16.敵対者は多く
───ドアが開く音がして、ステラは振り返った。すっかり見慣れた黒髪の人物の後ろには、ジュリアとヴァンスの両親の姿がある。
「アルバート……」
「ヴァンスの様子は?」
歩み寄ってくるアルバートに首を横に振ってみせると、彼は「そうか…」と沈鬱な吐息を零した。
ヴァンスが倒れるのを見て、ステラは嫌な予感が現実になるのを感じた。
水の入ったグラスを手に取ったときに感じた違和感───あれはやはり、気のせいではなかったのだ。水中に『視えた』濃い緑色のもやのようなものは毒物だったのだろう。
意識を失うこともできず、青白い顔で浅い呼吸を繰り返すヴァンス。常に冷静なステラでさえ思考が停止した中、動いたのはアルバートだった。
ヴァンスの下あごを前に出し、気道を確保すると、腰のベルトにつけていたポーチから小瓶をいくつも取り出した。ラベルには『活性炭』などの名称がかかれていて、ステラはようやく我に返り、解毒のための準備に取りかかった。
必要最低限の会話だけして、どうにか一命は取り留めた。
出された水に毒が入っていたことから、ここにいるのは危険と判断し、アルバートがヴァンスを背負い、荷物はステラが持ってすぐさま騎士団の建物から出た。
幸い通された部屋は一階だったので、窓から外に移動することができた。
息を切らして家へ戻り、眠ったヴァンスをベッドに寝かせてから、アルバートは事情を説明しに一度下の階に下り───現在に至る。
毒を摂取してからさほどたたないうちに解毒剤を飲ませられたから、命の危険は今のところないと言えるだろう。とは言っても、ヴァンスの顔色は悪く、額には珠のような汗が浮かんでいた。
「……タオル、持ってくるから」
何かしていないと不安と心配に押しつぶされそうで、ステラは早足で階段を下り、ボウルに水をはった。戻る途中でジュリアの部屋に入って自分の荷物の中から数枚のタオルを取り出す。
汗を軽く拭いて、ステラは水で冷やしたタオルをヴァンスの額にのせてやった。
「やはり…入っていたのはラアル草だろう」
「ラアル草?」
アルバートの呟きに、ジュリアが首をかしげた。彼に代わって、ステラが説明する。
「ラアル草は猛毒を持つ草。実に強い毒があって…乾燥させて粉末状にしたものが、使われたんだと思う。粉末は白くて、水に溶かすと無色透明になるから。……症状も、一致してるし」
この毒の恐ろしいのは、どれほど苦しくても気絶できないところだ。低酸素症で気を失うことはあっても、毒そのものでは失神に至らない。
解毒剤を飲ませても二、三日は高熱が続く───と本には書かれていた。
他の誰が気付かなくても、ステラなら分かった。止められたはずだった。
───だから、ヴァンスがこのような苦しみを味わっているのはステラのせいだ。
自責の念にかられながら、それを表に出さずにステラはヴァンスを見つめた。
さっきのせたばかりのタオルがもう冷たさを失っていて、再び水につける。毒から体を守るために熱が出ているのだから、冷やしすぎるのはよくないと思うが、辛そうなヴァンスの顔を見ていると氷をあててやりたくなる。
「…お兄ちゃん、大丈夫?こんなに汗かいて……」
「……。これ以上汗をかくと、脱水の危険がある。どうにかして、飲ませられればいいが…」
「…分かった。いつでも飲めるように、用意してくるね」
ジュリアが部屋を出て行き、少したったころ。
ヴァンスがうっすらと瞼を持ち上げた。
「ヴァンス、聞こえる?」
熱でぼんやりとした緑の瞳を覗き込みながら呼びかけると、意思の光のようなものが浮かんだ。
戻ってきたジュリアからグラスを受け取ると、
「ゆっくり流しこむから、飲める?」
アルバートにヴァンスの上体を起こして支えてもらいながら、グラスのふちを口にあてがい、そっと傾ける。気管にいれることもなく飲み終えると、ヴァンスはまた目を閉じた。
───交代で仮眠をとりながら看病すること、二日。
着替えのために離れていたステラが部屋に戻ってくると、ヴァンスが太陽に目を細めているのが見えた。
「ヴァンス!」
「……ステラ」
掠れた声で、ヴァンスはステラを呼んだ。
額に手をあてると、平熱まで下がっている。ろくにものを食べていなかったせいで、頬の肉がそげてしまっていたが、顔色は少し良くなっているように見えた。
「───ステラ?」
安堵に全身の力が抜けて、その場にしゃがみこんでしまう。
「良かった……よかったぁ…」
「…悪い……心配、かけたよな……」
ステラはヴァンスの右手に顔を押し当て、子供のように泣いた。
「…さて、どういうことか説明してくれませんか、騎士団長?」
───数刻後、騎士長室にやってきたアルバートとステラは、この部屋の主であるダスティンを問い詰めていた。
アルバートは紫の目を凍てつかせ、ダスティンにむけて一歩足を踏み出した。
「勘違いしているようだ。私は関与していない」
「しらをきるおつもりですか。言っておきますが、僕は怒っています。騎士団長であろうとも、容赦はしません。───勝てると、そうお思いですか」
ダスティンが怯えたような表情をしたのをアルバートは見逃さない。
言葉は事実だ。ダスティンはアルバートに勝てない。
───騎士団内でのアルバートの実力は随一だ。騎士団長にという声もあったが、人との関わりが少ない上にアルバート自身が拒否したため、人望のあったダスティンが就任したのだ。
研ぎ澄まされた剣気を纏ったアルバートに圧され、ダスティンは後ずさった。
黙って二人を見ていたステラは、灰色の線が窓の外から差し込み、自分達を指していることに気付いた。
「───アルバート、誰かが私達を見てる」
ステラが囁くのと、黒髪の騎士が気付くのは同時だった。
空を切り裂いた白光を飛び出したアルバートが手刀で人のいないほうへ弾き飛ばす。開いていた窓から部屋に入ってきた白光───ナイフは壁に深々と突き刺さった。
そのときにはもう、アルバートはベルトに挟み込んでいた細長いピックをナイフが飛んできた方向に投擲していた。苦鳴が上がる。
「───当たったか」
「な、何を…」
呆然とするダスティンに嘆息し、アルバートは懇切丁寧に説明した。
「恐らく、毒を盛ったのと同人物でしょう。騎士団の敷地内であることを踏まえて、刺客は騎士である可能性が考えられる。加えて、使われていた毒はラアル草…致死性の高いものです。捕らえるわけではなく、存在を消し去ろうとしたのかと」
「しかし……それが騎士によるものというのは……そもそも、本当に毒が盛られていたのかも…」
「……前々から、言いたいと思っていたことがあります、騎士団長───いや、ダスティン」
何を言われるのだろうと身構えるダスティンに、アルバートは言い放った。
「馬鹿だろう」
短い言葉にダスティンがぽかんと口を開ける。
ダスティンを一瞥し、壁に刺さったナイフを引き抜くと、刃をよく観察した。
「毒は塗られていない……か」
アルバートは騎士団長に向き直ると、
「知っていることを話せ」
「だから私はなにも───」
ひゅん、という音すらおきざりにして、アルバートの手から放たれたナイフがダスティンの騎士服の襟を壁に縫い付けていた。
「───次は、当てる」
再度右手が閃き、ピックが喉元に突きつけられる。
───ダスティンが口を開くまで、そう時間はかからなかった。
アルバートとステラの二人が帰ってきて、横になっていたヴァンスは軽く腕を持ち上げた。自力で体を起こすことができず、これが限界だ。
「体調は?」
「まだ本調子じゃないけど…大丈夫だよ。……どうだった?」
「騎士団長が関わっているのは事実だ。だが、ダスティンに暗殺を企てる能はない」
「急に…上司に対して、いろいろ言うようになったな……」
たったこれだけ話すのに息が切れる自分の体を恨めしく思いながら、続きをうながす。
「そして…ダスティンと話しているとき、何者かがナイフを投げてきた」
「怪我、は…」
「ない。…手傷を負わせたが、ダスティンのほうも放っておけず、逃げられてしまった」
負傷していないと聞いて、ヴァンスは深々と息をはいた。
───続く言葉に、冷水を浴びせられた気分になる。
「ヴァンス。───毒を盛った者とナイフを投じた者は別だ」