18.『頼み』
ヴァンスの部屋の扉を閉めて、ステラとアルバートは息をはいた。見事に揃い、苦笑する。
それからふっと真顔になり、アルバートは言った。
「無理をするのは分かっていたが……思いのほか、ヴァンスは弱っている。回復には時間がかかるだろう」
「…そう、ね」
小さいころから、ヴァンスはどんなときもステラの前では笑っていた。それがたとえ、苦痛を誤魔化し、無理に浮かべた笑みだったとしても。
───この数日の、彼の表情を思い返す。
先ほどのヴァンスからは、その強がりがはがれおちていた。
隠すことをやめたか、強がる気力すらもなかったか。
いずれにせよ、毒がヴァンスの体に大きな打撃を与えたことは間違いない。
───そして、そうなった原因はステラだ。
誰もステラを責めない。ジュリアもアルバートも、ヴァンスも、彼の両親も。
でも、自分自身が延々と責め続けていた。
いっそ、糾弾されたほうが楽になったのかもしれない。責めてくれたなら、ステラは。
大切な人が、傷つかない道を選べたかもしれないのに。
自分が、心優しい人々から離れるという選択肢をとれたはずで。
ステラが我慢すれば、傷付かずに平穏と暮らせるのなら、それは安い代償で───
「───僕もヴァンスも、自らの意思でここにいるんだ。君が、気に病むことではない」
考えていることが、顔に出ていたのだろうか。
余計なことを言わず簡潔に、でも思いのこもった言葉を残してアルバートは階段を下りていく。
───信じて、くれているのだ。
信じてくれているから、言葉を尽くすことはせず、自分を責めることはないと言ってくれる。
「なら…応えないとよね」
望んで隣にいてくれるなら、それに相応しくあろう。心の支えになるように、努力しよう。
努力して、その先で。
引き継がれてきた歪な過去を断ち切って、誰もが平等に暮らせる国を作るのだ。
ずっと、己の容姿が嫌いだった。
闇の中でも光を放つ銀髪が、雲一つない空を映した青い目が。
嫌いでどうしようもなくて、ひとり泣いて。
涙で自分を洗い流して、何もかも真っ白になってしまえばいいのになんて考えて。
───そんな自分でもできることがあって、望んでくれる人がいるというのならば、何が何でもやり遂げてみせる。
両手で頬を挟むと、ステラは部屋の前から離れた。
ぬるま湯にも似た夢からはじき出されて、ヴァンスは目を開けた。時計の針は夜の十一時を指している。
もう一度眠ろうとしたが、一日中寝てばかりいるので目が冴えてしまっていた。
静かな、夜だ。
天井を見上げていると、耳を澄ませていなければ聞こえないくらいの微かな音を立て、ドアが開いた。首だけ動かしてそちらを見ると、廊下の明かりを背に立っていたのはステラだった。
ステラは驚いたように瞳を瞬かせると、
「…起きてたの?」
「今、起きちゃってさ。寝れなくてぼんやりしてたとこだよ」
ステラは扉をしめると、ベッドの脇に置いてあった椅子に腰掛けた。最近の皆の定位置だ。…ベッド脇が定位置という状況からはやく抜け出したい。そうするにはヴァンスの調子が良くなる以外の方法はないのだが。
ふと、あることが浮かんだ。
「…ステラ、頼みがあるんだ。───なんか、歌ってくれないか」
「……え?」
「聞いてみたいんだよ、ステラの歌をさ」
ステラは顔を赤くして何か言おうとしたが、結局口には出さないまま、息を整えた。
───次の瞬間、彼女の艶やかな唇から紡がれる旋律に心を奪われる。
柔らかく、それでいて涼やかな音が鼓膜を震わせた。感情豊かな歌声がヴァンスを撫で、優しく包み込んでいく。
僅かに顔を上向け、胸に手を置いて一心に歌うステラ。
やがて、歌は終わりを迎える。
最後の音は長く、空気にとけて消えた。
「…綺麗だ」
余韻が消え、ようやくヴァンスは囁いた。
もっと伝えたいことはあったのだが、これしか言えなかった。
ステラの歌に温もりを貰い、瞼が重くなってくる。
完全に意識が沈む直前、声が届いた。
「…ありがとう」
恥ずかしげな響きを焼き付けて、ヴァンスは夢の中に誘われていった。