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W・B・Arriance  作者: 栗ムコロッケ
プロローグ
2/72

2.the rule for freedom


うす曇り。

霧のような雲が、砂の海の照り返しを和らげている。

ムー大陸中部 観光国家マーフ 首都アートリーより東に60km


見渡す限り一面砂、砂、砂。

その中にポツンと2つの人影。


一人はうなだれ、スカイブルーのノースリーブのシャツはすでに乾いている部分はなく、腰まである金の髪からは雪解けのように水が滴っている。

汗でずれるのか、背中に背負った剣を、歩きながら何度も背負い直している。


もう一人は、短い銀の髪をさらさらとなびかせ、砂漠のど真ん中だというのに、涼しい顔でヘタクソな鼻歌を歌いながら、軽やかな足取り。

膝まである真っ黒なロングコートを軽やかにたなびかせている。


「……ねぇ、フィード……」

金髪が苦しそうに呼びかける。

フィードと呼ばれた銀髪は、くるりと後ろを振り返り、今にも溶けてしまいそうな相棒を見た。

フィード「なんだよエオル、情けねーな」

エオルと呼ばれた金髪は、恨めしそうにフィードを見た。

エオル「……君のほうが見るからに絶対暑そうなのに、何でそんな元気なの……」

フィードは意地悪な笑みを浮かべ、コートの中身を広げて見せた。

ひんやりと涼しい風が、エオルの顔にかかる。

フィード「このコートは冷暖房完備なのだ」

エオル「なにそれーーーー!!! ちょっ! 俺にも貸して!!」

フィード「ざけんな! 俺サマが暑いだろー!!」

エオル「俺はもう暑くて死にそうだよ!!」


360°、地平線の向こうまで砂の海。

徒歩での渡航は絶対不可能とされる

通称『across the null(何もない向こう)』




――― the rule for freedom(自由のおきて) ―――



「おら! とっとと歩け!」

いらついた男の声。

十数頭のラクダの群れ。

ラクダ、といっても、こぶの部分は皿のように広がっている、長距離渡航用のラクダ"のような"生き物である。

その天盤状のこぶの上には、布で覆われたいくつのも四角い箱が積んである。

そのようなラクダが列をなし、一頭一頭、列が崩れないように縄で繋がれ、ゆったりのったり砂漠を歩いていた。

その列の最後尾にはひときわ大きなラクダがおり、そのひときわ大きい天盤の上には豪奢なテントが建てられていた。

そのテントから聞こえてくる男のイラついた声に、先頭でラクダを操作していた者はびくりと慌て、ラクダたちをなんとか急かそうと促した。

しかし、マイペースなラクダたちは言うことを聞かず、相変わらず自分たちのペースでのらりくらりと歩き続ける。

「ちょっと! 動いてよ!」

先頭のラクダから降り、手綱を思い切り引っ張る。

だが、ラクダの列はびくともしない。

「動いてよ……お願い……」

テントから男が顔を出し、ラクダから降りてきた。



フィード「おい、水」

エオル「……もうないよ」

フィード「水筒のはな。お前の魔法はこういう時くれぇしか役立たねーだろ」

エオル「……それ……人にものを頼む態度?」

フィード「なんで俺様ら、乗り物なしで砂漠越えとかしてんだよ」

エオル「……君、お尋ね者の自覚ある? 乗り物なんて借りたら足がつくじゃない……」

フィード「あーーーーっ! もーーーーーーっ!」

フィードは歩みを止め、横たわった。

ボフッっとフィードのまわりに砂埃が巻き起こった。

フィード「ゲッフォッ! ゴホ……!」

フィードは慌てて上体を起こした。

フィード「…………………」

フィードはムスリとしてアグラをかいた。

エオル(あ……一人で勝手にへそ曲げた。こりゃ、動かないな……)

エオルは短く溜息をつくと、フィードの隣に立ち、呪文を唱えた。


エオル「浄水盤フィル・ディク!!」


とたんに、二人の目の前で、空中にグルグルと水が渦を巻き、それはやがて、円盤のように宙に浮いた水たまりを作った。


手のひらサイズの。


エオル「……」

フィード「……」


フィードに睨みつけられ、エオルは弁明した。

エオル「ここ……ちょっと水の精霊が少なすぎるよ……」


フィードはせきを切ったように手足をバタつかせ地団太踏み始めた。

フィード「疲れたのど乾いた汗かいた眠たい腹減ったーーーーーーー!!!」

エオル「俺はそれにプラスして焼けそうに暑いんだけどね……」


しばらくして、フィードも地団太に力尽き、辺りにどうしようもない沈黙が流れた。


エオル「……」

   (やっぱり、行先ばれてでも乗り物借りるべきだったかも……魔導師の身体能力ならなんとかなるかと思ったけど……

    砂漠をなめてた……!!)


フィード「……」

突然、フィードはガバッと起き上がった。

エオル「あ……そっか、いつまでもこうしてるわけにもいかないしね……」

フィード「シッ!」

フィードは人差し指を口にあてた。

エオル「……?」

フィードの視線の先に目をやると、遠くにうっすら何かの列が見える。

『商隊だ!!』

二人は目を輝かせて、遠くにうっすら見えるだけの商隊めがけ、全速力で走りだした。





「暑い」

テントに風が通らなくなった。

「おい」

ひとつ前のラクダに乗せてある、布のかけられた四角い箱に話しかける。

しかし、反応はない。

男は脇にあったグラスを箱に投げつけた。


ガシャン


グラスは箱に当たり、砕けた。

その大きな音に、ラクダの列が動揺する。

男は先頭のラクダを操作する者を睨みつけた。

背の低い、フードを深々とかぶったラクダの操縦者はあわててラクダの列を正そうとする。

「……お前もこいつみたく『箱行き』になりたいのか!」

ラクダの操縦者は血の気が引いた。

男がさらに怒鳴りつけようとした瞬間


「おーーい」


遠くからかすかに人の声。

声のした方角に目をやると、そこにはゴマ粒大の2つの人影。

(バカな……ここは砂漠のど真ん中だぞ!? 人がいるわけが……まさか!)

「おい! 列を止めろ! 魔物よけを巻いて、やり過ごすぞ!」



フィード「お! 止まったぞ! 体力振り絞って叫んでみるもんだなぁ!」

エオル「きみ……なんで叫ぶのに体力振り絞んなきゃいけなくなったか、自覚ある?」

フィード「ちんたらすんなっ! 急ぐぞ!」



影がどんどんはっきりしてきた。どうやら人間のようである。

「なんだ、人間か」

「そのようですね」

「出せ」

「え!? よろしいのですか?」

「この砂漠を生身でうろついてんだ。よほどわけありのバカか、隊が魔物事故にあったか……どのみち厄介だ。関わるな。」



フィード「ぬ!」

エオル「あ、あれ!?」

今まで止まってくれていたはずの商隊が再び進み始めた。

エオル「…よく考えたら、砂漠のど真ん中徒歩でうろついてるようなやつらなんて、怪しすぎるよね……現に俺達、お尋ね者だし」

フィード「この俺様を素通りするなど許さん」

エオル「は!?」

フィードは歩みを進める商隊の方角に手をかざし、呪文を唱え始めた。

エオル「コラァァァーーーーーーーー!!!」

慌てて止めるエオル。

フィード「何すんだよ」

エオル「と、とにかく! お尋ね者だってことは伏せて、自分たちの商隊が魔物に襲われて、命からがら逃げてきたってことにして、助けてもらおう!」

フィード「……と、みせかけて、ハイジャックするワケだな」

エオル「ち・が・う!」



――― 間 ―――



「おお! それはそれは! さぞ大変だったことでしょう!」

(チッ! この砂で……なんて足の速いやつらだ……ん?)

男はエオルの胸元に輝くバッヂを見た。

「!!! まさか……魔導師先生でいらっしゃいましたか! そうとは知らず、とんだご無礼を……」

エオル「あ! あぁ……いえそんな……お互い命がけの渡航ですし、警戒するのは仕方のないことです」

男は腰を低く、狭いところですが、とテントへ促した。

男は名をライエルといった。


商隊は再びゆっくりと動き始めた。





フィード「おー! 快適快適!」

エオル「ちょっ! フィード! 寝っ転がらないの! スペースとりすぎだよ!」

ライエル「ハハハ! いいのですよ。さぞお疲れのことでしょう」

エオル「……すみません……」

エオルは頬を赤らめた。

ライエル「しかし、魔導師先生がいらっしゃる商隊が魔物にやられるなど……もしや"砂漠の悪魔"にやられましたかな?」

エオル「"砂漠の悪魔"……? すみません、外国人なもので……有名な魔物なのでしょうか?」

ライエル「なんと! 知らずに遭遇されたのに助かるとは……さすが魔導師先生だ!」

エオル(え゛……!?)

ライエル「ヤツはもう何年も前から賞金を賭けられているA5級……いや、確か最近S1級に格上げされた賞金首魔物クリミナル・モンスターですよ。」



―――賞金首魔物クリミナル・モンスター

この世界には、町などの人が集まる場所から外れた場所に魔物と呼ばれる野生動物が生息している。

人間が一度町から出ると、たちまち魔物どもに自然界の弱肉強食の世界に引きずり込まれる。

人々も、それを災害や自然の摂理として受け入れ、対策し、共存してきた。

魔物もまた、自らの生命維持のため、時に視界に入った人間に襲いかかってくる「野生の動物」なのである。

しかし、その中で、凶暴さや、生まれ持った能力で、人間の世界にとりわけ害を及ぼす魔物が存在する。

それら駆除対象として、賞金を賭けられた魔物が賞金首魔物クリミナル・モンスターと呼ばれる魔物である。

賞金首魔物クリミナル・モンスターはレベルによってF・E・D・C・B・A・Sと格付けされ、さらにそれぞれ1から5級までレベル分けされている。

なお、A1級以上は通常の冒険者では太刀打ちできないレベルとされている。


エオル「エ……S1級!? そんな魔物がいる砂漠を……失礼ですが、これだけの装備で渡っていらっしゃるのですか?」

十数頭のラクダの列にはたくさんの積み荷のみ、護衛らしき者はなく、ラクダの操縦士とライエルだけ、砂漠でなくともかなり無謀な旅といえる。

ライエル「あぁ! そのご心配でしたら! ヤツはこの砂漠の北側にしか出ないみたいなんですよ、それにこのルートの魔物は魔物よけでやり過ごせるレベルのものですから」

ライエルはテントの隅にあった袋を取り、大概の魔物が嫌う臭いを発する香草を丸めた「魔物よけ」を掌に転がして見せた。

フィード「……しょうきん……」

フィードがぼそりとつぶやいた。そのつぶやきに嫌な予感がし、エオルは小声で釘を刺した。

エオル「S・1・級! だからね!」

フィード「トランプのダイヤ軍(モンスター討伐専門)が出動するランクはS3くらいかららしいぞ」

エオル「トランプと俺らじゃ総力が違うでしょ!」

エオルはフィードをじとっと睨みつけた。


ライエル(……水と食料は町に着くまでギリギリだが、砂漠越えの用心棒と思えば……

     それにここで恩を売っておけば、魔導師連中とのパイプもできる! この"親切"のおつりはでかすぎるぜ!)


エオルはテントの隙間から見えるラクダの隊列を改めて眺めた。

エオル(……それにしても、これだけの規模の商隊で護衛すらいないなんて。おまけにライエルさんとラクダの操縦士2人だけって、もうちょっと危機感を持ったほうがいいような……)

   「あの、この商隊は一体何を運んで……」

「親方! 親方!」

外でラクダの操縦士が叫んでいる。

ライエル「なんだ! 騒々しい!」

ライエルは勢いよくテントの幕を開けて外を見た。

ライエル「!!」




商隊を囲むように、ドーナツ型の流砂がぐるぐると流れている。砂の下で「何か」がうごめいているようだ。

フィードは眉根を寄せた。

フィード「なんだ?」

エオルは床に下ろしていた剣を背に掛けた。

エオル「……でかいね」

ライエルはペタンと尻をついた。

ライエル「な……な……」

ライエルはキッと2人の魔導師を睨みつけた。

ライエル「あんたら、奴を連れてきやがったな!! なんてことしてくれたんだ!」

フィード「? あぁ!?」

エオルはピンときた。

エオル 「え!? まさかこいつが!?」

ライエルは外を指さした。

ライエル「この地面の"砂の川の前兆"! 間違いない! 砂漠の悪魔だ! 食い残したあんたら追ってきたんだろ!? エェ!?」

エオル(うぅっ……変な嘘をついたばっかりに変な疑いが……)

フィード「……魔物に襲われたとかいうのはウソだ」

ライエル「何!?」

エオル(げっ! フィード!)

フィード「俺様たちはソイツに出くわしてもないし、この砂漠の北側は渡航前に注意を受けていたから通ってない」

エオル(え……? 注意? いつの間にそんな情報……)

乗り物なしを提案したのはエオルだったが、渡航ルートの指揮をとっていたのは紛れもなくフィードであった。

エオル(フィードのやつ……なんだかんだ言って……)

フィード「どっちかっつーと、てめーらのほうに何かあんじゃねーの」

エオル「なんだかんだ言いすぎだーーー!!」

ライエル「なんだと!?」

ライエルがフィードにくってかかろうとした途端、ラクダたちが動揺し、テントがグラグラと大きく揺れだした。

ライエルは再びテントの幕をあけ、声を張り上げた。

ライエル「おい! ラクダを何とかしろ!」

ふと、ひとつ前のラクダに乗せている、先ほどグラスを投げつけた荷物が目に入った。その荷物からは赤い液体が滴り落ちていた。

ライエル(まさか!)

フィードがひょいとライエルの背後から、その視線の先に目をやる。

フィード「ン? 血……?」

エオル「えっ!!」

二人の魔導師はライエルに目を向けた。

ライエル「そうかそうか……」

ライエルはラクダの首を伝い、ひとつ前のラクダに飛び乗ると、その荷物を思い切り蹴とばした。

蹴飛ばされた荷物は、勢いよくラクダから落下し、その衝撃で荷物に掛けられていた布がめくれ上がった。

ライエル「てめえはどこまで足引っ張れば気が済むんだ!! あぁっ!?」

転がった荷物の中身を見、エオルは驚愕した。

エオル「な……」





めくれた布からのぞいているのは大型犬用の鉄製の檻。その中には、

フィード「女……?」


ボロボロの端切れにフェルトのようなぼさぼさの髪。17、18くらいの歳の、全身「洗われていない」ような真っ黒な女がぐったりとしている。

檻はグルグルと渦巻く流砂の上に転がり、徐々に砂の中に飲み込まれていく。


エオル「あんた何考えてんだ!!」

エオルはライエルに向って怒鳴りつけると、テントから飛び出し、檻のそばに着地した。

エオルは檻の開け口を探したが、すでに砂に埋まっていた。女はどこを見るでもなく、ぼーっとうつろな目で中空を見つめていた。

すでに胸から下は砂に飲み込まれ、女の口からは血があふれていた。

エオル(ケガ!? 病気!? とにかく、このままじゃマズイ……!!)

エオルは力いっぱい檻を引っ張りあげようと力を込めた。しかし、檻は流砂の吸引力にビクともしない。

砂は見る見るうちにエオルのすねあたりまでも飲み込んでいた。エオルは檻の両端に両手をあて、呪文を唱えた。


エオル「爆水圧イド・ローク!!」


――タクニの屋敷でガーゴイルをなぎ倒した魔法。

  魔法は両手から出すと、威力が半分ずつのものが出る。

  この至近距離からなら、半分の威力でも鉄製の檻くらいはへし曲げる――


しかし、エオルの両手からはスプレーのような細かい霧のような水が噴射し、檻との間に花火のように円を描いて跳ね返った。

エオル「う……」

   (しまった……ここ、水の精霊が……)



ガンッ!


突然重たい音がした。衝撃で檻がグイと砂の中に押し込まれた。そして、エオルの頭上がふと陰った。

フィード「な~にチンタラやってんだ、バーカ」

器用に檻の格子の上に着地し、“あほか”という表情で、フィードがエオルを見下ろしていた。

エオル「フィード~~~! こっちのセリフだって! 君の重みで余計埋まっていくスピードが……早くそこから降りて~~っ!!」

フィードは檻の上でしゃがみ込むと、呪文を唱え始めた。それに気づいたエオルは檻の格子のいくつかを腕で支えた。

フィード「低・小爆炎ニアフ・グラン・デ


――魔法の頭に「ニアフ」という接頭語をつけると、その魔法の最少の力で魔法効果エフェクトを発生させることができる――


フィードは檻のいくつかの格子の両端を人差し指で素早く触れていった。すると、「バシュッ!」と乾いた音、小さな煙とともに、ガラガラと格子が外れた。

エオルは格子が檻の中に落ちないよう受け止めた。

「おら」

フィードが檻の中に手を差し伸べる。しかし、女の視線は変わらなかった。

それどころか、救出劇が始まってから今までぴくりともしなかった。まるで、遠い世界の物事をただ見ているだけかのように。


フィード「チッ!」

フィードは檻の端に両足を掛け、ブランと逆さづりに上半身を檻の中に入れた。もはや首まで埋まった女の後頭部に手を差し入れ、体を引き起こそうとする。

しかし、肩辺りまではするりと砂から出てくるが、そこから下は砂の圧力で、まるで何かに咬みつかれているかのようにびくともしない。

フィード「ぬっ!」

フィードは女を引き抜くために力を入れた。


ズズズ……


その分、檻が斜めに傾く。

エオル「うおっ!?」

エオルがあわてて倒れかけた檻を支えた。

フィード「しっかり支えとけよ~!」

フィードは女の背中と脇の下に手を通し、力いっぱい持ち上げた。

フィード「ヌヌヌヌヌ……」

ゆっくりと、女の体が腰のあたりまで砂から出た。同時に、砂がフィードの顔まで迫ってくる。

フィード「おい! 支えてろっつってんだろ!」

エオル「ナナメるのはなんとかできるけど、下に埋まってくのはどうにもできないよ!」

すでにエオルも足の付け根まで砂に埋まっていた。

フィード「チッ! 使えねーな」

フィードはコートの裏をごそごそとあさり、手に取ったものをエオルにポイと投げた。

エオル「え……水筒!?」

フィード「非常用にとっといたやつだ。それでこないだのガーゴイルん時みたくして、女を守れ。今から(魔法を)ぶっ放すぞ」

エオル(ガーゴイルの時って……まさか、フィードの炎から自分を守るためにやったあれ!?)

   「いくらなんでもこの至近距離じゃ……」

フィード「つべこべうっせー! ……やるぞ!」

エオル「あわわ……」

二人はそれぞれ同時に呪文を唱え、同時に叫んだ。


エオル「低・爆水壁ニアフ・タイダル・ボア

フィード「小爆炎グラン・デ!」



ズッアアアァァァァ・・・ン




轟音とともに高々と砂が舞い上がった。

驚いたラクダたちは慌てふためき、互いを列として繋ぐロープに引っ掛かったり、前後のラクダとぶつかったりして、ラクダの隊列はバラバラと倒れていった。

ライエル「ぐあっ!」

その衝撃でライエルはラクダから投げ出された。


流砂が止まった。

砂埃で悪くなった視界が徐々に晴れていく。そこから現れた、爆発の起こった場所は、巨大な楕円形をした砂のクレーターとなっていた。

そしてクレーターの中には、頭のてっぺんからつま先まで砂まみれのフィード、エオル、そして、エオルの腕の中でぐったりしている女。

フィード「ペッペッ! ゲロ、砂が口と鼻に入った……」

エオル「うう……(魔法で濡れた体に)砂がひっついて気持ち悪い……フィード! 女の子は平気みたい! 気ぃ失ってるっぽいけど!」

フィード「エオル!」

フィードの視線の先は女の足元。

ぷつぷつと、横たわる女のつま先からひざもとまでを、白い三角形のものが、円を描いて囲ってゆく。

エオル(なんだ!?)

エオルは地面を蹴りあげ、ジャンプしようとした。しかし、足が砂にとられ、バランスを失った。

エオル(やば……)

エオルはとっさに女の体をごろんと転がし、白い円から外した。間髪入れず、白い円はプツプツと盛り上がり、半分に合わさった。



ガチン!



そこには、まん丸の大人の頭ほどの瞳と、その瞳の向こうまで裂けた巨大な口の魚が、砂から顔をのぞかせていた。

魚はガチリと尖った白い歯をあけ、再びズブズブと砂の中へ頭をしまっていった。





エオル「お……オイオイオイ……」

エオルの顔が青ざめた。

エオル「"肉食砂魚レモラ"……にしてはデカすぎない?」



――肉食砂魚レモラ

砂漠を泳ぐ、女性の手のひら程度のピラニアである。その硬いうろこは刃物を通さず、歯は鉄をも噛み砕く。肉食のため、人を襲うこともある。



フィード「突然変異ってヤツ?」

再び、商隊を囲むようにドーナツ型に砂が動き出した。


フィード「とりあえず、ラクダのあたりまで退くぞ」

エオル「うん!」

フィード「それはそうと」

フィードはエオルに抱えられた女を指した。

フィード「そいつの口に何かつめとけ!」

エオル(そっか! レモラは血に反応するんだ)

エオルはジーンズのポケットからハンカチを取り出し、「ちょっとの間ごめんね」と血が溢れる女の口にそれをつめた。

エオルはそこでハタと気づき、前を行くフィードの小さい背中を見た。

エオル(あれ? フィードのやつ、魔導師養成学校アカデミーでモンスター学とか選択してたっけ?)


怯えて動きが取れないでいるラクダたち。ラクダの動揺でバラバラに落下した荷物。

エオル「ライエルさんは……」

フィード「なんか、あの辺でうずくまってんぞ」

フィードが顎で示した先には、一番大きなラクダの陰に、小さな小包を抱え、ライエルはうずくまっていた。

エオルはライエルの無事を確認し、ホッとした。そうして女を近くの横たわっているラクダの上にそっと乗せ、流砂の方向に向きなおった。

フィード「さぁーて! どう料理してやろう!」

エオル「相手はS1級だよ! 一筋縄じゃ……」

フィードはニヤリとした。

フィード「コイツがS1級なのは理由があんだよ」

エオル「普通のレモラより大きいんでしょ?」

フィード「そ! それでいてコイツは、そのS1級じゃない」

エオルは眉をよせた。

エオル「どういうこと?」

フィード「ま、普通よりちょっとばかし成長しすぎたレモラを、普通に攻略すればいい」

エオルは疑いのまなざしをフィードに向けた。フィードは気にせず続けた。

フィード「っつーことで」

フィードはエオルの後ろに回った。

エオル「え?」

エオルは全然背中からものすごい力で押された。

フィード「お前オトリんなりやがれーーー!!」

エオル「ちょっとーー!! 何言ってんのーーー!?」


フィード「……つーのは冗談で」

エオル「今、明らかに本気で押してたじゃないか……」

フィードは女のもとに歩いて行った。

エオル(え……!? ちょっと、まさか!!)

   「フィード!!」

フィードはやれやれとエオルを見た。

フィード「ちげーよアホ」

フィードは女の口の詰め物を「オラ、よこせ」と外した。

エオル「あ……そっか」

エオルは赤くなった。



フィード「いくぞ」

フィードはコートの内側から新たな水筒を取り出し、エオルに放った。

それをキャッチし、ふたをあけると、エオルは背中から剣を抜き、にやりとした。

エオル 「いつでもどーぞ」


フィードは血に染まったハンカチを流砂の中に放り込んだ。

その瞬間、流砂が止まり、放り込まれたハンカチの周囲を囲むように、プツプツと白い歯が円形に並び始めた。

エオルが唱える呪文に反応し、水筒の水が剣に集まる。




ガチン!




白い円が半分に合わさり、"砂漠の悪魔"が頭を出した。


同時に



エオル「魔法剣・爆水圧イド・ローク!」


ズシャッ!



高々と、水滴と魚の頭が空を舞い、砂の中から、5,6メートルほどの巨大な魚体がプカリとあがった。



流砂は完全に止まった。


ずかずかと、フィードは"砂漠の悪魔"の胴体に近づいた。

フィード「おー! なんだ、一匹だけか」

エオルが剣についた血液を振り払いながら怪訝そうにフィードの問いに反応した。

エオル「“一匹だけ”って、何が?」

刃を通さぬはずの、まっすぐ一刀両断された強硬な鱗を指先でなぞり、視線を落したまま、フィードは答えた。

フィード「この砂漠の北部に、『砂の大河』っつわれるトコがあるらしい」

エオル「砂の……『大河』?」

フィードは手の甲で、コンと魚体を叩いた。

フィード「これ級の突然変異レモラの"群れ"が、北部一帯をぐるぐる巡回してるらしい。

     そんときに起こる、今回みてーな流砂が、でかい川みてーになってるから『砂の大河』」

エオル「へぇ!(……なんで知ってるんだろ?)……その話からすると、もしかしてS1級の"砂漠の悪魔"って……」

フィード「そ! その“群れ”の総称。クリミナルモンスターっつーよりも、この突然変異レモラの群れによるバイオハザードだな」

エオル「なるほどね~! そのうちの一匹が群れからはぐれて、たまたま血のにおいをかぎつけて……ってとこだろうね! 残念! これじゃ賞金になんないね!」

フィードはエオルに向きなおった。

フィード「寝言は寝て言え!」

エオル「え?」

フィードは魚体を指差した。

フィード「こんだけでけーレモラの鱗と歯なら売りもんになる。残さずとっとけよ!」

エオル「え~~! 俺がぁ!?」

フィードはそそくさと麻袋を取り出した。

フィード「早く早く!」

エオル(うわ~……すんごい目ェキラキラしてる……でも、よく考えたら)


――― 自分たちの力でお金を稼ぐのって、これが初めてだ…… ―――





一面真っ白な空。

曇っていて、青い色ではないけれど、それでも、どんなに手を伸ばしても、届きそうもない。

空以外、何もない視界。次第に、自分がフワリと空に吸い込まれていくような不思議な感覚になってくる。

ラクダの上で、女は仰向けに、ぼーっとまっすぐを眺めていた。

「大丈夫かっ!?」

列の先頭でラクダを操縦していた男が、にゅっと覗き込んできた。深々とかぶったフードから覗く醜い鱗。周囲の人間が恐れるそれを女は見慣れていた。

「ラァル……ゴホッ!」

女は横向きになり、激しくせき込んだ。

ラァル「お……おい、ラプリィ……」

ラプリィ「ゴホッゴホゴホ……ケホッ……はぁ……ふふ、あはは!」

ラプリィは笑いだした。

ラァル「ら……ラプリィ?」

ラプリィ「ラァル! "外"ってこんなに気持ちよかったんだ!」

ラァル「? と、とにかく手当てしよう!」

ラプリィから笑顔が消えた。

ラプリィ「ラァル……私、もういいや」

ラプリィは空を見たまま疲れた笑顔を浮かべた。

ラァル「……ラプリィ。あの人たちに助けてもらおう!」

ラプリィ「無理よ」

ラァル「だって! あの人たち、魔導師だってよ!」

まるで世の中から背を向けるように、ラプリィの表情が険しくなった。

ラプリィ「温室でぬくぬく育てられて、社会に出てもチヤホヤされて……そもそも私たちの"客"って、そういう奴らなんだよ?

     ……なんで私たちは、そんな奴らに助けを請わなきゃ生きられないの……そんなの私はいや。だったらこのまま死んだほうが、よっぽど"自由"だわ」

ラァル「……ラプリィ……」


『自由』――自分たちにとってはあまりに縁遠いものだと思っていたが、自分たちの手元に一つだけ「自由」があったのだ。

その唯一の「自由」を選ぼうとしているラプリィにラァルはかける言葉が見つからなかった。


その時、後ろからだみ声が降ってきた。

フィード「ガキみてぇな女だなあ」

声のほうに目をやると、先ほどの2人の魔導師がラプリィの乗っているラクダのそばに立っていた。ラプリィは睨みつけた。

ラプリィ「ガキですって」

ムクリと起き上がろうとし、ラプリィは再び激しくせき込んだ。せきのたびに、細かく、赤いしぶきがラクダの背に飛び散った。

エオル「大丈夫!?」

エオルはラプリィを、フィードが見えるように抱え上げた。フィードはラクダの上に腰を落とし、ラプリィと目があったのを確認すると口を開いた。

フィード「あのなー、この世の中に"自由"なんてあるわけねぇだろ」

ラプリィ「は?」

フィード「人間、生まれおちて他人が一生懸命考えた名前もらったら、そいつらや、未来にあうかも知れねー大事なやつらのために、生きられるとこまで生き抜かなきゃなんねー“義務”があんだよ」

エオル(あれ……? この言葉……)

ラプリィ「……そんなの……あんたらみたいに"地獄"をみたことないやつらの言い分よ! わかったように言わないで!」

エオル「……死ぬことは"自由"じゃない。生きることは“自由”のルールだ、っていうこの人の"命の恩人"がこの人にあてた言葉だよ」

フィード「あー! てめー! せっかく俺様がいいこと言ったっぽかったのに!」

エオル「そーゆーのは受け売りって言うの! まあ、この子の言う通りその言葉がどんな境遇のすべての人に当てはまるとは思わないけど、」

エオルはラプリィを見た。

エオル 「……確かに、自分の“誇り”って、守るべき尊いものだと思うよ。でも、俺には君が意地を張っているようにしか見えないよ。

     一時の意地で、すべてを終わらせてしまうのは、とてももったいないことだと思うなあ」

ラプリィ「……」

ラプリィは顔をしかめてそっぽを向いた。

フィード(イラッ)

    「……んーなら、いっぺん死んじまえよ」

エオル「フィード!」

フィードは立ち上がろうとするエオルの頭を上から押さえつけた。

フィード「でもって、生まれ変わった気持ちで生きなおしてみろ!」


――生まれ変わる? 生きなおす?


ラプリィは大きく目を見開いた。


ライエル「勝手に"商品"に"自由"を与える夢を見せるなどというマネをされては困りますな、先生方」

ライエルがうずくまっていた場所から立ち上がり、フィードたちのほうへ、ゆっくりと近づいてきた。





ラプリィ「ライエル……」

エオルはラプリィの体が硬くなるのを感じた。ライエルは思い切りラァルの頬を殴りつけた。

エオル「な……」

ラァルはラクダから吹き飛び、砂埃の中に倒れこんだ。ライエルは何事もなかったようにラプリィを見た。

ラプリィはライエルと目が合った瞬間、体が自分のものでなくなったかのように動かなくなるのを感じた。

フィードがラクダの上からかがみこんでラプリィとの視線を遮るようにライエルの顔を覗き込んだ。

フィード「こいつらが商品って、お前何屋?」

ライエルはニヤリとして答えた。

ライエル「見世物小屋経営ですよ」

エオル「み……見世物小屋!?」

ライエル「そう身構えないでくださいよ。人々の好奇心という欲望を満たす、エンターテイメントです。こいつらはその魅力的な商品なんですよ」

エオル「商品って……普通の子じゃないですか!」

ライエル「それが普通じゃないんですよ。この大陸ではね」

ライエルはラプリィに視線を向けた。ラプリィは悔しそうに唇をかみしめ、視線をそらした。

次の瞬間、エオルは腕の中の少女の体が変形していくのを見た。体毛が生え、骨格が変わり、爪が伸び、長い尻尾が生え、ミルクティーのような淡い茶色の猫に姿を変えた。

猫はだるそうにエオルの膝の上に横たわった。フィードは横たわる猫を覗き込み、眉根を寄せた。

フィード「なんだ。普通に"獣人"ってだけじゃねーかよ。それとも、茶色の猫の獣人ってのは珍しいとかか?」

ライエル「このムー大陸では、獣人の入国を規制している国がほとんどなんですよ」

フィードはぽかんとライエルを見上げた。

フィード「規制? なんで?」

エオル「……たぶん大陸全体に"獣人差別問題"が色濃く残ってるんだよ」

エオルは悔しそうに俯いた。フィードはきょとんとエオルを見た。

フィード「差別?」

エオル(え……!? この人知らないの!?)

   「……昔から、"獣人病ライカンスロープ"の原因は獣人にあるってされてて、いろんな差別をされてきたんだよ。

    近年、獣人病の原因が徐々に解明されてきて、とりあえず獣人が原因ではないことはわかったんだけど……」

ライエル「人の心に長年植えつけられてきたものは、そう簡単には変えられないものなんですよ。原因ではないことが証明されて、すぐに入国規制を解いた国など、ほとんどなかった。

     近年、徐々に規制を解く国は増えてきたが、国内では相変わらず差別は根付いたまま。しかしですね。」

ライエルは唇の両端を釣り上げた。

ライエル「入国規制をかけている多くの国では、"それ"は、逆に珍しいものであり、"怖いもの見たさ"という、金を持て余している連中の欲望を満たす"商品"となりうるのです。

     獣人なら"人化"状態でしたら獣人とはバレませんからね」

フィードはフムと顎に手を当てた。

フィード「……なら、金払うから、コイツを俺様らに売れ」

エオル「フィード! それは人身売買だよ!」

ライエルは笑った。

ライエル「それは違いますよ。魔導師先生。これは商品であって、もはや"人身"ではありません」

エオル「そういうのを人身売買っていうんですよ!」

エオルはライエルを睨みつけた。

エオル「国際犯罪ですよ」

ライエルはフフと笑うと、ラァルを叩き起こし、商隊を立て直し始めた。


エオルはその様子を眺めながら、膝の上で苦しそうに横たわる猫の頭を優しくなでた。


エオル「……フィード」

フィードは横たわるラクダの上で胡座をかきながらライエルを眺めていた。

エオル「これが"犯罪"だよ。自分の利益のために誰かを傷つけ、傷つけられた人は、普通なら必要のない感情を持たざるをえなくなる。その連鎖」

エオルはフィードの横顔を見た。

エオル「君は……君がやろうとしていることは、そういうことなんだよ! それでも、このまま続けていくつもりなの?! この……」

フィード「『W・B・アライランス』」

フィードはライエルを眺めたまま答えた。

エオル「……そう、それ」

ラクダが先頭から順に立ち上がり始めた。


フィードはエオルの膝の上の猫を肩に乗せると、乗っていたラクダからエオルとは逆へ下りた。


二人の間のラクダが立ち上がった。



フィード「……もしかしたら、もっと他にいい方法があったのかもしれないな。」

フィードは誰に、ともなくつぶやいた。

フィード「けどな」

フィードはにやりと、エオルに視線を向けた。

フィード「犯罪ソレによって、救われるものってのも、あるんだぜ」

エオル「!! なに言ってんだよ! そんなのあるわけ……」

ライエルが小包を小脇に抱え、走ってやってきた。

ライエル「さぁさぁ魔導師先生方! お待たせしました。どうぞテントの中へ!」

先刻の、自分が攻撃対象となっていた時とは打って変わったピリピリとした空気をライエルは感じ取った。

ライエルの「どうかなさいましたか」という言葉を背に、エオルは無言のまま、最後尾のラクダの上のテントに戻った。

ライエル「エオル先生、お怪我でもされたのですか」

フィードはくりっとライエルの方を向いた。

フィード「おい! それよか、腹減った!」



商隊はゆっくりと進み始めた。





テントの外を眺めるエオル。ムシャムシャと食料をむさぼるフィード。小包を膝に乗せ、ただどうしたものかとあれこれ考えをめぐらすライエル。

フィードの、ものを食べ散らかす音のみ、テントに響いた。



しばらくして、ハタとフィードの手が止まった。ライエルは助かったとばかりにフィードを見た。

フィード「そういやお前、さっきから抱えてるそれ、なに?」

と、ライエルの膝の上の小包をあごで指した。

ライエル「これですか! 実は、特別なお客様にお売りしようと思っていたものなんですよ」

ライエルはいそいそと包みにかけてある布をはいだ。興味津津に覗き込んだフィードの顔色が変わった。


白いハトの翼。体長50センチほどの豚の胴体。2本から4本と不揃いな指。胴体に頭部はなく、首があるはずの部分には人間の口。

それは、小さな檻の中でギャーギャーと暴れまわっていた。


――道理で……こいつで魔物との遭遇率を下げてたのか――


フィード「オイ、てめー、コレ……」

ライエルの目が輝いた。

ライエル「さすが魔導師先生だ! 説明せずとも"これ"が何か、お分かりになる」

エオルはフィードの神妙な声色に、反射的にフィードとライエルと、そしてライエルの膝の上のものを見た。

エオルはたちまち、ふざけるな、という怒りがこみ上げ、思わずライエルに殴りかかろうとした。しかし、その怒りは次の瞬間驚きに変わった。


フィードが、ライエルの胸ぐらをつかみ、睨みつけていたのだ。

ライエル「な、何をする! 魔導師の一般人への暴力こそ国際犯罪だぞ!」

フィードはニヤリとした。

フィード「なら、お前のやってることは“暴力”じゃねーのか」

ライエル「何……」

フィード「"天使"まで商品にするなんて、この世への暴力以外の何でもねー! この世で生きること(じゆう)の最低のルール違反だ!」



――天使

死んだ生き物の魂を喰らい、新たな魂として妊婦に宿る、この世界の輪廻転生の歯車。



ライエル「ほほ……意外と生真面目ですね」

フィード「そーゆー次元じゃねーって、わかんねーのかよ!」

ライエル「わかっていますよ。天使一匹が新たな命ひとつ分ということでしょう?」

ライエルは口角を釣り上げた。

ライエル「しかし、私も商売ですから。この天使を逃がしたかったら、どうぞ私からお買い上げください」

エオルが立ち上がった。

ライエル「おっと! まさかこの商品も"犯罪だ"とわめきちらすおつもりですか?」

エオルは"何を言っているんだ"と顔をしかめた。

ライエル「天使を商売に使ってはいけない、などという法律など、少なくともこの国にはございませんよ」

エオル「……法律にする以前の話だからですよ」

ライエルはふざけたように両手を上げ、子どもをたしなめるような口調で続けた。

ライエル「あなたがたは私を殴れない。だが、この天使を逃がしたい。その猫と同じことですよ。……つまりどうするのが最も平和的で大人な解決法か、おわかりか?」


―――なぜこんな人間がいるんだ!?

エオルはこの男に憤る以前に、なぜだが悔しく、恥ずかしく、そして悲しくなった。


フィード「いいこと教えてやるよ」

エオル「?」

ライエル「?」

フィードは不敵な笑みをうかべ、さらにライエルの胸ぐらを締め上げた。ライエルは苦しそうにうめいた。

フィード「最近話題の魔導師犯罪組織『W・B・アライランス』ってのは、俺様たちのことなんだぜ」






アートリーから東に約150キロ。地方都市、カーシー。国境付近の町であるため、自国と隣国の様々な交易品が売り買いされる、町の3割がバザールの町。

そのカーシーの町に、人目を避けるように一つの商隊が到着した。


フィード「おー! なんか、久し振りのシャバだな」

エオル「変なこと言わないでくれる」

フィードはテントから出していた顔を引っ込め、テントの隅に目をやった。

フィード「おい、これでお前、自由だぞ。 あとは病院行くなり、どっかに保護してもらうなり、好きにしろ」

人の姿に戻り、テントの柱にもたれかかっていたラプリィは大きなネコ目をさらに大きく見開いた。

ラプリィ「え……」

エオル「少ないけど……再出発のお祝いってことで」

エオルはラプリィの前に数枚、紙幣を置いた。

ラプリィ「ほ……ほんとにわたし……」

フィード「じゃ、俺様らはここで寄るとこあっから」

エオル(どこ!?)

フィードはポケットに両手を突っ込み、ひょいとテントを飛び降りた。エオルはやれやれ、と腰を上げた。

エオル「じゃあね」

ラプリィ「まって!」

ラプリィはエオルの裾をつかんだ。

エオルはもう一度しゃがみ、二コリとした。

エオル「ん?」

ラプリィ「私ね、親に売られてここにいたの!」

エオルは気の毒そうな顔をした。

エオル「そう……」

ラプリィ「でもね、うち、弟が病気で、家にはお金もなくて、私は売られることで、大切な家族を救うことができた」

エオル「救う……?」

ラプリィ「エオルさん、残念なことだけど、この世界には犯罪によって……いえ、犯罪でしか救うことができない命もあるの。フィードさんも、そういうことを言いたかったんじゃないかな」

エオル「……」


―――犯罪によって命を救う?

   家や弟は救えても、自分の命はなくなりかけたじゃないか。それは本当に救いっていうのか?

   ……そりゃあ、もしかすると俺には見えていない何かが、フィードや彼女には見えているのかもしれないけど……


エオル「ごめん、やっぱり俺には理解できないけど、君やフィードをわかることができる日が来るように、努めるよ」

エオルはありがとう、とラプリィに微笑み、テントを出た。





テントの中が、初めて静かになった。ラプリィは恐る恐る横目でテントの端を見た。

ライエルは顔をぶっくりと腫らし、猿ぐつわと縄でぐるぐる巻きにされ、ラプリィを睨みつけていた。

ラプリィは膝元に置いてある金をふん掴み、テントを飛び出した。その足で、ラクダの列の先頭に走った。

ラプリィ「ラァル!」

ラクダにまたがって呆けていたラァルはラプリィを振り向いた。

ラプリィ「ラァル! あなたも一緒に逃げましょう!」

ラァル「……」

ラァルはフードを目深にかぶり直し、袖をさすると、微笑んだ。

ラァル「ぼくは行かない」

ラプリィは一瞬眉を寄せたが、すぐに微笑み返した。

ラプリィ「そう」

ラァル「それと、」

ラァルは不安そうな顔をした。

ラァル「あの人たちに、今回のことを必ず、商隊強盗として、届けてくれって頼まれた」

ラプリィ「え!? なんで!?」

ラァル「さぁ……」

ラプリィ「……わかったわ。ニュースになっても、ラァルがうそついたなんて思わない!」

ラァル 「ありがとう、元気でね」

ラプリィ「ラァルも」


その日は、カーシーの町に死人が出ていないのに天使が出た、という目撃情報が絶えなかった。










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