23.いつか、命尽きるそのときまで。
銀閃が斜めに空を斬り、少し遅れて風が巻き起こる。風は金髪を揺らし、髪の毛が視界を半分近く覆い隠した。
ヴァンスは舌打ちすると剣を左手に持ち替え、前髪を払った。
───施設に帰ってきてから早半月、最近やっと体調が良くなってきた。毒の影響だろうか長いこと頭痛に悩まされたが、ステラの優しさとジュリアのじと目、アルバートの呆れ顔───等で乗り切った。…優しさは良いとして、後半の二つは全くもって不思議である。
ともあれ、復活したヴァンスは勘を取り戻そうと剣を振っていたのだが───、
「ちょっと伸びてきたな…今度切るか」
目にかかるくらいに伸びた前髪を一房つまみ、一人呟く。
まだ日も昇らない早朝、施設の前は鍛練にもってこいだ。ヴァンスは邪魔にならぬよう軽く髪を整えると、再び剣を構えた。
「そういや…アルバートとかって遠距離武器使えるのかな……」
「───呼んだだろうか」
突然の声に驚いてヴァンスが振り返ると、まさに今考えていた相手───アルバートが地面に片手と片膝をついた状態からすくっと立ち上がり、手をはらっていた。
つい先ほどまで近くにアルバートの気配はなかった。だとすれば、考えられることはひとつだ。
「…飛び降りてきたのか?」
「二階で、君の姿が見えたからだ。階段で下りてきても良かったのだが、僕の名前を呼ぶ声が聞こえて」
「いやちゃんと階段使えよ」
想像通りではあったが、二階の窓からジャンプしたらしい。ヴァンスはともかく、ジュリアが聞いたら目を剥くだろう。
アルバートはさっと少し乱れた服装を整えると、
「遠距離武器が、何か?」
「……毒殺未遂の件はとりあえず大丈夫だけど、『灰色の視線』については何も解決してないわけで」
使用されたのはナイフ。いつ何時襲われるか分からないのに、ヴァンスは遠距離武器を使う者と戦闘になった経験がない。いざという時に動けませんじゃ話にならないのだ。失敗したときの代償はお金ではない。命だ。
「…だから、遠距離武器に対応できるようにしたいなぁと」
「なるほど、納得した。……自慢ではないが、僕は投擲に少し自信があるんだ」
「言い方はともかく、それで?」
「───君のやりたいことの、手助けができる…ということだ」
朝で微妙に回転の遅い脳がアルバートの言葉を理解し、ヴァンスは口の端を持ち上げた。
───十メートルほど離れ、剣を中段に構える。アルバートが腰のあたりから細長い針のようなものを引き抜いた。その間も彼の瞳はヴァンスに向けられている。投げられるまでの僅かな時間で瞳の動きから軌道を読み取り───
金属同士のぶつかり合う甲高い音が響きわたった。
剣の腹に当たり、くるくると回転しながら吹き飛ぶ針を半分以上勘で掴み取り、顔をアルバートに向ける。と、同時に背筋に寒気が走り、咄嗟に頭を後ろにそらした。直後、顔のすれすれを剣が掠め、前髪が少しばかり削られる。
ヴァンスは剣を振り切った体勢の相手の首筋に、最初に投擲された針を突き付けた。
アルバートがすぐに力を抜いたので、ヴァンスも針を下ろす。
「……まさか距離詰めて剣で斬りかかってくるとは思わなかったよ」
「もしものために練習するならともかくとして、襲われることは確実だ。なら、どんな手を使っても反応できるようにしなければと思ってね」
「ごもっとも……」
針を返し、ヴァンスは剣を鞘に収めた。アルバートも同じように納刀すると、針をしまう。
「役には立ったか?」
「ああ、充分以上だ。……ちょうど髪が伸びて邪魔になってきてたから、切る手間を省けたし」
「……」
少し整えれば問題ない、というニュアンスを込めて言うとアルバートが沈黙した。
髪は冗談だが、彼の投擲の精度は完璧と言っても過言ではない。予測した軌道をそのままなぞって飛んできたときはかなり驚いた。口にはしないが。
イマイチ納得していない様子のアルバートを連れてヴァンスは施設の中に入った。
汗をかいたわけではないがシャワーを浴び、それから食堂に向かう。
ヴァンス達がいなかった間、レティシアは食事の準備に相当苦労したらしい。予定日を過ぎても帰ってこず、その上しばらく帰れないという手紙が来たのだ。料理ができる人間が少ないのもあって、レティシアは半泣きで頑張っていた───とシエルから聞いた。
シエルはシエルで心境の変化があったらしく、笑顔を見せることが多くなっている。本人に何があったのか聞いても何も言わなかったが、こちらはレティシアが教えてくれた。
周囲を拒絶していたエレナが皆の前で感情を吐露し、それに対してシエルが『分かる』と言ったのだそうだ。
何不自由なく育ってきたヴァンスやジュリアには言えない一言。
ひとり悩み、期待と嘘の板挟みで苦しんできたシエルだから、エレナの心を動かせた。
思いが伝わったのはエレナだけではない。
子供達も難しいことは分からなくても、優しさが分かったから、あそこまでシエルに心を許している。
───こうして、変わっていく。
皆それぞれ、考えて考えて、悩み抜いて変わる。時には周りの人も巻き込んで、成長していくのだ。
施設の中の輪は小さいが、温かく、強い。
互いに支えて、笑い合って。
ヴァンスもそれに支えられている。辛くても、時には柔らかく、時には厳しく引き上げてくれる人々がいる。
───愛する者と共に在れる時間は、なんと幸せなのだろう。
幾夜も暗闇で求めた世界が、目の前で、確かに刻み込まれていく。
過去に手を伸ばす時間は、もう終わりだ。
両手は繋がれているし、離すつもりはない。
───輪は、何があろうとも消えることはない。
広げていこう、この幸せの輪を。
誰もが笑っていられる、世界を目指そう。
追い求めた幸せは手の中にある。なら、あとひとつくらい手に入れてみせよう。
強欲で、強欲な人間だからこそ今の光景があるのだから、とことん夢見て実現してやる。
「───朝ご飯食べたら、引き継ぎ式のことについて相談しよう」
ステラとシエル、ジュリアとアルバートの四人に声をかける。
───輪を世界中に広げていくための話し合いを、しよう。
小さな一歩でも、いずれ大きく変えられるときがくると信じて。
信じて、歩き続ける。
ずっと。ずっと。
───いつか、命尽きるそのときまで。