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灰色ネズミは鳥の巣頭の王子と踊る

作者: 帰り

 

 張りのある手拍子にあわせ、ふんわりとスカートをひるがえす少女達が、それぞれのパートナーの周りをくるりと回る。


「ルナ・コーナー!早すぎますよ!もっと優雅で繊細に!」

「はい!レベッカ先生!」

「返事は慎ましく!はしたないですよ!」

 アタシよりレベッカ先生の方が大声だしてますけど、よいのでしょうか!


 ダンスレッスンの講師に無言でつっこんで、アタシはパートナーに『ゴメン』と口パクで伝えた。




 4ヶ月前まで地方の小さな食堂で働いていたド庶民のアタシが、お貴族様に交じって王都の学園に入る事になったのは、唯一の肉親だった母さんが過労でこの世を去ってから、父親を名乗るコーナー男爵が私を引き取ったからだ。


 幼い息子を抱いた義母の勧めるままに、放り込まれた学園だったが、貴族のマナーなんぞ欠片も知らないアタシが馴染めるわけが無い、常識知らずと笑い者だ。


 年齢的に卒業が近いタイミングで入学したおかげで、あと少しの辛抱だけど、最後に最大の問題が控えている。

 卒業生は卒業式で、男女ペアのダンスを披露しなくちゃいけないらしい。


 なにがヤバイかって、アタシが来た頃にはお相手探しはほぼ終わっていたのだ。

 婚約者もツテもない、庶民上がりのアタシに声をかけるやつなんていない。


 こいつはヤバイぞ、と悩んでいる時に見つけたのは、アタシとは違う意味で変わり者の、ロイ・スーダーだ。


 どこかの辺境貴族の遠縁だとかで、猫背気味の体のてっぺんには、伸びた前髪で表情が見えない頭が乗っている。

 派閥に属した様子もない、女子との会話はそっけなく親しい仲の相手は居なそう。気付けばそこにいるけど毒にも益にもならないし放っておけ、みたいな男子。


 追い詰められたアタシは思いきって彼に声をかけた。


 顔の上半分が重たい髪で隠れたロイ・スーダーは、その日もその辺の立ち木みたいな空気で一人歩いていた所にアタシは立ちはだかる。


「えーっと、ちょっとよろしいでしょうか、スーダーさま。」

「何?」

 学園じゃよく鼻で嗤われるアタシの慣れない言葉遣いでも、彼の短い言葉に嘲笑は一切感じない。


 足を止め耳を傾けてくれる。そんな当たり前が遠退いていたアタシの方が驚いて一瞬言葉を忘れる。

 その時チラリと髪の隙間から見えた彼の蒼い瞳が、子供が隠した宝物が隠しきれずにはみ出ているみたいだと思ったと同時に、ロイ・スーダーの瞳が訝しげに細くなって我に帰る。


「あっあのさ、まだダンスの相手が決まってなかったら、アタシと組んでくれませんか?あ、頂けますでしょうか?」

 学園じゃ女が誘うなんてあり得ないって風潮のせいだろう。

 もっさりした髪で目元がさっぱり分からないロイ・スーダーですら、一瞬驚いた…ような気がしたが。返事は早かった。


「いいよ。」



 あっさり引き受けてくれたロイは、やっぱりいい奴だった。


 アタシが先生に怒鳴られても、他の子に笑われても、ロイは昼休みに人のいない裏庭で練習に付き合ってくれる心の広い男だ。


 大袈裟に言うなら、アタシにとってのロイは鬱蒼とした森に差した一筋の光そのものと言えた。


優雅(ステップ)繊細(ステップ)…返事は慎ましく…クルっと回って―――。」

「ルナ、ルナ。食べながら何かするのは癖になるから止めた方がいい。」

「――っは!ごめん、足が無意識に動いてた。」

 隣に座るロイの冷静な指摘に、食べかけのパンを片手にぼんやりしていたアタシは我に返った。


「ルナは焦りすぎだよ。」

「うぅ、だってレベッカ先生、素人のアタシにも容赦ないんだもん。」

「ルナは教えがいがあるから、先生も熱が入るんだろうね。まあ、基本は覚えたから、卒業までには間に合うよ。」

「お?じゃあ今日は練習お休みで!」

「毎日やってこそだからね。」

「だよねっ。よしっ!ご馳走さまでした。ロイ先生今日もよろしくお願いします!」

「すぐ動くとまたお腹痛くなるよ。」

 速やかに残りのパンをお腹に納めて腰をあげたアタシに、ほんのりロイが笑う。


 ロイと居ると心が軽い、ロイと呼ぶことを許してくれたくらいだから、いい関係を築けていると思う。


 心地好い小休止を挟んだアタシは気持ちを切り替え、背筋を伸ばして構えると、優しい空気を纏ったロイが手を添えてくれる。

 ロイは視界不良な髪型にも関わらず、落ち着いた声でリズムを口ずさんでリードしてくれる。細い見た目に反した力強さに、安心して身を任せた。


 数日後。

 講師レベッカの、針の穴にすら刺さりそうな刺々しい視線を感じながら踊りきる。

「…及第点といったところでしょう。ですが本番は国王陛下並びに多くの来賓の中で踊るのですから、当たり前に出来て当然です。(おご)らず精進なさい。」


 ひとまず合格を頂いたら、とたんにホッとして足の力が抜けてしまう。

 ふらついたアタシをロイが受け止めてくれなかったら、みっともなく廊下でへたりこむ所だった。

「お疲れ。」

 一緒に闘ってくれたロイの言葉に胸が熱くなる。


 優しいロイはアタシが座って休めるように近くのテラスにある席まで支えてくれた。アタシは普段意識してテラスを避けていたけれど断るのも悪くて、お礼を言って腰を降ろす。


「ふー、めちゃくちゃ緊張した。ここまで形になったのはロイのおかげだよ、ありがとう。」

「ルナが結果に見合う努力をしたからだ。」

「へへ、ロイに誉められた。」

 アタシがへにゃりと顔を崩すと、ロイが前髪を(いじ)って一層顔を隠す。

 なんとなくロイが照れてる気がして嬉しくなった。


 テラスは暖かい陽射しがポカポカで気持ちいい、小鳥のさえずりが聴こえ、ロイが居る。

 アタシが忘れかけていた幸福感に満たされたのも束の間。


 よくテラスを占拠している有力令嬢数人が、わざわざ聴こえる声でお喋りしながら通りすぎていく。


「まあ大変。皆様ご覧になって、ネズミがテラスに居るわ。」

「嫌だわ、わたくしのお気に入りなのに、もうあの席には座れないじゃない。」

「調子に乗るなと先生は仰ったのにこれだもの。学の無い庶民が男爵ごときで頭に乗って、恥ずかしくはないのかしら。」

「だから反対なのよ、あの様に小汚ないネズミがわたくしたちと同じ舞台に立つなんて。わたくしたちの品位まで下がってしまうじゃない。」


 クスクスと嫌な笑い声が遠くなり冷え冷えとしたテラスでは、ロイが心なしかしゅんと落ち込んでいた。


「悪い、僕が…。」

「ロイは悪くないよ、どこで休んだって一緒。アタシが居るだけで文句を言わなきゃ気がすまない人達だもん。」

 アタシは母さん譲りの灰色の髪を指先に巻き付けて、大袈裟に肩を竦める。


 気まずいままその場で別れたアタシ達だったが、昼に裏庭へ足を向けると、ちょうどロイと鉢合わせた。

「あれ?ロイってば、自分で今日は練習休みっていったのに。」

「いや、なんとなく…心配で…。」

 ロイにしては珍しく歯切れが悪い。


 さっきの空気を引きずるアタシもロイも、深く言及しないままいつものように並んで座った。


 黙々と食べていたサンドイッチが無くなって、ダンスの練習がないとなると、手持ち無沙汰な時間が出来てしまった。


 ロイはずっと何も言わないし、なんだかいたたまれない。


 ふと貴族っぽい話題を思い出したアタシは、あえて明るい声を意識する。

「そういえば、コーナー男爵から手紙がきてさ、アタシ、卒業したら結婚するんだって。」

 未だに父という実感が湧かなくて、他人のような人からの突然の知らせを読んだ時にはもう諦めの乾いた声しか出なかった。


「……相手は?」

 声が不快そうではあるけど、ロイはアタシの愚痴を聞いてくれるようだ。

「エッツェ・カード候だって。若い健康な女ならよしって事みたい。」

「エッツェ…カード?確かもう随分な歳だった筈だ。まさか今更…。」

「奥さんとは子供が出来なくて、養子が後を継いでるんだけど、やっぱり自分の子が欲しいんだって。」

 そこそこの貴族らしいが、仮に実子が出来たとしたら、奥さんや養子の立場はどうなるんだろう?


 貴族ってのはどいつもこいつも勝手だ。


「そもそもさ、アタシの親だって言うコーナー男爵は母さんを捨てたくせに、死んだって知ったとたん、罪悪感にかられたんだろーね。んでアタシを引き取ったはいいけど、男爵家にはもう夫人と世継ぎの息子がいるんだもん、そりゃ、さっさと出てって貰いたいよねぇ。」


 思い出してイラッとしたせいか、話すつもりのなかったアタシの情けない事情まで嫌味っぽく語ってしまい、やっちまったと恐る恐るロイを窺う。


 顎に手を宛て俯くロイは何も言わない。


 同情してほしい訳じゃないけど、リアクションがないのもちょっと寂しい。


 アタシは思いの外窮屈になった空気感を突き破る気持ちで立ち上がり、青い空に向かって背伸びする。

「いっそさ、どこか遠くに逃げてやろうかなって。コーナー男爵に従う義理はないと思うんだよね、引き取るって言う男爵に従ったのも、母さんが働いていた食堂の親方と女将さんが、一人ぼっちのアタシの面倒までみてくれちゃういい人だから、困ってたんだよ。」


 呆れるとか笑い飛ばして欲しいのに、隣で座る黙ったままのロイに振り向くと、モシャモシャの髪の隙間から何か言いたそうな蒼い瞳がアタシを見つめていた。


 ロイにそんな顔させたかったわけじゃない、だから腰に手をあてニシシと笑って見せる。

「実は!母さんがこっそり貯めてくれたお金があるんだよね。楽器を買って吟遊詩人でもしながら海の向こうを目指そうかな、歌は良く誉められるんだよねぇ、アタシ。」


「…。」


 ロイの雰囲気が怒りに変わっていたのに、アタシは遅れて気付く。

「ロイ…?」


「ねえ…ルナは泣いた?お母さんが亡くなってからちゃんと。」

「え?や、やだなぁ。急にどうしたの?」


「僕は泣いたよ、母が死んだ時、馬鹿みたいに。」

 アタシはへらへらした顔を硬直させた。


 ロイのお母さんが亡くなっていたと分かって、アタシはここにいるロイしか知らないんだと今更ながら思い知る。


 ロイは自分の事を殆んど話さない。アタシはアタシで、庶民上がりの即席男爵令嬢と生粋の貴族だろうロイとの身分差を赦されるこの空間が壊れるのを恐れて目を背けていた。


 スッと立ち上がったロイは、アタシより高くに頭があって、アタシはロイの落とす影に収まってしまった。

「下手くそな笑顔はやめなよ、気持ち悪い。吟遊詩人の真似事して旅するなんてルナ1人じゃ出来ないよ、そのつもりなら、もうとっくにしてた筈だ。」


 初めてロイの怒りに触れたアタシは、恐ろしくなっていた。

 小型犬が大きい犬にビビって吠えるのってこんな気持ちなんだろうか。


「―――っ、ロイに何が分かるって言うの?!」

「分からないね。ただ僕は、ルナのその理解ある風を装った態度に腹が立つだけだ。」


 図星をつかれてカアッと頭に血が昇る。


「だってしょうがないじゃない!!無理して働いて倒れた母さんを見てきた、我儘なんて言えなかった!親方にも女将さんにも養うべき家族がいた、食堂に残りたいなんて言えなかった!居場所なんてなくても、男爵に頼らなきゃアタシ1人じゃ生きていけない!違う?!」


 溜め込んで溜め込んで、とうとう溢れた感情を爆発させたアタシは、人生で初めて大泣きしていた。


 ぐちゃぐちゃな顔で吠えたアタシに、さっきとは打って変わって(ほころ)んだロイに抱き締められる。

 優しく頭を撫でられて、ロイの策に嵌まった事に気づく。


 悔しくて、アタシはロイの腕の中で存分にわんわん泣いてやった。


「ルナを育てた優しい人なら、ルナの気持ちを分かってくれてるよ。男爵とだってちゃんと話し合ってごらん、納得のいく答えでなくとも、きっと理由があった筈だ。」

 いっそう優しい口調でロイがそう言うと、そんな気がしてくるからスゴい。

「だといいな…、母さんも食堂の皆も優しくて暖かくて、いっぱい感謝してるの。…仕方ないから男爵とも向き合ってみる、そんで、ガツンといってやる。」


 頭上で笑うロイの胸から離れて、泣きはらして不細工な顔を上げる、これまでで一番晴れやかな気持ちだ。


「泣かせてくれてありがと、スッキリした。」


 親指で頬っぺたを優しく拭ってくれるロイに沸き上がった気持ちは、アタシが望んで良いものじゃ無い。

 悟られないようにと笑って。

「いやー、やっぱり持つべきものは友だね。」

「は?…あ、あぁ…友か、…友ね。」

 なんだかロイは虚をつかれたようで、不満そうだ。


「残念でした、なんと言おうと、もうロイはアタシの大切な友人だよ。」

「ルナ、僕は……いや。明日からはまた練習だ、卒業式まで気を抜くなよ。」

「うん!頑張るよ、よろしくねロイ!」


 次の日の朝には二通の手紙を出した。

 お世話になった食堂に感謝を綴った物と、結婚とか母さんの事とか一度しっかり話がしたいと書いた男爵への手紙。


 思ったより早く返ってきた食堂からの手紙は宝物になった。

『いつでも帰っておいで』と書かれた優しさの詰まった手紙が嬉しくて、息巻くアタシに報告されたロイが「帰らないよね?」とやけに確認してきたので、「ちゃんと卒業はするよ。」と首を傾げたらロイは何か考え込んでしまった。


 やや遅れて来た男爵からの手紙にはまず『結婚は白紙になった』との知らせだった。

 先方から突然伝えられたらしいが、理由なんかどうでもいいアタシは心底ホッとした。

 最後に『良かれと思い急ぎ学園に送り出したが、もう少し君との時間をとるべきだった。卒業したらゆっくり話し合おう。』と締められていた。


 経過を伝えるついでに、ロイとは昼休み以外にも行動を共にすることが増えた。


 最近絡まれる事が減ったなと思っていたら、出来る友人ロイが、さりげなくあの令嬢達からアタシを隠してくれていたからだった。

 ありがとうと言うと、照れ隠しに前髪を一層厚く集めるのが可愛い。


 一緒の時間が増える(ごと)に募る思いと、迫る別れの時間にモヤモヤしている内に、短い学生生活は終わってしまった。



 ロイのおかげで少しだけ感慨深くなった卒業式。

 同じような内容の長話を聞き流したら、別会場で始まるパーティーに移るため、式は一旦休憩に入る。


 衣装替えした生徒達が入場口に集まる中で、アタシは焦っていた。


 さっきまで居た筈のロイが見当たらないのだ。


 時刻が迫っているのにロイは一向にやってこない、アタシ以外はそれぞれパートナーと腕を組んで、扉が開かれるのを待っていのに、いまだ1人のアタシには、「どうするのかしら」「かわいそう」「うそだろ」などと、嫌なひそひそ声と怪訝な視線が注がれる。


 一部のざわつきが広がると、先頭の人垣が割れ、扉の一番近くで待機していた令嬢のボスが歩いてきて、アタシを睨む。


「何をしてらっしゃるの?パートナーが居ないのならさっさと下がりなさい、邪魔よ。」


 実際そうだから、アタシは言い返せない。


 更に令嬢は真っ赤な唇を開く。

「ロイ・スーダーの賢明な判断には称賛をおくりますわ、物わかりの悪いあなたに言っておきますが、スーダーを恨むのは筋違いですわよ。本来貴女の様な方が立てる舞台では無いの、ネズミは日陰がお似合いよ、さあ、さっさとわたくしの前から消えてちょうだい。」


 アタシを(けな)す令嬢はこの際どうでもいい。

 凄く考えたくないけど、めちゃくちゃ悲しいけど、例えロイの気が変わって姿を眩ませたなら潔く泣こう。


 でももし、急病や怪我で困っているなら、アタシはロイの力になりたい。


「では私は下がらせていただきます。お騒がせして申し訳ありません。」

 今はとにかく早くロイを探しに行きたい。これ以上ベルンベリー嬢にとやかく言われないよう言葉と態度に気を付けて頭を下げた直後。隣から探し人の声がした。


「その必要は無い。」


 威厳に満ちた声に顔を上げると、長身のイケメンがアタシの肩を抱いていた。

 後ろに撫で付けた髪は正端な顔立ちを強調し、髪質に合わせて遊んだ毛先が憎らしい。


 ベルンベリー様並びにそこに居た全員が「え、誰?」って顔をした。


「…っあ!ロイ!心配したんだから!」

 アタシがロイだと気付けたのは、伸びた背筋のてっぺんに、あのもっさりした前髪が無くとも良く知る蒼い瞳が輝いていたからだ。


 当の本人にあまり反省の色は見えない。

「ごめん、ルナを驚かせたかったんだけど、思ったより大事(おおごと)になってしまって。」

「そりゃ、この忙しい最中(さなか)にイメチェンなんて大事だよ。」

「はは、その通りだよね。」

 妙に嬉しそうなロイに怒りや心配が馬鹿らしくなって、安堵の溜め息が出る。


「ロイ・スーダーですって?貴方が?嘘でしょう?」

 ベルンベリー嬢その他大勢が驚愕している。


 彼らはロイに興味が無かったせいでよく見ていなかったんだろう、とはいえアタシもチラホラ見え隠れしていたパーツから、なんとなーく勘づいていたものの、ここまで変わるとは思っていなかったけど。


「アタシより皆のがビックリしちゃったねぇ。」

「他はいいよ。ルナは?カッコいい?」

 見た目の割に子供っぽい言い方をするから、ギャップに吹き出してしまう。

「ぷっ、もぉ、ロイが急に可愛いこと言うから、緊張がどっか行っちゃったじゃん。」

「…ふざけたつもりは無いんだけど。」

 ロイの眉が不満そうに中心に寄る。

 

 顔が全部見えるとよく分かる。思っていたより断然、ロイって表情豊かだったみたいだ。


 放っておかれたベルンベリー嬢が、そろそろ時間だとパートナーに声をかけられ、悔しそうに戻っていく背を見送る。

 集団に飲み込まれたアタシ達も腕を組んですぐ、扉は開かれた。


 ダンスのために円く空けられた中央へ、楽隊の(いざな)いにのってゆっくりホールへ流れ込む前方の生徒達。


 アタシは顎を上げて、体に叩き込んだ優雅さを意識して進みながら声を潜めてささっと言っておく。

「さっきはふざけてごめん、アタシは見た目とかじゃなくロイは前からカッコいいと、その、思ってる。」

 少し反省して言ってみたものの、恥ずかしさがダッシュで追い掛けてきた。


 ピクッと、ほんの一瞬だけ、ロイの動きが鈍ったけど、2歩先は光の中、何事も無かったようにアタシ達は位置についた。


 ダンスは大きな拍手で幕を閉じる。

 気のせいかロイの眼差しがいつもより情熱的で、ロイの鼻ばかり見てしまったが、負けず劣らず熱視線を送ってきていたレベッカ先生が頷いていたので、成功だったと言えよう。


 後は時間まで自由に歓談して、陛下のお言葉を聞けば終了だ。

 特に親睦を深める相手もいないアタシは、壁際で喉を潤す。


「目立ってるねぇ、こんなに注目されちゃ顔も隠したくなるわ。」

 どこぞの令嬢なんか、隣の婚約者が苦い顔をしてるのに、ロイに熱ぅい視線を送ってらっしゃるし、何でか偉いおじさん方すらロイをチラチラ見てコソコソ話し合っている。


「見世物は御免だ。」

「そんな風に嫌そうな表情がよく見えてアタシは嬉しいけどね。って言ったら怒る?」

「ルナが喜ぶなら我慢しよう。」

 そんな風に言われると反応に困る。

「や、無理させる気はないんだけど…。あっ、陛下が立った、やった終りだ。」


 渋いおじさまが動けば、誰もが口を閉じ姿勢を正す。

「卒業おめでとう。いやはや、我が息子ドラクロイの成長にも驚くばかりだ。」

 開始直後から王が口に出した名前に、人々がざわりと揺れる。

 アタシもその中の一人だ。


 今は亡きお妃マリア様の忘れ形見は、死亡説すら流れたほど表舞台に出て来ないのに、まるで王子がこの場にいる言いぶりだ。


「我が最愛のマリアに似たドラクロイは幼少より大変愛らしく聡明でな、ドラクロイに近付かんが為に手段を選ばぬ輩により怪我人が出るほどであった。儂は国の長でなく一人の父として王子を表舞台から遠ざけたのだ。長らく姿を見せず民を不安にさせてしまったのは儂の責だ。」


 庶民は知らずとも貴族の中では有名な事件だったんだろう、誰も陛下を責めはしない。


「さてドラクロイよ、お前がここにいる意味は覚悟ととってよいな?」

 王は一点を見つめる。

 まだ正体の掴めないほぼ全員が陛下の視線をたどり、壁際へとたどり着く。


 アタシも隣に立つロイに終着していた。


 一瞬アタシの知らない男の人かと不安になるくらい、ロイがいつもより大きく見えて、横顔は凛々しく、陛下に返す眼差しは尊かった。

「陛下の名誉の為に言わせていただきたい。素性を隠し学園に入りたいと申し出たのは、僕自身です。1つは要らぬ問題を避けるため、1つは同世代の飾らない素直な意見が知りたいと願ったから。全ては僕の我が儘です。」

 そしてロイは、頭を下げた。


「時にドラクロイ。良き報せもあるのではないか?」

 コロッと軽い口調で、陛下がアタシにニヤリと笑う。

 ロイに獰猛(どうもう)さを混ぜた様な瞳に、王子への不敬罪しか浮かばないアタシは震え上がる。


 思わず引けた腰に、がしっとロイの腕が絡む。

 前に虎、後ろに蛇。しがないネズミのアタシに逃げ場は無い。


「結婚発表は早い方がよかろう?」


 ケッコン?!?!

 陛下の更なる投火で観衆に戦慄が走る。


「ロ…どらくろいサマ、ケッコンするんですか…?!」

「ロイでいいから、ルナは一回落ち着いて。」

 ダンスの相手が居ないからと、アタシは勝手に思い込んでいた。王子ならば婚約者の一人や二人居たのかも知れない。

「アタシっその方に謝罪をしなくてはっ!」

「違う違う、ルナの事だから。」

「んぇ?」

 アタシは自分を指差す。

「そう。」

 破壊力抜群のニッコリ王子スマイルでロイは頷いた。


 アタシはふるふる震える。

「むりむり…!アタシなんてダンス1つで精一杯だもん、王子様と結婚なんて無理だよ。」

「でもルナはやり遂げた。それに、嫌ではないんだよね?王子だったらもうロイとして見てくれない?」

「そんな事ないっ、ロイはロイだよ…!でもアタシは庶民上がりだよ?そんなのが王子様の妃なんて駄目でしょ?!」

 ぐいぐい来るロイに、アタシは視線をさ迷わせながら必死に現実を説く。


「なんだドラクロイ、『伴侶は決めた。』と言っておったのに、何も伝えておらなかったか。」

 二人の世界に半身ほど使っていたアタシは、陛下の呆れた声に引き上げられる。


陛下(ちちうえ)が早まったせいですよ。」

「好いた娘の縁談をこそこそと邪魔する位なら、さっさと囲ってしまえ。」


 虎と蛇の再来の中、真っ先にエッツェ・カード候が思い浮かんだアタシはロイの袖口をチョイと引く。

「ロイ、それって…。」

 ん?と蛇の気配をしまったロイがこちらに顔を向ける。

「候には感謝しないとね、あの時僕はルナへの気持ちに気づけたんだから。」

 王子に睨まれたカード候には若干同情するけど、ロイがアタシの為に結婚を破談にしてくれたと思うと嬉しかった。

「そっか、アタシの知らない所でも助けてくれたんだね、ありがとう。」

「彼が話の分かる人で良かったよ。父上もあの通り賛成してるし、僕はルナが好きで、後はルナ次第だ。」

「す…!?」

 ボンっと噴火したみたいに顔が熱くなるアタシに、ロイが笑みを崩す。


「―――きゃあ?!大変よ!ベルンベリー様が!」

 騒がしくなって注意を向けると、できた人だかりの中央に令嬢のボスが派手にぶっ倒れていた。

 他にも、見覚えのある令嬢複数が顔面蒼白で今にも倒れそうだ。


「ルナを散々侮辱してきた奴等は、気が気じゃないだろうね。」

 なかなかの邪悪さでロイがアタシに耳打ちする。新たなロイの一面を垣間見た。


「はっはっはっ!若さとは良いものだな。」

 陛下はいちいちぶち壊すのがお好きらしい。でも笑った顔がどこかロイに似ていて、いまいち嫌いになれない。


「まだまだ未熟な若者よ、挫折と一握りの成功に苦悩し、成長せよ、下らん大人になるな、期待しているぞ。」

 陛下も忙しい身で参加していたのか、期を見て近寄った側近と一言二言交わす。

「残念だが儂はもう時間だ。(みな)は悪いが、もう少しその二人に付き合ってくれ。」

 そう言い残し、颯爽と退出して行った。


 陛下の後を追う側近が、楽隊の指揮者に何かを指示していく。

 始まった演奏は、がらりと空気を変えるしっとりとムーディーな曲だ。


「お手をどうぞ、お姫様。」

 意味を汲み取ったらしいロイがアタシに手のひらを差し出す。

 自然と人が退いて行き、真ん中が空いたホールへの道を、アタシの手を乗せたロイが先導する。


 見守る人々の中心で、アタシとロイだけがゆったりと揺れる。


 いつか必要になるから、とロイが教えてくれたステップがまさかここで活躍するとは思わなかった。


「緊張で吐きそう。」

 色気の無いアタシの囁きに、ロイが微笑んだ。

「結婚したらこんなものではないよ。」

「まだするって言ってない。」

 むすっとして反抗したら、腰に添えられていた腕に引き寄せられ、ロイの顔が間近に迫った。

「でもルナは断らない。」

「断れないの間違いでしょ?」

 アタシが挑戦的に見つめ返すと、ロイは耳元に口を寄せ、一度下がった音で甘く囁く。


「ルナが本当に嫌なら、海の向こうに逃がしてあげる。」

「…アタシ一人には無理、ってロイが言ったじゃない。」

「うん、だから残りの人生は僕と生きていけばいい。」


 楽曲の終わりと共に、逃がさないとばかりにぎゅっと抱き締められ、アタシもロイの背中に腕をまわす。

「ルナが悲しまないように長生きするから。」

「じゃあアタシは、ロイが長生き出来るようにもっと長生きしなきゃ。」

 切りがなくなるな。と額をくっ付け合ってクスクス笑う。


 ふと真剣な顔になったロイは片ひざをついてアタシを見上げ、婚約指輪を填めるはずの指に口づけた。

「僕と結婚して下さい。」

「喜んで。」


 気を利かせた楽隊が弾んだ明るい曲でアタシ達を祝福してくれて、波紋の様に広がる大きな拍手にアタシ達は包まれる。


 今日一番の笑顔のロイがアタシを軽々抱き上げてクルクル回るから、アタシはつられて笑っていた。


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