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28.感情は全て後回しで



「───ヴァンス‼」


空気が震えるほどの大声がして、対照的に施設は静まり返った。

昼食をテーブルに運ぶ手伝いをしていたヴァンスは、突然の叫び声に驚き、手に持った大皿を落としてしまいそうになった。

慌ててテーブルに皿を置き、振り返るとそこには声の主───アルバートの姿がある。


「どうしたんだよ、そんな大声で……」


声が途切れたのは、アルバートの顔に浮かんだ焦燥感に気付いたからだ。

彼には、部屋にいるであろうジュリアを呼びにいってもらっていたはずだったのだが。


「来てくれ…とにかく、来てくれ」


明らかにおかしいアルバートの様子に不穏なものを感じたヴァンスは、近くにいたステラに目配せし、ジュリアの部屋にむかった。





今朝、いつもなら早起きしているはずのジュリアが起きてこなかった。

昨日もアルバートの部屋で寝ていたし、疲れているのだろうと無理に起こそうとはしなかった、のだが。

───昼を過ぎた現在も、ジュリアは自室のベッドで眠り続けている。

部屋にはアルバートにヴァンス、ステラがいて起きそうなものなのに、だ。


「ジュリア」


彼女の名前を呼び、そっと肩を揺する。

穏やかな眠りから覚まそうとする手をジュリアは嫌そうによけ、可愛らしい唸り声を上げ───ない。

揺すっても、意思は全く感じられない。ヴァンスの揺する動きにあわせ、だらりとシーツの上に投げ出された腕ががくがくと揺れるだけだ。

───まるで、魂が身体から抜け出してしまったように。


「───ッ」


ヴァンスは唇を噛み、ジュリアの口元に顔を近付けた。───微かな息が頬に触れ、安堵する。


「…息はしている。脈も、少し遅いが正常だと言えるだろう」


多少なりとも冷静さを取り戻したのか、アルバートは頬を硬くしながら言った。


「───」


と、そのとき、ここまでぴくりとも動かなかったジュリアが目を閉じたまま、苦しげに体を反らし、掠れた声を零した。

体の不調と言うよりは、悪夢にうなされているといった様子のジュリア。どうしていいか分からず、咄嗟に彼女の右手を掴む。アルバートが反対の手を握り、寝苦しそうなジュリアをさすっていると、突然ふっと彼女の体から力が抜け、沈黙した。


「……なんだったんだ、今の」


「分からない。呼びにきたときもこのような感じだった」


あのジュリアの様子を見ればアルバートでなくても焦る。そういうニュアンスを込めて頷いた。

不意にステラがベッドに近付き、ヴァンスは場所を譲った。彼女の力なら、何か分かるかもしれないと思ったからだ。

だが、直後のステラの行動は予想外なものだった。

───ジュリアの着ているワンピースのボタンを三つほど外し、肩をはだけさせたのだ。

真っ白な肌と下着の一部が露わになり、男二人はばっと顔をそらした。

それも、次のステラの呟きを聞くまでのことだった。


「───やっぱり」


「や、やっぱりってどういうことだ?」


ステラは優しげな顔に厳しさを浮かべ、丁寧に説明してくれる。


「ジュリアには、呪いがかけられてる」


「呪い⁉……でも、どうやって」


「……私や元巫のエリスと同じように、『力』を持った人がかけたんだと思う。…ここ見て」


ステラは言葉を切ると、ジュリアの右肩のある一点に手をかざし、


「ここから、呪いが侵入した形跡がある。多分、呪いをかけた本人が触れているはず」


ぴく、とアルバートの体が震えた。

ヴァンス達には形跡とやらは分からないが、ステラには見えているのだろう。

アルバートも気がかりだが、今はステラに話を聞くべきだ。


「…ステラ、どんな呪いかっていうのは分かるか?」


それによって今後の行動が変わってくる。呪いについてはよく知らないが、命に関わるものだと直感が訴えていた。

ステラは気遣わしげにアルバートをちらりと見ると、吐息とともに言葉を紡ぎ出した。


「………夢に囚われる呪い。目覚めないから食事もできなくて、衰弱していって……最後には」


声は震えていて、それ以上は続かない。

『死』という単語を口にできず、ステラは目を伏せた。


「……アルバート」


「───っ」


ヴァンスにとっても、ステラの言葉は衝撃だった。全身に氷水をかけられたかのようで、下手したら崩れ落ちていてもおかしくないほどだ。

それほどの衝撃を受けて、今ヴァンスが立っていられるのは何故か。


───自分よりも傷付いた表情の男がいるから、どうにか平常を取り繕っていられるのだ。


アルバートは顔面蒼白になり、紫の瞳を見開いていた。

倒れてしまいそうな彼の肩を掴むと、アルバートはゆるゆると首を動かしてこちらを向く。

…大切な人々を亡くしたことのある彼が受けた衝撃は計り知れない。唇が嘘だろう、と震えるのが見えた。


「アルバート、落ち着け。まだ大丈夫だ。───ステラ、今の話だと呪いそのものによって死に至るわけじゃないんだな?」


動揺している者がいるとかえって自分は冷静になれるらしい、などと考えることで平静を思い出し、殊更落ち着いた声を出す。


「うん。…やれるか分からないけど、私がジュリアに力を注いであげれば、引き延ばせると思う」


「だそうだ。その間にどうにかする方法を見つけよう」


確か、聞いた話では人間は飲まず食わずで生きていられるのは約七十二時間らしい。しかし、ステラに力を与えてもらえれば何とか命をつなぐことはできるだろう。

アルバートが顎を引くのを確認し、再びステラに向き直る。


「呪いを解く方法は、なんか知ってるか?」


「呪いをかけた本人に解かせるか、あとは……」


「───張本人が亡くなるか、か」


呪いをかけた本人───言いづらいので『術者』と呼ぶことにする───が誰か、探し出す必要がある。

施設にいる人間では、恐らくない。呪いが『力』によるものなら、エリスの能力に気付いたステラが視て分からないはずがない。


「その、呪いが侵入した部分から術者が誰かは視え……ないよな」


「……『視る』には、手順が必要なの。対象に触れて、ようやく視えるようになる。…たまに手順を踏まなくても視えるものがあるんだけど」


「今回は視えないというわけだ。…ちなみに、触れない理由は?」


ジュリアの命に関わることとあって、問いかけるアルバートの視線は鋭い。口調にどこか棘のようなものが混じるのは、心を覆う不安の裏返しだとヴァンスもステラも理解していた。だからこそ、指摘はしない。


「…侵入した形跡から、嫌なものを感じるの。きっと、力のあるものが触ってしまったら取り返しのつかないことになる、気がする」


「───気がするというだけで………っ‼」


ステラの返答にアルバートが感情にまかせて声を上げるが、己のそれが八つ当たりに過ぎないことを悟ったのだろう、言い終えることなく口を閉じた。常に冷静な彼の、らしくない態度だったといえる。

アルバートは息を吸い、はいた。目を閉じて、落ち着かせるように深呼吸をすると顔を上げる。


「……すまない。君に当たるべきではなかった」


「いいの。…私こそ、ごめんなさい」


乱れに乱れているであろう胸中を押し殺し、謝罪を絞り出すアルバートに痛々しいものを感じた。そう感じたのはステラも同様だったようで、青い瞳を揺らめかせ、沈痛な面持ちで首を横に振った。

アルバートはステラの瞳の揺らぎには気付かずに言った。


「…施設の皆ならば、何か知っているかもしれない。聞き込みをしてくる」


「……ああ、分かった。俺もそうする」


ジュリアと共に過ごしていた者は結構いたはずだ。ヴァンス達の知らないところで、呪いをかけられる瞬間を見た人もいるかもしれない。やってみる価値はある。…というより、ジュリアのために何かをしていたい。


「ステラは、ジュリアに力を与えられるかやってみてくれるか?…時々顔を出すようにするから」


「分かった」


すでにアルバートは部屋を出ていて、無理をしなければいいが、とヴァンスは思った。ここでアルバートにまで倒れられたらどうしようもない。巫の引き継ぎ式までも、あと一週間しかないのだ。

部屋を出て扉を閉める前に、一度だけジュリアを見た。思うところがないわけではない。けれど、感情は全て後回しだ。嘆いて助けられるなら、情けなかろうがみっともなかろうがいくらでも泣き喚いてやるが、そうではない。…そうではないのだ。

感情は後。泣きたいならばジュリアが助かってから盛大に泣けばいい。


───ドアを閉め、ヴァンスは広い施設の廊下を走り出した。

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