氷河期おっさんは”安楽死とセットの人生定年制、割り増し老齢年金支給制度”を希望するの巻
何歳まで生きるかを自分で決めて、将来自分が貰うはずの金を早めに貰う制度の話です。
”安楽死とセットの人生定年付き割り増し老齢年金支給制度”
財源は自分が将来貰うはずだった社会保障費なので、計算上は可能なはずです。
倫理的にはダメなやつですが。
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”安楽死とセットの人生定年付き、割り増し老齢年金支給制度”
あらかじめ人生定年を自分で決めて、その年齢で死ぬことを前提に
することで、将来自分が使うはずの社会保障費を前倒しして貰う
というネタです。
このネタに関しては、自由に流用していただいてかまいません。
※私以前に同じネタで書いている人も居るかもしれません。
ある年齢で殺される社会というネタは何度も見たことがありますが、
(姥捨て山もその類ですよね)
自分自身で寿命を決め、長生きすれば使うはずの社会保障費を
自身の選択で前倒しで貰うというネタは私は見たことが無かったので。
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”加齢臭と転移する竜”の中で主人公のおっさんが思い付いた政策です。
内容的に独立していて、単独でも面白いと思ったので、分離して置いておきます。
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加齢臭と転移する竜
21-17.おっさん定年付き人生を希望するの巻
簡単に言うと、おっさんが異世界で終活する話ですが、この政策については、おっさんが、こっちの世界に戻ってきたときに言ってた内容です。
※主人公のこのおっさんは、作者とは別人と言う設定になっています
(主人公は中小企業の正社員という設定です。本編の作中では49歳ですが1971年生まれの人です)
とりあえず、俺はこのまま行けば65歳まではなんとかなりそうだ。
急に人手が余って、うちの会社にまで、若いのが殺到するようになったら話は変わるが。
まあ、それは大丈夫だろう。
なにしろ”新成人”は減り続ける。そして、お荷物の老人は増え続ける。
この流れは当分続く。新生児がいきなり増えても、その子達が労働力になるのはずっと先の話。
この先20年の成人数は予約済みだ。減ることはあっても、増えることはない。
※成人年齢が18歳に変更になりますが、ある年に生まれた人の人数は、生まれた年に決まり、
その人数は減ることはあっても増えることはないという意味だと考えてください。
むしろ、心配なのは、いつまで働かされるかだ。
さっさと引退したいが、労働期間中の平均年収400万程度の俺だと、65歳で年金貰い始めると月13万程度……
その金額で生きて行くのは不可能では無いけど、俺はそんな生活で長生きしたいと思わない。
どうせ、支給額の上昇より、物価上昇が上回って、俺が貰う頃には実質的に現在よりさらに目減りする。
俺が給料をもらっている間、止まっていた物価上昇は、俺が給料をもらえなくなった頃に上昇する。
今まで止まっていた反動で、上がる速度はそこそこ早くなる。
だが、上がる時には、俺は定年で昇給はほぼ無い(あっても物価連動程度)。
貧乏くじ世代の宿命だ。
生まれた時代が悪かった。
そして、やり直しもきかない社会では、もはや生きていくことに希望が無い。
貧乏くじ世代、人生消化試合の俺は、生きることにとても疲れている。
俺の世代には、希望の量が少なすぎるのだ。
俺は思うのだ。
俺のように人生に希望を感じていない人向けに、”人生定年”を作って欲しい。
それを党の方針の中核に据えた政党があれば、俺はその政党と候補者に投票する。
俺は、”格差を無くそうとか、皆が幸せに”とか言っている政党には投票しない。
そんな言葉は今まで散々聞いてきたが、俺達の世代が救われることは無かった。
今まで放置してきたくせに、今更何ができると言うのか。
手遅れになる前なら1000億円でできたことが、今やったら金額で100兆円、さらに、救済対象を絞るのは難しい。世代間格差を埋めるための大々的な法案を通すのは難しい。
若年層であれば、若年層の拡充、老年層なら老年層の拡充はできるかもしれない。
氷河期世代を狙って中高年を支援するのは難しい。
つまり、おそらくまともに効果を発揮するほどの手段は無い。
2000年頃だったら、若者の雇用の促進、再教育など対象を年齢で絞って、それなりの効果が出せただろう。
50歳の人を再教育して、価値を上げることができるか?
スキルアップを名目に支援することは可能だが、再教育受けた人間を社会が必要とするかと言うと、恐らく必要としないだろう。
中高年は経験を積み上げる期間も残されていないので、現場で即戦力として使えることが求められる。
既に、それなりの実務経験を持っている人と近いレベルまで持ち上げる必要がある。
PCのオフィスソフトの初級、中級くらいの教育はできるだろうが、それが売りになるかと言うと、正直難しいように思う。
仕事の内容なんか、様々だ。
”実務経験あり”に相当する程度まで汎用の訓練施設で持ち上げるのは難しい。
それなりの給料を払う価値があると判断される人材を、少々の教育で供給するのは不可能だ。
中高年のスキルアップに金を出しても、結局、結果としてメリットを享受できるのは”教育受ける側”ではなく”教育を行う側”。
教育機関に金が回って終わる。
若い人が、受けた教育レベルを看板にできるのは、期待値を上げる効果があるからであって”教育に生産性を上げる効果が有るか?”と言うと、0では無いが「ほとんど評価されないレベル」と言って良い。
新卒の場合は、学力競争の結果が、教育の履歴となって見える。
これは、ある程度目安にできる。学校で何を習ったかではなく、
学歴に比例して、その人がはじめから持っている素質が高い可能性が高くなる。
だから、何を習ったかよりも、学力偏差値の方が重視される。
素質を見るための目安になるからだ。
医学部のように、一部例外はあるが、人数的に殆どの就業先で学校で習った内容はさほど問題にならない。
本当に習った内容に期待するなら、習った内容、専攻の方が重要で偏差値の比重はあまり高くないはずだが、実際の基準は偏差値の比重が高い場合がほとんどだ。
専攻は、習った内容ではなく、その人の興味の方向として捉えられる場合が多いだろう。
興味のある仕事の方が率先してやるのでwin-winの関係になりやすいくらいの話で、学校で習った知識にはあまり期待されない場合が多いと思う。
現場で長年働くうちに伸びることが期待されているのだ。
中高年に伸びを期待する時間は残されていないし、もう新しいことを吸収する速度は若い人材ほど期待できない。
中高年に幅広く受けさせる教育だと、”単に教育訓練受けました”では、あまり効果が無い。
将来の可能性に期待できない人たちだ。
”雇用すれば、一時的に補助金出します”という制度では、補助金目当ての使い捨てになる。
結局は、継続的な給料の補填でしか救えない。
給料の半分を国が補填します……だと、安い労働力として使ってもらえる。
簡単に言うと、生活補助が上乗せされて会社から支払われる。
これだと、兆単位で予算がかかる。
形を変えた生活保護を広範囲にばらまくのと一緒だ。
経済的に現実味に欠ける。
もっと現実的な金額で打てる効果的な施策があるなら、具体的な策と財源をセットで示せ。
埋蔵金とか腹案とかでなく。
そして、その計画がわずか数年で達成できると信じられるような根拠を示せ。
そこそこの実行力があったところで、計画の数倍の期間がかかる。
開始から効果が出るまで30年とか、そういう期間がかかるだろう。
どうせ、救済策は、俺の世代には間に合わず、恩恵を受けるのは後の世代。
実際は、俺たちの世代を切り捨てることで、後の世代が負うダメージを減らす政策になるだろう。
弱小政党が夢のようなことを言ったところで、言ってるだけ。実行力が足りない。
そんな効果の望めないものより、やって欲しいものがある。
”安楽死とセットの人生定年付き割り増し老齢年金支給”だ。
財源は、その人が長生きすると貰えるはずの社会保障費だ。
年金と、長生きするとかかるはずの医療費、介護費。
もちろん個人差があるので平均値から算出する。
医療費、介護費まで考慮すると、支給額を大幅に上積みできるはずだ。
凄く簡単に言うと、年金支給期間を半分にすれば、金額を2倍にしても総支給額は同じになる。
さらに、社会保障給付のうち年金は50%弱だ。年金+医療費+介護で90%。
死因の上位は癌と生活習慣病。
ある程度長期にわたって高額の医療費を使うタイプの病気だ。
長く健康を保ち医療費使わずコロッと死ぬ人は少ない。
死因を見る限りそうなる。
つまり、医療費の多くを人生の末期で使う。
人生末期の老人にその医療費使って延命しても、社会保障費を消費するだけで、社会に何も還元しない。
だったら、延命に使うその金を、その人が元気なうちに使える金として前払いしたほうが、嬉しいと感じる人も多いだろう。
医療費、介護費も考慮すれば、年金支給額を2倍、年金支給開始を前倒しして、支給期間を平均年齢まで生きた時の2/3としても足りるのではないだろうか。
寿命が短くなれば、総支払額を変えずに、支給できる年金額を大幅に上積みできる。
例えば、65歳から生きている限り毎月12万貰えるところを、人間定年80歳で申請すると、支給額2倍で24万で60歳から貰えて、80歳で安楽死してもらえる。
別に死ぬことを強要するわけではない。
何歳まで生きるかは自分で決めれば良い。
太く短く行きたい人は、その生き方を選択可能にする。
そうすれば、孤独死の事故物件とかも減るし、周りに迷惑かけずに死ぬことができる。
平均年齢も下がって高齢化が抑制される。要介護者増での人手不足も解消だ。
介護という職は、生産性を上げにくく、老人を介護しても、回復して社会の役に立つことはあまり無いので、将来に対しての投資にもならない。
減らせるなら減らした方が良い仕事だ。
減った分の労力と金は、介護士に回して、仕事量、人数の調整、つまり他業種への移行の補助に使って欲しい。
要介護者が一気に減って、介護士の大量失業というのは俺は望まないから。
なるべく特定の人に皺寄せがいかないようにして欲しい。
俺は、氷河期世代のような、本人の努力と関係無いところで発生した皺寄せで、不幸になる人を増やさないで欲しいのだ。
俺は、社会に対する仕返しではなく、未来の社会が、より良い継続可能な社会であり続けるために、この方法を提案したい。
希望の無い人間は長生きすること自体には興味は無い。
心臓が動いているからといって、長く苦しまされるのは嬉しくない。
しかも、社会の負担になってまで。
誰も得しない。
予め決めた日に心臓を止めて欲しい。
自殺可にすると偽装の殺人事件とかが増える。
警察も事件性とか調べないといけないから手間がかかる。
死因特定のため解剖とか手間がかかりすぎる。
ずっと先の安楽死を、自分で設定できるなら、そんなに問題ないと思うのだ。
嫌なら申請しなければ良い。
いや、そういう制度を作ると、ホームレスを大量に確保して申請する人とか出てくるから、それも難しいのか?
色々課題は有る。
が、希望の足りない人は、苦労してまで長生きするメリットが無いのだ。
”命を売るのか!”とか言い出す政党や政治家が出てくるとは思うが、別にどうでも良いことだ。
良し悪しは選挙で決めれば良い。民主主義なのだから。
全員が人生定年を選ばなければならないような社会は俺も望まないが、人生定年を望む人だけが定年を設定できる制度なら、投票で決めれば良いと思う。
反対する党には、俺は投票しない。
そして、この法案を通してくれれば、俺が死ぬまで、その党に毎回投票する。
俺は”皆が幸せに”とか当たりさわりの良いことを言って、具体的な対策ができないような政党や政治家は支持しない。
そして、恐らく俺の同志はとても多い。
俺には氷河期に放り出されて放置された仲間がたくさん居る。
1年に200万人以上の子供が生まれたのだ。その大部分は今も生きている。
ひきこもり中年となって生き残っている人もたくさんいる。
俺達の世代は、協力して前に進む突破力は、まるで無い。
世の中を変えたければ選挙行けとか言うが、皆で選挙に行っても、票が割れれば効果は薄い。
氷河期救済を大きく掲げた政治家がいれば投票するが、そんな政治家はいない。
単に投票率を上げるだけだと、ネタ候補が当選しやすくなるだろう。
投票率が上がれば、投票者の質の平均が下がるのだ。
選挙行けば全て解決なんてことは無い。
そもそも、特定の党に票が集まったところで、ほとんどの場合、たいした効果は期待できない。
ピンポイントで氷河期世代を救うことを前面に出している政党は無い。
『若い人が活躍できる社会を』とか言ってる政党に投票すると、俺が老いたときにその政策が動き出す。
だからと言って、老人が活躍できる社会とか言ってると引退できない。
年寄りが楽して暮らせる社会を実現します!と言ってる政党が有っても、財源的に無理だ。
年100万人しか居ない世代の人たちに、年200万人超えの世代を扶養しろと言ったところで、たかが知れている。
生産性を上げるとか言い出すと逆の結果が訪れる。
生産性は計算式がバグっているので、既にある程度成熟した社会では、生産性の数字を上げるほど実際の生産性は下がる。
実際に生産する人の生産性は低く出るという計算式だからだ。
ある程度最適化の進んだ社会では、手間のかかる仕事は切り捨てるのが、計算上の生産性を上げるコツになる。
簡単に言うと、生産を他人に押し付けて、自分自身は生産しないことが生産性を上げるコツになる。
実際に生産しているライン工の生産性は高くない。
100万人で200万人分稼ぐと計算上の生産性は2倍になるが、そのためには生産性の低い仕事は切り捨てることになる。
つまり、現役世代は生産性の低い仕事を切り捨てるしかなくなる。
実際に生産する人が居ないと言う状況になる。
結果として、儲けにならない仕事は、年金暮らしの老人にでもやらせておけということになる。
例えばボケ防止にリハビリだけど多少の報酬は付く、という仕事を年金受給者に与え、労働者の枠から分離して生産性を出せば、計算上の労働者の生産性は上がる。
ただ、トータルとしての生産性が上がったわけでは無い。年金受給者が奴隷になるだけだ。
老人を使わずに、面倒な仕事は国内でやらないようにしても、見た目の生産性は上がるが、実際の生産性は下がる。なるべく生産しないのが生産性を上げるコツだから。
国内から生産性の低い仕事を排除して、海外に発注すると計算上の生産性は上がる。
だが、国内はスカスカになる。
計算上の生産性が上がると、戦争を含む、大災害が起きたときのダメージがより大きくなる。
移民? 移民は奴隷では無いので、一時的に労働力になったところで、年とれば社会保障費を食うようになる。労働力以上に、将来お荷物になる。
長い目で見たらマイナスだ。将来に禍根を残す政策を実行してはいけない。
負の遺産を残してはいけない。
もし氷河期優遇政党ができたところで、大人数を生かして氷河期優遇政党を支持したところで、”なんと、20%減の予定を10%減に抑えました!!”とかが限度で、2倍とかにはできない。
困窮して暮らすことになる。大差無いのだ。
財源の無しに支給額上げることはできない。ところが、安楽死を使うと財源が確保できる。
長生きすると使うはずの自分の社会保障費を、自分で期間を有限にして前払いで貰うのであれば、計算上可能なはずだ。
寿命を断つ安楽死とセットにすれば、実現可能になる。
こんな法案通します!と言ったところで、普通は票が集まらないだろう。
だが、俺達の世代には可能だ。無駄に人数が多い。
一見後ろ向きなことにでも、協力できる。
貧乏くじ世代だから。
社会は時間をかけて俺達の世代をこういう存在に育てることに成功した。
一見マイナスなことも、俺達から見たら、とても大きなプラスになることもあるのだ。
もう何の希望も無いから今すぐにでも死んでしまいたいと思っている人の数は案外多いのだ。
極貧の中、細々と長生きしたいと思う人はそんなに多くないかもしれない。
”皆が幸せに”とか言っている政党に投票するために選挙に行かない人たちでも、
”安楽死を選べば年金割り増しです。財源はあなた自身の社会保障費です”
と言う法案を前面に押し出した政党が出てくれば投票しに行く人も居るだろう。
日頃、引き籠っている人でも投票しに行くかもしれない。
消費税増税して、それを財源に年金若干増やしますとか、そんなことで幸せになったりはしない。
俺は、消費税少し上げる程度の対価で”老後幸せになれるようにします”なんて言われても期待しない。
”対価が寿命です。そのかわり死ぬまでの間楽して生きられますよ。
財源は長生きしたときにあなた自身に使われるはずの社会保障費です”
と言われた方が納得しやすい。
社会の安定した運営は必要だ。与党はそうでなければならない。
だから、将来の世代に負の遺産をなるべく残さないように国家を運営して欲しい。
莫大な借金を残して、俺たちの世代を救えとは言わない。
未来に借金を残してまで楽したいと思わない。
だが、氷河期世代は、他の世代と平等に扱われても、今更老後を幸せに送ることが難しい。
一時的な人口の出っ張りに対応するために、新たな設備を作るのは無駄だ。
将来に対する負の遺産となる。だから、見捨てられるのは仕方ない。
慣れている。今までだって、ずっとそうだった。
だからこそ、最後の数年くらい苦労せずに生きられる選択肢が欲しい。
苦しみが長く続くなら、俺は長生きしたくない。
そして、できれば、俺達がなるべく早く居なくなるように、他の世代の人にも応援して欲しい。
社会に歓迎されなかった人間の望みは、初期には”歓迎されたい”だ。
だが、長期にわたって歓迎されない状態が続くと、”早く居なくなりたい”というのが希望になる。
年齢、寿命の問題があるからだ。
40~50代になってから、20代でやっておくべきだったような仕事を与えられてももう遅い。
急激に能力は下がっていく。下がる能力を経験で補う年齢だ。
物事にはタイミングと言う物がある。
”受け入れて欲しい”を実現して欲しかった時期は遥か昔に終わっている。
いつまでも、初期段階に対する対策をしても意味は無い。負担に見合う効果は得られない。
そして、既にチャンスが失われた状態で何十年か過ごすと、その時の希望は、”受け入れて欲しい”では無く、”もう放っておいてくれ、むしろ早く居なくなりたい”に変わっている。
そして、できれば、居なくなる時、俺達のような存在が居たのだということを覚えておいて欲しい。
そうすれば、幸せな気持ちで逝ける。
社会に対する当てつけとかではない。皆が幸せになる方法の提案だ。
いくつもの問題が一気に解決し、皆幸せになれる政策だ。
10年くらいかければ、実施可能では無いかと思う。まだ間に合うと思うのだ。
1つ釘を刺しておく。
寿命の対価として得るはずだった金を搾取し、他の用途に流用しようとする政治家が現れるだろう。
その金に手を付けたときどうなるか先に書いておく。
寿命と引き換えに得た金が他の用途に流用されたり目減りした場合どうなるか。
社会への報復だ。
そんなことにならないよう、確実に払っていただきたい。物価に連動して。
物価上げて、支給額は据え置きじゃ減額と同じだから。
”安楽死とセットの人生定年付き、割り増し老齢年金支給制度”
このネタは、自由に流用していただいてかまいません。
異世界で終活する話を書いてたら、主人公が勝手に言いだしただけなので。