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W・B・Arriance  作者: 栗ムコロッケ
プロローグ
3/72

3.a fataful encounter


雲ひとつない晴天

午前11時過ぎ


ムー大陸中部 観光国家マーフ 東部の町カーシー

さんさんと照りつける太陽。日干しレンガ造りの低い家々。

メインストリートはバザールと一体で、端が見えないほど店のテントが軒を連ねている。

今日も観光客や日用品を買いにきた住人で、町はごった返していた。


そんなメインストリートから1歩2歩と細かい路地に入ったその先に、ひっそりとその店はあった。




―――― a fataful encounter(導かれた出会い) ――――




「ここだ」


店の前には、

暑いのに全身黒づくめで、小さな体には不釣り合いな大きいコートのフードを目深にかぶった銀髪赤目と

さわやかなスカイブルーのノースリーブに、大剣を背負い、背中まである美しい金髪と黄緑の瞳の長身


「ねぇ、フィード、何なの? ここ」

金髪がいぶかしげにフィードと呼びかけた銀髪を見やる。

目の前にはただの古めかしい扉。しかもやたらと落書きだのポスターを何枚も貼っては剥がされの跡だので埋め尽くされている。看板らしきものは、ない。


フィードは左手にバザールで買った大量のクレープを抱え、右手でせわしなく口に運んでいたが、金髪の問いかけに見向きもせず無表情で答えた。

「"ハンターズ"の"裏ギルド"だ」

「え?」

一瞬、金髪は自分の耳を疑った。

「いくぞ、エオル」





――ハンターズギルド(通称:ハンターズ)

世界中の冒険者を管理・統制し、冒険者の安否確認、情報提供、仕事の斡旋などを行う、世界的な冒険者支援共同組合である。

その「裏」

つまり、「ハンターズの裏ギルド」とは、正式な冒険者でなく、お尋ね者や、不認可の冒険者などが情報共有をするための、裏社会のハンターズギルドである。



フィードは薄汚れた扉を「ガン!」と乱暴に蹴った。すると、扉の小さな物見窓から男が目を出し、フィードとエオルを凝視した。

「トムルニエ?」

フィードがすかさず答える。

「ミナスクルオタ」

男は物見窓をとじ、ガチャリと扉を開き、「入れ」と無愛想に促した。扉の先は下り階段。

フィードはむしゃむしゃとクレープをほおばりながら階段を降りて行った。何が何だかわからないエオルであったが、慌ててフィードの後を追った。

エオル「さっきの……なに?」

フィード「さっきの……? あぁ、暗号のことか? マーフの古い言葉で"山"と"川"って意味らしーぞ」

エオル「らしいぞって……」

エオルはフィードがなぜ裏ギルドの暗号について知っていたのか、恐ろしくて追求する気が起きなかった。

階段を下り終えると、陰気な酒場が広がっていた。フィードはツカツカとカウンターへ近づくと、皿を拭いていたガタイの良いスキンヘッドの男に話しかけた。

フィード「おい、取引頼まれてくれねーか」

男は黙ってフィードを見た。

フィード「チップは向こう持ちだ」

エオル(……んん? ……取引? チップ??)




「あの……こ、困ります」

女の困ったような声に、反射的にエオルは顔を向けた。

「おいおい、ねぇちゃん、こんなところでお一人かい?」

あきらかに酔っぱらっている男に、女が絡まれている。

エオル「大変だ!助けなきゃ!」

エオルが仲介に入ろうとしたが、フィードはそれを制止した。

フィード「やめとけ、ここで他人にかまうな。厄介事になる」

エオル「でもだからって……」


ドガシャァン!


よっぱらいに突き飛ばされた女はテーブルにぶつかり、料理や酒ごとテーブルをひっくり返した。

エオルは背中の剣に手をかけた――次の瞬間


グシャ!!


よっぱらいの顔から、グシャリと潰れたクレープが滴った。よっぱらいはカウンター付近の銀髪に目をやった。フィードはよっぱらいを指差し、怒鳴った。

フィード「食いもん粗末にすんなーーーー!!」

エオル「お前だーーーーー!!」

よっぱらいは顔のクレープを手で拭うと、思い切り床にたたきつけ、フィードに向かってきた。

「てめぇみてぇなひょろひょろのモヤシがよくも……」


ガシッ!


エオルはよっぱらいの手首を捻りあげた。

エオル「彼女に謝って、ここから出て行ってもらおうか」

よっぱらいは激しく抵抗しようとしたが、びくともしない。しかも、金髪の男の胸元に光るバッヂを見、一瞬で酔いがさめた。

「ま、魔導師!! ……せ、先生でございましたか!!」

よっぱらいはエオルから解放されると、慌てて女に謝罪し、逃げるように店を後にした。

その時、エオルは違和感を感じた。店の誰一人として、たった今の出来事がなかったかのようだ。


女がフィードとエオルの元にやってきた。

「あの! 助かりました! ありがとうございました!」

女は二人の魔導師にふかぶかと頭を下げた……が、エオルは女のその装いに目を疑った。


漆黒の艶やかな髪をあご下あたりの長さで切りそろえ、足もとまで伸びた長い袖、帯で締め上げる独特の巻き衣装、親指と他で分たれた靴下に、あわせて親指で分たれた藁のサンダル。


本や写真でしか目にしたことはなかったが、まさか……。エオルは周囲に聞かれぬよう声をひそめて尋ねた。

エオル「君……まさか、ジパング人?」

フィードがすかさず質問した。

フィード「お前、このヘルメット女と知り合いか?」

女「わたくしのこと、何か御存じなのですか? よろしければ教えていただけませんか!」

フィード「……」

エオル「……」

二人は女を見つめた。





三人は適当に軽食を注文し、空いている席についた。

女「先ほどはご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」

女は深々と頭を下げた。つられてエオルも「いえ、そんなこと……」と頭をさげた。

女「わたくし、『染井よしの』と申します」

フィード「ソメー?」

エオル「ジパングの名前って確か名前が後だったんだよね? だから……ヨシノさんだよ」

よしの「はい……それで、その……わたくし、何もわからないんです」

エオル「?」

フィード「?」

よしの「気がついたら……立っていて……わかるのは"名前"と、"しなくてはいけないこと"だけなのです」

エオル(記憶喪失ってこと!?)

フィード「しなきゃなんねぇことってなんだよ」

よしの「それは」


ガシャンッ!


カウンターのスキンヘッドの男が注文していた料理を乱暴にテーブルに乗せていった。料理を並べ終わると、テーブルに両手をつき、エオルに厳つい顔を近づけた。

「"そのバッヂ"を付けてここにくるってことは、あんたら、この頃話題の『W・B・アライランス』さんだね」

エオル「話題!?」

エオルはかすかに胃の奥がムカムカした。男は仰々しくオーバーなリアクションをとってみせた。

「そりゃあ話題だとも! 天下の魔導師先生が、魔導師裁判所セイラムも恐れず、犯罪組織立ち上げたんですから」

男は再びエオルに顔をよせ、低い声で言った。

「だがな、裏社会では新米ペーペーだ。いいか、この店でのルールはただ一つ“無関心”だ。でなきゃ、長くねぇぞ」

フィードが頭の後ろで手を組み、ニヤリとした。

フィード「てめーもな。このおせっかいジジィめ」

男はフィードをジロリと睨むと、無言のままカウンターへと戻っていった。よしのは申し訳なさそうに俯いた。

フィードはその様子を見、一言「いいから続けろ」と言い、ガツガツと料理を食べ始めた。よしのはエオルに目を向けた。

よしの「その前に……あの、先ほど、わたくしのことを"ジパング人"だと仰っていましたが、その"ジパング人"というのは……?」

エオルは困ったようにフィードを見た。フィードがその視線に気づいてか気づいていないか、好奇心あふれる視線をエオルに向けた。

フィード「そうそう、俺様もちょうど気になってたんだ。なんなんだ、そのジャングルジムってのは」

エオルは呆れ果てた。

エオル「ジャングルジムじゃなくて"ジパング人"! てか……君よくアカデミー卒業できたね?」

フィード「試験は全部一夜漬けでパスしたからな。一晩寝たら、全部忘れる」

エオルは深く長いため息をついた。水を一口ふくむと、指を組み、テーブルに寄りかかった。

エオル「どこから話せばいいのか……とりあえず二人とも、『神使教』は……わかるよね?」

フィード「なんだそりゃ」

よしの「申し訳ありません。存じません」

エオル「えぇーーっ!? そこからぁ!?」

エオルは、今度は短いため息をつき、ゆっくり話し始めた。

エオル「『神使教』っていうのは、世界で最も普及している宗教だよ。どんな宗教かって言うと」

フィード「あーあーあー! そんな注釈はどうでもいい」

エオル「違うって! ここが一番大事なとこ! ……てか、君、ほんとに知らないんだね……で! どんな宗教かっていうと、簡単に言ってしまえば、

    "人の運命は受け入れる"、"自然回帰のスローライフ!"、"神のもたらすもの、すなわち自然をありのままに受け入れ、共存する"、そんな宗教」

フィードは面倒くさそうだと言うように顔をしかめた。

フィード「そりゃあつまり……」

エオル「そ! 悪魔の力を借りて、自然の力を操って豊かな生活を送る俺達魔導師とは、相反する思想を持っていて、魔法の恩恵にあずかっている人々と対立してる」

フィード「俺様たちを敵視してるわけだ」

エオル(……おれたち魔導師もね……)

エオルはよしのに視線を向けた。

エオル「ここまでは大丈夫かな? よしのさん」

よしのはあまりわかっていなさそうに頷いた。エオルはそういえば、と話を少し切り替えた。

エオル「よく考えたら、よしのさん、魔法とか、魔導師とか……よくわからないってことだよね?」

よしのは申し訳なさそうにエオルとフィードを見た。

よしの「はい……お二方はその……マドウシなのですか?」

エオルはよしののあまりにかしこまった様子にクスクスと笑った。

エオル「そんなにかしこまらなくていいよ! たとえば」

エオルは酒場の天井の明りを指した。

エオル「この明りも」

次に、エオルはカウンターを指した。

エオル「蛇口から安全な飲料水がでるのも、調理の火が簡単につくのも」

そして、エオルはフィードとよしのを交互に見た。

エオル「俺達のような、違う国の者同士に言葉の壁がないのも、みんな、魔法の力のおかげなんだよ」

よしのは不思議そうにまん丸の黒い瞳をエオルに向けた。

エオル「普通に生活してると当たり前すぎて、なかなかその恩恵に気づけないけどね」

エオルはにこやかだった顔を引き締めた。

エオル「……この便利が当たり前な生活の反面、俺達はこの大地を傷つけてもいるんだ」

よしの「大地を……傷つける?」

エオルは頷いた。

エオル「魔法の力っていうのは、人が悪魔からもらっている力なんだ。もらっているからには代わりに何かをあげなければいけない」

よしの「なにか……?」

エオル「一般的には、悪魔が欲しいのは人の体か魂」

よしの「た、魂!? 魔法とはそんなに危ない力なのですか!?」

エオルは笑った。

エオル「いやいや、さすがにそのまま魂をあげたりしないよ。魔法を使う免許を持っているのが魔導師なんだけど、魔導師は人の体や魂に代わるものを悪魔にあげているんだよ。

    それが、魔導師が体の中で作る"魔力"っていう対価。そして、その"魔力"を作る元となるのが大地の気"マナ"。つまり、神使教風に言えば、大地の魂を削って悪魔に渡しているんだ」

フィード「……個人で使う分には微々たるもんだけどな、世界中の人間の世話すんには莫大な量がかかるってこった」

フィードが爪楊枝をさしながら、付け足した。

エオル「そう……って、フィード! 俺らの分のご飯は!?」

テーブルいっぱいに並べられた皿はきれいに空になっていた。

フィード「てめーがちんたら話してっからだろ。さっさと結論話しやがれ」

エオル「もー! 君がわかってても、よしのさんはわからないことだらけなんだってば!! ……ごめんね、よしのさん」

エオルは注文を取り直した。

よしの「……申し訳ありません……きっと世の中でみなさんは知っていて当然のお話ですのに……」

二人の魔導師はぎょっとした。よしのの目に今にもこぼれんばかりの涙がたまっていた。

エオル「いいいいやいやいや! 別によしのさんを責めてるとかじゃ……! ねえフィード!」

フィード「まったくだ。被害妄想も大概にしとけよ」

エオル「妄想って……フィードォーーーー!!!」


……クスリ……


二人は再びよしのを見た。よしのは手で口を覆い、クスクスと笑っている。

フィード「ホレ見ろ、泣いちまったじゃねーか」

エオル「笑ってるんだよ!」

よしの「クスクス……はぁ、笑ってしまってすみません。お二人のやりとりがあまりに面白くて……」

二人の魔導師は泣いたり笑ったりとクルクル表情の変わる女の子に訳が分からずきょとんとした。

よしの「すみません。わたくしは大丈夫です。ありがとうございます。エオル様、お話の続きをお願いしてもよろしいでしょうか?」

エオル「あ……あぁ、そうだね! ごめんごめん! 魔法が大地のエネルギーを使って人々の生活をよくしているってことはなんとなくわかってもらえたかな?」

よしの「はい。神使教……?が魔法……?と対立するのは、魔法が大地の力を使っているから……ということでよろしいでしょうか?」

エオル「まあ、だいたいはね! もっと強めに言うと、神使教は魔法の必要のない、神使教徒のような自給自足のスローライフへの転換を"こちら側"の世界に要求していて、

    こちら側、つまり"魔法圏"の人々――主に魔導師協会っていう魔導師を管理しているところは、今さらみんながこの便利な生活から抜け出すのは難しいって主張している。

    ……一応協会も魔法圏の人に『省マホ』とかうたってるけど……要するに、魔法圏と神使教は意見が真っ向から対立してる。ここまでが基本」

フィード「で?」

エオル「長くなったけど、ここからが本題! 神使教ってのは、全世界に広まっていて、たくさんの分派があるらしいけど、それらの総本山が神使教国家『ジパング』!」

フィード「なるほど、魔導師の総本山が協会なら、"向こう"はそのジパングって国がそうなわけだ。」

エオルは強く頷くと、よしのを見た。

エオル「……ジパング人の特徴は黒髪に黒い瞳なんだ。

    そして、よしのさん、君を見て俺が驚いた理由、それは、ジパングは魔法圏との対立を理由に、すべての国との国交を断つ"鎖国"という政策を実施している。

    特に、ジパング国内ではジパング人の出国はご法度らしい。だから、よしのさん、君は本来ならここにいるはずがないんだ」

フィードは「ん?」という顔をした。

フィード「ちょっと待て、魔導師にもジパング人はいるじゃねーか」

エオル 「あぁ……"あの2人"……。あの2人は特別な事情があるらしいよ。それは置いておいて、」

フィードは「もうひとつ」と手を挙げエオルの言葉を遮った。

フィード「すべての国交を断つって、国外の神使教徒はどうすんだよ」

エオル「あぁー……なんか、年に1回くらい巡礼の時期だけ国を開けるとかなんとか……」

フィードは何かを考えるように唇に親指を当て、黙り込んだ。

エオル「それより、よしのさん!」

エオルはよしのの異変に気がついた。

エオル「よしのさん……?」


―――自分はここにいるはずがないのにここにいる


よしのはどうしようもない不安で吐き気に襲われた。俯き、肩をこわばらせ、理解できない現実から守るように両手で頭を抱えた。

エオルは席を立ち、よしのの横で膝をつくと、よしのの両肩に力強く手を置いた。

エオル「よしのさん、君は記憶をなくしてしまったけど、2つだけ、覚えていることがあるんだよね」

よしのは、エオルに答えようと、不安と戦いながら、震える声で答えた。

よしの「……名前と……しなくてはいけないこと……」

エオルは深く頷き、ゆっくり語りかけた。

エオル「その、『しなくてはいけないこと』に、よしのさんがここにいる理由が関係していると思うんだ」

エオルは優しく微笑んだ。

エオル「よければ、話して?」

フィードは黙って、エオルとよしのを見つめていた。

よしの「……」

よしのは浅い記憶を辿るように遠い眼をし、ゆっくり話し始めた。

よしの「……私のはじめの記憶は……」




一面に広がる砂

太陽の光

雲ひとつない青空

耳元でゴウゴウとなる風の音

まるでよしの自身ももその景色の一つのように、ぼうっと、ただ立っていた。




しばらくして、太陽の暑さで、じんわりと汗が吹き出すのと同時に、徐々にと体の感覚が"戻ってきた"。


そうして、体の感覚が完全に戻ってきたところで、気がついたように、初めて周りを見渡した。

右も左も後も、すべて砂。視線を元の位置に戻すと、10歳くらいの少年が立っていた。


少年は自分のことを「チェシャ猫」と名乗り、この町の方角を指差した。




エオル「チェシャ猫?」

よしの「はい、このくらいの……」

よしのはしゃがんでいるエオルの頭の高さで手をひらひらとさせた。

よしの「男の子でした。チェシャ猫さんはわたくしの名前と、これからすべきことを教えてくれました。

    そして、自分の指さす方向に歩き続けると、この町があり、このお店の場所と、入り方を教えてくれました。ここのお店にいる方を頼れと……」

エオルとフィードはよしのの話に不気味さときな臭さを感じた。よしのはうつむいた。

よしの「けれど、どの方もわたくしを見るなり、“ジパング人だ”と避けたり、怒鳴ったり…」

よしのはすがるようにエオルを見た。

よしの「……わたくしは……あなた方を……信じてもよいのでしょうか?」

言われた瞬間、エオルの脳裏に店主の言葉がよぎった。


――― ルールはただ一つ、「無関心」 ―――


「信じていいのか」という問いかけが、《彼女の今後を、人生の一部を、心を、信頼を背負う》冷たい鉄のかたまりがのしかかったような感覚にさせる。

たった今出会ったばかりなのに、自分たちはお尋ね者なのに、こんなこと、容易に約束できるものではない。優しさや親切のつもりが、なんとも中途半端なおせっかいだったのだ。

エオルはよしのの視線に耐えきれず、目を逸らそうとした―――その時

フィード「おう! いいから、その『しなきゃなんねーこと』さっさと話せ!」

全くいつもの軽い調子。これはいつもの悪ふざけやいたずらでどうこうしていいものじゃない。エオルはフィードにくってかかった。

エオル「君ね……」

フィード「おめーに話しかけたんじゃねーよ。よしの、おめーが俺様らを信じていいのかどうかってのは、俺様らがおめーを信じても大丈夫かどうかってことだ。

     んでもって、俺様らがおめーを信じられるかどうかは、おめーの、その『しなきゃなんねーこと』次第だ」


エオル(確かにそうだ……)


“こいつは何も考えてない”


フィードに対して、そう思った自分を、エオルは恥じた。同時に、同期であるフィードを頼もしく、そして眩しく感じた。

フィードの強く、そしてまっすぐ自分を見つめる瞳に、よしのはどこか安心感を感じた。この方なら、きっと信じてもいい。なぜか不思議とそう思えた。

よしの「……取り乱したりして、申し訳ありませんでした」

よしのは笑ってみせた。


フィードはよし、と手を叩いた。

フィード「なら、とりあえず、宿行くか! こんな人多いとこでする話でもなさそうだしな」

エオル「え……でも、あったばかりで宿連れてくって……女の子的に……」

よしの「はい! よろしくお願いいたします!」

エオル「……」





コンコン!


調理中だった裏ギルドの店員は、カウンターをたたく音に顔を上げた。その目の前には男が一人。


男は短めのつんつんとした頭頂部、えりあしが首元まである鳶色の髪に、灰色の、目つきの悪い釣り目、そして、顔の正面から見て右上から左下にかけて、大きな切り傷があり、屈託のない笑顔を向けていた。

男「おっちゃん! ちょっと聞きたいんだけど」

店員は、男が来ている独特のデザインの真っ赤な衣装と肌の色を見、すぐにどこの人間か理解した。

店員「"桃花源"の人間イエローモンキーがこんな所に珍しいな。観光地の道聞くなら、ほかの店にしな」

男はわざとらしく慌てながら笑った。

男「違うって! あのさ、銀髪赤目で黒づくめの魔導師が何か持ってきたと思うんだけど、聞いてない?」

店員は男の胸元を見た。魔導師の着用義務であるバッヂは、ない。

男「なんだい、ここでは"無関心"がルールじゃないのかい?」

男はにっこりして、店員の目線に自分の笑顔を持ってきた。

店員「……」

店員は奥から大きな麻袋を持ってきて、ドサリ、と男の前に置いた。

男「サンキュー♡ んじゃあさ、後でそいつ、もっかいここ来ると思うんだけど、これ渡しといてくれる?」

男は布に包まれた長方形の包みを手渡した。これまでこうした闇の取引の仲介になったことは何度でもあった。

しかし、今回は別。直接魔導師が絡んでいるうえに、まったく別大陸の胡散臭い男が、わざわざこの大陸で取引に来ている。体の奥の本能的な直感が、関わるのはやばい、と警鐘を鳴らしている。

男は店員の様子にを見、屈託なく笑った。

男「あ! 大丈夫だって! ちゃんとお礼! ほい、これチップね」

とチップを包みの上に乗せ、店員の手に包みごと握らせた。男はそのまま人懐っこい笑顔で「どーもね~!」と大きく手を振り、麻袋を手に、店を去って行った。




裏ギルドから近くの適当に見つけた安宿。部屋を2つ取り、そのうちの一室に3人はいた。

エオルとよしのは部屋の備え付けの椅子に腰掛け、フィードはベッドにごろりと横になっていた。エオルはあきれた視線をフィードに向けた。

エオル「フィード! 人の話を聞く態度じゃあないでしょう!」

フィード「まあ、気にすんなって~! 俺様のことは空気とでも思っとけ!」

エオル(絶対店から移動したのはゴロゴロしたかっただけだ!)

よしの「あの、私は気にしませんので、どうぞお気遣いなく」

エオル「よしのさん……」

よしの「どうぞエオルさまも!」

エオル「……僕はいいです……それより本題!

    君は気づいたら砂漠のど真ん中に立っていて、"チェシャ猫"と名乗る男の子に、自分の名前と、これから自分がしなきゃいけないことを言い渡された。まとめると、こんな感じだよね?」

よしのはゆっくりとうなずき、椅子から立ち上がった。

よしの「わたくしは"これ"をすべて集めて、完成させるよう、言われました」

すると、よしのの足元から風が巻き起こった。そして、よしのの胸あたりの高さに、よしのを囲むように、拳ほどの大きさの白い光の球体が4個現れ、やがて、光と風は収まった。

光を放っていた球体は、赤や青など、一つ一つ別々の色をしており、その中には太い黒字のマークが浮き上がっている。

フィードは体を起こした。

フィード「なんだこりゃ? 魔導師専用道具……にしちゃあハデだな」

エオル「これは……まさか!」

よしの「エオル様! 御存じなのですか!?」

よしのがエオルに近づこうとして、よしのの周囲に浮かんでいる球体の境界にエオルの髪の一部が触れた瞬間、


バチッ!


エオル「うわ!」

よしの「きゃ!」

境界に触れたエオルの髪は火花とともに、はじかれ、煙を上げた。

エオル「うわわわわわわ」

よしの「あわわわわわわ」

フィード「おー! バリアになってんのか、それ。つーか、何やってんだよ、おめーら」

その時、よしのの周りの球体の1つが青く輝きだし、球体たちが横へ滑るように回転し、青く光る球体がよしのの正面にきた。


カッ!


青い球体はフラッシュし、青かった色は灰色の石になった。かわりに、よしのをぐるりと囲み、水でできた竜が鎌首をもたげ、エオルを睨みつけていた。

エオル「え……何! 俺!?」

フィード「まさしく、蛇に睨まれたエオル」

エオル「それをいうなら、カエルでしょ!」

よしの「あなたは……」

水でできた竜はエオルに猛烈なスピードで体当たりしてきた。エオルは思わず体をこわばらせた。

しかし、竜はエオルの煙を出していた髪の先っぽをかすめ、再びよしのの周囲でとぐろを巻いた。エオルの髪から出ていた煙は消えた。そして竜はよしのに視線を落とした。

「あわれな……」

竜はつぶやくと、白く輝きだし、元の球体に収まっていった。球体は元の青い色を取り戻した。


しばしの沈黙。


よしのはぽかんとしていた。

エオル「なに……今の……」

フィード「ウハハ! おもしれー! おい、よしの! あれなんだ?」

よしのは名前を呼ばれてハッとした。

よしの「あ……はい、なんでしょう」

フィード「……なにじゃねーよ。今の何なんだって聞いてんだよ!」

よしのがうつむいたのを見、エオルは慌てた。

エオル「フィード! 女の子に対して言い方ってもんがあるでしょう」

よしの「それが……わたくしにもさっぱり……」

エオル(あ……気にしてないのか……)

フィードは眉根を寄せた。

フィード「? なんでお前、その球出せたんだよ?」

よしの「これは……"チェシャ猫さん"からお預かりしたものなのです。これの残りの宝珠を集めるようにと頼まれました。……それだけなんです……」

エオル 「チェシャ猫さん……か」

フィード「そういや、当のチェシャソイツはどこいったんだよ?」

よしのは困ったわと、頬に手をあてた。

よしの「それが……この町の方角を指差された時に、その方向に顔を向けているうちにいなくなられてしまって……」

エオル「え……砂漠のど真ん中で!?」

なにかまずいことを言ってしまったかという顔で、よしのはこくりと頷いた。エオルは腕を組んだ。

エオル「……どう思う?」

フィード「面白いと思う」

エオル「違うでしょーーーー!? 本人こんなに不安そうにしてんのに!!」

よしの「あわわ……どうか喧嘩はおよしになって……」

エオル(うっ……)

   「け、ケンカじゃないんだよ、これは……」

フィード「よしのー! コイツが俺様のこといじめるー!」

よしの「エオル様!」

エオル「ちがーーーう!!」

フィードは真顔になった。

フィード「まぁ、とりあえず、よしの、お前の把握していることはわかった」

よしのは身を引き締めた。

よしの「はい」

フィードはニヤリ、とこれから何か悪いことを始めるかのように笑った。

フィード「おもしろそうだから、つきあってやんよ」

よしのは一瞬手で口を覆い、気がついたように深々と頭を下げた。

よしの「ありがとうございます!!」

エオル(あれ? W・B・アライランスの活動はもういいのかな?)

フィード「とりあえず、それ以外のお前の情報を集めるために……」

エオルはものすごく嫌な予感がした。




フィード「次の目的地はジパングにする」


エオル「何言っちゃってんのーーーー!?」

フィードはやれやれとため息をついた。

フィード「だから、次の目的地……」

エオル「それはわかった! でも、魔導師の敵の真っ只中に行くなんて、あまりに無謀で非現実的だよ!」

フィード「そら、魔導師語ってジパング入りゃあ、フクロにされるわな。ようは、魔導師だってばれなきゃいい」

エオル「どうやってさ!」

フィード「どうって、バッヂ外すだけ。」

フィードはコートの魔導師のバッヂを付けているあたりをひらひらさせた。エオルは憤慨した。

エオル「なっ! 魔導師のバッヂの着用義務は絶対なんだよ! なんで絶対か、忘れてないよね!?

    魔導師基本法第1条の1項! 魔導師は力を持っているからこそ公私にわたって社会的に監視される必要……」

フィードは笑いだした。

フィード「お尋ね者の俺様らには関係ねぇ話だ。だいたい、プライベートでもクソ真面目にに着用義務守ってるやつなんざ、いやしねーよ」

エオルはあきれ果てた。

エオル「いや、みんなちゃんと守ってるよ……第一、ジパングって鎖国中じゃない! しかも、島国! どうやって行くってのさ!」

フィード「年一回巡礼の船が出てんだろ? とりあえず、そこの場所と時期を調べてから、どうするか考える」

エオル「そんな無計画な……」

フィード「旅なんてそんなもんだろ」

エオル「旅に出て数日で、何旅語っちゃってんの……」


よしの「あの……」


よしのは今にも泣きだしそうな、申し訳なさそうな様子で二人の魔導師を見た。

よしの「本当に申し訳ありません……わたくしのせいで……わたくし、やはりこれ以上ご迷惑は……」

エオルはよしのをまっすぐ見据えた。

エオル「よしのさんが自分を責める必要なんて、どこにもないんだよ! 第一、それで俺たちの議論がどうこうなるってわけでもないし、よしのさんがいい方向に向かうとも思えないな。

    不安なんだよね? 俺たちの力が必要なんでしょう? よしのさんが落ち込むことなんて何一つないよ」

フィード「そーそー! "ちゃっちゃと折れろよこの金髪豚野郎"とでも言っとけ」

エオル「……それは違うでしょ! でもまあ」

エオルは軽く溜息をついた。

エオル「確かに、よしのさんの謎を追うには、そこからしかなさそうだね」

フィード「決まりだな」


フィードはベッドから立ち上がった。

フィード「じゃあ、そーゆーことで! 俺様、ちょっと散歩がてら情報集めてくっから」

エオル「え?」

よしの「でしたらわたくしも……」

フィードはよしのを見た。

フィード「さっきおまえが絡まれてた店行くんだよ。あの辺はどうも反神使教の過激派の集まりみてぇだし、またジパング人云々で騒ぎになったら面倒くせぇだろ」

フィードはエオルにチラリと目線を送った。

フィード「それより、あの店のくせぇ飯食ってベロが気持ちわりぃから、うまい飯食いてぇ」

よしのの目が輝いた。

よしの「はい!! 承りました!!」

エオル(……あの店じゃなくても、魔法の恩恵にあずかっている人たちはみんな神使教をよく思っていない。

    結局宿の外へ出たら同じ気がするんだけどなぁ……よしのさんが嫌な思いをせずに食事ができる良い方法があればいいんだけど……)




日が傾き、人々の影が伸びてきた。昼間、メインストリートに軒を連ねていた色とりどりのバザールは、屋台に様変わりし始め、ランプがぽつぽつと灯り始めた。

昼間とはうって変わって、ひんやりとした風がメインストリートをそよそよと通り抜け、よしのの袖がふわりと舞った。よしのは、隣を歩くエオルを見上げた。

よしの「フィード様は、どのようなお食事を好まれるのでしょうか?」

エオルはハハ、と笑った。

エオル「あの人、肉さえあれば何でもいいと思うよ。ただ、手持ちあんましないしなぁ……安い店でパパッとすませちゃう感じにしよっか! ちょうど屋台も出始めたし」

よしの「……」

エオルはハッとして、うつむくよしのを見た。

エオル「あ……女の子ってあんまし屋台とか……アレだよね」

よしのは顔を上げた。

よしの「エオルさま! 差し出がましいようですが、一つ、お願いを聞いていただけませんか?」






カーシーの町に月が昇り、メインストリートはランプの明かりと屋台の活気であふれていた。


エオル「ただーいまー!」

エオルが部屋に入ると、フィードがベッドの上でゴロゴロしていた。

フィード「おせーぞ! 今日の飯決まったか?」

エオルは二コリとした。

エオル「まぁ、その前に情報展開頼むよ。どーせ君、食べたら眠くなるでしょ」

フィード「ちっ」

フィードは世界地図を広げた。

フィード「今どーこだ」

エオルは地図の左下の卵型の大陸の中央より少し上あたりに人差し指をつけ、顔を地図に近づけた。

エオル「マーフの……」

指がわずかに右へ動き、やがて止まった。

エオル「あった! カーシー!」

フィード「へー! 今そこかぁ」

エオル「……調べさせたのか……」

フィード「巡礼船は5か月後、ここからだとファンディアス国のファリアス港から出るのが一番近いんだとよ」

エオル「……それはつまり、この大陸からは巡礼船はでないと?」

フィード「おう」

エオル「……ファンディアスのファリアス港って……」

エオルは地図の左上のカギ形の大陸の右下部分を指差した。

エオル「ここまで5か月か……余裕がないってわけでもないけど、かわいげのない距離だね……」

フィード「しかも、時間がたてば追手も厳しくなるだろうから、ルートも狭まってくるぜ」

エオル「せめて最短距離でこの大陸からは出た方がよさそうね。しかし船か……もれなく協会の監視つきだろうね。神使教徒ばかりの巡礼船はバッヂ外すだけでどうにかできても、こればかりは……」



※大陸間をつなぐ主要交通機関である船には、安全な運行のため、風魔法を使う魔導師が常駐している。



フィード「俺様に考えがある」

エオル「またどうせハイジャックとか言うんでしょ。そんなの、陸についた時点で待ち伏せされるに決まってるじゃない」

フィードは不敵な笑みを浮かべた。

フィード「俺様は公共交通で行くなんて一言も言ってねーぞ」

エオル「……はい?」


ドアをノックする音。

よしの「失礼してもよろしいでしょうか」

エオル「あ、ああ! 今開けるよ!」

エオルがドアを開けるとよしのがカートを押して入ってきた。

同時に、食欲をそそる香りが部屋を満たした。

フィード「……ん?」

よしの「これからお世話になるので、お礼の意味も含めて夕餉を作らせていただきました。お口に合えばよろしいのですが……」

カートから、美しく調理されたバザールの鮮やかな食材が、備え付けの味気ないテーブルを彩った。

エオル「ここの調理場借りたんだ。……魔導師のバッヂって、こういうとき便利だね」

エオルはいたずらっぽく笑ってみせた。


3人は席につき、少し遅めの夕食を取り始めた。

エオル「ジパング風っていうのかな? 食べたことない味付けだけど、とてもヘルシーで美味しいよ。ありがとう! よしのさん」

よしの「よかった……光栄です。それで、これからどうされるのですか?」

エオルはフォークとナイフを置き、口をナプキンでぬぐった。

エオル「まだちょっと大まかなことしか決まってないんだけど、とりあえず、さっきの買い出しで旅の準備はだいたいできたから、明日は朝一で出発かな」

フィードが料理をかき込みながら付け加えた。

フィード「行先だが、とりあえず、方角的には北西な」

エオル「おおまかすぎだろ……しかも北西って言ったら“砂の大河”じゃない! わざわざそんな危険な道通らなくても……理由は?」

フィードはスプーンを口にくわえ、テーブルの端に地図を出し、カーシーの町の北側を指差した。

フィード「"砂の大河"の西端……つまりこの町の北は"大砂瀑布"とかいうでかい砂の滝になってるらしい。大河を避けて北に出るには、その“段差”分余計な遠回りになるからな。

     ライエルみたく、十分な交通手段があればいいが、足がつくからなるべく使いたくない。その流れで砂漠歩きで渡ってどんな目にあったか、忘れてねーだろ」

エオル「確かに……危うくミイラになりかけたね……つまり、足がつかずに北に出るには、最短距離しかないってことか。まぁ、よしのさんは俺達が守れば問題ないしね! で、北を目指すってことは……」

エオルは現在の大陸「ムー大陸」の北端を指した。

エオル「サラム国の海側の町に出るってのがとりあえずの目標ってわけだ」

フィード「ま、そーゆー計画。海側のどの町に出るかは状況次第で、とりあえず間近な目標としては、"砂の大河"の川岸に、モンスターハンターたちのキャンプ地ができてるらしいから、そこな」

エオルは怪訝そうな顔をした。

エオル「……ハンターたちのキャンプ地? 大丈夫? さすがにその辺にはお尋ね者の顔が割れてそうだけど……」

フィードは耳に小指を突っ込んだ。

フィード「まあ、なんとかなるだろ。なんでも、ハンターたちが資金稼ぎのために一般人を対岸に渡すサービスをしてるんだと。

     あのでかいレモラの群れを一匹一匹なんとかするより、これを利用しねぇ手はねぇ。」

エオルは苦笑いした。

エオル「ハハ……賞金首魔物クリミナル・モンスターを倒すためにキャンプはっといて、資金稼ぎねぇ……ミイラ取りがミイラってやつ? ま、お金の無さは人のこと言えないか」

フィード「ん!」

フィードはポケットの中から長方形の包みを出し、エオルの前にドサリと置いた。

包みの中身を開け、エオルは驚いた。

エオル「さ……札束!? この間のレモラの鱗……まだ売ってなかったと思ったけど……?」

フィードは悪びる様子もなく、爪楊枝をさしながら答えた。

フィード「タクニから奪った魔導師専用道具をあるスジに売った」

エオル「はい?」

フィード「……安心しろ、よきにはからってくれるはずだ」

エオル「し……信じられない……それでも魔導師!?」

フィードはだるそうに頬杖をついた。

フィード「大丈夫だっつってんだろー? レモラの鱗とかは別大陸のが高くつきそうだから、まだ売らない。当面の軍資金はソイツで何とかする方向で」

エオル 「……」

よしのが両手を合わせ、うれしそうな声をあげた。

よしの「まぁ! こんなにたくさんあったら、しばらくはご飯にも困りませんね!」

エオルは無理やり笑顔を作り、泣きそうな声で答えた。

エオル「ハハ……そうだね……」



夜が更けてゆく。





パンゲア大陸 ヴァルハラ帝国北東部 グラブ・タブ・トリップ魔導師協会管轄地区 魔導師協会総本部 ――バベルの塔


広大な森の中にひょっこりと天まで届きそうな高い塔が突出している。

その最上階。

コンサートホールのような高い天井。鏡のように磨かれた床。


カツンカツンとヒールの音が、真夜中の静まり返った塔の上から下まで鳴り響き、進む方向の少し前の燭台が、自動的に灯をともしてゆく。

魔導師養成学校アカデミーの教師、マリア・フラーレンは、パーマがかったブロンドの長く美しい髪から冷めた湯を滴らせ、湯ざめせぬよう肩からショールをかけ、しかし急いだため、ショールが必要ないほど体は火照っていた。


最上階の奥の部屋の重厚な扉が目に入ると、マリアは歩くスピードをさらに早め、思い切りドアを押しあけた。





鏡のようなタイル張りの床、豪奢な彫刻が施されたはるか高い天井、塔の支柱がむき出しになっている壁のない見晴らしの良い窓、円形の塔の半分を占める、半円形のだだっ広い集会ホール。

その窓際には、真赤な髪に色黒の肌、穏やかな笑みをたたえた50代くらいの男、2メートル以上はある犬の姿をした、体格のよい犬人間、そして、ロッキングチェアに揺られた、小さな老人。


マリアは眉根を寄せた。

マリア「ちょっと! スペリアル・マスターはあんたたち二人だけ!? ほかの連中何やってんのよ! かわいい教え子の非常事態じゃない!」

マリアはプリプリしながら赤髪の男と犬男の間に歩を進め、赤髪の男の背に手をあてた。

マリア「ユディ、はっきりとした情報がないからまだ何とも言えないけど、現状について、心中察するわ。でも、あなたまで疑ったら、シャンドラはすべてを失ってしまう。気を確かに」

ユディと呼ばれた赤髪の男―――ユディウス・ラークは微笑んだ。

ユディウス「ありがとう、マリア」


「フン、あの問題児は絶対何かしらやらかすと思ったぜ」

犬男は鼻を鳴らし、嫌味っぽくマリアを見た。

マリア「ガルフ! あなた、自分の仕事を間違えてるんじゃなくて?」

マリアも犬男―――ガルフィン・フォーンを嫌味っぽく見返した。

マリア「警察トランプは疑うのが仕事! 私たち教師スペリアル・マスターは、信じるのが仕事! でしょう?」

ガルフィン「道を間違えないように指導するのも教師の仕事だがな」

マリアは柳眉を逆立てた。

マリア「ユディを責めているわけ!?」

ガルフィン「教師のあるべき一般論を述べたまでだ。」

ユディウス「まぁまぁ、二人とも、お茶でも飲んで、落ち着きましょう」

ガルフィンは肩をすくめた。

ガルフィン「本人がこれだ。一般論述べたところで、どうってことない」

ユディウスは三人のスペリアル・マスターの前で静かにロッキングチェアに揺られる小さな老人に視線を向けた。

ユディウス「会長、お茶を入れなおしてきましょう。もう少し待ったら、誰か来るかもしれないですし」

老人は手のひらを向け、制止した。

会長「エオル・ラーセンの当時の担当のキリスは知っての通り出張中じゃ。シャンドラ・スウェフィードが学生時代深く関わりがあったのはお前たちくらいじゃろう。

   ほかのスペリアル・マスターたちも多忙じゃ、この会の結果のみ知らせればよかろうて。まぁ、マリアは納得せんじゃろうがな」

マリアは頬を膨らませた。

マリア「当たり前です! ……でもまぁ、これ以上待つのは時間の無駄だというのはわかりました。協議を始めましょう」

老人はうなずいた。

会長「では、先日魔導師養成学校アカデミーを卒業したシャンドラ・スウェフィード、エオル・ラーセン二名による魔導師犯罪組織『W・B・アライランス』について、魔導師協会並びに魔導師養成学校アカデミーでの見解と対策を決定する。」

ユディウスが挙手をした。

ユディウス「見解は必要だとしても、対策は必要ないでしょう。あの子たちはもう一人前ですし、善悪の判別ができないはずがない。『トランプ』に、任せるべきだと、私は思います」

ガルフィン「な……それは待てユディウス!」

マリア「『トランプ』なんかに任せたら、有無を言わさずに即行『セイラム』にしょっ引かれるだけよ! きちんと理由や原因を究明して、同じことが起こらないよう、対策方針を打ち立てるべきだわ!」

ユディウスは微笑んだ。

ユディウス「二度と起こさせないための見せしめがあの『セイラム』でしょう? 対策というのは、それで充分だと僕は思います。

      あの子たちも、生徒たちも、卒業生も、こんなことをしたら当然『セイラム』にかけられるということをわかってますよ。それ以上、我々が何かを働きかけるのは単なる甘やかしです。」

マリア「甘やかしでもいいじゃない! かわいい教え子なのよ! 切り離すべき部分はもちろんあるけど、やっぱり、そうでない部分ってのが、あると思う!」

ガルフィンが挙手した。

ガルフィン「……こいつの感情論に、まんま賛同する気はないが……実は、ヤクトミが数日ゼミを休みたいと言い出してな。問い詰めたら、シャンドラを説得しに行きたいんだと。

      今回は前例がないケースの分、やはり生徒や卒業生たちへの影響も大きい気がする。マリア、お前のところの"シャンドラの仲良しグループ"のやつはどうだ?」

マリアは「その話に乗りたいとこだけど……」とため息をついて、肘を組んだ。

マリア「あの子はかれこれ2年も前に職についてるし、忙しくて協会のいざこざに構ってる暇ないですって!」

ガルフィン「……あのクソガキ……」

ユディウスはクスリと笑った。

ユディウス「まぁまぁ、アレスくんも事情があるんですし」


広間に、扉をノックする音が響いた。

「失礼します! ガルフィン先生!」

ふわふわの白い髪、黄色い三白眼、高い鼻に太い眉、尻からふさふさのしっぽをたらした青年が、紙を握りしめて、慌てて入ってきた。

マリア「あら、噂をすれば、ヤクトミちゃん」

ガルフィンは大きく裂けた口の端から牙をむき出した。

ガルフィン「ヤクトミ! 場をわきまえんか!」

ヤクトミ、と呼ばれた青年は、紙を握りしめた腕を大きく振り、息を切らして走ってきた。

ヤクトミ「すいません! でも、大変なんです! これ見てください!!」

ヤクトミは持ってきた紙をガルフィンに手渡すと、肩を大きく上下させ、その場に座り込んだ。ガルフィンはため息をつきながら、クシャクシャの紙を広げ、ユディウスとマリアは、ガルフィンの左右から紙を覗き込んだ。




紙を見た瞬間、ガルフィンは顔を背け、マリアは右手でこめかみを押さえるように眼を覆った。


ユディウス「……会長、W・B・アライランスから、新たな犯行声明が」


ヤクトミ(これだけはまずいぞシャンドラ! テメェ、一体なにしてやがんだよ!!)


ユディウス「……ジパング人を人質として、拉致したと」

ロッキングチェアの揺れが止まり、老人の顔が凍りついた。


短い沈黙の後、会長はゆっくりと口を開いた。

会長「……ヤクトミや」

ヤクトミは「はい!」と慌てて立ち上がり、姿勢を正した。

会長「これは『トランプ』にも伝わっておるかはわかるか?」

ヤクトミ「そこまでは……」

会長「そうか……ユディウスよ、その声明には、金品の要求でもあるのかの?」

ユディウス「いえ、今の内容がすべてですね」

会長「フム、ユディウス、マリア、お前さんたちはこの声明の範囲をお調べ。ガルフィン、ヤクトミにしばらく暇を与えてあげなさい」

ヤクトミは会長をまっすぐ見た。

会長「ジパング以外でジパング人に会うなどということはないはずじゃ、狂言の可能性も十二分にあるが、たとえ狂言であっても、事が公になれば、神使教との宗教問題、ひいては神使教が国教である国々との国際問題に発展しかねん。

   さらに、『トランプ』によって解決された事件は、魔導師協会の連盟国に詳細にわたって報告する義務が生じる。このままでは、神使教との摩擦はさけられなくなる。

   ヤクトミよ。シャンドラはマーフ国のカーシーの町で商隊のハイジャックをしたというのが最新の情報じゃ。ガルフィンは『トランプ』に顔が割れているゆえ、大出を振ってシャンドラたちを探させるわけにはゆかぬ。

   シャンドラを見つけ次第、ガルフィンに連絡しろ。お前たち二人がかりなら、楽に捕まえられるじゃろう」


老人は窓の外を見た。

会長「何としても、『トランプ』より先に捕らえて、『内々に収められること』だけは内々に収めるのじゃ。他のスペリアル・マスターたちと協会関係者へは、わしから連絡する。以上じゃ」

「ハイ!」



夜はさらに更け、また明日がやってくる。








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