22.ヴァンスの大丈夫は信用できない
───我ながら、よく耐えたと思う。
半日近く、馬車の中のハンモックの揺れに耐えた人間はヴァンス以外にいないはずだ。…これを誰が好き好んでやるものか。
ようやく施設に到着したヴァンスは、止まってなお目を回していた。
「くっそ…母さんめ……俺はこの恨みを、一生忘れない……!」
グロッキー状態で遠く離れた母に毒づくヴァンス。普段ならばこのような言葉を言わぬよう自制しているが、毒で弱った体に酔いがプラスされれば言いたくもなる。寝てばかりでろくにものを食べていなかったのが唯一の救いだろう。
いつまでも馬車にいるわけにはいかず、ヴァンスは渋々アルバートに背負われて下りた。
「アルバート……中に入ったら、どこでもいいから揺れない場所に寝かせてくれ……」
「ヴァンス……」
───ヴァンスという荷物を背中に背負って帰ってきたアルバートを見て、玄関で待っていたレティシア達が驚いた。
「ヴァンス、どうしたんですか……⁉」
見るからに顔色が悪いヴァンスにレティシア達も驚いたのだろうが、こちら的にはもっと驚愕することが。
「シエル…何があったんだよ……」
背中には六、七歳くらいの少年がへばりつき、心を開いてくれることのなかった少女エレナが服の裾をつまんでいる。
───シエルのまわりを施設の子供達が取り囲んでいて。
あまりの変わりようにぽろっと零れた言葉を聞いたアルバートが、
「……会話が成立していないな」
と呟いた。
とりあえずヴァンスは施設の自室のベッドに寝かされ、いつものごとくベッドの脇に椅子を並べて状況説明、ということになった。
部屋にはステラとアルバート、ジュリアにレティシア。さらにはシエルの姿もある。
「毒を盛られた───⁉」
レティシア達に無用な心配をかけまいと考える余裕が少しうまれ、ヴァンスはわざと笑みを浮かべてみせた。
「まぁ、アルバートとステラのおかげで、すぐ解毒剤飲めたから。大丈夫だよ」
「ヴァンスの大丈夫は信用できないんです!」
「え、冗談だろ……⁉」
思わずがばっと起き上がってしまい、目が眩んで上体が前のめりになった。毛布に顔面を押し付ける格好になるが、気にしてられない。
痛むこめかみを押さえ、顔を横に傾けるとレティシアに「それみたことか」という表情をされた。ステラにはぺち、と布団の上に投げ出されているほうの手を叩かれる始末。
アルバートまでもが呆れたように嘆息し、止まない頭痛も手伝って四面楚歌。
「むぐぅ……でも今回ばかりは俺が悪いわけじゃないと思うんだけど」
「───それで、犯人は?どうなったんですか?」
「お願いだから無視しないでくれよ……」
話をすすめるレティシア達にぼやくとステラだけが背中を撫でてくれる。優しい。許した。
ステラの優しさに甘えながら、話を聞く。
アルバートが詳細に事実を語り終えると、レティシアとシエルが吐息した。
「まさか、エリス様が……」
シエルにとっては敬うべき先代だ。衝撃も大きかったろう。
不意にレティシアが顔を上げ、
「あの…ひとついいですか?」
アルバートが頷くと、彼女は息を吸って続けた。
「……人って、膝蹴りで吹き飛ぶものなんですか?」
「……。…いや、飛ばない」
「ですよねー…」
何のことかさっぱり分からない。そう、分からないから自分のことではない。自分ではないのだ。
向けられる微妙な視線を意図的に無視し、ヴァンスはゆっくりと頭を枕につけた。
「そろそろ、夕飯の用意をしてきますね」
レティシアが言うと、ジュリアも立ち上がった。
「私も。…お兄ちゃんの分は、ここに運んでくるから」
「…俺、今日はいいかな……」
「何言ってるの、最近そればっかりじゃない。ちゃんと食べないと元になんか戻らないんだからね」
「……ハイ」
ジュリアに一睨みされてヴァンスは頷いた。
本当にジュリアには敵わない。いろんな面で。
部屋を出て行く二人に気を取られていたヴァンスは気付かなかった。
───ステラが珍しく、澄み切った青い瞳をきらりと輝かせたことに。
「はい」
「ん……」
「これも」
「もぐ……じゃなくて‼」
叫ぶと、ステラは不思議そうに首を傾げた。
「何かおかしなことあった?」
「おかしいのはこの状況だよ!自分で食えるから大丈夫だって!」
ベッドで上体を起こし、枕をいくつも積み重ねたものに寄りかかって喚くヴァンス───その隣には、左手で食器を持ち、匙を口元に差し出すステラが。
「なのになんでいきなり……むぐ」
「レティシアも言ってたけど、ヴァンスの大丈夫は信用できないの!」
拒否しようとして開けた口に目にもとまらぬ早業でスプーンが突っ込まれた。
「美味い……って!されるがままに俺はまた…んぐっ」
ステラは手を止めずにすくっては突っ込み、すくっては突っ込みを繰り返す。
最後のほうはヴァンスも抗うことをやめ、真っ赤になりながらもそれを受け入れた。
「…これで最後」
「……ごちそうさま」
確かに美味しかった。美味しかったし、世の男性が憧れるシチュエーション……かもしれないが、疲労感が半端じゃない。幸せに感じる余裕もなかった。
何と言えばいいのか分からなくて、何度か口を開閉させる。すると、
「もしかして、まだ『あーん』されたりなかった?」
「ち、違っ……!」
悪戯っぽい笑みを浮かべたステラが「冗談だよ」と言うが、冗談には聞こえなかった。
「───私は、結構楽しかったよ?」
「な……」
燃え上がりそうなほどの頬の熱に顔をそらし、ちらりと横目でステラを見ると、彼女自身も頬を紅潮させていた。
互いにぷしゅーというオノマトペが聞こえそうなくらいの羞恥に苛まれ、無言が続いた。
「あのさ」「ねぇ」
沈黙に耐えきれず声をかけると、ステラと重なった。たったそれだけのことなのに、冷静さを欠いたヴァンスとステラは再びばっと顔を背ける。
落ち着きを取り戻した二人が話し始めたのは、それから約十分後のことだった。