40.夜想曲の余韻
丁寧な装飾が施された窓を開けると、夜風が髪を揺らした。
穏やかな話し声の隙間から、ピアノの音が聞こえてくる。その、どこか柔らかくて優雅なメロディーは聞き覚えがあるような気がしたが、どこで聴いたかは思い出せなかった。
皆がグラスを片手に談笑している中、ヴァンスはひとり窓辺に立ち、今日の主役に目を向ける。
招待客の祝福を受け、幸せそうに微笑むのはジュリアだ。彼女のとなりには、黒のタキシード姿の青年───アルバートの姿が。
───ジュリアとアルバートの結婚式が数刻前に終わり、今は披露宴が執り行われているところだ。
───三ヶ月前、呪いを解くことに成功し、首謀者たるディランとロイドを捕らえた後のこと。
無事全員が目覚め、ステラに感謝と畏敬の目を向けるようになったのは良いが、その後がいろいろと大変だったのだ。
いくらステラの力で命を繋ぐことができていたとはいえ、使われなかった筋肉は衰え、最も長く夢に囚われていたジュリアなどは杖を使わないと歩けないほどだった。
まあそれはある程度予測できていたことだったから、ゆっくりと元へ戻していけば良かったのだが。
問題は、アルバートが頑なにジュリアのそばを離れようとしなかったことだ。
脇腹の傷は深く、誰が見ても重傷者であるというのに、ジュリアの手を握ったまま離さなかった。
…気持ちは分からなくもないが、ヴァンス達としてはいいから安静にしてろと言いたいところだ。
どうやってアルバートを引き剥がして休ませるか、ヴァンス達は頭を悩ませたが、最終的には他でもないジュリアに睨まれ、同じ部屋で休む、ということで落ち着いた。ジュリア様最強。
ヴァンスの家───正確にはジュリアの部屋だが───で静養したアルバートはさすがの回復力を見せ、ジュリアが立って普通に歩けるようになるころには傷はあらかた塞がっていた。
捻挫程度の傷ならステラの力で完治させることも可能だが、アルバートの傷口は深く、また本人も遠慮したため、肉体の治癒力を高めることくらいしかできなかった。
このことについてステラは少々沈んでいたが、ヴァンス的には凄いとしか言えない。他者から力を奪い取ることしかできないヴァンスとは大違いだ。
ついでに説明するが、意識を取り戻したロイドの中に力は雀の涙ほども残っておらず、彼は常に倦怠感に苛まれ、動くこともままならなくなった。
ヴァンスのように、途中で与えられたものならなくなったとしても元に戻るだけだが、ロイドは生まれつき持っていた力だったのだ。それなしの体を知らない彼は、力を使いすぎたときのような苦痛にさらされている───とは、ステラから聞いた話だ。
自分の行動によってロイドを不幸にしたと考えるとかなりアレだが、力を吸い取ったこと自体は後悔していない。彼はそうされても仕方がないくらいのことをしてきたのだ。
───ロイドから力を奪ったヴァンスだが、呪いの能力が使えるようにはならなかった。ただ、これまでよりも体を動かしやすくなった、それだけだ。
誰かを呪う力なんて持っていたくないし、使いたくもない。けれど、ロイドはそういう力を生まれ持っていたのだ。そのことに対しては、憐れみを抱いた。
ディランのほうは拘束され、牢に入れられた当初は延々とアルバートやヴァンスに対する恨み言を喚いていたらしいが、あるときふっと静かになり、以後無言を貫いているらしい。
…と、そんなこんなであっという間に日々が過ぎ、ようやく落ち着いてきたので結婚式を挙げようということになって、現在に至る。
───アルバートの家に挨拶に言ったとき、彼の母が驚愕するという一幕もあったりしたのだが、それはまた別のお話だ。
純白のウェディングドレスを身に纏った妹の姿に唇を綻ばせていると、足音が近付いてきた。
「ヴァンス」
───声をかけてきたステラは仕立ての良い水色のワンピースを着ている。綺麗なグラデーションになっているワンピースは、ジュリアが仕立てたものだ。ステラはヴァンスと同じように窓辺に寄り掛かり、演奏に耳を傾ける。
儚くはあっても弱さは感じられない旋律はたゆたい、聴く者の心を撫でて流れていく。
「……綺麗」
ステラの囁きに頷き、ヴァンスはぽつりと呟いた。
「───良いな」
「───」
「俺達も、こんな感じの結婚式を挙げたいなってさ」
首を傾げていたステラの頬がほんのり赤く染まり、彼女は黙ってヴァンスの左腕を引き寄せた。
人前なのでこれでもステラは加減している。そっと彼女の頭を撫でると、腕を抱き締める力が強くなった。
いつの間にか曲は終盤にさしかかっている。
ステラならば曲名を知っているかと思い聞いてみると、
「───夜想曲。何番かは忘れちゃったけど、それは間違いない」
───夜想曲、という言葉の響きからして綺麗だ。
話している間に、曲は速度を増して一番の盛り上がりを見せ、伸ばされた和音に速く繰り返される四つの高い音が重なる。それは速くても決して攻撃的ではなく、言うなれば───夜空に煌めく星々のような印象を与えた。
星のきらめきはやがてまばらになり、リボンが引かれてほどけていくように、ゆっくりと最初の落ち着きを取り戻す。
温かく、柔らかい音たちは包み込むような優しさを持っていた。
───まるで、夜のような。
最後の音は鼓膜をそっと揺らし、披露宴の会場に───否、心に響いた。
「───」
ステラの温もりを感じながら余韻に浸っていると、ふとある疑問が浮かんだ。言うか言うまいか迷ってから、言うを選択する。
「なぁ、ステラ」
「───巫って、結婚できるのか?」
微笑みを浮かべたまま、ステラが硬直する。
これまで、巫の立場にある者が結婚したという話は聞いたことがない。…というか、幼い頃母が巫は結婚が許されていないと言っていたような気がする。
巫として人々に認められたステラだが、結婚に関しては盲点だった。
ステラを助け、呪いを解いて、まだヴァンス達の幸せの前に壁が立ちはだかるのか。
───いずれ気付くことになるとはいえヴァンスの一言は、夜想曲が作り上げた良い雰囲気を見事にぶち壊したのだった。
話の中に出てきたノクターンは、『ショパン ノクターン第二番 Op.9-2』です。素敵な曲なので、ぜひ聴いてみて下さい(*^-^*)
…ヴァンス達の世界にショパンがいるのかというあたりは気にしないでいただきたく(^-^;
この話にて、第二章は完結です。番外編を挟んで第三章に続きますので、お付き合いいただければ幸いです<(_ _)>
ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願い致します(*'ω'*)