと金髪長身のエルフ――エオルは溜め息をついた。

 エオル「んで、どうすんのさ、乗船券」


 年に一度、巡礼のために鎖国を解くジパング国へ渡ることができる巡礼船。

 よしのの記憶を取り戻すきっかけを得るために渡航は必須。

 だが、そのためには神使教徒だけが持ち得る乗船券が必要。

 ここで言う"巡礼船の乗船券"とは神使教徒が洗礼の際に一度だけ発行される旗のようなもので、信者であることの証だという代物で、それでいて魔導師であるフィードとエオルにとってとんでもなく縁遠い、まったくの未知なるものであった。


 エオル「これって全部ロロ・ウーからの情報なんだよね。どこまで信用していいものか……」

 胸元で固く手を組み、黒い瞳を真っ直ぐと、おかっぱ頭の少女――よしのは低い声で進言した。

 よしの「きょうかい? というところでせんれい? というものを実施されているのですよね。お願いしてみましょう、わかって頂けるかもしれません」

 エオル「教会か……」


 魔導師にとってはあまりに縁遠い。

 だが、ヴィンディア連峰越えの際に山村で出会ったパウーモや、密林で出会った宣教師はとても暖かで理解ある人たちだった。

 ジパングに行くためだけに一時的に乗船券を貸してほしい、というお願いが彼らにとってどれ程甘い考えか想像すらつかないが、頼んでみる価値はあるとエオルは思った。

 エオル「ダメ元でさ、行くだけ行ってみようよ」



 大きな町の教会という建物は、往々にして目立つものだ。


 空に突き立てるような一際高いとんがり屋根。いたるところに飾られた十字架。

 建物の目の前で、何となく、魔導師バッチを外してポケットにしまう。いてはいけないところにいるという落ち着かなさ。非常に居心地が悪い。


 ふと、エオルは隣の相棒に目をやった。

 エオル「……って、いつもは君バッヂなんか着けてないじゃん!」

 ※魔導師はバッヂの着用義務がある。

 ここぞとばかりに胸元に輝く金色のバッヂ。

 フィード「ちょっとオシャレだ」

 エオル「そういう不穏な行動やめてーーっ!」


 相棒の制止を振り切り、フィードは勢い良く扉を開けた。



 端から端まで年代を感じる木製の長椅子が並び、ぎゅうぎゅうにすし詰め状態の、一斉に振り返るたくさんの人。


 エオルの額から脂汗が伝った。

 エオル(お、お祈り中ってやつ?)

 そして一斉に、フィードの胸元に集まる視線。口を開きかけたフィードを羽交い締めに、エオルは慌てて逃げ出した。


 フィード「なんなんだよ!」

 エオル「絶対無理ーーーーーっ! 袋叩きに遭うって!」

 フィード「アホビビリめ!」


 そうしてエオルの長い金髪を、嫌がる飼い犬を無理やり引っ張るリードのように、元来た道を戻りだした。


 フィード「ダメ元で行くんじゃねぇのかよ、意味わかんねーな」

 エオル「空気を読もうよ! あれ、あのまんま行ったら袋叩きに遭うって! タイミングが悪すぎ!」


 そして一つ溜め息をつくと考え込むように顎をさすった。

 エオル「そうだな……教会に勤務している人が誰か一人になったところを狙って、」

 フィード「強奪するわけだな、お前もなかなかワルだな」

 エオル「ち・が・う! 話をするの!」






 ◆



 協会の裏手。塀に飛び付き、懸垂で頭だけ出して中の様子を窺う。


 綺麗に剪定された植物、そよ風にたなびく真っ白な洗濯物、塀から見える風景は清潔感のある庭が広がっていた。丁度無人のようだった。

 フィード「おい、あれ」


 フィードが指差した先には複数並ぶ物干しロープにかかる真っ白な洗濯物。

 エオル「(乗船券)干してあるかも!」


 よしのを残し、二人の魔導師は塀を越えてそろそろと洗濯物へと近づいた。

 ほとんどがシーツばかりで、その隙間を歩くのはまるで白壁の迷路に迷い込んだようだった。


 そこに早くもイライラが頂点に達しかける銀髪赤目。

 フィード「邪魔くせぇなあ」


 すぐ側のシーツを避けようとした瞬間。



 つるりと拓けた視界。

 上下にたわむ物干しロープ。

 赤黒い瞳とばちりとかち合った青い瞳。


 シーツを手にキョトンとフィードを見つめるその姿は、見紛う事なき修道女。


 青い瞳がフィードの胸元のバッヂへと落とされた。

 エオル(マズイ!)

 つい反射的に、修道女の背後から口を塞ごうとエオルの手が伸びた。


 気づいてか気づいていないのか、寸でのところで、修道女はにこりとたんぽぽのような笑顔をフィードに向けた。

 「あら、先程の魔導師さん」

 挿絵(By みてみん)


 この、どうしてもワンテンポずれた感覚、どこか塀の外に置いてきた三人目の相棒を彷彿とさせた。






 ◆



 よしの「う~ん……う~ん……」


 何とか塀によじ登り、二人の後を追いたいと、よしのは塀の前でひょこひょこと小さなジャンプを繰り返していた。

 昼間だと言うのに閑散としている通りだったが、端から見てもそれは到底届きそうにもなかった。


 「あれ? お姉ちゃん久しぶり!」


 声をかけられ振り向くと、そこには見覚えのある少年と、見覚えのある、よしのにとって恐怖の対象である仮面の男。


 よしの「ひゃあ!」


 驚いた拍子に背中を塀にぶつけ、よしのは踞った。

 「お姉ちゃん大丈夫!?」

 よしの「おおおお久しぶりです、ハニア様、……と」

 恐る恐る見上げた仮面の男のキツネのような鋭い目。一瞬、頭が真っ白で何を話してよいのかわからなくなってしまった。


 ハニア「ハイジだよ」

 よしの「あわわわわ……ししし失念していたわけではございません、その、あわわわわ」

 その慌てふためいた様子で余計に傷つけてしまうのではないかとさらに慌てふためき、ロロと仲良くすると誓った件と相まって、よしのは肩にはこれ以上入らないくらいに力が入りすぎていた。

 よしの「お! お久しぶりです! ハイジさん!」

 ハイジはペコリと会釈した。慌ててよしのも会釈をした。そして沈黙。

 その妙なテンポの二人のやりとりに、ハニアは思わず笑った。

 ハニア「そんなに怖がらなくても、お姉ちゃんハイジに貸しあるじゃん、ハイジの今のお辞儀は"その節はどうも"って意味だよ」

 よしの「あ、いえ、そんな……」


 徐に仮面の男から差された指。それは、よしのがよじ登ろうとしていた塀の天辺を指していた。

 ハニア「登りたいの? だってさ! なんで塀なんか登ろうとしてたの?」

 よしの「あ、う、ええと」

 神使教徒であるハニアに、乗船券を教会から、しかも洗礼を受けずに貰おうとしていることなど、到底話すことなど出来なかった。


 ハニア「あーっ! わかった!」


 漆黒の瞳を真ん丸とさせ、よしのはハニアをきょとんと見つめた。

 ハニア「一緒にいた、」

 ぎくりと、よしのはハイジを見上げた。


 ハニア「あの黒タヌキが塀の中に入っちゃったんでしょー!?」


 そう言えば、霧の森で出会った際、クリスはよしのにべったりだった。その印象がハニアに残っていたのだろう。

 ただ、ここで首を縦に振っては嘘をついてしまうことになる。よしのは再び返答に困った。

 その様子を、ハニアはよしのがハイジに萎縮して上手く切り出せないと受け取ったようだった。そしてねだるようにハイジの袖を引っ張った。

 ハニア「ハイジ~、なんとかならな~い?」


 徐に、ハイジは地面を蹴って、塀の上に手をついた。


 まずい、フィードたちとこの男を鉢合わせては。


 慌てたよしのは反射的にハイジの足にしがみ付いた。塀の向こうを覗く寸でのところだった。


 キツネ目の視線がグサリとよしのの旋毛に刺さった。

 よしの「ええと……ええと、その……ご迷惑をおかけしますし、私の方で見つけますので」

 直ぐ様ハニアの無邪気な追求が飛んだ。

 ハニア「えーっ! だってお姉ちゃんさっき全然登れそうになかったじゃ~ん! ハイジに任せときなよ~! ……あ、降りるから足離してだって」


 よしのは慌てて飛び退いた。同時に再び刺さるキツネの目。

 どう切り出そうかとあれこれ考えていると、白い軍手がよしのの手首を掴んだ。


 煮えきらない態度に、ついに怒られたかとよしのは更に慌てふためいた。

 だがその手は塀に付かされ、もう一方の手も付くように促された。

 よしの「こ、こうですか?」

 ハニア「何やってんのハイジ」

 そうして徐によしのの足元に膝を着いた。

 よしの「え? え? え?」


 不安そうに見下ろすよしのに、上を向くように促すと、そのまま膝から下を抱き上げた。


 膝が曲がらないようにしっかりと支えられていることと、左右にぶれないよう塀に手をついていたことから、よしのはバランスを崩すこと無く塀の上に手を着くことが出来た。

 よしの「あっ……ありがとうございます」

 ハニア「お姉ちゃん、とりあえず目立つから早く!」


 塀の向こうは誰もいなかった。

 よしの「あら~?」

 もう少し奥まで覗こうと身を乗り出す。フワリと、湿気を帯びた爽やかな潮風が吹いた。背後からハニアの慌てた声が聞こえた。

 ハニア「おお姉ちゃん! か、風で! パンツ!」

 よしの「ええっ!? あわわわわ!」


 慌てて足をばたつかせたためハイジの腕からするりと脚が抜けてしまった。


 よしの「きゃああああ!」


 塀の向こうでムシャリとしげみ茂みに落下する音。


 ハニア「お姉ちゃん! 大丈夫!? も~ハイジ何やっ、」


 話しかけたはずの仮面の男は忽然と姿を消し、辺りを見回すと、通りの遥か向こうに全速力で駆け去っていた。

 どうやら、犯罪者を見つけたらしい。


 ハニア「もう! 相っ変わらず一個のことしか出来ないんだから……お姉ちゃん平気ー!?」

 よしの「はーい、大丈夫ですー! ありがとうございましたー!」

 ハニア「ごめーん! ハイジがどっか行っちゃったから行くねー!」

 よしの「はーい! よろしくお伝えくださーい!」

 ハニア「またねー!」

 よしの「はー……」


 ここまでの塀越しのやり取りはすべて大声であった。よしのは背後に視線を感じ、恐る恐る振り返った。






 ――間――



 フィード「ばかよしの。待ってろっつったじゃねぇか」

 よしの「も、申し訳ございません」

 エオル「まあまあ、戻ってこなかった俺らが悪いし」


 三人は教会の中にあるキッチンのダイニングテーブルに並んで着かされていた。

 目の前に出されたホットミルク。しかし、ずうずうしく手をつける気になどなれなかった。一人を除いては。


 飲み干されたマグカップを勢い良く置き、フィードは大きなゲップをした。

 エオル「ちょっと! フィード!」

 フィード「腹下すと知っててこの俺様に牛乳をだすとはな」

 エオル「なんで飲むんだよ! ていうか初耳だよ」

 フィード「学生時代はよく隣のやつにやってたもんだ。そいつも嫌いで、泣きながら飲んでたクセに結局そいつチビなまんまだけどな! ワハハハ!」

 エオル「全然笑いどころのない話なんだけど。イジメじゃん」


 クスクスと笑う声。

 フィードとエオルのいつものとりとめのない口喧嘩に、この場まで案内してきた修道女は面白さを感じたようだった。


 エオル「えっ、と、すいません……」

 修道女「教会は何人たりとも自由で平等です。それは魔導師であろうと変わりません」


 そうして棚から乾燥したハーブが入った茶色い瓶をとりだし、葉を数枚差し出した。

 修道女「牛乳が苦手だと知らずにごめんなさいね。魔導師さんが何なら口にされるのかわからなくて」

 フィード「俺様らは野良猫か」

 受け取った葉を不思議そうに見つめるフィードに、これもまた神使教圏の文化なのかと修道女は慌てて補足した。

 修道女「整腸の作用があるのよ。噛んでみて。魔法圏はみんな魔法で治しちゃうの?」

 エオル「いいえ、魔導師も薬草学は学びます。ただ神使教でご使用になる薬草の多くは採取すら禁じられています。我々は便利と知ったら何でも取りすぎてしまいますからね……貴重なお薬をありがとうございます」


 フィード「まっずい」

 エオル「こらフィード! 黙って噛んでなさい!」

 修道女「そうね、お薬ってとっても苦いの。だから子どもたちにはこうやって言うのよ、"マズイ薬を飲みたくなければ、うがい手洗いしなさぁ~い"……ってね」

 フィード「俺様はガキじゃねぇよ。うがい手洗いはキライだけどな」

 修道女「まあ、そうなの、クスクス」

 エオル「えっと、あー……ところで」


 修道女の微笑みは変わらなかった。

 修道女「礼拝堂はまだお祈りの最中よ、どうぞお好きになさって」

 どうやら、礼拝に参加しようとしたが躊躇して逃げた魔導師として映っているようだった。

 エオル「違うんです、その、この女の子なんですけど」


 修道女はその青い瞳をよしのに向けた。二人は互いに挨拶がわりに微笑みあった。

 修道女「素敵な色。まるでジパングの方のように真っ黒ですわね」

 エオル「あ、その、そうなんです」


 意味が伝わらなかったようだ。修道女はエオルに向け首を傾げた。

 エオル「彼女はジパング人だと思います。思いますというのは、彼女は記憶を失っていて、確証がないためです」

 修道女「記憶を……お気の毒に」

 暖かな手によしのの両手は包み込まれた。しかと固く握られたその強い温かさに、よしのは不思議と勇気が湧いてくるのを感じた。


 エオル「彼女の記憶の手がかりになるかもしれない、俺たち、ジパングに渡りたいんです」


 大きく見開かれた青い瞳。それは少しの間エオルを見つめ、そうして徐に立ち上がった。

 修道女「神使教に入信せず魔導師のまま、ということですよね……礼拝後に司祭さまと相談させてください。すこし、お待ちになって」


 そうして修道女は部屋を出ていった。


 同時に緊張の糸が切れたのかエオルはテーブルに突っ伏した。


 エオル「あまり悪い印象は持たれてないと思うけど……」

 フィードは大きな口を開けて欠伸した。






 暫くして、先程の修道女と、年配の髪の薄い穏やかそうな男が現れた。

 司祭「こんにちは、魔導師殿」

 その慈愛に満ちた雰囲気はいつかの宣教師を彷彿とさせた。

 司祭「この子から聞きました。ジパング国へ渡りたいと」

 テーブルに両肘をかけ、手を組み、エオルは短く答えた。

 エオル「ええ」


 組んだ手と背中は汗がびっしょりだった。緊張が走った。


 司祭「出来ることならお力添えしたいのですが、こればかりはどうにもすることができません。それだけ我々にとって神聖な地なのです。わかってください」

 エオルは肩を落とした。次に聞こえたのはフィードの鋭く斬り込むような声だった。

 フィード「なら、そこいらにいる教徒から奪うだけだ」


 司祭「そんな……!」

 エオル「ちょっ、フィード!」

 よしの「あわわわわ……フィード様……!」

 司祭の口調はうんと低くなった。

 司祭「我々は、例えどんなことがあろうとそのような脅しには屈しません」


 次いで、修道女が徐に立ち上がった。


 修道女「どうしてもと仰るなら、私を倒してからになさって」


 その言葉に、一行の頭に同時にハテナマークが浮かんだ。


 そして修道女が手にしたのは、鎖の先に鉄球が取り付けられた、華奢でおとなしそうなこの女性からは到底似つかわしくないもの。鉄球には、規則正しく鋭利なトゲが並んでいた。

 エオル「も……モーニングスター!?」

 二人の魔導師は同時に立ち上がった。その勢いで、二つの椅子が乱暴に転げる音が部屋に響いた。


 司祭「これ、シュザア……待ちなさい」

 修道女「司祭さま、心配いりません」


 雰囲気が似ているためか、まるでよしのに武器を向けられているような嫌な感覚だった。






 ◆



 「ごめーんくーださぁーい」


 迷いに迷ってようやく発見した教会。

 巡礼船に乗るために"洗礼旗"が必要だということが分かり、神使教徒ではないハイジの分をなんとか工面できないかと、ハニアはハイジを連れて街中の神使教関連施設を回っていた。

 どこも洗礼を受けていない者はと断られ、一縷の望みをかけての最後の砦であった。


 暫くして、応答が無かったため、もう一度声をかけようとした時だった。急に首根っこを掴まれ後ろに引きずられた。

 ハニア「ちょっと、何!? ハイジ、」


 ほぼ同時に破壊音。


 出入り口の分厚い木の扉は粉々に、併せて飛び出したイガクリのような鉄球と、見覚えのある二人組。

 二人組とハニアは目があった。

 ハニア「あーっ! よしの姉ちゃんの同行の人っ!」

 フィード「あ? 誰だオマエ」


 首をかしげるフィードの頭をエオルの手のひらが子気味良い音を鳴らした。

 エオル「そういうことを言うときは頭に"失礼"の一言をつける!」


 そして鋭い手つきで背中の剣を引き抜いた。同時につんざく金属音。ギリギリと拮抗する剣と剣。エオルは振り返った。

 エオル「"狂犬"ハイジの同行者だよ……!」


 仮面の男はさも愉快そうにニタリと笑んだ。


 フィード「ぬああ! テメエは、」


 側に落ちていた鉄球が教会の中へと引き戻された。フィードは構えた。

 エオル「ああもう、こんなときに……!」

 剣を引き抜き、ハイジを振り払うも、すぐにまた食らい付いてくる。何度弾いても、それは同じだった。


 エオル「しつこいっ! 今それどころじゃないんだってば!」

 激しい剣撃を繰り返す二人の間を、今度は空から降ってきた鉄球が遮った。


 シュザア「ここは武闘場ではないわ、神聖な教会よ」


 フィード「そのセリフ! そっくりそのまま投げ返してやるよ!」

 シュザア「それだけ投げても勝てないですよ?」

 ニコリと笑うそのおっとりとした微笑みは、やはりどこかよしののような雰囲気を醸し出していた。

 フィード(や……やりづれぇ……)


 笑みの消えたそのキツネ目は鉄球の持ち主に向けられた。

 シュザア「あら? あなた……"狂犬"!?」






 ハニアは修道女と仮面の男を交互に何度も見た。


 ハニア「ハイジ知り合い?」

 ハイジは首をかしげた。


 シュザア「ええっ! 忘れてしまったの? "生者の行進"であなたと一緒に傭兵だったシュザアよ」

 ハイジはハニアに視線を向け、小さく首を振った。ハニアは困ったように、申し訳なさそうにシュザアに向けて肩をすくめた。

 ハニア「お、覚えてないって……」


 フィード「つーか、"生者の行進"ってなんだ?」

 エオル「おばかっ! 現代史で超有名じゃんか! 確か五年くらい前に、ある国でゾンビが大量発生して、それを駆逐するために集められた傭兵たちが多大な犠牲を払いながら何とか国に平和を取り戻したって話。雇い主である国は、傭兵たちを、それはもう人を人とも思わぬ使い捨ての道具のような酷い扱いだったって、国際的な人権問題にまで発展した大惨事だったらしいよ」


 修道女の青い瞳は固く、固く閉じられた。

 シュザア「……あれからいろいろ考えて、辿り着いた今は神に祈る日々よ。あなたは、教会に何のご用?」


 元気の良いハニアの声が場の重苦しい空気を和らげた。

 ハニア「俺たちこれからジパングに渡るんだ! 巡礼! だからハイジの分の洗礼旗を貰えないかと思って」

 シュザア「あら、新規に入信されるということね」

 ハニア「あ、えっと、」


 これまで何度も断られてきた。

 慎重に言葉を選ばなければと、思えば思うほど、ハニアの頭は真っ白に塗り潰されていった。

 その様子をハイジは暫く見つめていた。


 ハイジ「……アレから俺も考えた」


 すきま風のような、囁くような、蚊の鳴くような、か細い声。顎を上げ、見下ろすように、そしてニタリ笑う仮面の男。

 シュザアは本能的に武器を握る手に緊張が走った。


 ハイジ「この世に神も仏もない、これが俺のタドリ着いた今だ」


 シュザア「貴方の声。初めて聞いたわ。そう、つまり洗礼を受けずに旗を貰いたいということね」

 ハニア「お願い! ジパングに連れてって、サムライに会わせてあげることが報酬なんだ! 戻ってきたらすぐに、絶対返すから!」

 にこりと灯るたんぽぽのような暖かな笑み。

 シュザア「丁度いいわ、この人たちも同じことを言っているの、だから私を倒したら考えると言ったところよ」

 苦笑いを浮かべ、エオルはぼそりと呟いた。

 エオル「言ったところっていうか……そこから間髪入れずにバトルが始まったとこだけど」


 シュザア「あなたも入る?」


 突拍子もない申し出に、真っ先にフィードが食って掛かった。

 フィード「はあ? 3対1ぃ!? バカやめろ!」


 ハイジ「…………いや」


 ニタリと笑うその顔はエオルとフィードに向けられた。


 ハイジ「俺はこいつらを殺れればそれでいい」


 フィード&エオル「メンドクサイノキタァーーーー!」

 ハニア「ちょっとハイジ! ほんっとうにいっっつも行き当たりばったりなんだから! ジパング渡ってサムライと戦いたいんでしょっ!?」

 シュザア「入国者の暴力行為は斬首刑よ、ますます許可できない」


 ハニアとシュザアの言葉などまるで耳に入っていない様子で、当の仮面の男は嬉々としてエオルに斬りかかった。

 すかさず受けるエオル。そのタイミングを待ってましたとフィードが足を蹴り払った。

 一瞬宙に浮いたハイジの体は軽々とバック転で立て直され、今度はフィードに斬りかかった。


 そこに再び二人の間を鉄球が割って入った。


 猛スピードで通過した豪速球は、繋がれた鎖に引き戻され、時間を巻き戻すかのように再びフィードとハイジの間に迫ってきた。

 しかし我関せずと鎖を飛び越し、ハイジはフィードに斬りかかった。

 同時に鎖は向きを変え、フィードは鉄球に吹き飛ばされた。


 エオル「フィード!」


 破壊音とともに教会の外壁は崩れ去った。

 もくもくと粉塵を上げ、一瞬の静けさの後、まもなく聞こえてきたのは金属音。


 エオルの両手剣とハイジの長ドスの間には何度も火花が散った。


 デタラメで型の成ってない、アクロバティックな我流剣。

 毎度同じ印象で、だが毎度底の見えない不安感。


 大抵所作や僅かでも剣を交えれば、人の実力は測れるエオルだが、この狂犬という男に関しては、自分より強いのか弱いのか計り知れない、全くの例外だった。そして今回ようやくその例外となっている要因を確信した。


 その目に宿る、異常な快楽を渇望する、狂気である。


 エオル(気力というか、精神力というか……)

 常人であれば諦める場面で食らい付いてくる、精神が肉体を凌駕した、それこそまるで、ゾンビのような男だと思った。



 聖域で野蛮な戦いを始める二人の剣士に、シュザアは呆れたと溜め息をついた。

 シュザア「ここが教徒たちにとって、どれだけ大事な場所か、理解する気もないみたいね」

 そして既に引き戻されていた鉄球を構え、くるりと背後を振り返った。その先には、


 フィード「そりゃ、てめぇが先に仕掛けてきたからだろ」


 その手の先にはまるで松明のように燃え盛る拳。


 ――魔法拳 "小爆炎グラン・デ"!


 防御のため、掲げ"かけた"鉄球は、その拳に粉々に砕かれた。シュザアは背後に飛んで、距離を取った。

 シュザア「魔法防御マジックシールドの加工してたのに」


 手首をぐるぐると回しながら、フィードはニヤリと笑った。

 フィード「しかもかなり分厚くな、痛ぇじゃねぇか」


 シュザア「それだけあなたたちみたいなお客さんが多いのよ。神使教を敵視する魔法圏の方々ね」


 心外だとフィードは眉間にシワを寄せた。

 フィード「俺様らは別に反神使教の過激派じゃ無ェ」

 シュザア「……考え方は変化するものよ。万に一つの可能性も捨てることはできない。私は負けるわけにはいかないのよ」

 フィード「なるほどな、そのマンニヒトツの可能性とやらを潰すために、てめぇから仕掛けてきたってわけか、わかった」


 そうしてドスリと音を立て、フィードはその場で胡座をかいた。


 フィード「だったらその拳で試してみろ、俺様は神使教徒には拳を上げねぇ」

 シュザア「人と変わったことをしようとしても、無駄よ」

 矢のような拳がフィードに襲いかかった。


 ただただやられ続ける相方に、状況の読めないエオルは動揺した。

 エオル「フィード! っあ!」


 剣が高々と舞い、遥か後方の外壁にに突き刺さった。ニタリと笑う、仮面の男。






 シュザア「……さっき、ここがダメなら外の教徒から無理矢理奪うって言ったじゃない」


 まるでポップオーバーのように顔をパンパンに腫らし、岩清水のように赤い血を滴らせ、なおもフィードは胡座の姿勢から崩れることは無かった。

 フィード「ここで旗を貰えれば、やる必要が無ェ」

 シュザア「神使教に改心なさい」


 そうして鎖だけになったモーニングスターを片手に、シュザアはエオルたちに向け歩き出した。


 よしの「フィードさま!」

 涙でグショグショとなった顔をそのままに、よしのは慌ててフィードの元に駆け寄った。

 よしの「ひどい……」

 フィード「平行線だ……正攻法は意味が無ェ」

 よしの「え……」


 その目に宿る光は何かを決意したようだった。



 丸腰となったエオルは襲い来る狂暴な剣撃をなんとか紙一重でかわしていた。

 型がないため先の動きが読めない、殆ど直感と反射神経頼りの攻防だった。

 そしてあるタイミングでその狂暴な長ドスはピタリと動きが止まった。


 ガシリと長ドスに巻き付く鎖。

 シュザア「そこまでよ。いい加減にして」


 まさか、フィードが負けたのか!?

 エオルが慌てて顔を向けたその先にいたのは、顔をパンパンに腫らし、ポケットに両手を突っ込み背中を丸め、向かってくる相棒の姿。


 フィード「行くぞ、エオル、もうここには用は無い」

 エオル「うわ~……凄い負け犬感……」

 フィード「っせー……」


 長ドスはミシミシと音を立て、フィードたちの後に斬りかかろうと、巻き付く鎖に抵抗した。

 シュザア「いい加減にしてって、言ったでしょう? 神使教の僧兵として、目の前の暴力を見逃すわけにはいかないわ」


 溜め息をつき、ハニアは頭を抱えた。

 ハニア「もうだめだ……」


 そのがっくりと肩を落とすハニアの様子に、シュザアは心を痛めたようだった。

 シュザア「……サムライに会えればよかったのよね?」

 ハニアとハイジは同時にシュザアに視線を向けた。






 ◆



 「まあ、"全ての罪を赦される薬"?」


 路地裏の暗がり。

 怪しげな小汚ない男に教えられたその情報は、ここまで賞金首で生計を立てていたことに酷く罪悪感を感じていたハニアの母親に取って、喉から手が出るほど欲していた情報だった。

 持ち主は魔導師だそうだが、神使教徒に譲りたがっているらしい。


 今にも踊り出しそうな逸る気持ちを抑え、母親は診療所でラプリィの看病を続ける夫の元へと急いだ。


 ドアを開ければ、荒らされた病室、嵐でも通りすぎたのかと母親は一瞬目の前の光景を疑った。


 ラプリィがいない、あれだけ酷い怪我を負っていたのに。


 耳の端に、呻き声が聞こえた。慌てて駆け寄ると、そこには壁にぐったりともたれ掛かれる夫の姿。


 「お父さん!」

 「……我々はラプリィさんを追い詰めすぎたようだ……」

 「え……」


 顔を歪め腰を抑える夫の様子はあまりに苦しそうだった。母親は天を仰いだ。

 「おお……神よ……」



 ◆



 フィード「なに、釣れた?」


 小汚ない小柄な男は揉み手をしながら嬉々としてフィードに伝えた。"免罪符"を欲しがっている神使教徒がいると。

 直ぐ様戒めようとするエオルにフィードはボソリと溢した。


 フィード「これしかねぇ。棚からぼた餅降って来ねえ限りな」







ラプリィはいったいどこへ逃げたのか!?

ハニアのお父さんの容態は?

そして、フィードはハニアたちから乗船券を奪うことになってしまうのか!?


次回本編は9月更新予定です。

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