39.称賛の声
───憧れがあった。
壇上に立つ、幼い少女を見たときに。
穢れを知らない、純粋な心をあらわしたかのような真っ白い髪に、息を飲んだ。
ヴェールの隙間から見えるルビーのような赤い瞳が、彼女の胸元で輝く宝石よりも美しく感じられた。
小さな背中に多くのものを背負った姿に、感動した。
───守りたいと、そう思った。
少女───巫を、支えたいと願って。
ずっと、手助けしてきた。
彼女を守る騎士として、できる限りのことはやってきた。
───沢山の人々の視線を浴びて、真っ直ぐ立つ少女の姿が、大好きだったから。
だから。
少女が立つべき場所を奪った奴らが許せない。
許せなくて、許せないから───、
「アルバート─────‼」
「叫ばずとも聞こえる。それに、こうなった以上───剣で語り合うのみだ」
───黒狂剣士の異名をもつこの男を、斬らねばならない。
常に冷静で、唇を引き結んだ表情を崩さないアルバートが、ディランは大嫌いだった。
ほとんど話さないくせに、騎士達からの信用はそれなりにあって。
戦闘時、一番前で狂ったように剣を振る彼は、誰よりも強くて。
巫───シエルにも、信頼される騎士で。
どうして、お前はそんなに。
───オレの欲しいものを、全部持っているんだ。
何もかも、ディランが欲しいと望んだものは、アルバートの手の中にあった。
この上、まだ奪うのか。
胸に秘めてきた憧れを、奪うのか。
───ディランの好きな、巫としてのシエルを。
「お前はまたオレから奪っていくのか───!」
息が切れる。刃が掠める。構わない。
剣と一体になって、守るべき彼女の姿を、思い出しながら───
「───そうか」
剣戟の隙間、目の前の男の唇が動いた。
「君は───巫としてのシエルの姿に、憧れていたのか」
何もかも見透かすような、紫の瞳が憎い。
分かったようなことを口にする唇が憎い。
欲しいもの全てを持っている彼が、憎い。
世界で一番憎い男の、憎い目を睨み付け、ディランは言った。
「シエル、様から……巫の座を奪ったのはお前だ。お前が……お前らさえ、いなければ!」
あらん限りの憎しみを込めた言葉に対し、アルバートはため息をつく。
その、見下している感が癇に障る。
───いつも、いつもそうだ。お前はそうやって。
全てを持っていて、ディランに違いを突き付けて、平然と眉ひとつ動かさずに見ているだけ。
悔しくて憎たらしくて、どれだけ修練しても追いつけなくて。
銀閃が弾ける。火花が断続的に散り、絶え間なく鋼と鋼がぶつかり合う音が聞こえる。
ひときわ、甲高い音がして。
───アルバートが持つ方の剣が、半ばで折れた。くるくると折れた鋼が宙を飛び、少し離れた地面へと突き刺さる。
剣を折ってなお、ディランの憎悪をのせた刃は止まらない。
アルバートが折れた剣で防ごうとするが、間に合わない。
───ディランの手に、剣を通して肉を穿つ感触が伝わると同時に、鮮血が散った。
───同時に地を蹴って、ヴァンスは鞘を付けたまま、剣を振り抜いた。
だが、ロイドは思いのほか動きが速く、避けられてしまう。空中で剣を振り切った姿勢のヴァンスは防御姿勢をとれない。
ロイドの手がヴァンスの体に触れる。
斬られたわけではない、ただ撫でられただけだ。着地すると同時に向きを変え、再び斬りかかろうと───したヴァンスの上体が、不自然に揺れた。
「───っ」
掠れた声を最後に、ヴァンスはその場に崩れ落ちる。───呪いの、発動だ。
ヴァンスが倒れるのを見て、ロイドは唇に笑みを浮かべてステラに歩み寄る。騎士達が守るように立つが、触れただけで呪いをかけられるロイドにとってはさほど問題ではない。
『力』を全身に行き渡らせれば、身体能力を強化できるということはすでに確認済みだ。戦闘に関しては素人でも、勝つ自信はある。
振り下ろされる騎士達の剣をくぐり抜けて、ステラの肩に手を───
「そこまでだよ」
ロイドの首に、腕が回されている。
───さっき倒れたはずのヴァンスが、ロイドの動きを止めていた。
「ヴァンス……確かに、呪いに……」
「ん?あれは演技だよ。呪いにはかかってない。だから動ける」
答えになっていない。ロイドが触れれば、例外なく呪いにかかるはずで───
「俺に与えられた力は、ずっと『身体能力強化』だと思ってた。でも、本当は違う」
「───」
「『力による干渉を受けない』───これが、俺の持ってる力だ」
だから、ロイドのもつ力───他者に呪いをかける力は、ヴァンスに作用しなかった。
───単純だし、一見使い道がないようにみえる力だが、ロイドにとっては致命的だ。
圧倒的不利な状況に追い込んだヴァンスは腕に力を込めると、口を開いた。
「さて───呪いを解いてもらおうか」
───少し、ディランの戦闘能力を見くびっていたかもしれない。
憎しみが彼に力を与え、結果としてアルバートの剣を真っ二つに折った。
───脇腹には剣が深々と刺さり、切っ先が背後に抜けている。
焼けるような熱が脇腹を中心に広がり、アルバートは奥歯を噛んだ。
突き刺さったままの剣を、ディランが動かそうとする。動かされれば、斬られる。
アルバートは剣の刃部分を手が切れるのも気にすることなく掴んだ。抜くためではない。動かされぬよう、力を込める。
悲鳴が聞こえる。誰の。思考が白熱し、分からない。
痛くない、わけではない。それでも、洩れそうになる苦鳴を噛み殺しているのは、きっと。
カレン達は、もっと痛かっただろう。
────もっと、苦しかっただろう。
これぐらいで、音を上げるわけにはいかない。
「─────ッ‼」
剣がさらに深く刺さるのも構わず、力いっぱい引き寄せる。と同時に、体を捻って全力の回し蹴りを浴びせた。ディランの骨が軋み、数メートルの距離を受け身もとれずにごろごろと転がっていく。
刺さったままの刃が内側を切り刻み、アルバートは咳き込む。白い布で飾り付けられた壇上に血の雫が散り、その赤がやけにはっきりと見えた。
アルバートは荒い息をつき、口もとを拭うと蹴りを浴びて吹き飛んだディランに歩み寄った。───脇腹に刺さる剣は放置しておく。止血するよりも先に、やることがある。
派手に飛ばされたディランは地面に全身を打ち付け、起き上がれずにいた。もしかしたら、骨折しているかもしれない。
頭を打ったのか、焦点の定まらない瞳でこちらを見るディラン。
彼の両腕と両足をロープで縛っていると、ディランが何事か囁いた。
「なん、で……奪っていくんだ…オレから………」
譫言のような言葉に、アルバートは手を止めずに返した。
「───君は…巫としてのシエルに、憧れた……。シエルではなく、己の中に作り出した……理想の彼女に憧れた。だから、理想と現実のシエルの違いに、気付きたくなかったのかもしれないな……」
朦朧とした意識のディランに、聞こえたかは分からない。
彼は、シエルの苦しみに気付いてこなかった。
常に理想のシエルを見て、憧れていたから。
だから、奪われたと感じたのだろう。
気絶したディランを駆け寄ってきた騎士に任せて、アルバートはヴァンスのほうに視線を向けた。
ロイドもまた、縛られたディランが騎士達に連れていかれるのを見ていた。巫を狙った罪だ、軽くはないだろう。───そんなのは御免だ。
貰った前金には捕まって罪に処されることなど含まれていない。
───ロイドはディランに取引して協力しているだけであって、自分が損をしなければ別に彼がどうなろうと構わない。
前金だけをもって逃げるか。それだけでも、十分暮らしていけるだろう。
ロイドはどうにかしてヴァンスの腕による拘束から抜けだそうとして───足に力が入らないことに気付いた。
「な……」
「───呪いを解いてくれる気がなさそうだから、ちょっとした強硬手段に出てみたんだよ」
足だけではない。───さっきまで全身に漲っていた力が欠片も感じられない。
「干渉を受けないっていうのが主な力。だけどな、それ以外にも『力の特性』っていうものがあるらしくてさ」
ロイドは知らぬことだが、ステラが『視る』能力のほかに力の譲渡を得意としていたように、ヴァンスにもあるのだ。
「俺の持つ力の特性は、譲渡の逆───他者から力を吸い取るっていうものなんだ」
そこまで言われて、ロイドも理解した。
───ロイドの中にある力は全て、ヴァンスに吸収されたのだと。
凍るような冷気が全身を吹き抜け、ロイドは何かが砕け散る音を聞いた。
ヴァンスはロイドの全身から力が抜けたのを感じ、腕を緩めた。
───呪いの解呪方法は二つあるとステラに聞いた。
ひとつは、術者が呪いを解く。
ふたつめの方法は───術者本人が死亡すること。
推測でしかないが、死ぬと力は体の外へと放出されるのではないかとヴァンス達は考えた。
だから術者が死亡し、力を失った呪いは解けるのではないかと。
あくまでも想像だ。けれど、もしそうならば、殺さずとも似たような状況にしてやれば呪いは解けるはずだ。
ロイドを騎士達が引っ張っていくと、ステラがこちらに走ってきた。
「ヴァンス、大丈夫⁉」
「俺は大丈夫だよ。アルバートは……」
周囲を見回すと、少し離れたところでマントを破き、傷を止血する黒髪の騎士の姿を見つけた。
「おま…それ、大丈夫か?」
駆け寄ると、アルバートは血まみれの剣を拭い、腰の鞘に落とし込んでからヴァンスを見る。
「ああ。───ジュリアは」
「大丈夫っていう顔じゃないけど、ジュリアが心配なのも分かるから今は止めない。…こっちだ」
ステラの体を抱え上げ、ひょいっと壇上から飛び降りる。アルバートも負傷を感じさせない足取りで同じようにすると、ジュリアが眠る椅子の隣に膝をついた。
アルバートは椅子からジュリアを抱き上げると、そっと彼女の体を揺する。
両親も、ヴァンスも、息をのんで見守る中───
「ん……」
微かな、声。
睫毛が震え、ゆるゆると瞼が持ち上がった。
「───ぁ」
数週間ぶりに開いた緑の瞳は、日の光に眩しそうに目を細めると、視線を彷徨わせ───己を抱くアルバートに気付いた。
「アル……?」
───待ち望んだ声が、あれほど渇望した声が、アルバートを呼んだ。
限界、だった。
人目をはばかることなく、アルバートはジュリアの細い体を思いっきり抱き締めていた。
「アル、苦しいよ……」
「───ジュリア」
ジュリアの訴えでやっと体を離したアルバート。その表情を見て、ジュリアが目を瞠る。
やせ細った腕がゆっくり持ち上がり、滑らかな指先が頬を撫でた。───そこでようやく、自分の頬を熱い雫が伝っているのに気付く。
涙。自分は今、涙を。
泣いたのなど、いつぶりだろうか。
カレン達が亡くなったときも、涙を流すことはできなくて。
騎士になってからも、ずっと心を凍らせて生きてきたから。
どうすれば涙を止められるのか、思い出せない。
ただ、静かに雫を零し続ける。
涙を止める術を思い出せなくても、ひとつだけ、分かっていることがあった。
───ジュリアが目覚めてくれて、本当に良かった。
嬉しくて、安堵してしまって。───頬を伝う涙が止まらないまま。
アルバートはもう一度、ジュリアを抱き締めた。
黒髪の青年の横顔を光が伝うのを目にし、ヴァンスは体の向きを変えた。
ヴァンスも、本音ではジュリアと話したい。だけど、最初は。最初はアルバート以外にいないだろう。
ヴァンスはステラとともに壇上に戻ると息を吸い、腹の底から声を出した。
「呪いは解けた!意識がない人達も、目を覚ますはずだ‼」
民衆はしいん、と静まり返り、次の瞬間喜びの声を上げた。嬉しさに、泣いている者もいる。
「あ」
ステラが声を上げ、ヴァンスは彼女の視線を辿る。───見れば、足を押さえて一人の少女がうずくまっていた。
ヴァンスはステラを抱えたまま、一度の跳躍で少女の前まで移動する。
突然始まった戦闘に怯え、逃げようとして足をくじいてしまった───そんなあたりだろうか。
真っ赤に腫れた足首は見るからに痛々しく、ステラはしゃがんで少女に視線を合わせた。
何事かと周囲が注目する中、ステラは少女の頭を撫でてから、患部に優しく触れた。
痛んだのだろう、顔をしかめた少女の目が、驚きに見開かれる。
───ステラの両手は青っぽい光に包まれ、光に触れた足の腫れがみるみるうちにひいていくのだ。
恐らくは力の譲渡の応用───数秒後、少女の足は何もなかったかのように治癒していた。
どよめきが起こり、それはやがてひとつの言葉へと変化する。
「───巫様!巫様、万歳‼」
───呪いを解き、超常の力を使用して少女の傷を癒したステラを讃える人々の声は徐々に音量を増し、長く、長く続いていた。