20.左手と右肩の温もり
───時は今日の朝まで遡る。
毒を摂取してから一週間、ヴァンスは手足に重さは残っていても、動き回れるくらいには回復していた。
ヴァンス達はダスティンとステラに反感を抱いている騎士に気付かれぬよう、比較的話の分かりそうな騎士達に会いに行った。ちなみに人選はアルバートだ。彼は騎士と関わりを持っていなかったと言っていたが、話していなかっただけで観察はしていたらしい。───それはそうだ、戦闘時に互いの癖が分からなければ戦いようがない。
ともあれ、アルバートが『信用できる』とした相手に会い、ことの次第を説明した。
アルバートはすでにそのうちの一部の人間にダスティンの監視を頼んでいて、『騎士達の中でも、信頼できる相手がいる』という一言はこういうことだったのかと妙に納得した。
ダスティンは自白したが、それを聞いていたのはアルバートとステラの二人だけだ。騎士達全員を納得させるには根拠として足りない。
ならば、元からヴァンスに協力していたアルバートだけでなく、半信半疑ながらも忠誠を誓ってくれた人々を味方につけよう、と考えたのだ。
「ステラがダスティンの思考を視たところによると、今夜、エリスと密会するらしいんだ。その内容を聞いて、タイミングを見計らって突入。…で、俺達の話が正しいのか、見極めてほしい」
反対意見が出るかと思ったが、予想に反して騎士達は顎を引いた。
「……俺が言うのもなんだが、普通はもっと疑うもんじゃないのか…?」
騎士達はこれまで巫に従い、銀髪青瞳の者を《穢れ》として扱ってきた。───そう簡単に、覆るものではないはずだ。
「───最初は疑ったよ。だけど、確かにその方は…ステラ様は、巫だ。ふさわしいって、思うようになった」
一歩前に踏み出し、疑問に答えたのは茶髪の騎士。ヴァンスは彼に見覚えがあった。
「……名前、教えてもらったっけ」
「───。自分はクロード・フォーサイスだ。…不本意だが……儀式の日、ヴァンス…殿に投げ飛ばされたうちのひとりだよ」
「ああ!思い出した!」
殿と呼ぶまでに時間があったが、どこで会ったかは分かった。牢から脱出したヴァンスを押さえるために上の階から下りてきて、剣で戦うも歯が立たず吹き飛んだ騎士達の中に、こんな男がいたような気がする。
「ステラ様は知っている巫様とは違った。巫の力があると自覚してなお、手を汚して怪我の手当てをしてくださった。───自分は、彼女の優しさを信じたい」
胡桃色の瞳でヴァンスを見つめ、クロードは言い切った。
『あの子と関わって、優しさを知って、それから言えよ‼言えるもんなら言ってみろよ‼』
───それは、あのとき溢れる激情に任せて叫んだ言葉。
『大して話してもないくせに、何にも知らないくせに、何が《穢れた者》だ!何が罪だ!───何が、『正義』だ‼』
ディランには伝わらなかったようだが、他の騎士達の心に響いていたのだとしたら。何某かの変化をもたらしたのだとしたら。
騎士達は深く頷いている。───ヴァンスと戦って敗したものも、儀式の場にいたものも。
誰一人、クロードの話を否定しない。
温もりが全身に広がるのを感じながら、ヴァンスは言った。
「そう、か。───なら、頼むよ」
───そして、時は現在に戻る。
「俺だけならともかく、この人数だ───勝てるのか?…あんまり、戦いたくはないけど」
寝室は、四十名ほどの騎士達が入っても楽々の広さがある。
事前にアルバートから聞いた話では、巫を引退しても生活は保障され、ある程度の無理は通るそうだ。さすがに聖堂に住み続けるのは難しいので、街で暮らすことになるが。
エリスの住むこの建物もそれなり以上の屋敷であり、平面で考えれば施設が二つ入るくらいの敷地に建っている。さぞ掃除が大変だろうと思うが、やっているのはエリスではあるまい。
かなり遠回りし脱線したが、言いたかったのはいくら広くて戦闘に困らなくても、無用な争いはしたくないということだ。
明らかに不利なのに、剣を下ろさないダスティン。諦めないところだけは賞賛に値する。それ以外は…聞かないでほしい。分かりきったことだ、言うまでもない。
しょうがないかと嘆息し、ヴァンスは予備動作なしに敷物の敷かれた床を蹴ると、一気にダスティンに肉迫した。
「な……‼」
ダスティンはヴァンスが瞬間移動してきたように見えただろう。咄嗟に剣を掲げるが、ヴァンスの前では鋼は紙と同じだ。
破砕音すら置き去りに、折れた刀身がくるくると宙を舞う。
正確には『折れた』のではない。
手刀で、撫で斬られたのだ。
凝然とそれを見送ったダスティン、がら空きの胴にヴァンスの膝が跳ね上がった。衝撃は鍛え上げられた腹筋を突き抜け、巨体を浮かせた。
壁の装飾を壊して地面に落ちたダスティンは腹部を押さえて悶絶する。
僅か数秒の出来事に呆然とするエリスと騎士達。
「さてと。あとはあんただよ、エリスさん」
「ぶ、無礼な……!私は元巫───」
ダスティンのときと同じように距離をつめたヴァンスを見て、エリスの言葉が途切れる。
「───どんな理由であれ、人を殺そうとしたやつを敬う必要がどこにあるんだよ。さん付けしてるだけ良かったと思え」
ヴァンスは別に剣気を放っているわけではない。なのに、エリスはもともと白い顔をさらに蒼白にし、かたかたと震えている。
「あ……ぁ………」
「殺害の計画を立ててたのに、今さら何に怯える?人を殺す覚悟をしたんだろ?」
「私は…何、も……」
「───そうだな。あんたは何もしていない」
後ろで騎士達が驚き、声を上げようとするのをアルバートが制した。驚いたのはエリスも同様で、希望を見つけたかのように口を開く。
だが、言わせない。この時は、瞬間はヴァンスが喋る番だ。
「あんたは何もしなかった。計画は立てたのかもしれないが、毒を入れたのは騎士で、なんの毒を盛るか指示出したのはダスティンだ。───殺さないといけないなんて言ってたが、あんたはひとつも自分でやってないんだよ」
意味が分からないのだろう、エリスは何度も首を横に振った。
ああ、これは馬鹿よりたちが悪い。
騙されて流されてきた馬鹿なら救いようがある。でも、彼女は明確な殺意を覚え、殺すように人を騙し、自分のやっていることの意味を考えることを拒絶している。
たちが悪い。救えない。どうしようもない。
ヴァンスは初めて、エリスに対して憐れみの情を覚えた。
「私…は巫だった、のに……私の、言うことを聞いていれば、いいのに……」
嫌々と後ずさりするエリスの姿に苛立ち、ヴァンスは彼女の肩を掴んだ。
「───都合の悪いときだけ、立場に逃げるなよ!」
炸裂した感情は、もしかしたら八つ当たりだったのかもしれない。
多くの人の運命をねじ曲げた初代巫への、ステラを暗い地下室に閉じ込めていたことへの、三人の大切な時間を奪ったものへの、怒りなどの言葉で表せるほど安くない激情が、硬い殻を破って噴出する。
「殺意に人を巻き込むな!罪かどうかは別にして、やろうと思うなら自分で動けよ!……人に、誰かを死なせた重荷を、背負わせるなぁっ‼」
息が荒い。目の前がちかちかするのは耐え難い感情のせいもあるだろうが、病み上がり───毒の場合でもそう言うのかは分からないが───の体が悲鳴を上げているのだ。
構わない。また熱が出ようが倒れようが、知ったことではない。
「お前に覚悟はあったのか⁉…あるわけないよなぁ!あるんなら、怯える必要なんてないもんなぁ⁉」
「───っ」
「自分の手を汚したくないから、人にやらせる!お前はそれで『私はやっていない』って言い訳するんだろう⁉───やらされたほうはどうなんだよ!ずっと、そいつに取り憑かれたまま生きてかなきゃなんないんだよ‼」
ヴァンスは人を殺したことはない。
けれど、大切な人を失うかもしれない恐怖は知っている。
───大切な人々を失って、彼らの死の責を背負い込んで、悪夢にうなされていた男を知っている。
「覚悟があったからって、死んだやつには関係ないさ。…でもなぁ!自分がやったこと、やろうとしたことぐらい責任を持てよ‼」
ヴァンス自身、もう何を喚いているのか理解不能だ。胸の内から溢れてくる思いを、思うさま吐き出しているだけ。
初代巫は、己の罪を『神様』のせいにした。
エリスは、己の罪を『他人』のせいにした。
変わらない。何が神聖な女性だ。自分の醜い感情を隠すために人に罪を負わせて、どこが清らかだ。
「お前が殺そうとしたステラには覚悟があんだよ!批判も罵倒も!全部覚悟して国を変えていこうとしてるんだ!それを!」
辛く苦しい時間を乗り越えて、未来へ歩き出した彼女から、まだ奪おうとするなど。
許せない。許せない許せない許せない。
───許せるわけがない。
「それを消そうとして!何の覚悟もないなんて……ふざけるな───っ‼」
ため込んできた感情を流し尽くして、自分の胸を押さえて息をついて。
「───言いたいことはそれだけですか、反逆者」
───打って変わって、冷たい表情を浮かべたエリスの台詞は異様だった。
「…は、ぁ……?」
「それだけですかと聞いたのです。問いかけに答えなさい。───それで、数々の無礼も許しましょう」
───この女が、何を言っているのか、脳が考えることを放棄した。
火照っていた全身は冷え、さっきまで怒鳴っていたのが馬鹿らしく思えた。
「……アルバート、拘束してくれ。ダスティンも」
無感情な声で頼むと、ヴァンスはエリスから目をそらし、ステラに歩み寄った。
「ヴァンス、大丈夫……?」
よほどひどい顔をしているのだろうか。ステラが体を支えようとしてくるのを断り、エリスが暴れながらも騎士達の手で連れてかれるのを見ないようにした。
とりあえず、夜も遅いのでエリスとダスティンは別々の牢に入れ、取り調べは明日、ということになった。ダスティンに協力した騎士達も、無罪にはならない。見張りの騎士だけを残して、騎士達は散っていく。
「疲れただろう、ヴァンス」
アルバートが声をかけてくるが返してやる気力はない。気力のなさは体の不調もあるが、不完全燃焼のほうが大きい。
「ヴァンス?」
突然足を止めたヴァンスに、ステラが心配そうに呼びかけてくる。
「……俺はさ…巫も、初代巫の被害者だって思ってたんだよ」
《穢れた者》と同じように、人生を変えられてしまった人々。
エリスの性格も、被害のひとつだと思っていた。
否。───思いたかったのだ。
「そう、思いたいのは……俺の勝手なのかよ」
「───」
二人は、言葉を発さない。呟きは夜闇に紛れて消えてしまう。
───握りしめたヴァンスの左拳が優しくほどかれ、包み込まれた。
顔を上げると、ステラが瞳を潤ませていた。
反対側の肩がぽんぽんと叩かれる。こちらは見ずとも分かる、アルバートだ。
大丈夫だと、一人じゃないと言ってくれているかのようで。
納得できなくて、宙ぶらりんになったまま激情はかき消えて。
───無言のかわりの左手と右肩の温もりだけが、救いだった。