9.正義
───ジュリアは浴場を出て兄の姿を探していた。帰ってしまったのだろうかと思い、歩き出した瞬間───
腕を強く掴まれ、路地裏に連れ込まれていた。
「や、ぁっ‼」
どうにか腕をふりほどくが、現れた二人の男に前後を塞がれ、逃げ場を失ってしまう。
悲鳴を上げようと開いた口に、酒瓶が入れられる。強い酒が喉を焼き、ジュリアはむせた。
涙で視界が滲み、気が付くとジュリアは座りこんでいた。
下卑た笑みを浮かべ近づいてくる男から逃れようと、目を閉じて───
「───何をしている」
凜とした声が響き、男達は動きをとめた。ジュリアもおそるおそる目を向ける。
短めな黒髪。真っ直ぐ男達を見据える紫水晶のような瞳。
腰に下げた剣に彫られている紋章は、騎士団をあらわすものだ。
男達は悠然と立つ青年が騎士だと気付き、一目散に逃げていく。
「大丈夫か?」
声をかけられるが酔っているせいかうまく答えられない。
青年はジュリアを横抱きにし、立ち上がった。そのとき、路地裏に誰かが駆け込んでくる。
「ジュリア!」
焦ったような声がヴァンスのものだと理解し、ジュリアの全身から力が抜けた。
「お前、ジュリアに何を……っ⁉」
ヴァンスは怒鳴りつけようとし、騎士の顔を見て驚愕に目を見開く。
青年もまた、微かな驚きに眉を上げるのが分かった。
「あのときの……⁉」
忘れもしない。───ステラが連れ去られたときに、ヴァンスを押さえていた騎士だ。
青年は二年前のことに言及せず、ジュリアをヴァンスに預けると、
「この女性は、君の家族か?」
「…ああ。…ジュリアを助けたのか」
「騎士は『正義』のためにあるんでね」
ヴァンスは鼻を鳴らすと、
「ジュリアを助けたことは感謝する。でも」
「でも?」
「ひとつだけ言わせてもらう。───見かけだけで十二の少女を連れて行ったお前が、『正義』を語るな」
青年は、呆気にとられたように目を丸くし───
「お前、と言うのはやめてくれないか。───私はローランド国騎士団所属、アルバート・カールトンだ」
「長ったらしい自己紹介をどうも。───ヴァンス・シュテルン」
互いに名乗り、ヴァンスは剣呑な視線を向ける。青年───アルバートは何でもないことのように流し、
「また会えることを願っているよ、ヴァンス」
「───ステラは絶対に助け出す」
アルバートに背を向け、ヴァンスはジュリアを抱え直した。
ヴァンスが通りへ出るのを見送り、アルバートは呟いた。
「『正義』を語るな、か」
紫紺の瞳には、言葉では言い表せない複雑な感情が浮かび、揺蕩っている。───それを隠すようにアルバートは目を伏せた。
───誰も、アルバートの瞳の揺らぎに気付くことはなかったのだった。