0話 現実世界のくたびれた晩餐
秋葉原駅を降りると、この街独特の色が俺を出迎える。10年前と変わった事は特に無い。
強いて言うなら、二次元のアイドルグループが代替わりし、駅前の有名スロット店が営業終了した所くらいだろうか?
外国人が多くなって、店の照明も少しバリエーションを増したかもしれない。
――学生時代の俺にとって、この街は理想郷だった。
某弾幕シューティングゲームのアレンジCDを漁り、カードゲームの『禁止・殿堂』情報を友人と予想し、〇系ラーメンを本家の劣化と言いながらかき込んだ。
ある日は、カフェで創作活動にいそしみ、またある日は、一日中パチスロと洒落込んだものだ。
大学卒業まで、その理想郷を等身大で楽しんでいた。
……そして、卒業から10年が経ち、いつの間にか理想郷は消えていた。
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店の暖簾をくぐり、仲間が座って談笑している席に手を合わせる。
「すまん。セルフ残業かまして遅くなったわ」
「遅いぞ、怜司」
「お前一番暇だろ」
「セルフ残業で人待たせんな」
みんながガハハと笑う。ここは秋葉の端っこに建つ肉料理の店だ。俺達4人はその店の最上階に、月1で集まっている。
大学卒業して10年、俺達の人生はバラ色だった。
仲間3人は、全員エリート街道を進んでいる。
俺はと言うと、新卒で入った会社を2年で辞めた後、会社を育てるようなファンドに参加し、今は独りでカネを転がす毎日。
俺は全てに満足した。そして、その瞬間、俺の人生は頭打ちになったらしい。
徒然なる日々を過ごすにつれ、人生はどんどんつまらなくなっていく。
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気付けば終電時刻が迫っていた。
「どした怜司、今日は元気ねぇな。良くない中間報告でも見たか?」
「そうでもないさ。第一、報告を見て肩を落とすのは3流だ」
「それもそうだな」
「でるか」
「そうだな」
幹事が店員にクレカを渡し、全員がしっとりとしたコートに袖を通す。
ふと、誰かが吸ったタバコの煙につられ、俺は窓外の景色に目を向ける。
……最上階から見た秋葉は、想像以上に小さく見えた。
「何してんだよ怜司」
「いや、小さく見えるなって思ってな」
言うと、親友が肩に手を乗せてくる。
「そりゃそうだろ。俺らのスケールが大きくなってんだから」
スケールが大きくなった。なるほど、確かにそうかもしれない。
「でもよ、世界って――」
反射的に言葉が出かかり、俺はあわてて水を飲む。
親友は昔と変わらない笑顔で、飲みすぎか? と俺を気遣うそぶりを見せる。
本当はこう言いたかった。
『でもさ、世界ってつまらないよな』
変化の無い毎日を過ごす心からは、世界に対する暴言が無限に噴出してくる。
つまらない。くだらない。色褪せて見える。バカバカしい。
だけど、この世界で楽しく過ごす彼らの前では、口が裂けてもそんなことを言えなかった。
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総武線に乗り込み、暗い顔をしている黒一色の連中を眺めていると、何だかとても悲しくなってくる。
金が有っても使い道が分からない。肉体的に、物的に満たされようと、心が満たされる事は無い。
一度そう思ってしまった瞬間、自分の中の何かが崩れた。
それ以来、ただ一つを除いて……何をしても心が満たされることが無くなった。
『ただ一つ』は虚構だった。俺はファンタジーの世界に身を浸し続けた。沢山の同胞達が描いた異世界冒険譚だけが俺の心に彩を差した。
現実を生きていても面白くない。自分もキャラ達のように、心躍る世界で心躍らせる仲間と共に冒険してみたいと希望する。
思うに、この世界は固定され過ぎているのだ。
例えるなら、複雑に絡み合った糸だ。
複雑に絡み合っているから、力にモノを言わせて引っ張っても動かない。
解こうとしても、積み重なった近代以降の高度な歴史が、俺達の行動に立ちふさがる。
とてもじゃないが、人生一回では大した変化を起こせない。
土台、大きく動かすこともできないのだ。この世界は、大量の積み木を乗せたオモチャのシーソー。
大きく動かせば、決定的な破局を迎えかねない。
よく言えば、一応の完成を見た世界。悪く言えば、質の悪いドン詰まり。
現代社会という病巣で、一体俺に何ができる?
とまぁこんな風に、考えても仕方の無いことに時間を使っていた時だった。
突然に車内アナウンスがこだまする。
『新宿――新宿――』
慌てて立ち上がるがもう遅い。新宿は俺の降車駅である。
「……マジか」
久々に電車を乗り過ごし、思わず拳を握りしめる。しかしそんな小さい事で気を荒げる程、33歳の心は若くない。
携帯に指紋を喰わせて鍵を外し、仲間達が住む『なろう』に行こうとした刹那、通知一件が画面の上部に灯る。
――うざいな。
しかし重要なメールという可能性も有るので、スルーする訳にもいかない。
「夜分遅くに何ですかねぇ……えっ」
タップした瞬間、画面が暗くなり、馬鹿馬鹿しい二択だけが明るく光る。
『本当に異世界への転移を望みますか?』
・選択肢Ⅰ:はい
・選択肢Ⅱ:いいえ
――何かのウイルスか?
しかし電源を落とそうとしても、その画面は消えない。バッテリーを引き抜いても、なお残り続ける。
不審極まりない現象だ。中央線で飛び降り自殺した幽霊が、一枚噛んでいると言われても、余裕でうなずいちゃうレベル。
しかしまぁ、面倒くさかったので、異世界に転移したいを適当に押してみる。
すると、画面に新しい文字が現れた。
『魔族として転移したいですか? それとも人間? それともーー』
「まだ有んのかよ。だるいな」
そして適当に『人間』を押した刹那、俺は意識を刈り取られた。