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2.残された時間で、残される彼に───

この話は、『第一章 38.慟哭』をカレン視点で書いたものです。

どうしても、これを書きたかった……!



───燃えるような熱さと、凍るような寒さという相反する感覚が全身を支配していた。


上手く息を吸えず、意識が朦朧としてくる。

今日ここで自分は死ぬのだと、ひどく冷たい理解があった。


───誰にも看取られず、ひとりで。

叶わないことだとは分かっているけれど、求めずにはいられない。


大切な人の微笑みを。彼の手の温もりを、感じたい。


でも、そんなことは許されない。

───他でもない、私の行動によって。


目を、ぎゅっと瞑ったときだった。


『…カレン……』


声が、聞こえた。


どこか悲痛で、胸が締め付けられる声が、私の名を呼ぶ。


よく知っているはずの、いつも隣にあった声。

───この瞬間、最も欲した声。

導かれるように、重たい瞼を持ち上げて。


──ああ、そうか。来て、くれたんだ。


ぼやけた視界の中、彼の顔だけがやけにはっきりと見えた。

漆黒の髪に、紫の双眸。


──…アルバート。


───彼の姿が滲み、目尻から一滴の雫が零れて頬を伝い落ちるのを、カレンはぼんやりと感じていた……。



***



───カレンは、ずっと友達というものがいなかった。

いじめられたとか、そういうことがあったわけではない。ないけれど、自分の感情を表に出すことに躊躇いを感じていた。

誰とも喋らないカレンのことを、両親が心配してくれているのは分かっていた。だが、同年代の子ども達を前にすると、舌が強張り、どうやっても声を出すことができなかった。


「あの子といても、つまんない。だって、なんにもしゃべってくれないんだもん」


そう言って、皆が遠ざかっていく。

尚更、カレンは話すことができなくなった。

前は普通に話せていた両親に対しても、口を開くことさえできない。


どうしてこんな風になってしまったのかも分からず、広場で皆が楽しそうに遊ぶのを横目に本を読む日々。


本ばかり見ているカレンのことなど誰も気にとめず、干渉されることもない。

───自分が、世界から薄れて消えていってしまいそうで。

そんな毎日が続いていた。




「───何の本、読んでるんだ?」


───十歳になったある日、変わらない毎日は終わりを迎えた。

知らない少年の声が、自分にかけられたものだと理解するのに時間がかかった。カレンに話しかけてくれる人なんて、もう誰もいないと思っていたから。


「……ぁ」


早く、何かを言わなければ、黒髪の少年は立ち去ってしまう。

これまで関わってきた皆と同じように、遠ざかってしまう。

───それだけはどうしても嫌だと、強く思った。


しかし、意思とは裏腹に、声は出なくて。

声の出し方が分からない。長いこと、喋ることができなかったせいで。

両手を握りしめ、どうにか話そうと荒い息をつくカレン。

地面に転がった丸太の上に腰掛けるカレンに合わせて、しゃがんでこちらを見ていた少年が立ち上がった。彼も、行ってしまうのだろう。

諦念を宿し、唇を噛むカレンだったが───少年は去らず、それどころかカレンの隣に腰を下ろした。


少年は、驚いて目を見開くカレンの膝の上に乗る本を手に取ると、表紙を見た。


「…知らない本だ。───一緒に読んでもいい?」


気が付いたら、頷いていた。

涙が零れそうになるのを、必死に堪える。

初めて、だった。───話せないと分かって、それでも隣にいてくれたのは。


彼───アルバートは、カレンのことを聞き出そうとはしなかった。意思を確かめるときはいつだって、頷くか首を横に振るかで、声が出せないカレンにも答えられるように聞いてくれていた。


「おーい、アルバートー!なにやってんだよー!」


二人で本を読んでいると、突然遠くからひとりの少年が手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。体を強ばらせるカレンに、アルバートは大丈夫だと言うと、少年に手を振り返した。

走ってきた亜麻色の髪の少年はカレンに目をとめると、


「あれ、お前見たことないな。誰だ?」


質問に答えないカレンに少年は訝しそうな顔を向ける。少年が何かを言う前に、アルバートが説明した。


「この子、しゃべれないみたいなんだ。ひとりだったから、レオもまだ来てなかったし、一緒に本読んでたんだよ」


アルバートの説明に、レオと呼ばれた少年はふうん、と頷いた。それからカレンに手を差し出すと、


「鬼ごっこしようぜ。もうすぐルイとルナサも来るはずだし」


「あれ、ルイとは一緒に来なかったのか?」


「置いてきた」


「……」


微妙な顔で沈黙したアルバートを放置し、レオがカレンに向き直る。


「───鬼ごっこは、話せなくても遊べるだろ?」


カレンはしばしレオを見つめ───彼の手のひらを取った。


走って遊ぶなんてこと、したことがなかったカレンはすぐに息が切れてしまった。凄く疲れて、家についたとたん寝てしまったけれど、心はこれまでにないくらい、晴れ晴れとしていた。

嬉しそうに毎日広場へ出かけてゆくカレンに両親は喜んだ。話すことは相変わらずできなかったが、笑顔を浮かべることくらいはできるようになっていた。


「楽しい?」


アルバートが休憩するカレンにタオルを手渡しながら、声をかけてくる。カレンは何度も頷き、それを見たアルバートが唇を緩めた。

───ふと、彼の笑顔を見てみたいなと思って。

自然と、口を開いていた。


「……う」


「───」


「───ありがとう、アルバート」


久しぶりの自分の声は掠れていたが、アルバートにはちゃんと届いたようだった。

彼はその紫紺の瞳を丸くしたまま、カレンの肩に右手をのせる。


「話せるように、なった……?」


カレンは頷くと、微笑んで自分の名前を伝えた。


「カレン、か。……良い、名前」


アルバートは口の中で何度か繰り返すと、笑みを浮かべてカレンの手を握った。



「───よろしく、カレン」



───この日、カレンの止まっていた時間が、世界が動き出したような気がした。




アルバートと会って、レオやルナサ、ルイと関わるうちに他の子ども達とも遊ぶようになって。

何もかもが色付いて見えた。何物にも代え難い輝きを纏っていた。

───変わったと、自分でも思う。

言いたいことを言えるようになって、かつての姿と元気の良いカレンは結び付かないと、よく言われた。


───いつしか、自分を、自分の世界を変えてくれた少年に好意を抱くようになっていた。

恥ずかしくて、言えなかったけれど。


二年がたって、背も髪も伸びて、少し大人に近付いてきたなんて思っていて。


───きっかけは、飲み物を買おうと近所の店に寄ったことだった。

下品な笑い声をあげる男達が、並んでいたカレン達を押しのけて割り込んできたのだ。

カレンはすくみそうになる心を抑えつけて、一歩前に出る。


「あの、並んでたんですけど」


笑い声が止み、こちらを睨む男達に思わず下がってしまった。舌が急速に乾き、何も言えなくなる。───昔、声を出せなかったときと同じ感覚。


「───子供のくせに、生意気だな」


言い返せなくなったのを良いことに、男達は乱暴にカレン達を押しやった。それだけでなく、ルナサが落とした硬貨を蹴飛ばした。


───こいつらは一体何だと思っているのだ。子供扱いするくせに自分たちは大人気なくルールを破り、挙げ句の果てにひとのお金を足蹴にするなど。

許せないのに、声は出ない。肝心なときに、また喋れなくなってしまった。


悔しかった。大切な仲間のために、声も上げられなくて。

───何より、あんな奴らに気圧された自分が許せなかった。


あいつらに───自分に、子供じゃないのだと認めさせたい。

認めさせることができれば、きっと怯えずにいられるから。

認めさせるには───、


「あいつらに子供だって馬鹿にするなって言ってやるには、大人でも難しいことを、私達がやってみせればいい!」


店を出て、無言で歩いていた皆が足をとめ、カレンを見た。


「魔獣と戦って、魔石を持って帰るのよ。そうすれば、子供のくせになんて、言えなくなるわ!」


思いついたアイデアを披露すると、レオの顔に納得の表情が浮かんだ。

やろう、という雰囲気になりつつある中、アルバートは難しい顔をしていた。


「魔獣は危険だから、遊びに行くなって言われてたはずだよ」


正論を述べるアルバート。彼の意見に異を唱えるのは少し躊躇われたが、ここで引き下がっては───前のカレンに戻ってしまうと思った。

男達に圧され、声が出なくなったカレンを振り払い、今のカレンでいるためには、これしかないのだと。

けれど、カレンはアルバートが一度こう、と決めたら梃子(てこ)でも動かないことも知っていた。

だから───、


「……分かったわよ」


───納得したように見せかけて、レオとルイの三人だけで魔獣の群生地へ向かった。

レオの家から、彼の父親が保管している短剣を三つ拝借し、気付かれないように街を走り抜ける。


結界の中に足を踏み入れ、カレン達は魔獣の姿を探して奥へ、奥へと───


「……おい、あれ」


レオが掠れた声を発し、カレンにも『それ』が見えた。

蜂の群れ、だ。───一体の大きさが、カレンの身長の半分くらいある。

細長い針を生やした蜂の姿は、本能的な恐怖を呼び起こした。


───カレン達は為す術もなく、魔獣達に周囲を取り囲まれ、鋭い痛みを感じるとほぼ同時に地面に崩れ落ちた。


そして───。



***



今までのことが走馬灯のように駆け巡り、カレンは瞬きを繰り返してアルバートの表情を焼き付けようとした。


アルバートの、泣き出してしまいそうな顔。


──そんな顔、しないでよ。


──笑顔のほうが、よっぽど似合うんだから。


いよいよ全身の感覚が遠ざかり、かわりに死の足音が近付いてくる。


───残された時間で、残される彼に、何を伝えよう。


伝えたいことは沢山あって、だけど時間が圧倒的に足りなくて。


「───アル、バートの言った通りに、すればよかった」




「ごめ……んね、アルバート……」


───謝罪。

カレンの浅はかな考えによって、優しいアルバートを傷付けてしまうから。


アルバートだけではない。───皆、カレンが巻き込んでしまった。

謝っても絶対に赦されない。赦されることではない。


最後の力を振り絞って、カレンは感覚のない腕を持ち上げた。彼の頬に、触れられたかどうかは分からない。───目は、見えなくなってしまったから。


温もりの中をふわふわと漂うカレンは、不思議と穏やかな気分だった。


一度くらい、想いを伝えてみたかったけれど。

───彼の重荷をこれ以上、増やしたくはないから。


だんだんと薄れる思考。───終焉が、近い。




──さよなら、アルバート。










──大好き。








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