32.何が起こったとしても
本日は、昨日更新できなかった分と、今日もともと更新する予定だった分の合わせて二話を投稿します。
手がかりはそれ以上見つかることのないまま、引き継ぎ式が迫ってきていた。
式の二日前に馬車で移動してきたヴァンス達は、騎士達が宿泊場所を用意しようとするのを断り、ヴァンスの家に泊まった。
今回は事前に帰るという手紙は送っていたものの、現在の状況を全て説明していたわけではない。初めてやってきたシエルへの挨拶もそこそこに、ジュリアにかけられた呪いについて聞かされた両親の反応は言葉では言い表せないほどのものだった。
「どうして、ジュリアが……」
思わず口走ってしまった母。動揺しているのだろうが、その内容はここにいる者達に聞かせるにはあまりに辛辣だった。
ヴァンスは唇を噛みしめ、アルバートは両手をきつく握り、そして───ステラは。
ヴァンスの隣で、肩を震わせていた。
銀髪で隠されていた横顔が露わになり、ヴァンスは息をのむ。
瞳は伏せられているが、彼女に涙の気配はない。でも、間違いなく───ステラは泣いていた。
腰をずらし、彼女の傍に寄る。
そっと肩を引き寄せると、ステラは抗わずにヴァンスの肩に顔を押しつけた。
「ごめん、なさい。ごめんなさい……っ」
触れあった体から伝わるのは、震える謝罪文。
喉の奥から絞り出された声はヴァンスにしか聞こえない音量で、それがさらに痛ましさを強調する。
謝らずにはいられなくて、だからといって謝罪してしまえばヴァンスの両親はきっと許さざるを得ない。
だから、彼女は他の人に聞こえぬ音量で謝っているのだ。
───ステラが優しすぎるほどに優しくて、自分だけが救われることを許容できないから。
追い詰められていく彼女を救える魔法の言葉が、あればいいのに。
これほどに辛い思いをしていながら、涙を流すことすらできない彼女を、誰か。
誰か、救えはしないか。
だって、もう。
───己を責めていないものはひとりもいないのだから。
誰も、何も言えない。言ってあげられないのだ。
救世主を求めて、けれど心の中ではそんなものはいないと分かっていて。
ステラの背を撫でることしかできない自分が悔しい。歯がゆくて堪らない。
視線を彷徨わせたヴァンスの目にとまったのは、夢に囚われ続ける妹の姿だった。
引き継ぎ式の朝。
早くに聖堂へ向かったヴァンス達だが、今日の主役たるステラとシエルは準備があるらしく、男二人は部屋の外に出されてしまった。
本来聖堂の中に騎士は入れないらしいのだが、無理を言っていさせてもらっている形だ。
とはいえ、さすがに着替えの場にいるわけにはいかないので、部屋の外の扉の前で待機しているのである。
───ジュリアは、予定通り家で両親に見てもらっている。それが一番安心は安心だろう。
「───ヴァンス様、お着替えを」
考え事をしていたヴァンスは気を引き締め、声のほうを向いた。
見れば、滑らかな白髪をうなじのあたりでくくり、仕立てのいい礼服を身に纏った年若い少女が呼んでいた。
「着替え?」
「はい。ヴァンス様にはこちらを身に付けていただきたく」
無感動な声音で返され、ヴァンスは僅かに身を引いた。アルバートをちらりと見ると、視線で着替えてこいと言われる。
ステラ達のいる隣の部屋に入ったヴァンスは、渡された服を広げた。白い生地に赤い縁取りをされたそれは、見慣れたもの───騎士服だ。
「…俺は騎士になった覚えがないんだけど」
退室しようとしていた少女に声をかけるも、返事は一礼だけ。ヴァンスはため息をつくと、素直に着替えをした。
純白のマントを留め、腰の剣帯に剣を差し込んで着替えは終了だ。
部屋を出ると、待っていたアルバートがヴァンスの全身を眺め、頷いた。
「……何で俺が騎士服着るんだ?」
少女にスルーされた問いかけをアルバートにすると、彼はちゃんと答えてくれた。
「式である以上、ちゃんとした服装でなければならない。ヴァンスは新巫の警護をする立場だから、騎士服が与えられたのだろう。騎士にとっての正装はこれだからね」
「ああ、なるほど」
着てみたところ、思ったほどの動きにくさはない。騎士もいいかもなぁと考え、ステラと過ごす時間が減ってしまうと思い直した。ヴァンスの判断基準はそこだ。そこなのだ。
「そういえば、すっかり忘れてたけど…二週間後にはさっそく、祈りの儀があるんだよな」
春の訪れと同じころ行われるのが、祈りを捧げる儀式───《豊作の儀》だ。
作物に恵まれるよう、巫が民衆の前で執り行う儀式で、ヴァンスも昔何度か見に来たことがある。
今は先のことを考えるより、引き継ぎ式が無事に行われることを祈るべきだが。
式の作法を確認していると、部屋の扉が開いた。
純白のドレスを身に纏ったステラは、顔をヴェールで覆っている。ドレスはすらりとした印象を与え、光の加減で様々な色に見えた。銀髪は後ろで編み込まれ、ヴァンスは髪を背中に流した普段の姿もいいけれど、こうして纏めた姿も可愛いと思った。
さすがにそれをそのまま口にするのは恥ずかしい。ヴァンスが何も言わないことに対して、ヴェールを持ち上げたステラが少々不満そうに頬をふくらませたが、言わないだけで顔に出ていたのだろう、すぐに不満顔を崩して吹き出した。
後から出てきたシエルも、似たような装いに着替えている。
「───お時間です。移動を」
姿を消していた白髪の少女───アルバートに聞いたところ巫に仕える侍女という立場になるらしい───が柱の陰からあらわれて一礼した。
ヴァンス達は気を張り詰めさせると、頷き合って先導する侍女の後についた。
───聖堂の外は、まだ日が昇る前だというのに大勢が詰めかけていた。
聖堂の前に設けられた白い壇上、そのまわりは騎士達が取り囲んでいて、民衆が立ち入ることのできないようになっている。外の様子を扉の隙間から確認し、ヴァンスは場所をシエルと交代した。
ステラが姿を見せる前に、今代の巫であったシエルが出て行く段取りになっている。襲われることはないと思うが、シエルの両脇には二人の騎士がついていた。
ステラとヴァンスが民衆から見えない絶妙な角度で聖堂の入り口の扉を開けた侍女達。彼女達の横を掠めて、シエルは壇上へと歩き出した。
今回は式ではあるものの、沈黙を強いられる儀式ではない。人々はシエルを目にして歓声を上げた。
扉に隔てられていても、歓声は聞こえる。隣に立つステラの体が強張っているのに気付き、ヴァンスは薄い手袋を外して彼女の肩に手をのせた。
「大丈夫だよ。……俺もついてるから」
安心させるように力を込めると、ステラは微かに唇を緩めた。手袋をはめ直し、じっと時を待つ。
侍女の合図とともに再び開かれた扉。
───引き継ぎ式が、始まる。
どうなるかは、分からない。
起こってほしくはないけれど、何もないはずがないのだ。
───たとえ、何が起こっても俺が君を守るから。
君は、胸を張って歩いていけばいい。
歩みを躊躇わせる雨は、俺達が払ってみせるから───
かつての『助けにくる』という誓いを、『必ず守る』という誓いに。
目の前の純白の背中は怖じることなく、次代の巫を待ち望む人々のもとへと、足を踏み出していった。