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W・B・Arriance  作者: 栗ムコロッケ
悪魔の薬編―ファリアス港編―
58/72

29.true fake

黒い三日月、ギルティン、ターゲット確保に奔走するトランプの面々は……

 その朝、気がつくと港に一際大きな帆船が停泊していた。簡素で装飾もなく魔法が発展する前の時代の昔ながらの材木造り。


 この船を港で目にすると、決まって地元の人間はこのように思う。


 「もうこの時期か」





―――― true fakeほんとのうそ ――――




 畳まれた帆の代わりに目印として掲げられている小さな旗。描かれているのは神使教総本山ジパング国の国旗。

 年に一度、巡礼のため鎖国を解除するジパング国へ向かうための往復便。来月頭に出港し、月末に戻る、たった一往復するためだけのこの船を目指し、周辺各国やムー大陸北部の国から神使教徒たちが集まる。

 この時期ばかりはこのファリアスの港町の普段の活気とはまたひと味違った活気、熱気が街を包む。魔法圏ではあるものの神使教徒たちはお金を落とすお客様。宿もレストランも稼ぎ時、繁盛期。


 お祭りムードに沸くこの町の喧騒を、アパルトマンの最上階のバルコニーからボンヤリと眺める一人の少女。ミルクティー色のベリーショートに猫の尻尾、女盗賊"どら猫"ラプリィ。

 手当してもらったケガは、獣人の超人的な回復力で既に殆ど痕すら残っていなかった。だが、丁寧に施された包帯やガーゼを、取り払ってしまいたくなかった。陽のよく当たるこのバルコニーで眺めていたのは、街を行き交う人々では無かった。


 ラプリィ「あ」


 アパルトマンに入るある人影を見つけると、ラプリィの尻尾はピンと垂直に立ち上がった。しばらくして玄関の鍵が回る音が部屋に響いた。ドアから現れたのは蒼い瞳に鼻ピアス、腰で履くダボダボのズボンにTシャツ、端正な顔立ちの男。蒼い瞳の男・ロロはラプリィの姿を見つけるとニコリと無機的に微笑んだ。


 ラプリィはロロに駆け寄った。そしておずおずと口を開いた。

 ラプリィ「お、おかえりなさい……」

 無機的な笑みを浮かべたまま、相変わらずの子どもに話しかけるようにおどけた、それでいてはしゃいだような声色で、ロロは返事をした。

 ロロ「ただ~いまっ。ケガの調子はど~お?」

 ラプリィ「……まだ、ちょっと、痛むかも」


 嘘だった。ケガが完治してしまうことでロロに会えなくなることが怖かった。こんなときほど、常人に比べ怪我の治りの早いこの体を恨めしく思ったことは無かった。治っていく怪我の代わりに、新たに傷をつけようと、何度短刀の柄を握ったことだろうか。そんな様子に気づいてか気づいていないのかロロはニコリと笑った。

 ロロ「ま~、昨日の今日だし~ゆっくりしていきな~?」

 ラプリィは何度も頷いた。そうしてラプリィの目の前に差し出されたのは金の細い鍵。ラプリィはそれを不思議そうに見つめた。

 ロロ「合鍵。おれ結構ここ空けてるから、滞在中は自由に使っちゃって~」

 ラプリィ「あ……ありがと……」


 ロロ「じゃあね」

 ラプリィはきょとんとロロを見上げた。そのまま玄関へと踵を返すその広い背中に、慌てて手を伸ばした。

 ラプリィ「え? もういっちゃうの?」

 ロロは振り返らなかった。声のトーンも、変わらなかった。

 ロロ「うん~」

 ラプリィ「な、何時ごろ帰ってくる?」

 ロロ「すぐ帰ってくるよ~ゆっくり休んでて~」

 そうしてそのまま玄関のドアは閉じられた。

 ラプリィ(い、忙しい人なんだ……?)






 アパルトマンを出て路地裏に入ったロロは直ぐ様着ていたTシャツを脱ぎ捨てた。

 ロロ「あのアマ、気安く触りやがって、ああ気色悪い」


 ふと、ロロは後ろを振り返った。少し遅れて、息を切らせて路地裏に入って来たのは"黒い三日月"のメンバーの少年。

 「ウーさん! 大変です!」

 ロロ「どうした?」

 「み、みんなが、みんなが……!」

 ロロ「ちょっと待って」


 ロロは少年の頭のすぐ上で何かを払う仕草をし、そして払った手に目を落とした。少年はロロの苦々しい表情の訳が分からず、自らの頭に触れ何もないことを確認した。

 「えっと……?」

 ロロ「……悪魔に"遭った"?」

 少年の頭の上で何かを払ったロロの手は赤く爛れていた。

 「大丈夫ですか!?」

 ロロ「……"瘴気"だ。お前よく無事だったな。他の奴らは」

 少年の顔はみるみる青ざめた。

 「それが……!」






 「こんにちは、ケリーさん、ですよね?」


 丸メガネをかけた小太りの、見覚えの無いその青年を、声をかけられたリケは少し驚いた風を装ってその様子をジロジロと観察した。自分のことを"ケリー"と呼ぶということは、ギルティンの仲間であるということだからだ。

 リケ「……何故私の名前を? あなたは?」

 青年はニコリと人懐こい笑顔を向けた。

 イワン「イワンと言います。ギルティンの元で働いております。今日の待ち合わせ場所の変更について、ご連絡差し上げに参りました」

 リケ「変更……どこに?」

 イワンは眼鏡の位置をかけ直した。


 イワン「ギルティンは早速取引をしたいと申しております。ご足労をお掛けしますが、今夜22時に町外れの岩山においでください」


 「わかったわ」と回答しつつ、リケは事の運びの早さに疑問を感じていた。

 どうやら、ギルティンという人物はあまり慎重な人間ではないようだ。だが、そのような大雑把な人間が、何故何人もの影武者を使用して"免罪符"を広める、などという計画性のある行動をとれているのか。それとも、


 リケ(もしかしてギルティンは首謀ではない……?)



 未だウランドと小豆色の髪の少女が眠りにつく宿の自室に戻ると、リケは風魔法の通信技術でトウジロウと連絡を取ることにした。

 音声はザラザラとノイズの入る、決して良好なものでは無かった。それでも、今晩ギルティンと思しき人物と接触するということを伝えると、トウジロウの雷のような野太い声はノイズを押しのけはっきりと、いつもの人を小ばかにしたような声色で伝えられた。


 トウジロウ『今夜ぁ!? 延ばせへんのん、リケはん~?』


 いつもの調子のその声に安堵を覚えつつ、リケは首を振った。

 リケ「ギルティンはせっかちな男だわ、ヘタにこちらから要求を出してこちらへの興味を失われては困ります」

 少しの間、ノイズの混じりの風音が続き、再び、今度は低く真面目な声でトウジロウからの返答は返ってきた。


 トウジロウ『しゃあない、そっちの今夜までに終わらすさかい、それまではウランドに何とかしてもろててや』


 カグヤからトウジロウへ連絡がいってないのか、リケはその事に対して変にトウジロウが突っかからなければよいのだがと思いつつ回答した。

 リケ「ハートのエースはロロ・ウーに敗北して戦闘不能です。トウジロウさんが間に合わなければ私一人で向かいます」


 暫くの間、トウジロウから返答は無かった。やはり、ウランドの状況を報告していないカグヤに怒り狂っているのか、とリケは行き場の無い雷が何処へともなく落ちる様を想像した。


 トウジロウ『……リケはん、聞こえへんやったわ、今何て?』


 リケはゴクリと喉を鳴らした。

 リケ「ハートのエースは、ターゲットに敗北し、昏睡状態です」


 トウジロウ『はあぁああっ!? 何遊んでんねん! あんのクソブチメガネ!』


 トウジロウの背後から「静かに」というシェンの声が聞こえた。リケはトウジロウの思わぬ怒りの矛先にキョトンとした。


 トウジロウ『アホくさ! どうせまた妙なポリシーとかで手ェ抜いたんやろ!? ダサッ! アホや! めっちゃアホ! リケはん、俺戻る前に目ェ覚ましとったら、めっちゃ笑てたで~言うててや!』


 リケは思わずクスリと笑った。

 リケ「なんなら彼が目を醒ます前に戻ってきてくださいよ」


 トウジロウが鼻で笑う声が聞こえた。

 トウジロウ『そらそうや。ほなな』


 通信は途絶えた。

 リケは溜め息をつくと他に何かギルティンたちの目的に繋がる情報はないかと街へと出た。






 陽も大分傾き、真っ黒の雨雲と共に夜の帳が降り始めた頃だった。

 裏ギルドではちあわせたその二人の顔ぶれに、店主含めたほぼ全員が店の外へと逃げ去った。


 鼻ピアスに蒼い瞳の端正な顔立ちの男――ロロ・ウーはいつもの薄ら笑いを浮かべた。

 ロロ「み~っけ」

 蒼い瞳が向けられた先には、2、3人が優に並んでかけられるソファにみっしりと収まるフェルトのようなモジャモジャの髪と髭が鬣のような大男、……の回りを取り巻くチンピラたち。チンピラたちは慌てた。

 「ロロさん……」

 ロロ「かくれんぼ楽しかったよ、そろそろお夕飯の時間だから帰ろ~?」


 大男の大きな笑い声が店内に響いた。

 「ガハハハ! ロロ・ウー! わかってないなあ! こいつらはお前のところを抜けてブレーメン製薬に入ったんだ。お前とはもう無関係の赤の他人なんだぞ」

 ロロは目を細め、その大男を見つめた。

 ロロ「……巧く隠してるな、お前悪魔だろ? よくもおれの楽園汚しやがって」


 悪魔という単語に、チンピラたちは一斉にその大男から距離を取った。大男は笑った。

 「魔導師にすら気付かれてねぇのに、若い僧侶の割に法力は相当だな」

 ロロの顔から薄ら笑いが消えた。

 ロロ「そろそろ消えろ、でないと消すぞ」


 大男は高らかに笑い、太鼓の側面のような腹を叩きながら立ち上がった。

 「ガーッハッハッハッ! おい、ブレーメン製薬の新入社員ども! このギルティン様がお前らの"元"ボスの首根っこ引っこ抜く様をようく見ていやがれ」


 チンピラたちは慌てて、自分達を勧誘した丸メガネをかけた小太りの青年――イワンに詰め寄った。

 「聞いてねぇぞ! なんなんだよ、悪魔って!?」

 イワンはニコリと人懐こい笑顔を向けた。

 イワン「大丈夫です、ギルティンさんは勝ちますよ」

 「そういうことじゃねぇって!」


 ロロは舌打ちして天井すれすれのその大男を睨み付けた。

 ロロ「可哀想に、よくもおれのカワイイ"楽園"たちを唆しやがって! ブッ殺す!」

ギルティンは邪悪な笑みを向け、ボキボキと太い指を鳴らした。ロロは地を蹴った。


 ギルティン「ガハハハ! 知ってるか? 悪魔に人間の拳なんざ効か、ゴフッ」

 大きく前に出っ張った腹が、深く凹んだ。ギルティンの巨体は椅子やテーブルをなぎ倒し、大きく後ろに吹き飛んだ。

 イワン「ギルティンさん!」

 ロロは指をバキバキと鳴らし、わざとらしく首をかしげた。

挿絵(By みてみん)

 ロロ「ごめん、今なんつった?」


 ギルティンはムクリと上体を起こし、背中をボリボリと掻いた。ロロの拳がめり込んだその腹のど真ん中からは、ジュワジュワと音を上げ、黒い煙が立ち上っていた。

 イワンは取り巻きたちを出入口付近へ誘導した。

 イワン「"瘴気"です。触れてはいけない」


 ギルティン「いって~……なんだお前? 今法術使ったか!?」

 ロロは腹を擦るギルティンを冷たく見下ろした。

 ロロ「"地獄に堕ちろ"」

 ギルティンは自分を見下ろす蒼い瞳を見つめ、ニヤリと笑った。

 ギルティン「精霊が笑ってやがる。なんかの法術のトリガーだな。ヘタに回答はしないぞ」

 ロロは目を細めた。その瞳は既に生けるものに向ける目では無かった。


 ロロ「"奈落転心如律令マスカレイド"」


 途端にギルティンの巨体は大きな音を立て、力なく大の字に転がった。

 イワン「ギルティンさん!?」

 ロロ「も~、さっさと消えて? 汚ねぇなあ」

 そうブツブツ言いながらロロはジーンズのポケットから短冊形の札を取り出し、ギルティンの腹に近づけた。その時だった。






 ギルティンの巨大な手のひらが札を持つロロの腕を握りしめた。ボキボキと鈍い音を立てながらロロはギルティンから距離を取った。ギルティンの手のひらにはロロの千切れたTシャツの袖だけが残っていた。


 ギルティン「ふぅ~やべぇやべぇ。少なくとも、こりゃ生き物に使うモンじゃねぇなあ」


 そう呟きながらギルティンはまるで見えない糸にでも吊り上げられているかのようにスゥと音もなく起き上がった。そうして鼻をほじりながら大きく欠伸した。

 ロロ「"戻ってくるの"早すぎ。やっぱ魂魄のバランスが人間とは違うんだ~」

 ギルティン「なんで手ぶらで術が使えんだ? どっかに札隠し持ってんのか」

 そうして、骨折でいびつに変形したロロの右腕に目を落とした。その腕にはびっしりと彫られた経文。ギルティンはニヤリと笑った。

 ギルティン「テメェ、札はフェイクか」

 ロロ「こんなにお経まみれだと、おれのゲンコツ効いたでしょ」



 巨大な拳がボキボキと鳴らされた。

 ギルティン「二度とそんな術使えねえよう、生皮引っ剥がしてやろう」

 ロロ「二度と"楽園"の土を踏めねえよう、バラバラにしてやるよ」


 間髪入れず、ギルティンの巨大な手のひらが振り上げられた。


 ロロ「"反転如律令ルミナスターン"」


 ロロに触れたギルティンの手のひらは、同じだけの力で後ろに引っ張られるように弾かれた。ギルティンはガハハと豪快に笑った。

 ギルティン「触れもしねぇのかよ!」


 ロロ「"身転如律令パラレルダンス"」


 ほんの、錯覚するほどの一瞬のことだった。

 気付くとギルティンの視界はバーカウンターの上に、その目の前には先ほどまで闘っていた蒼い瞳の男と、対峙するのは――自分の首から下。

 ギルティン「んん?」

 次の瞬間、ロロの目の前のギルティンの首から下と、バーカウンター上の首から、勢いよく黒い煙が吹き出した。黒い煙で、視界はみるみる遮られた。煙の向こうから、カウンター上の首は変わらず笑った。

 ギルティン「テメェーー! よっくも俺の首をはねやがったなぁーー!」

 ギルティンの首に呼応するように、視界を遮る黒煙から音もなく現れた巨大な手。ロロは自分を捉えようとするそれをガシリと掴むとそのまま投げ飛ばした。

 ロロ「これで終わりだ。イチニのサンで、四肢五臓六腑、七つの海にぶちまけてやるよ。覚悟しな」

 煙の向こうから、ギルティンの慌てる声が聞こえた。

 ギルティン「あーっバカ! ヤメロ!」

 ロロはわたわたと慌てた様子で手足の動くギルティンの身体に手を翳した。


 ギルティン「……なんてな」






 煙の向こうから現れたのは、ロロの手下。


 手下は表情一つ無くプラプラと操り人形のように操られるがまま両手をロロの首もとに巻き付けた。黒い煙に触れた、頬や腕の皮膚はジュワジュワと音を上げ、みるみるうちに焦げてゆく。ロロは最早煙で見えないカウンターのある方に向け、声を上げた。

 ロロ「てめぇ! ふざけんな!」

 ギルティンの邪悪な笑い声が部屋に響いた。

 ギルティン「言ったじゃねえか、お前の手下はもうお前じゃなくて俺につくってよ! これでわかったろ?」

 手下の指が、みるみるロロの頸部にめり込んで行く。ロロは手下の頭を優しく撫でた。

 ロロ「表へ出てな? "身転如律……"」


 ロロははたと動きを止めた。そうして首をしめる手下の手を引き剥がすと背後に目をやった。煙の向こうから、ギルティンの愉快そうな声が聞こえた。

 ギルティン「お前、神通力の類いにでも通じてるのか? 一切の精霊の動きを絶ってるってのに」

 ロロの視線の先には大勢のロロの手下たち。誰も彼もがまるで操り人形のように力無くフラフラと生気がない。


 ロロ「……てめぇ、絶対許さねぇ……!」

 ギルティン「さあさあ! 生皮引っ剥がせ! "八"つ裂きにしろ!」


 手下たちに両腕を押さえつけられ、膝をつかされたロロはただただ煙の向こうの笑い声を睨み付けた。Tシャツが引き裂かれ、その背中には"転"という文字。そこを中心に経文が鈴なりに連なって体に刻まれていた。


 ギルティン「ガハハハ! そいつか、道具無しで無限に使える術の正体は!」


 そうして背中の"転"の字に、ナイフが突き立てられ、大きくバツの字に引き裂かれた。ギルティンはつまらなそうに鼻で笑った。

 ギルティン「おうおう、声すら上げる気力もねぇってか」

 ギルティンはムクリと巨体を起こし、カウンターの上に転がった生首を、まるで帽子をかぶるように断面に乗せると、黒い煙の噴出はようやくおさまった。そうしてフロア中に充満する黒煙を掻き分け、"黒い三日月"のリーダーの様子を確認しようとした時だった。


 悪魔にだけ感じる、粘膜という粘膜を刺すような強烈な臭気。ギルティンは鼻を押さえ、ボロボロと涙を流しながら、煙の奥へと進んだ。

 ギルティン「なんだぁ?」


 一部の黒煙だけすっぽりと晴れたその中心に、その蒼い瞳の男の姿はあった。バツ印の刻まれた背中からだくだくと流れ出るのは真っ赤な血液ではなく、真っ黒な液体。流れ出る度に黒煙は部屋の角へと押しやられていった。

 ギルティン「テメェ! そいつを止めろ!」

 ロロはニヤリと笑った。その見上げる蒼い瞳は明らかに、悪魔を見下し、蔑み、憐れむ目だった。頭に血が昇ったギルティンの巨大な拳が降り下ろされた。切れたロロの頬と口の端からもまた、黒い液体が流れ落ちた。

 ギルティン「なんだこりゃあ」


 ロロ「墨汁」


 なんなんだそれは、とギルティンは殴った自らの拳とロロとを交互に見た。

 ロロ「……道士が使う特別製」

 ギルティン「……聖水か……!」

 激しくむせ、涙を拭い、まともにロロを見ることすらできない。そんなギルティンの様子に、ロロはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、ギルティンに向かい、舌を突き出した。何とか開いたギルティンの目の端に映った、ロロの舌の奥に刻まれていたのは"転"の文字。

 しまった、とギルティンはロロの胸ぐらに手を伸ばした。


 ギルティン「背中もフェイクか!」

 ロロ「一旦、出直す。その間にコイツら一人でも指一本触れたらお前を殺す、いいな」

 ギルティンの指先が触れる前に、ロロは姿を消した。


 ギルティンは我を忘れて地団駄を踏んだ。

 ギルティン「あの野郎! 絶対殺してやる!」


 黒煙の中から、ゴホゴホと咳き込みながらイワンが現れた。

 イワン「落ち着いてください、ギルティンさん。人質がいる限り、"黒い三日月"のリーダーは自分からまたやって来ます」

 ギルティンはロロの手下たちを睨み付けた。

 ギルティン「腹の虫がおさまらねぇ! こいつら喰ってやる! そうすりゃあの野郎の絶望した顔が拝めるわい」

 狂気の笑みが、ロロの手下たちに向けられた。


 「あれっ?」

 ロロの手下たちは正気に戻り、互いに顔を見合わせていた。

 「なんで俺こんな所に? 外に出たはずじゃあ?」

 「うわ! なんだこの黒い煙!」

 「お前! 火傷してるぞ!」

 「痛え!」

 「ロロさんは?」


 ギルティンは舌打ちした。

 ギルティン「なんだあ? 何で正気に戻ってやがる!?」

 イワン「貴方が触れられないよう、彼らに法術の結界を施したようです。ぬかりないですね」

 ギルティンの顔はあまりの屈辱にゆでダコのようだった。

 ギルティン「殺す! こいつら皆殺しだ!」

 イワンは丸メガネを中指で上げ、ニヤリと笑った。


 イワン「ギルティンさん、"黒い三日月"のリーダーを絶望の淵に叩き落とす、良い方法があります」


 ギルティン「なんだと! 教えろ!」

 イワンは人懐こい笑顔をロロの手下たちに向けた。

 イワン「皆さん、大丈夫ですか?」


 手下たちは一斉にイワンに"状況を教えてくれ"という視線を向けた。イワンは哀れむように眉根を寄せた。

 イワン「ロロ・ウーは貴殿方を見捨てました。自分を裏切った皆さんを殺すと」

 手下たちは声をそろえた。

 「バカな!」

 イワン「でも、大丈夫。我々ブレーメン製薬が、ロロの魔の手から皆さんを必ずやお守りします。どうか、我々を信じてください」


 手下たちはロロを敵に回したらしいことに明らかにパニックを起こしていた。

 「あの人、よくわかんねぇ不思議な術使うんだぞ」

 イワン「大丈夫。我々は魔導師です」

 確かに、魔導師のバッヂが、それもいくつもイワンと、そしてギルティンの胸元に輝いていた。

 「けど、魔導師でも……」

 イワン「ロロ・ウーには何人か魔導師でも殺られていますが、現に我々はロロ・ウーを退けました」


 意識を失う前に、ロロは確かにこの場にいた。いなくなるまでの記憶はないものの、あのしつこいまでに自分達に執着する男が、何もなしにこの場を去るはずがない。この二人はあのロロを退けた、本物だ、とその場の全員が信じきった。

 それから堰を切ったように元リーダーへの不平不満愚痴。そして誰もが新たなリーダーへの尊敬の眼差しを送った。

 イワンはギルティンを見上げ、ほらねと肩を竦めて見せた。ギルティンは満足そうにロロの手下たちを眺めた。


 ギルティン「人間てのは、くだらねぇ」






 降りしきる雨。


 石畳の隙間を縫うように流れる墨汁。


 路地裏でうつ伏せに、ロロはぼんやりとどこをともなく眺めていた。


 頭がぼんやりと、考えがまとまらず、意識が遠退く。


 ロロ(やべー……墨汁がなくなる……早く、助けにいかねぇといけねえのによー……)


 視界は、白く塗り潰された。






 ほぼ同時刻。


 目の前の見慣れぬ天井らしきものに気がつくと、ウランドはムクリと起き上がった。

 首が痛い。ライトブラウンのクセっ毛をボリボリと掻き、メガネを探した。サイドテーブルらしきものの上にようやくいつものクロブチメガネを見つけ、すぐにかけるとベッドサイドにはこちらを見つめるオリーブ色の瞳。

 小豆色の髪を揺らし、フーの引き締まった足がウランドの膝の上にまたがり、そのまま細い腕がウランドの太い首に絡められた。

 二人はどちらからともなく口付けた。


 少しして、ウランドはふと我に返った。

 ウランド「……しまった、こんなことしてる場合じゃない」

 じとりと睨み付けるオリーブ色の瞳。

 フー「こ・ん・な・こ・と?」

 睨みつけられた本人は慌ててフーから手を放した。

 ウランド「ああっ! 違う違う! ごめん、今の状況確認させて! あと、本当にここが現実だったら上司にこれまでの報告しないと」

 フーは溜め息をついてぶすりと顔を背けた。

 ウランド「あの……ごめん」

 背けた小豆色の髪の隙間からはニヤリとイタズラっぽい笑み。小さな白い手が、ライトブラウンのクセっ毛を撫でた。

 フー「うそだよ、あたしも一旦道士協会に報告いれなきゃだし」

 そうしてゆっくりとウランドの耳元で囁いた。

 フー「また、あとでね」


 そうしてスタスタと軽やかな足取りで去るその小さな背中を、ウランドはぼんやりと見つめていた。左手の薬指に光る指輪のことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。


 絶え間ない雨音。徐に窓を見る。空は暗く家々の明かりがはっきりと輝いて見える。

 ウランド(夜か、ここはどこだ? あれからどのくらい時間がたった?)


 部屋を見渡すと窓際のチェアの背もたれに、見慣れた小さな隊服。それを少し持ち上げ、裏地のシリアルナンバーを確認した。

 ウランド(やっぱりリケさんか……)


 デスクの上には自分宛のメモ。

 内容に目を通すと、ウランドは背筋が伸びた。ぼんやりとしていた頭はたたき起こされたかのように一瞬で醒め、目には鋭い光が宿った。上司カグヤからの伝言だった。


 その時だった。


 遠くで突然発した精霊の強烈な波動。ウランドは窓を開けた。

 ウランド(これは……聖なる炎の剣ラハト・ケレブ! リケさん!)

 ワイシャツのボタンを詰めながら、ウランドは勢いよく窓から飛び出した。



 ほぼ同時刻の街の鐘楼塔の天辺。降りしきる土砂降りが鐘楼の中で雨音を反響し、まるで滝の中にいるような錯覚に陥りそうだった。

 そんな石造りの柱の角で、墨をすり毛筆に浸し、白い正方形の紙に上司への報告をしたためていたフーは、書き上げた紙を鶴の形に折り、掌に乗せると静かに息を吹き掛けた。すると折り鶴はゆらゆらと揺れながら宙に浮き、夜の闇へと消えていった。

 それから夜の静かな闇の中でゴロリと横になり、雨音に耳を傾けた。

 その時だった、脳みそが直接揺さぶられるような、それでいて焼けつくような強い精霊の波動。フーはムクリと起き上がった。

 フー(なんだ?)

 そうして次に目に入ったのは、土砂降りの中、街を駆け抜けるライトブラウンのクセっ毛。明らかにウランドは慌てた様子だった。フーはくしゃくしゃと頭を掻き、クスリと笑った。

 フー(もう早速お仕事かよ。……あたしも見習うとするかねぇ)






 イワン「お待ちしておりました、ミス・ケリー」


 昼間イワンに言われた通りの時間に町外れの岩山までやって来たリケは怪訝そうに、イワンと岩山を交互に見つめた。

 リケ「私の調べでは、この上は"黒い三日月"のアジトのはずだけど」

 イワンはさすがだと拍手してみせた。

 イワン「さすがは魔薬問屋さん。仰る通り、ここは"黒い三日月"のアジトです。……つい先ほどまでは」

 リケ(……ん? ハートのエースとロロ・ウーは相討ちだったってこと?)


 どうぞこちらへ、とイワンは真っ暗な山道を誘導した。

 ウランドを救助した際の道とは別の脇道だった。

 リケ(そりゃそうだ、途中の道は崩落してる。それを知っていてなおかつこんな裏道まで知っている……どういうこと?)


 イワン「あ、気になっていらっしゃるでしょ? "黒い三日月"がどうなっているのか」

 小太りのその背中を様子を伺うように見つめ、リケは背筋を伸ばした。

 リケ「そうね、"フォビドゥンフルーツ"も仕入れ対象だし」

 イワン「その点に関してはご心配なく。さあ、ここからちょっと足場に気をつけて!」

 登ること小一時間、中腹の頂きにぽっかりと空いた大きな洞穴。

 イワンは中へどうぞと手を指し示した。

 イワン「中でギルティンがお出迎えいたします」

 そうして持っていたランタンをリケに渡した。

 リケ「あなたは行かないの?」

 イワンは人懐こい笑顔を返した。

 イワン「僕はちょっと、入り口の見張りを。ケリーさんの取引の邪魔が入ってはいけませんからね」

 リケはニコリと笑った。

 リケ「ありがとう」


 洞穴の奥を進むと開けた空間が広がっており、壁沿いに一階二階といくつものドアがある。まるでそこは集合住宅とその中庭のようだった。ただし、人の気配は全くない。

 中庭の奥の一階部分の壁にはさらに奥へと"集合住宅"が連なる廊下があり、道は幾つにも分かれ、迷路のようだった。ふと、廊下の奥で人影がちらついた。人影はリケの様子に気がつくと駆け寄ってきた。


 「ケリーさんっすか」

 チャラチャラとした、見るからにチンピラ風の若者だった。

 リケ「そうだけど、ギルティン氏はどちらに」

 若者は腰を低く「こちらです」とリケを誘導した。


 入り組んだ道を右へ左へとたどり着いたのは最も奥の部屋。

 ドアの向こうには部屋の中央に置かれた大きなソファにずっしりと巨体を預け、酒瓶を何本も空けてご満悦といった様子のギルティンの姿。ギルティンはリケの入室に気づきニカリと豪快な笑みを向けた。

 ギルティン「よう! 先におっぱじめてんぜ」


 そうしてリケに対面のソファに掛けるよう促した。リケは言われるがままソファに掛け、何が何だかわからないと首を振り、肩を竦めた。

 リケ「ここは"黒い三日月"のアジトでは?」

 ギルティンは酒瓶をリケに差し出した。

 ギルティン「もう俺んちだ。ああ、安心しな、"フォビドゥンフルーツ"なら、ほら」


 ギルティンの背後にはキングサイズのベッド。その上には山積みされた色とりどりの小さなラムネ菓子。

 リケ「どういうこと?」

 ギルティンはムシャムシャと生ハムやらチーズやらを口一杯に詰め込んだまま大声で話し始めた。

 ギルティン「言ったろ? "黒い三日月"は潰すって」


 リケは息を飲んだ。

 リケ(潰し合いをしてくれたのはラッキーね、あとは魔導師バッヂを持っていることの証言が取れれば動ける!)


 ギルティン「ああ、そうだ」


 リケは「次は何?」と顎髭を擦るギルティンに視線を向けた。

 ギルティン「そういや"うちの"魔薬のストック、切れとったなあ~」

 これからこの街に売り広めるはずなのに"免罪符"がない、ということだろうか。リケは訳がわからず再び肩を竦めた。

 リケ「これから私と取引するんじゃないの?」

 ギルティン「あ~、心配には及ばん」


 そうして視線を向けたのはベッドの上に積まれた"フォビドゥンフルーツ"の山。

 ギルティン「今度はあれを"免罪符"っつって売りだしゃあいい話だ」


 リケの驚いた顔に、ギルティンはようやく気が付いたようだった。そうして、ニヤリと邪悪な笑みを向けた。

 ギルティン「"免罪符"なんて魔薬、この世に存在しねぇんだよ」

 つまり、別の魔薬業者から奪った魔薬を"免罪符"として売っていた、ということだった。


 リケ「……商品を開発する手間は省けて金儲けできるって訳ね」

 ギルティン「だが一つだけ手間があってな」


 そうしてギルティンは手下に"フォビドゥンフルーツ"をいくつか寄越すように要求した。そうしてボンレスハムのような巨大な手の中に転がる小さなラムネ菓子に目を落とした。

 ギルティン「売り出すにもウタイ文句が必要だろ? どんな効果があんのか、いちいち確かめなきゃなんねえ」


 そうしてリケに向けられた狂気の笑み。

 ギルティン「お前でいいか」


 リケは笑ってみせた。

 リケ「何言ってるの、取引は」

 ギルティン「別にお嬢ちゃんじゃなくてもいいさ」

 リケ「あたしはそれじゃ困るんだけど」


 ニヤリと笑い後ずさるリケを数人の手下たちが取り押さえた。手下の一人が言った。

 「俺たちに試されたら困るんでな。あんた来てくれて本当助かったぜ」


 呆れたとため息をつき手下たちを一睨みすると、ギルティンの様子を注意深く観察した。

 リケ「普通に仲介業やればいいじゃない。なんでわざわざ"免罪符"なんて架空の魔薬を作り出す必要があったの!?」

 ギルティンはリケの夕焼けのような赤い髪を掴み、顔を上げさせた。

 ギルティン「ああ、別に魔薬売るのが目的じゃねぇからな」


 その言葉に、リケより先に手下たちが反応した。

 「ちょっと! どういうことだよ! ブレーメン製薬ってのは魔薬業者だろ!?」

 ギルティンは"フォビドゥンフルーツ"の一つをつまみ上げた。それはゆっくりとリケに近づけられた。


 ギルティン「ガハハハ! そんなチンケなもん! 俺の最大の目的は巡礼とか言うのでここに集まる神使教どもに魔導師装って魔薬ばら蒔いて、魔法圏との戦争を起こすことさ!」

 手下たちは叫んだ。

 「イカレてやがる! バカじゃねぇの!」


 ギルティンは豪快な笑い声を上げた後、急に今度は憤怒の形相と化した。

 ギルティン「どいつだ、今俺をバカ呼ばわりしたクズは」


 ギルティンの巨大な影に気圧されるように手下たちは固まって部屋の角に追いやられた。

 リケ(ああもう! 本当に読めないやつ!)

 リケは立ち上がった。

 リケ「そこまでよ」

 ギルティンは頭に血が昇り、リケの声が耳に入らないようだった。


 リケ「……トランプはクラブ軍副将軍エース リケ・ピスドローだ」


 ギルティンはリケを振り返った。


 リケ「お前を逮捕する」


 邪悪な笑みが、ギルティンの顔に満ちた。






 ぼんやりと目を開けると、目の端にはチラチラと揺れるランプの灯り。

 体を起こそうにも上手く力が入らない。


 「目ぇ醒めた!? 大丈夫!?」


 ひょっこりと視界に現れたのは、


 ロロ「……ラプリィ……?」


 ラプリィは安堵の笑みを浮かべた。

 ラプリィ「よかった……ロロ……!」


 ロロは辺りを見回した。ラプリィに与えたアパルトマン。玄関からここまでは水浸しだった。

 ラプリィは腕を曲げて力こぶを作って見せた。

 ラプリィ「えへへ……こんなとき、獣人で良かったって思うよ。結構重かったけど」

 そうしてうつ伏せのロロの背中辺りに目を落とした。

 ラプリィ「……でも、どうしよう……血じゃないみたいなんだけど黒い水がずっと流れてて止まらないの……痛くない? 早く止めなきゃ」

 ロロ「いろいろありがとう、ラプリィ。じゃあさ、これ、ラプリィに止めてもらっていい?」

 ラプリィ「え……」


 次の瞬間、ロロのスラッとした長い指がラプリィの顔面をわし掴んだ。


 ロロ「"反転如律令ルミナスターン"」


 ラプリィは血飛沫を上げ、ゴロリと転がった。だくだくと真っ赤な血が流れるその背中にはバツ印の深い切り傷が刻まれていた。

 ロロは肩を回しながらスクリと立ち上がった。その体には最早傷一つなかった。


 ロロ「あー、墨汁垂れ流し過ぎた……足んねぇ」

 そうして再び土砂降りの雨の中に姿を消していった。






さて、なんだか浮気やらリケVSギルティンVSロロやら

しっちゃかめっちゃかになってまいりました。


どういう結末に落ちるのか?そして主人公一行はどのタイミングで現れるのか?


次週は29.1話。現在別行動をとっているシェンとトウジロウの話です。2/17更新予定です。

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