5.Be leaded by luck
遠くで大量の砂が落ちる音がする。
晴天。パンゲア大陸中部 観光国家マーフ北東部 『砂の大河』
サンサンと照りつける太陽の光を反射して、キラキラと金色に輝く砂が、大河の如く緩やかな流れをたたえている。
―――― Be leaded by luck(運の導き) ――――
その中をどんぶらこと舟が一艘。
舟には2人の魔導師と1人の少女。
2人の魔導師のうちの一人は、舟の約半分のスペースを占領して気持ち良さそうに熟睡する、黒づくめの銀髪赤目 ―― シャンドラ・スウェフィード
もう一人の魔導師は、背中まである美しい金髪に穏やかな黄緑色の瞳の長身の男 ―― エオル・ラーセン
そして、あご下あたりで切りそろえられた緑の黒髪に、吸い込まれそうな漆黒の瞳、帯で締め上げる独特の巻き衣装の記憶喪失の少女 ―― 染井 よしの
3人は頭からすっぽりと日よけのマントをかぶり、カラッカラの暑さに耐えながら、ただただこの砂の河に身を任せていた。
エオル「……なんか、遠くで砂が落ちてるような音しない?」
よしの「ええ、微かではありますが、私も聞こえます」
エオル「そろそろ岸に寄せようか。あんまし近づきすぎて、落ちたりしたらシャレになんないしね」
よしのはクスリと笑い、隣で熟睡するフィードの肩を優しく叩いた。
よしの「フィード様、そろそろお目覚めください」
エオル「ぼちぼち岸に寄せるよー!」
ふと、オールに手をかけようとしたエオルの手が止まった。
エオル「……2人ともそのまま!」
よしの「え?」
エオル「つけられてる……右の岩陰……2人!」
寝ていたフィードが訊ねた。
フィード「……2人ってこたぁ、対魔導師犯罪警察組織じゃねーな」
エオル「とにかく、反対の岸に寄せよう」
すると、フィードがすくりと立ち上がった。その勢いで、舟が左右に揺れた。
よしの「きゃ!」
エオル「ちょっと! フィード!?」
フィード「こっちはこの狭い舟によしのがいる。相手が魔導師なら簡単には手は出せねーだろ!」
エオル「ちょっと! それ読み甘……」
フィードは大きく息を吸い込んだ。
フィード「オラァ! コソコソしてねぇで出てきやがれ!」
すると突然ズシンという音を立て、舟はよしのの辺りに傾いた。
「言われたとおり、出てきたぞ」
よしのの後ろには、黒いローブに身を包んだ2メートル以上はある犬人間――
思わずエオル声は上ずった。
エオル「マスター・ガルフィン!? しまった……」
―――通常、魔導師は1人につき、光炎、爆炎、流水、氷雪、風、土、治癒、補助の8種の魔法のうち1種類しか体得できない。
アカデミーの教師"スペリアルマスター"は唯一すべての魔法を体得ことができる、魔導師たちの中でもワンランク上の魔導師である。
ガルフィンがよしのに手を伸ばした瞬間、フィードが思い切りよしのを引きよせ、よしのの頭に手を置いた。
ガルフィン「おいおい……女子はもう少し丁重に扱え」
フィード「船から降りろ」
ガルフィン「人質保護して、お前らしょっ引いたらな」
一瞬、フィードは岩陰に目をやった。
フィード「……もう一人はヤクトミだな」
ガルフィン「だったらどうした」
フィードはニヤリと笑い、わざとらしい大声で答えた。
フィード「なら、やっかいなのはテメーだけだってこった! ワン公!」
ヤクトミ「なんだとコラァ!」
岸の岩陰から、白いフワフワの髪、同様にふさふさのしっぽを持った三白眼の青年が飛び出してきた。やれやれ、とガルフィンはこめかみを押さえた。
ガルフィン「あのバカ……作戦が台無しじゃあないか……」
エオルは静かに剣を抜いた。
エオル「もうすぐ滝です。お互い陸に上がらないとまずいでしょう。ひとまず舟を降りてください」
ガルフィンはハン、と鼻で笑った。
ガルフィン「教師にエモノ向けてビビりまくりのガキが、粋がったことをよくぬかすわ」
エオルは心の中を見透かされ、ギクリとした。ガルフィンの言う通り、エオルの剣先は微かに震えていた。
(俺は……ゼミは違えど、この人にはいくつかの授業で教わった……! 厳しさの陰に隠れたぶっきらぼうな優しさ……尊敬してた…… まさか、この人に剣を向けることになるなんて、思ってもみなかった――)
そのような考えをまんまと言い当てられ、エオルの集中が一瞬途切れたその瞬間、ガルフィンはエオルの剣先を素手でつかみ、呪文を唱え始めた。
エオル「いぃっ!」
エオルは慌てて剣を戻そうとするが、ガルフィンの握力にびくともしない。
フィード「おい! ワン公! こいつがどうなっても……」
ガルフィンは鼻で笑った。
ガルフィン「いいことを教えてやろう。 捨て身の犯人だったら人質をいつ殺してもおかしくないからな、俺だって慎重になる。けどな、これからも生き抜こうってやつらが人質殺したら、それこそ逃げ場がなくなるだろう。お前らがそんなバカじゃないことは知っている。ハナから人質の頭に手ェ当ててる時点で、怖くねぇんだよ」
すると、ガルフィンは魔法を唱えた。
ガルフィン「時空歩!」
たちまちにエオルの手のひらから剣が消え、岸から舟を追っていたヤクトミの手元に現れた。ヤクトミは勝ち誇ったようにフィードに向って剣をひらひらと振って見せた。
フィード「む……」
ガルフィンは両手を広げた。
ガルフィン「どうだ? この舟ごと、魔導師裁判所まで飛ばすのも簡単だぞ?」
エオル「くっ……」
フィード「……」
よしの(せいらむ……?)
ガルフィン「お前らは所詮その程度だ。あきらめて素直に自首をしろ」
フィード(ん……?)
エオル「くそっ……こんな所で……」
ヤクトミ「先生! もうじき滝です!」
フィード(できるんならさっさとセイラムなり協会なりに移動させりゃあいいのに……さてはこりゃあ"人質作戦"が効いてやがんのか……?)
ガルフィン(最も望ましいシナリオは、こいつら自身で"我々の知らないところで"人質を解放し、自首することだ。でなけりゃ、いったん協会に連れて帰って、こいつらとジパング人の記憶操作をしなけりゃならなくなる。こいつらはともかく、ジパング人にまで記憶操作をかけなければならないのは、仮に表沙汰になった場合、対魔導師犯罪警察組織より先にこいつらを捕まえる意味がないどころか、ますます事態は悪くなる。自然な流れでジパング人を解放するのが最もベスト!)
砂の落ちる音はあたりを包み、小さな舟の上と言えど、もう大きな声でなければ、すぐ正面の声も聞こえないくらいだった。
ヤクトミ「先生! 滝が近いっす! そろそろ……」
ガルフィン「自首をしろ」
フィード「いやだね」
フィードは思い切り舌を突き出し、そのまま膝をつき、よしのを伏せさせ、舟の縁を掴んだ。
ガルフィン「ん!?」
エオル「えっ!」
慌ててエオルもしゃがみこみ、舟の縁を両手で思い切り握りしめた。
エオルの様子を確認すると、フィードの右手が舟の後方の川の中に向けられた。
ガルフィン(まさか……!)
ヤクトミ(あのヤロ!)
ヤクトミは呪文を唱え始めた。
ヤクトミ「低・小爆炎!」
フィード「小爆炎!」
激しく空気を揺らす爆音と空高く巻き起こる砂しぶき。爆風にあおられた舟は、ロケットのような勢いで、真っ逆さまに滝の下へ落ちて行った。
滝の近くの岸に、砂にまみれたガルフィンが上がってきた。ヤクトミは慌てて駆け寄った。ガルフィンはゲホゲホと口に詰まった砂を吐きだし、全身をブルブルと振るわせ砂を払った。
ガルフィン「くそ! あのガキ、相変わらずトチ狂ったマネしやがる」
ヤクトミ「たぶん、勝算があってやったんじゃないスよ。あいつのやり方っていっつも賭けなんス。でも、」
服にたまった砂を払いながら、ガルフィンはため息をついた。
ガルフィン「その賭けに勝つ運を持っている、だろ?」
ヤクトミ「はい……」
ガルフィンの目の端に、チラリとヤクトミの手元が映った。その手はカタカタと震えていた。ガルフィンはヤクトミの頭に手を置いた。
ガルフィン「すまんな。お前に"直接手を出させる"はずじゃなかったんだが……」
ヤクトミ「いいえ! ……アイツの手、吹き飛ばそうとしましたが、結局間に合わなかった」
ガルフィン「……。いや、ヤツの右手に"当たった"のは確認できた。まだ追うぞ、行けるか?」
ヤクトミは手の震えを見せないように両手を固く握りしめた。
ヤクトミ 「行きます!」
現在から数日前――
パンゲア大陸 ヴァルハラ帝国東部 グラブ・ダブ・ドリッブ 魔導師協会管轄地区 対魔導師犯罪警察組織「トランプ」本部
古めかしい石造りの洋館、重厚な扉の前には、炎のように真っ赤な髪と大地のように黒い肌、穏やかな金色の瞳、黒いローブの50前後の男――魔導師養成学校の教師 ユディウス・ラーク
美しいブロンドのウェーブがかった髪に真珠のような白い肌、深い森のようなグリーンの瞳の同じく黒いローブをまとった30後半の女性――魔導師養成学校の教師 マリア・フラーレン
2人が扉を開け、本部のロビーに入ると、受付にいた3人の受付嬢たちが慌てて立ち上がった。
「マスター・ユディウス! マスター・マリア! 本日おいでになるご予定はなかったと存じますが……」
受付嬢の一人が慌てて予定表をパラパラとめくり、確認しながら尋ねた。
「本日はどのようなご用件でおいでになられたのでしょうか?」
まぁまぁ、とユディウスは受付嬢たちにイスに掛けるように促した。
ユディウス「今日は個人的な用事で来ただけですから、どうぞお気になさらずに」
マリアはアハハと手をひらひらさせた。
マリア「いつものことじゃなーい」
確かに、この2人のスペリアル・マスターだけは、やれ誰かをからかいに来ただの、やれうまい土産を買って来ただの、やれ会長のサプライズバースデーパーティーをするから協力しろだの、なんのことでもない用事で、なんの前触れもなく突然やってくる。しかも、上層部に、アポイントなしで。
その度に受付嬢たちはこんな調子で慌てる羽目になるのだが、そんなことは全く気にも留めないのがこの2人である。
「では、これからアポをお取りします。本日はどなたに……」
「あら? マスター・ユディウスとマスター・マリア?」
奥から、金髪をきれいに後ろにまとめ上げた落ち着いた雰囲気の美女が現れた。
マリア「あら! リシュリュー! ちょうどよかったわ! ちょっと"あいつら"に会いにきたんだけどー?」
リシュリューは困ったように笑いかけた。
リシュリュー「あいにく、本日対応可能でいるのは"ハートの将軍"と"副将軍"だけです」
マリアは内心ギクリとした。 ―――まさか、W・B・アライランスを捕まえに出払っているのか?
マリア「え? ほかのやつらは?」
リシュリュー「ええと、"クラブ"は、"将軍"は"いつものごとく"音信不通の行方不明。"副将軍"はその分、倍の事務処理に追われていて、ここ数日缶詰です」
ユディウス 「まあ、いつものことですね」
リシュリュー「"ダイヤ"は全軍エウトピア国に遠征中です」
マリア「え? エウトピアって、"親"神使教国じゃない?」
リシュリュー「例の"人食い羊"のバイオハザードで、 国が壊滅寸前なんです」
マリア「神に祈ってもどうしようもなくって魔導師に……ってわけねえ」
リシュリュー「"ハートの将軍"と"副将軍"だけはただいま通常の事務処理中です。"スペード"は……」
リシュリューは視線をうつむかせた。
マリア「あいつらが1番面白いのに! ……もしかして、W・B・アライランス問題で遠征とか?」
リシュリューは残念そうに首を振った。
リシュリュー「その……"将軍"はバカンス中で……」
マリア「ハァ!? あいつ、今年何回目のバカンスよ!」
リシュリュー「"副将軍"はまだ出勤しておりません」
マリア「は?」
リシュリュー「昨日アヴァロン(ヴァルハラ帝国首都)に飲みに行くと申しておりましたので、おそらく飲みすぎによる寝坊かと……」
呆れた、とため息をつきながら頭を掻き、マリアは隣のユディウスを見上げた。
マリア「あぁもう! どいつもこいつも! なんでこれでトランプって成り立ってんのよ!」
ユディウス「まぁまぁ、ハートのキングに会えれば十分でしょう。 それに、彼女が一番話がわかると思いますし」
マリアはやれやれと腕組みをした。
マリア「それもそうね! リシュリュー! 通して頂戴!」
リシュリューは二コリと笑った。
リシュリュー「ただいまアポをお取りしますね。ベンチにかけてお待ちいただけますか?」
マリア「ハイハイ」
ユディウスとマリアがロビーに配置されているベンチに腰掛けると、わらわらとトランプの隊員たちが集まってきた。それを見て、リシュリューはクスリと笑った。
リシュリュー「相変わらずの人気者ね」
受付嬢の一人が申し訳なさそうにリシュリューに声をかけた。
受付嬢「あの……リシュリューさん、すみません……リシュリューさんは"スペード"の秘書なのに……」
リシュリューは笑った。
リシュリュー「いいえ、マスターたちはトランプみんなのお客さんよ。軍の垣根はないわ。それよりハートのキングに連絡をお願いね」
……ギィ……
ロビーの扉が開き、そこに立つ人物を目にしたとたん、場の空気は一瞬にして時が止まったように凍りつき、ユディウスとマリアの周りに集まっていた隊員たちは蜘蛛の子を散らすように持ち場へ戻っていった。
リシュリュー「"副将軍"!」
カランコロンと足を踏み出す度に音を立てる、板に親指とそれ以外の指を分つ紐をとりつけた独特の履物、黒髪の坊主頭、ピアスだらけの耳、タトゥーで埋め尽くされた両腕、くわえたばこに漆黒の鋭い眼、2メートル近くある筋骨隆々とした大男が、だるそうにマリアを睨みつけた。
スペードのエース「おい、秘書。受付でサボリて、ええ度胸やな」
リシュリュー「……今、マスターたちの方をご覧になっていらっしゃったようなので、私がなぜここにいるかくらい、ご察しいただけますよね?」
スペードのエース「とっとと持ち場戻れ」
スペードのエースは我関せずと言うように首をゴキゴキと鳴らしながら、ユディウスとマリアの前を素通りした。ユディウスにはマリアからブチリと何かが切れる音が聞こえた。
マリア「ちょっとーーー! トージローーー! 師匠のアタシを素通りするなんていい度胸ねーーー!」
リシュリュー「まあまあ」
リシュリューは去りゆくスペードのエースに聞こえるようなわざとらしい大声で続けた。
リシュリュー「では、ハートのキングのところへお通しいたしますね」
スペードのエースの足が、ピタリと止まった。
スペードのエース「……何しに来てん。用件くらいは聞いたるわ」
マリアは鼻で笑った。
マリア「相変わらず、犬猿の仲ね」
ニコリを微笑み、リシュリューはマリアとユディウスを促した。
リシュリュー「では、スペードの応接室にお通しいたしますね」
耳を覆われるような風音。打ち付ける砂粒。
砂の大河東端「大砂瀑布」、滝壺付近――
100メートル以上の落差を誇るその瀑布のふもとは、常に嵐のような砂煙に覆われ、太陽の光すらほとんど通さない、大自然のヴェール。
その中を清浄な空気の繭が2つ。
ガルフィン「水中用の風魔法を地上で使うとはな……」
ヤクトミ「……」
滝壺に近づくにつれ、風と砂の勢いは一層猛烈になった。ガルフィンは鼻をクンクンと動かした。
ガルフィン「……かすかに血のにおいが流れてくるな……滝壺のほうか」
ヤクトミ「……もし、滝壺に沈んでたら、この砂嵐では捜索が困難です」
ガルフィン「おまけに別の生き物のにおいもするな」
ヤクトミ「魔物ですか!? こんなところに? ……そうとうヤバそうな奴ですね……」
ガルフィン「条件が悪い……作戦変更だ。滝の上空から、滝壺周辺を監視しよう。爆炎魔法と流水魔法に、この砂煙の中、身を潜められるすべはない。1時間して出てこなければ、一度協会へ戻ろう」
一瞬遅れてヤクトミは返事をした。
ヤクトミ「はい……」
ゴウゴウと吹きすさむ砂煙。
滝の砂煙とあいまって、昼だというのに、そこは夕闇のように薄暗かった。
――大砂瀑布 滝壺裏
きれいに円筒状にくりぬかれたような洞窟がずっと奥まで続いていた。その入口―――
よしの「フィード様! エオル様! どうか目をお覚ましになって!」
よしのの目の前には、ごろりと横たわって、ピクリとも動かないフィードとエオル。
よしの「どうしましょう……どうしたら……」
手を地面につくと、何か生暖かい水のようなものに触った。しかし、暗くてよく見えない。
よしのは目をつぶり、胸の前で手を組み、集中した。よしのの周囲を風が渦巻き、この薄暗い洞窟の中でまばゆいばかりの光を発した。
――アーティファクト"ヤサカニ"!
やがて、まばゆさは収まり、ヤサカニは周囲の色を識別できる程度のほのかな光をたたえた。そうして目に入ったよしのの手元は真っ赤に染まっていた。
よしの(え……)
よしのは先ほど手をついたあたりを見回した。そこには赤く湿った砂。その赤の中心にはフィードの右手。
よしの「ケガ!?」
よしのは慌ててフィードの手元をみると、思わず口元を押さえた。
皮膚は焼け焦げ、流血し、手首あたりからは肉が裂け、骨がのぞいている。
フィード「う……げほっげほっ」
よしの「フィード様!」
フィードは突然激しくせき込み、うつぶせになって口からいくばくかの砂を吐くと、肘と膝をつき、ヨロリと体を起こした。その瞬間、突然襲った激しい痛みに一瞬顔をゆがめ、痛みのするところに目をやった。
フィード「あー、ちくしょー! やられたー!」
フィードは悔しそうにゴロンと大の字になった。
フィード「あのやろーいつの間にあんな命中率……」
よしの「……フィード様……」
「ん?」とフィードは今気がついたようにすぐ横にへたり込むよしのを見上げた。
よしのは震える手で口元を覆ったまま、ボロボロと大粒の涙をこぼし、フィードを見つめていた。
フィード「あ? 今度はなーにメソメソしてやがんだよ」
よしの「だって……大けがなさっ……」
言葉の先は嗚咽で消えた。フィードはむくりと体を起こし、ため息をつくと、左手でぽりぽりと頭をかいた。
フィード「……あのなー、こんくれーのケガ、魔導師の中じゃあ大ケガとか言わねーんだよ。それよか、あの役立たずどこ行った?」
フィードは近くで気を失っているエオルを見つけると、「おら、いつまで寝てんだよ」とエオルの背中を蹴りつけた。その衝撃でエオルもまた、ゲホゲホと激しくせき込み、口から砂を吐きだした。
よしの「エオル様!」
フィード「てめー! まんまと剣取られやがって! なぁ~にが『次の町までコイツに頑張ってもらうよ☆』だ!」
フィードはエオルのモノマネをして見せた。
エオル「……あのねえ……マスター・ガルフィンをまんまと舟に呼び寄せたのはどっちだよ! だいたい、何の考えもなしに滝に突っ込むなんて、死んだらどうしてくれるんだよ! てか、むしろなんで助かったんだ……」
フィード「何とかなったんだから、いいじゃねーか!」
エオル「あのねえ! 君はホント昔から……」
ふと、エオルはこの激しいやりとりの中で、フィードが利き手をぴくりとも動かしていないことに気づいた。そして、その利き手からはポタポタと血が滴っているのが見てとれた。
エオル「えっ!? ちょっとフィード! それ……」
指を差され、フィードは血の滴る手元に目をやった。
フィード「ああ、さっきヤクトミのやつにやられた」
エオル「何そんなあっさり! 大けがじゃな、いっ!?」
ドスリという鈍い音とともに、フィードの拳がエオルの腹に入った。エオルはせき込んでうずくまった。
エオル「なにすんのさっ」
フィードは口の前で人差し指をたて、左腕をエオルの首に掛けた。
フィード「よしののやつがバカみてぇに心配しやがる。かすり傷ってことにしとけ」
エオル「かすり傷って……」
再びエオルはフィードの右手に目を落とした。その手は、激痛のあまり、あきらかに手が震えていた。そして、これほどの至近距離でなければわからないが、涼しげな表情のフィードの額からは、滝のように脂汗が噴き出していた。
エオル「……せめてそれなりの手当だけはさせてよ」
フィード「しょーがねーな」
エオルは辺りを見回した。
エオル「荷物は全部砂の底みたいだね」
エオルは自分の袖を破って止血をし、フィードの右手を左右に囲うように両手をかざして、呪文を唱え始めた。
エオル「水縛結界!」
フィード「え!? おい!」
たちまち、フィードの右手から手首にかけて、薄い水の膜が張られた。
フィードは顔をしかめた。エオルはハハ、と力なく笑った。
エオル「ホントは相手を溺れさせる魔法だけど、水の精霊の少ないこの環境だとこうなる。ま、気休めってことで」
フィード「……てめー! 俺様がカナヅチだって知ってんだろがーー!」
エオル「アハハ! 見た? よしのさん! 今のフィードの超ビビリ顔―!」
よしの(……何やらお2人で話してらっしゃったようですが、大丈夫みたいですね)
よしの「はい!」
よしのはにっこりとほほ笑んだ。
フィード「うっせー! おら! とっとと行くぞ!」
フィードはズカズカと洞窟の奥へと進んでいった。
エオル「え!? そっち!?」
フィード「どうせ滝の外で奴ら待ち構えてんだろーし! こっち進んで抜け穴っだったらめっけもんだろ!」
エオル「それもそうか……よしのさん! ごめん! 光る球の件、さっきの人たち撒いてからね!」
よしの「はい! それは構いません! むしろ、できるだけ早く病院に……」
エオル「そだね……! ありがと!」
洞窟は上下左右にクネクネと長く続いており、いくつも分岐していた。その途中には、何かの骨が散乱していたり、異臭のする何かが山積みとなっていた。
そして、しばらく進んだ一行は、一つの結論に達した。
よしの「……なんだか、巣っぽいですね」
エオル「巣っぽいね」
フィード「巣っぽいな」
しばしの沈黙。
エオル「……そろそろ、マスター・ガルフィンたちもあきらめて帰った頃じゃあないかな! 戻ってみる?」
よしの「ですね! 勝手にお宅にお邪魔してしまって、悪いですし」
エオル「そういうことでもなくてね」
フィードはしばらく洞窟の奥を見ていたが、まぁいいか、と元の道を戻り始めた。
大砂瀑布 滝壺 上空――
ガルフィンによる空中に浮かぶ魔法で滝周辺を一望できる位置から、ガルフィンとヤクトミは監視を続けていた。
ヤクトミ「そろそろ小一時間くらいじゃないっすか?」
ガルフィンはポケットから砂にまみれた時計を、砂を振り払いながら取り出した。
ガルフィン「そうだな……上がってこんか……」
砂煙上がる滝壺を、ヤクトミはもう一度目を凝らした。どうにも諦められない。だが、目に飛び込んだのは予想だにしないものだった。
ヤクトミ「……ん? 先生! あれ!」
ヤクトミは砂煙の中を指差した。何か、巨大な長い影が蛇のようにうねうねと蠢いていた。そしてそれはやがて、滝の方向へと消えていった。
ガルフィン「さっきの臭いの正体はあれか。ここいらに巣でもあるのかもな。時間だ。協会に戻るぞ。……後味は悪いがな」
ガルフィンはヤクトミの背中をポンと叩いた。ヤクトミは砂煙の中を見つめたままだった。
ヤクトミ「……はい」
――アイツはこんなとこで終わるようなヤツじゃないんだ……
ヤクトミは後ろ髪ひかれながら、移動魔法でガルフィンとともにふわりと消えた。
洞窟の中に、かすかに生臭さが立ち込め始めた。
エオル「なんか、臭わない?」
よしの「そうですね……前方からでしょうか?」
フィード「どーやら、ご主人様のお帰りのようだぜ」
エオルはあたりを見回した。直径5,6メートルほどの筒状の空間。広さはそれなりにあるものの、一人は丸腰、一人は負傷。応戦するには魔法しかない。しかし、この程度の広さでは、強力な魔法は使えない。エオルは顔をしかめた。
エオル「……条件が悪いな」
フィード「奥へ進もう」
エオル「へ?」
よしの「奥……ですか?」
フィード「さっき、あれだけ奥に進んでも空気がこもって無かった。たぶん、出口は滝んとこだけじゃない。……気がする」
エオル「"たぶん"に"気がする"って……でもまぁ、空気が淀んでなかったのは俺も思った! 一か八か、行ってみよう!」
一行は再び洞窟の奥へと歩きだした。
よしの「……フィード様……本当に大丈夫ですか?」
フィード「あ? なにが?」
よしの「……いえ……やっぱりなんでもありません」
フィード「……変な奴」
よしのは"目の前のフィード"と"事実"、どちらを信じたらよいのかわからず、ただ、みるみる赤く染まってゆくフィードの右手を見つめていた。
しばらくして、洞窟の奥へと進む一行は、先ほどの生臭さが背後からどんどん強くなってくるのを感じていた。
エオル「なんか、追いつかれそうじゃない? ちょっと急ごうか」
よしの「そうですね」
歩を速めようといくつか進んで、違和感に気づく。エオルが「急ごう」と言えば、必ず返ってきそうな「え~めんどくせぇ」というだみ声。それが、ない。
エオルとよしのは嫌な予感に思わず後ろを振り返させられた。よしののヤサカニの淡い光が照らす範囲のギリギリの壁際。
力なく寄りかかり、顔を歪め、肩で息をするフィードの姿――
よしの「フィード様!!」
フィード「あぁっ!?」
よしのとエオルは慌てて駆け寄った。
よしの「少しお休みになりますか?」
フィード「ちょっと腹減っただけだ。先行け」
エオル「どっちも無理!」
エオルはフィードの左手をぐいと引き寄せると、そのままフィードの前にかがみ、よっこらせと背負った。
エオル「時間ないんだから! ほら! 行くよ!」
フィードはただ黙ってエオルの背中にもたれ掛った。エオルはフィードの重みを背中に感じ、ゴクリと息をのんだ。
――フィードが静かなだけで、こんなに心細いなんて……
そういえば、ここまでの道のり、この旅でいつも何かを「決定」していたのはフィードだった。
俺はいつも、何しだすかわからないフィードの世話を焼いてると思ってたけど、本当は逆だったんだよな。
そんなことに今頃気づくなんて、バカだ、俺……。
進める足もむなしく、さらに生臭さは増していった。
エオルはよしのの手を引き、よしのが走ることのできるペースで走りだした。
しばらく行くと、二手の分かれ道に行き当った。
エオル(どっちだ!? どっちに行けば外なんだ!? 片方か? 両方か!?)
ズリ……ズリ……
後ろから、強烈な生臭さと共に、何かを引きずる音がする。
エオル「くっ」
エオルは再びよしのの手を引き、左の道へと走り出した。
よしの「エオル様!」
エオル「なあに!?」
よしの「私、戦います!」
エオル「へっ!?」
エオルは驚いて足をとめ、よしのを見た。
よしのは胸に拳をあて、まっすぐエオルは見た。
よしの「私、戦います」
エオル「なっ何言ってんの! 危ないよ! ……それに女の子にそんなこと、させられない!」
よしの「ですが、フィード様はお怪我をなさってますし、エオル様は剣をとられてしまいました……私しかいないです。私、できます!」
エオル「うっ……」
よしのの強い瞳に、エオルは思わずたじろいだ。
――この状況……招いたのは俺か……俺が不甲斐ないばかりに……
エオル「……だ……第一、どうやって……」
よしのは自分の周囲に浮かぶ淡く光る宝珠をするりと撫で、微笑んだ。
よしの「この子たちと一緒に」
「けど使い方…」と言いかけたエオルの言葉は、よしのの固い決意のまなざしに、喉の奥へと押し込まれた。
その時だった。
肉の腐ったようなひどい臭気。鼓膜の奥を劈くような鳴き声。
エオルはよしのは後ろを見上げた。
よしののヤサカニが照らしだしたのは、紫色の血管がでこぼこと浮き出た土気色の皮膚、その皮膚は、いくつものギザギザとした波型の、ダンゴムシのような節が幾重にも重なっており、その節々の縁は固く茶色い爪のようなもので鬣のように囲まれており、体は洞窟の直径にぴったりと収まりほとんど頭部しか見えないが、頭部に目や耳はなく、その"顔"は人間の両腕を手首で合わせたような器官が飛び出し、指のような牙が絶え間なく波打っていた。
エオル「さ……砂竜……」
よしの「ご存じなのですか?」
じりじりとわずかずつ後ずさりながら、エオルはニヤリと笑った。その頬を冷や汗が伝った。
エオル「砂漠地帯で伝説になっている、人食いミミズだよ……」
フィード「サンド・ワームだと!?」
エオルの背中でぐったりしていたフィードが突然ガバリと飛び起きた。
エオル「わ! なに!?」
フィード「Aランクのクリミナル・モンスターだ! あの"ハナ"みてーなとこ持ってくと、金になる!」
意気揚々とフィードはエオルの背中から飛び降りた。しかし、その足はフラフラと力なく、そのままヘナヘナと座り込んでしまった。
エオル「フィード! 頼むから無理しないで!」
地団駄踏む子どもの様にフィードは喚いた。
フィード「だったらてめーら! 何が何でもヤツの"ハナ"とってこい!」
エオル「やれやれ……」
よしの「ハナ……ですか……無益な殺生はできませんが、何とかここから早く出られる分には尽力いたします」
エオルとよしのはサンド・ワームに向き直した。
……オオオ……
サンド・ワームの"節"が縮まり、その反動で"ハナ"を手繰るようにエオルめがけて突進した。
エオル「俺か!」
エオルはとっさにフィードとよしのを端に突き飛ばし、自らはそれとは逆方向に飛んだ。サンド・ワームの”ハナ”は空しく宙を掻いた。
フィード「ん?」
フンフンと、サンド・ワームはしきりにフィードの方向に"ハナ"を向け小刻みに動かしていた。フィードはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
フィード「血の臭いを嗅ぎ付けやがったな」
その時だった。フィードの視界が陰った。フィードが見上げると、サンド・ワームとの間によしのが立ちはだかっていた。
よしの「そうはいきません」
よしのは目の前に浮かぶ青い宝珠を掬うように手のひらを重ねた。
よしの(お願いしいます……どうか力を貸してください。私のためにお力を貸してくださるお2人のために、私も力をお貸ししたい!)
すると、青い宝珠はわずかに輝きだした。
しかし、徐々に光は弱まり、やがて元のほのかな光に戻ってしまった。
エオル(発動できない!? やっぱりまだ使い方が……!)
よしの(……お願い……!)
フィード(……ん?)
フィードは貧血で薄れそうな意識の中、弦楽器が奏でる音楽をかすかに聞いた。
フィード(なんだ……?)
すると、不思議なことに突然よしのの頭の中にある文字が浮かんだ。
よしの「……"ボウイサナ"……?」
突然、青い宝珠はよしのの呼び声に反応するかのように強く輝きだし、その光の中から、飛沫をあげて水の鱗で形作られた巨大な水龍が飛び出した。
よしの「きゃ!」
ボウイサナ ―― "爆流攻!" ――
ボウイサナの口から滝のような大量の水が吐き出され、激しい飛沫の音とともにサンド・ワームは穴の奥へと押し戻されていった。
しずくがポタポタと落ちる音。
辺りは今まで皆無だった”湿気”と、天井から滴り落ちる水の音だけが残った。
ボウイサナはゆっくりとよしのを見降ろした。
ボウイサナ「おお……よしの……ようやく俺を思い出してくれたのか……」
ボウイサナは涙を流しながら、光とともに宝珠の中に消えていった。
よしの(え……思い出し……?)
エオル(どういうことだ? よしのさんはあのアーティファクトは"預かったもの"だって……)
ドサリと何かが落ちる音。
音のした方に目を向けると、フィードがぐったりと倒れていた。エオルの魔法によって傷口を保護していた水の膜は綿あめのように膨れ上がり、その中の右手が確認できないほど赤黒く染まっていた。
エオル「フィード!」
よしの「フィード様!」
エオルは慌ててフィードのもとへ駆け寄り、脈を確認した。
エオル「脈が弱い……早く医者に行かないとまずい!」
よしのは「そんな……」と口を両手で覆った。こんな砂漠のど真ん中の、しかも出口の見えない洞窟の中。
医者どころか町にすらつけるかどうか。
――もう、これ以上誰かの死で誰かが悲しむのはいや!――
そんな体験の記憶もないのに、なぜそんな思いが込み上げたのかさえわからないのに、よしのの口から反射的にある言葉が出た。
よしの「……"せんゆ"……」
すると、よしのの周りに浮かぶ4つの宝珠が光を放ち、クルクルとフラフープのように回転すると、ライムのような柔らかい黄緑色の宝珠がよしのの正面でふわりと止まった。
黄緑の光はどんどん強まり、その光の中から淡くやさしい緑色の光をたたえた体毛の、つぶらな瞳の狛犬が飛び出した。狛犬は慰めるようによしのの涙を舐めると、フィードの右手の前にやってきた。
「ワンワン!」
狛犬はフィードの右手に向けてしきりに吠えた。
エオル「あ、魔法を解けって?」
エオルが慌てて魔法を解こうと手をかざした。ところが、エオルが魔法を解く前に"せんゆ"の最後の鳴き声に反応するかのように、綿あめのように膨らんだ水の膜は水風船を針で刺したようにはじけ飛んだ。
エオル「わ!」
辺りに細かい血と水のしぶきが飛び散った。エオルは茫然と狛犬を見つめた。
エオル(魔法を強制解除した!? なんだこの変な犬!?)
次に、狛犬は傷口をペロペロとなめ始めた。そのなめた部分から、みるみるうちに傷口は元通りになっていった。
よしの「傷が……」
エオル「……治った……!」
フィードの右手は嘘のように傷一つなくなり、辺りの血溜まりだけがこれまでの負傷の事実を証明するかのように残った。
狛犬は再びよしのの方を向き、「ワン!」と元気よく鳴くと、光とともに宝珠の中へと消えていった。
エオル(魔法の強制解除に治癒魔法のような効果……いったい何なんだ!?)
よしのは何が何だか分からない、という顔をしていた。
エオル(多分聞いてもわかんないよね……)
意識のないままのフィードを背負い、エオルはきょとんと黄緑色の宝珠を見つめているよしのの肩に手を置いた。
エオル「とりあえず早く出よう! あれでサンド・ワームも死んだわけじゃないだろうし。多分フィードも流れちゃった血まで元通りってわけでもないだろうしね!」
よしのはエオルの言葉に反応するだけといった様子で、ぼんやりと頷いた。
窓からやわらかな日差しが差し込む穏やかな昼下がり。
さまざまな調度品が飾られた広い洋間の真ん中に、古めかしい木製のテーブルをはさんで、これまた古めかしい3人掛けのソファが向かい合って置かれている。
片方のソファにはお茶を美味しそうにすするユディウスと、不機嫌そうに腕組み膝組みするマリア。
もう片方のソファには両腕を背もたれに掛け、長い両足を投げ出している座る横柄な態度の大男――対魔導師犯罪警察組織「トランプ」対魔導師犯罪第一軍"スペード"の副将軍、市松桃次郎。
桃次郎の座るソファの後ろには、長い金髪をピタリと後ろにまとめ上げた美女――対魔導師犯罪第一軍"スペード"第一秘書官リシュリュー・ラプンツォッド
あからさまにイラついた様子で桃次郎は口を開いた。
桃次郎「秘書! 目障りや、出てけ」
リシュリュー「しかし……」
ケラケラとマリアはわざとらしく笑ってみせた。
マリア「大丈夫よ~リシュリュー! どうもこの子、リシュリューがいると気が散っちゃうんですって! 朝一だから、集中欠けてるみたいね~! ダサッ!」
桃次郎「あぁっ!?」
今にも殴りかからんという勢いで桃次郎はマリアを睨みつけた。桃次郎とマリアの本当に火花が散りそうな睨み合いに、リシュリューはいざとなったら止めに入らなければと出ていくに出ていけなかった。その時、ユディウスとパチリと目が合った。
「大丈夫だよ」とユディウスは微笑んだ。リシュリューはその微笑みに安堵感を与えられ、一礼をして部屋を出た。
マリア「ちょっと! 女の子に対して、ああいう言い方ないんじゃないのっ!?」
桃次郎「魔導師の女なんて女ちゃうやろ」
桃次郎は腕を少し曲げ、自分の力こぶをわざとらしく指差した。マリアは憤慨して桃次郎を指さした。
マリア「キーーーー! あんたほどじゃないわよ! この筋肉ダルマ!」
桃次郎「あーやかまし……オレ二日酔いやねん……お前の超音波聞いてると、頭爆発しそうや。黙っとけ、ババァ」
マリア「こ・の・ガキンチョ……!」
青筋を立て、思わずマリアは立ち上がった。
桃次郎「歳やねんから、"あんまチョロチョロしてん"と、シワ増えんで」
マリア(……この子は本当……)
大きなため息をつき、髪を掻きあげながらマリアはソファについた。ユディウスは桃次郎に微笑みかけた。
ユディウス「どうやら、私たちが"何しに来たか"、察しがついているみたいだね」
桃次郎「いつもの土産やパーティーやとはワケちゃうわ。お前らに仕事の情報流す思てんのん?」
ガンと激しい音を立てて、桃次郎は「ふざけるな」とテーブルを蹴りあげた。ガタンガタンとテーブルの足が交互に浮いた。
桃次郎「なめんな、アホが」
ユディウスは穏やかに口を開いた。
ユディウス「確かに、君に聞くのは君たちトランプのことをなめていることになるね……でもこちらも仕事でね」
ユディウスはテーブルの上で手を組み、そのままテーブルに寄りかかった。
ユディウス「W・B・アライランスの情報をくれないかい? 今回の件は生徒たちへの影響も計り知れないと思うんだ。魔導師養成学校内でもいろいろ対策しないといけないんだよ」
間髪入れずに桃次郎は反論した。
桃次郎「それは単にお前らスペリアル・マスターの指導不足やんけ。まともに指導されとったら、ガッコ出て"やらかし"たらどないなるか、わかるやろ」
マリア(……この子もユディと同じ考えね……)
肘を組んでマリアはソファにもたれかかった。
マリア「今回の件はいろいろ初めてづくしなのよ。あの子たちが犯罪に至った理由が、恥ずかしながら全く思いつかないの。私たちのどういった部分が指導不足だったのか、確認する必要もあるとは思わない?」
桃次郎はそのまま押し黙ってしまった。だがそれは、決してマリアの言葉に同意するところがあったわけではなかった。彼の考えは全く別のところに向いていた。
桃次郎(……なんや嘘くさいな……)
ユディウスが話を切り出したあたりからの2人のリアクション――
大事な話だから前のめる?
自分たちの非を認めざるを得ないからイラついたようにソファにもたれかかる?
普通の人間だったらあり得る話かもわからない。だが、しかし、この2人の人物像からすると、明らかに違和感。
外部の人間に対して大事な話であればある程、感情を殺し、大げさなリアクションをとるのをやめる――
スペリアル・マスターというのは全体的にそんな人間ばかりだし、この2人に関してはそれが顕著。
桃次郎(……確かに、卒業してすぐ犯罪に走る魔導師なんぞ前例ないし、さすがのこいつらも動揺してんのかもわかれへんけど――)
―― オレのカンが嘘や言うてる ――
二人のスペリアルマスターは黙ったままのこの"食えない男"の次のリアクションをただ待った。
ユディウス(……何か考えてるみたいですね)
マリア(この子の頭の良さには気をつけないと……ちょっとしたことでもすぐに気づいて崩してくる……!)
桃次郎は突然フフッと笑いだした。
マリア「何?」
桃次郎「冗談や。建前上キレなあかんやろ? 捜査情報ならなんぼでもやるわ」
ユディウス「えっ……!」
マリア「ハァ!? そりゃうれしいけど……」
桃次郎はニヤニヤしながら続けた。
桃次郎「今んとこ、マーフ国のカーシーちゅー町での目撃情報がラストや。せやからそこでの情報収集と周辺の捜索止まりやねん。あとで秘書に資料よこさすさかい、確認しいや」
マリア「えぇっ!? ちょっと! いきなり何なのよ! そんなベラベラと大丈夫なワケ!?」
ユディウス(……この余裕……まさか……)
ユディウスは背中がざわざわとするのを感じた。"焦る"という、実に久しぶりの感情だった。
ユディウス「……少し前にケガしたって聞いたよ。大丈夫なのかい?」
桃次郎は「あぁ」と手をひらひらと降った。
桃次郎「快調やで。"ダイヤ"の応援で魔物討伐行ってん。そん時にしくって手首骨折しててんけど」
ニヤリ笑みを浮かべ、桃次郎は足を組んだ。
桃次郎「こないだ、ようやっと完治してん」
マリアは自分の体から血の気が引くのを感じた。
マリア「……ちょっと……まさか……!」
桃次郎「リハビリがてら、オレがそいつら捕まえよ思てな」
ユディウスは息をのんだ。マリアはテーブルに手をついた。
マリア「ちょっとちょっと! こないだ卒業したばっかの新人よ! いくらなんでもあんたが、」
桃次郎「ガッコ出たら一人前や。俺たちが手加減するわけないやろが」
マリア「てっ……手加減しないんなら、全部の事件あんたが出なさいよっ!」
退屈そうに桃次郎は欠伸した。
桃次郎「あほか。他のやつ育てへんやんけ」
ユディウス「マリア! まぁ、いいじゃないか。それならこの件は"早々に収束する"でしょう、君ほどの魔導師が出てくれるなら、大助かりだ、捕まえた暁には面会させておくれね」
マリア「……そうね」
ユディウスは穏やかな笑顔を桃次郎に向けた。
ユディウス「よろしく頼むよ、トウジロウ」
ゴキゴキと関節を鳴らし、桃次郎は背伸びをした。
桃次郎「用件すんだなら、とっとと帰れ」
リシュリューからW・B・アライランスの捜査資料をもらい、トランプ本部を後にしたその帰路。
なんとなく重たい雰囲気の中、始めに口を開いたのはマリアだった。
マリア「……ちょっと……まずいわよ」
ユディウスはハハといつものように陽気に笑った。
ユディウス「ガルフはしっかりやってくれるよ」
マリアはキッとユディウスを睨みつけた。
マリア「そうじゃない! だって、トランプは"あの"トウジロウをいきなり当ててくるってのよ! あの子たち……タダじゃ済まない……精神的にも……肉体的にも……!」
ユディウス「なぜまずいの? 一般の隊員が担当するより、"早く捕まる"から、いいんじゃない?」
マリアは立ち止まった。合わせてユディウスも立ち止まった。
マリア「……本気で言っているの? ユディ?」
ユディウス「もちろんだとも。君の悪い癖だ、マリア。生徒のために一生懸命になりすぎる。トウジロウにまで心配されていたじゃない」
マリア「シワのくだりは余計だけど」
ユディウス「マリア、私も君もスペリアル・マスターだ。まさか、"これだけのこと"でそれを忘れてしまったわけではないでしょう?」
マリア「当然よ。ただ……一つだけ聞かせて、ユディ?」
ユディウス「なんだい?」
マリア「スペリアル・マスターとしてではなく、ユディウス・ラークという人間一個人としての意見を」
ユディウスは静かにゆっくり歩き出し、"恨めしく"空を見上げた。その空は、小鳥が舞い涼しい風がそよぐ、すがすがしい秋空だった。