31.見ているのはお月様と
───ヴァンスは、つい先ほどレティシアから聞いた話をステラに伝えた。
「フードを被った男性……?ヴァンスは何か心当たりある?」
「それがさ…この街に来てからジュリアが会った男っていうと、まずアルバートだろ、そんときにジュリアを路地裏に連れ込んだ奴らだろ、あとは…宿の人間と宿に来てた客ぐらい、かな……」
路地裏の件に関わった奴らにジュリアが好意的に接するなどまずありえない。未遂だったから良かったものの、アルバートが気付かなければ大惨事になっていた。どう弁明しても父が怒り狂う未来しか想像できない。ヴァンス自身も怒りに任せて度し難い奴らを徹底的に痛めつけていただろう。
そうなっていたかもしれない仮定の話で鼻を鳴らすヴァンス。隣に座るアルバートも眉をぴくぴくさせているところを見ると、同じことを思い出していたらしい。
客達に対しては、ジュリアは丁寧に応じていたが、それが素の笑みでないことにヴァンスは気付いていた。職場が楽しくないわけではなくて、ジュリアは自分なりに、変なのに構われないよう身を守っていたのだ。
あくまでもこれは『店員』としての対応なのだと示すことで、おかしな誤解を与えぬようにしていた。だから、街で会ったとしても社交辞令的な挨拶を交わすぐらいで、ジュリアのことをよく知っているレティシアが『親しげ』だとは思わないだろう。
残るは宿の人間だが、こちらは確かめようがない。ステラなら他人の力の有無を見抜けるだろうが、術者がいた場合に彼女まで呪いにかかってしまったら万事休すだ。
簡単に紙に書き出してみるが、そこから新たに分かることはなさそうだ。なので、次の話へと移る。
───ステラによれば、力の譲渡を行えばジュリアの肉体を維持できるらしい。ステラが連れ去られてから二年ほど、ヴァンスは睡眠と食事の時間を削るために回復薬で体を健康な状態に保っていたが、それと同じことか、と妙に納得した。
因みにヴァンスの回復薬依存症(ジュリアが命名)は、回復薬に体が慣れてしまって効果が全く現れないと自覚したときから落ち着いている。
『まあ、たまにあの不思議な味が恋しく……いや、何でもない』
───とは、かつてその話になったときにジュリアを含めた周囲の視線に気付いて誤魔化したときのヴァンスのセリフである。
良薬口に苦しと言うが、回復薬は普通に美味しかったのだ。しょうがない。
話は戻るが、タイムリミットが延びたのは素直にほっとした。
唯一、気になることがあるとすれば───
「ステラ、大丈夫か?」
ヴァンス達が施設を走り回っている間に何度か力の譲渡を行ったのだろう。ステラは平気そうに見せているが、前髪はじっとりと汗で張り付いているし、ただでさえ色素の薄い肌が紙のように白くなってしまっている。
ヴァンスにも覚えのあることだが、力を使うとひどい倦怠感に襲われる。ましてや今回は他人に力を分け与えるのだから、負担は大きいはずだ。
「私は大丈夫、だから」
多くを語らないステラ、そう返されてしまえばヴァンスはなんて言ってみようもない。
ステラのことも気を付けて見ていようと心に決めた。
「───酷なことかもしれないが、今回の呪いの目的は、やはり……」
「……私が巫になることをよく思ってないから…よね」
巫の引き継ぎ式の直前であることも踏まえると、目的はそれであっているだろう。ステラが銀髪青瞳であることは限られた者達しか知らないはずで、不可解な点もあるが。
「…ともあれ、引き継ぎ式を今さら中止にはできない。警備をしっかりして行うほかないだろう。…ジュリアをここに置いていくわけにはいかないが……」
アルバートが気にしているのは、式の間のジュリアについてだ。
式の最中、ヴァンス達はジュリアから離れねばならない。誰かについていてもらいたいが、レティシアが施設を離れれば食事事情が死ぬ。掃除洗濯はともかくとして、食事はだめだ。これまで、料理はジュリアとレティシアに頼り切っていたのだ。反省しなければならない。
「家の親に任せるか……」
両親には迷惑しかかけていないが、他に方法がないのだ。額を地面にこすりつけてでも、頼むほかない。
情報共有兼話し合いを終えると、ヴァンスとアルバートは階下に下りた。窓の外は早くも薄暗くなっている。
三人分の夕食を持って上に行こうとしたのだが、ヴァンス達を訝しく思った子供達に囲まれてしまい、やむなく全員に話して聞かせた。
当然、彼らの顔には困惑と不安、心配の感情が色濃くあらわれていて、話したことが良かったのか正直分からなかった。
大なり小なり衝撃を受けた皆をフォローすべきなのだろうが、無理しているステラをいつまでも一人にしておくのも心配だ。
どうすべきか迷うヴァンスに対し、既に説明を受けていたレティシアが「こちらは任せて」とでも言うかのように深く頷く。ヴァンスは皆が落ち着くように声をかけ始めたレティシアに感謝しつつその場を任せると、夕食をこぼさないよう気を付けて階段を駆け上がり始めた。
───食器の片付けや風呂のとき以外は三人はずっとジュリアの部屋にいた。
夜も、何かあるとまずいので交代で仮眠をとることにした。
二人がジュリアを見ていて、一人が眠る。このローテーションで朝まで、ということになった。
問題はどの順番にするかだが───
「ステラが最初に寝て、次にアルバート。最後に俺っていうのは?」
「え、私は……」
「───僕もステラが最初というのは賛成だ。…最後がヴァンスなのはどうかと思うが」
自分を後回しにして先に休ませようとするヴァンスの発言に反対する二人。
「ステラがダウンすると色々やばいからな。そこはステラにも納得してほしい。あと、勘違いするなよ?俺は最後がいいんだ」
無理解に眉をひそめるアルバートとステラにだって、と続けた。
「───最後ってことは、朝寝坊できるんだよ。つまり、一番長く寝られるんだ」
笑みすら浮かべて言うヴァンスに、ついには二人とも折れた。
ステラ達には分かったのだろう。もうヴァンスは何を言っても聞かないということが。
それだけではない。情けない強がりも、気付かれていたに違いない。
───ヴァンスがこの状況で寝坊などしないということにも。
折れてくれた感はあるが、順番が決まると最初のステラが隣の空き部屋に眠そうな顔で引っ込んでいった。
特に何事もないまま、夜は更けていく。
やがて一回目の交代する時間になり、ヴァンスはステラを呼びに行こうとして、やめた。
「…お前もそろそろ寝ろよ。俺ひとりで見てるから」
「しかし……いいのか?」
躊躇うアルバートに、ヴァンスは声を僅かに落として言った。
「───力使うのは結構大変なんだよ。俺はなれたけどさ。……ステラに、無理させたくないんだ」
「……それで、君が無理をしても?」
「適材適所だよ。俺はステラみたいに直接ジュリアの力になることは無理だし、戦うのもお前がいればひとまず大丈夫だ。なら俺は、ちょっとでも休める時間を作る」
偽らざる本音を聞き、アルバートはしばし黙った。反論しようと口を開きかけるが、結局は何も言わないことを選ぶ。
「……分かった。だが、もし辛いようなら遠慮なく言ってくれ」
「お前も、な」
アルバートは嘆息すると、運び込んでおいた簡易ベッドに横になった。
「交代の時間になったら、起こしてくれ」
念を押し、瞼を閉じたアルバート。気が緩んだのか、すぐに静かな寝息が聞こえてくる。
寝息が安定するまで待って、ヴァンスは己の座る椅子をジュリアの眠るベッドのそばに寄せた。
「……誰が起こすか」
言った本人にも聞こえないくらいの囁き。
勿論アルバートは気付かなかったし、ヴァンスの目の前の寝顔にも変化はなかった。
ジュリアの髪を、そっと撫でる。
どこかあどけない表情のジュリア。寝顔をこんなに真剣に眺め続けたのはこれが初めてのことかもしれない。
「こうなってからようやくちゃんと目を向けるなんて……兄失格だな、俺は……」
返事は、ない。
ステラの前で、アルバートの前で見せていた笑みが、剥がれ落ちる。
───笑みの下からあらわれたのは、ひどく弱々しい表情だった。
「───っ」
声を出さないように奥歯を噛みしめ、ジュリアの手に額を押し付けた。
ひんやりした感触に、意識をかたむける。
そうすれば、弱々しい顔を見せずにすむから。
───瞳から溢れそうになっている熱いものに気付かずにすむから。
そんなヴァンスを、夜空に輝く月だけが───否。
満月と紫水晶の瞳が、見ていた。