30.手がかり
またもやアルバート視点。
「───俺を、殴ってくれよ」
「……は」
直前の後悔も今だけは忘れ、アルバートは驚く。アルバートでなくても、驚いたことだろう。
何しろ、真剣な顔で『殴ってくれ』と言われたのだから。
「俺は、気付いてすらいなかった。この半月、自分のことで精一杯で……いや、それも言い訳だな。だから───殴ってくれ」
そう言われてしまえば、アルバートには返す言葉がない。
悔いている気持ちは、同じだ。
もしかしたら、『兄』としての意識を持って接していたヴァンスのほうが思いは強いかもしれない。
それが分かったから、アルバートは。
「───ふっ!」
思い切り、固く握りしめた拳を振り抜いた。
優麗さを求める騎士達は拳での乱暴な戦い方に顔をしかめたが、強くなるなら見栄などどうでもいいと思っていたアルバートは構うことなく修練を重ねた。よって、独学ではあるがアルバートの拳撃は剣を持った時の戦闘力と遜色ないものになっていた。
───手加減はしない。ヴァンスの思いに答えるには、手加減などしてはいけない。
ヴァンスは衝撃に吹き飛び、空中でくるりと一回転すると足から着地した。
殴られた拍子に歯で口の中を切ったのだろうか、口元を一筋の血が伝っており、少々やりすぎたと反省。すでに赤くなりはじめている頬をさすりながら、ヴァンスはこちらを見て言った。
「ありがとう」
…流血するくらい殴ったのに笑顔でお礼を言われるなど変な気分だ。
すかっとした表情のヴァンス───普通は逆のような気がする───を見ていたら、何か納得がいかなくなり、アルバートも同じことを彼に頼んだ。
「───」
想定よりはるかに大きな衝撃、鈍い音が聞こえ、凄まじい勢いで視界が回転する。
ヴァンスのように綺麗に着地は無理で、できたのは頭を打たぬように首を曲げることだけ。
背中から壁に激突し、息が詰まる。苦鳴を上げなかったのは大したことないからではない、意地だ。
自ら望んで拳を受けたのだから、それぐらい耐えてみせる。
奥歯を噛み、背中を壁にこすりつけて立ち上がった。口内に鉄の味を感じながら、切れた口の端に笑みを浮かべる。
笑みを交換する二人は髪を乱し、右側の頬を赤く腫らしているにも関わらず、どこか吹っ切れた表情だった。
「……二人とも、何でニヤニヤしてるんですか?」
───いつの間にか帰ってきて、殴り合いの一部始終を目にしたレティシアが奇妙なものを見る顔で呟いた。
何とも形容しがたい表情でアルバートとヴァンスをじー、と見つめていたレティシアだったが、それも状況を説明するまでのことだった。
施設の他の皆には無用な混乱を避けるためにまだ伝えていないが、ヴァンスと相談し、レティシアくらいには話しておいたほうがいいということでまとまったのだ。
話を聞くうちに事が深刻だと気付いたレティシアは頬を引き締め、己の記憶を手繰り始める。
何かに気付いたように小さな声を上げたレティシア、彼女は目を見開くと心当たりをまくし立てた。
「数日前に買い物に行ったとき、ジュリアがすれ違った男の人とぶつかってるのを見ました!私は少し後ろを歩いていたんですけど、確かにジュリアの右肩が男性に……‼」
「ほ、ほんとか⁉」
手がかりとなりそうな情報に、隣のヴァンスの目に光が浮かぶ。
「その男の特徴は?」
「フードを被っていて、よくは…。大柄だったとしか……」
「そうか……」
しゅんとしてしまったレティシア。情報は少ないが、なにもないよりはましだ。礼を言おうと口を開いたアルバートだが、吸い込んだ空気が音に変わる前に、レティシアが顔を上げた。
「声は聞こえなかったんですが、ジュリアは男の人を知っているように見えました。親しげに、話していたと思います」
ジュリアが親しくしている、フードを被った男性。
こんなときであるというのに、『親しげ』な『男性』という言葉に引っかかってしまう自分が嫌だ。ジュリアに限って、そんなことはないはずだが。
むくむくと湧き上がる感情は『嫉妬』と言うのだと、自覚はあった。自分の中にこんな感情があったとは。知らなかった。
───などと、益体もない思考へと意識をかたむけるアルバートと対照的に、ヴァンスは思案に沈んでいる。
「…ジュリアの知り合いの男……誰だ…?アルバート以外の騎士達とは親しくなるほど関わってないはず……いや、もっと前か?」
アルバートも考えるが、これまで常に一緒にいたわけではない。アルバートが知らない時間のほうが、長い。
知らず血が滲むほど強く唇を噛んでいたアルバートをヴァンスはちらりと見て、
「…とりあえず、一旦ステラのところに戻ろう。レティ、また何か思い出したら教えてくれ」
頷いたレティシアと別れ、アルバートとヴァンスはジュリアの部屋に戻る。
勢い良く扉を開ける気にならず、そっと音を立てぬように中に入った。
「───」
眠り続けるジュリアから視線を離したステラがこちらを見て、驚いたように立ち上がる。
───当然だ、二人の頬は遠目でも分かるくらいに腫れているのだ。
アルバートやヴァンス的には痛いうちに入らないのだが。…さすがに言い過ぎた、かすり傷程度だと言いかえる。
「……。…何があったの?」
「んー、まぁ……男同士の秘密だ」
「それ、前も言ってた気がする」
そうだったか、と首をひねるヴァンスを横目に、アルバートは椅子を二つ引っ張ってくると腰掛けた。
ベッドの横で三人だけの小さな輪を作ると、ヴァンスが声を発する。
「んじゃ、分かったことを……情報交換といきますか」