18話 ツンロリをゲット……ゴホン、保護しました
それから2日経った。
この牢獄では食事が出ない。ステラは特殊な魔法でもたせているらしいが、俺の方はそろそろ限界だった。
静寂の中、ミラの言葉が嫌に響く。
「……今さら、落ちてくることも有るまい」
「そうだな」
言うまでもなく、サラとエスティアの事だ。大空洞ではぐれたサラ達とは、ついぞ合流することができなかった。
「怜司よ。決断の時じゃ」
「そうだな」
俺の体はもう縛られていない。すっと立ち上がり、部屋の隅で本を読むステラを見る。
この牢獄には食事も風呂も無いが、本だけは大量に有った。俺が目を覚ました部屋の隣に、書庫が存在したのである。
もっとも、書庫に有ったのは小説の類だけで、有益な情報は得られなかったのだが……。
さて、本を読むステラを見ると、彼女は目線を上げて小さく口を動かす。
お好きにどうぞ、と言っているように見えた。
もちろん好きにするつもりだが、2日間同じ空間で過ごした相手に、何も言わずというのも忍びない。
2メートルくらいの距離まで近付き、別れの挨拶として軽く手を上げる。
と言っても、別れを惜しむほどの関係ではないので、別れの挨拶は好奇心の発露となった。
考えてみれば、ステラの事を全然聞いていない。
「出ようと思ったことは無いのか?」
ステラに問いかけると、彼女は本を閉じ面倒くさそうに口を開く。
「一度も無いわね。物心ついた時からここに居るの」
それはおかしい、と一瞬で理解できた。ステラは俺と初めて会話した時、俺に反逆者かどうか聞いてきた。
それを聞いた俺は、ステラが反逆罪的な犯罪を犯したものだと思っていたのだが……。
「おかしいな。物心つく前に、こんな牢獄に放り込まれる罪を犯せるものなんだな」
「分からないわ。私がどうして罪に問われたのか、私がどうしてここに居るのか、その理由は私に伝えられていない。少なくとも私は覚えていない」
「は?」
「え?」
俺が呆気に取られていると、ステラも首をコテンと傾げる。
考えてみれば当然かもしれない。物心つく前に閉じ込められたなら、正常な司法を知らないことにも頷ける。
可哀想だとは言わない。ステラがそれを当然だと思っているなら、俺が可哀想と口にした瞬間、彼女は自分が虐げられていることを自覚してしまう。
「出たいとは、思わなかったのか?」
すると、ステラは椅子から立ち上がり、地獄の扉を静かに開けた。
扉の向こうには地獄が広がっていて、殺風景の中を苦しみ転げまわる人々の姿が見える。
「この景色を見続けて、この景色だけを見続けて、貴方なら出たいと思う?」
俺は黙って首を振る。確かにこれを見続けて、出たいと思うなら生来のマゾだろう。それも相当の。
さぁどうするべきだろうか。人道的観点からすれば、当然ステラを連れ出すべきだ。
平時なら迷わず連れ出すところだろう。血の通った人形のように可憐かつ、利発さが垣間見える言動。まず手は掛からないと予想できる。
てか可愛いし。ゴスロリ風のドレスに紅の目とか、めっちゃ可愛いし。
まぁともかく、普通なら連れ出すところだ。気の向くままに、何の責任も感じずに彼女を牢獄から解放するはずだ。
しかし……それはダイレクトに地上へ連れ出せる場合の話。地獄に連れていくとなると話は全く別である。
俺とミラだけでも、どうなるか分からない旅路に、いたいけな少女1人連れていけるだろうか?
――答えは否である。
しかし……ここで俺が連れ出さなければ……。
そう思った時だった。突然ミラがステラの膝に乗り、彼女の体に鼻を押し当てる。
「酷い話じゃ。まだ幼き娘ではないか……。我が力を貸そう。安心するのじゃ」
「別に助けなんて要らないわよ」
ステラがそう言うと、ミラが振り返って俺を見る。
「怜司よ。今、我らが連れ出さずして、誰がステラを連れ出すというのだ? 我はステラを放っておけぬ。主はどうなの……もごもご」
ステラが手でミラの口をふさぐ。そして、首を振ってもうやめてと呟いた。
「だから、助けなんて必要ないの。行くならとっとと行きなさいよ。そんなに言われたら……本当に出たくなっちゃうじゃない」
おっ、と思いステラを見ると、彼女は理路整然と言葉を連ねる。
「確かに、私はここに居たいと思ってる。だけど私はこの牢獄の内部しか知らない。外の世界を知る貴方達が、地獄を潜ってでも戻りたいと思うなら、その選択が正しいんでしょ? でも……」
「でも?」
「だって足手まといになるじゃない。私、本当に役に立たないもの」
はっきりしない声を出して、首を振るステラ。
その姿を見た次の瞬間、思わず彼女の手を取っていた。
義務教育も受けてないガキンチョが、一丁前に遠慮して一生牢屋で過ごしますと宣言したのだ。
何の罪を犯したか知らないのに、延々と牢獄に閉じ込められ続ける。
高確率でそんな運命をたどる少女に、見て見ぬふりをカマすなんて、いかに面の皮が厚い俺でもできないのだ。
仮にだ。俺達の後に、ステラを連れ出す人間がいるとしても、それよりは俺とミラに着いていった方が生存率も高かろう。
「ちょ、ちょっと! いきなり何するんだ。やっぱり変態なのか?」
腰を落として、狼狽して口調が変わっているステラに目線を合わせる。
「変態かもしれないな。俺のエゴでお前を連れていく。変態と呼ぶならそれでいい」
心理学的に、助けることができる存在が自分しか居ない場合、一種の情が湧くらしい。
今の状況は正しくソレだった。
彼女の赤い瞳を真っ直ぐ見ていると、ステラは蝶でも追うようにゆらゆらと視線を動かす。
やがて、俺達の視線は交錯した。彼女は斜に構えて、勘繰るように目を細める。
俺に向けられたのは、純粋な猜疑心だった。
疑うことを知らない少女が、性能の良い頭脳で悪意の無い純粋な疑いをしているのが見て取れる。
「おかしいわ。こんな小娘にも分かることよ。私を連れていくのは合理的じゃない」
彼女は俺を嫌悪していない。ただ純粋に不思議に思っているのである。
ゆえに、1つの考えが浮かび上がる。仮に彼女を連れていくとして、この説得文句が非常に重要だということだ。
俺がここで納得できない説明をしたら、一緒に行動している間、ステラはずっと不安に思ってしまうだろう。
彼女を安心させるために、整合性の有る文句を吐かなければいけない。
しかしながら、どんなに理由を捻ったところで、ストンと納得できるものは浮かばなかった。
結局、俺にできたのはステラの頭を撫でてやることだけ。
俺の善意は彼女の純粋な猜疑心に届くだろうか。とりとめなく考えながら、濡羽色の頭を撫でる。
「意味も無く閉じ込められたんだ。意味もなく連れ出されてもいいんじゃないか」
長い沈黙が部屋に降りた。
ステラはその間、ずっと無言で、それでいて彼女の瞳の奥では様々なモノ浮かんでは消えていった。
あるいは、ステラは自分が捕まった理由に心当たりが有るのかもしれない。ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。
やがて、彼女の瞳から沼のような思考の光がすっと消える。恐らくは、色々なことを棚に上げたのだろう。
ステラはひょいと肩をすくめ、世捨て人のような表情を浮かべた。
「バカみたい。好きにすれば?」
「おう、じゃあ一緒に行くか」
「アンタの事は、これっぽっちも信頼してないけどね。考えてみたら、いくら考えても、その通りに進む事なんて、今までの人生で一度も無かったから」
「……そうかよ。大変結構なことだな」
その言葉にガックリきたが、一応は連れ出されることに同意してくれた訳だ。
信頼も安心も0から積み上げていこう。お客様に失望されないよう、精一杯のエスコートをしていくだけだ。
せめて、多少は能有る人生の先輩として、理不尽な思いだけはさせないと、小さく心に刻んだのだった。