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14.たった三文字の『救い』



───ヴァンス達が馬車で出発していったあと、シエルはレティシアを手伝っていた。


「これ、あちらへ持って行けばいいですか、レティ…レティシアさん」


「はい、お願いします。───レティで良いのに」


そうは言われても、名前で呼ぶのも苦労しているのだ。

聖堂に連れてこられたときから、シエルは言葉遣いなどを徹底的に教え込まれた。

相手の名を呼ぶことは許されない、貴女は巫なのですから───と。


考えながら歩いていたせいか、シエルはちょうど通りかかった少女にぶつかってしまった。


「あ……すみません、ちゃんと見てませんでした」


「……別に。どうせ、わたしが悪いんだし」


肩までの銀髪に、鈍色(にびいろ)の瞳を持つ少女は、視線を合わせることなく言った。

自嘲的な発言にシエルが思わず身を引くと、少女は立ち去った。


「あの、人は……?」


「彼女はエレナ。一年くらい前に来たんですけど、誰に対してもあんな感じで……」


隣にやってきていたレティシアに声をかけると、彼女は横顔に翳りを見せた。

シエルは、エレナという少女が歩いていった方向を眺めた。

───エレナの目が、気になった。

あれと同じ瞳を、どこかで見ている。どこで、見たのだったか。

思い出そうとしたが、これまで関わってきた人の誰の目とも、重ならなかった。







シエルは朝食の席で何度かエレナに話しかけたが、返事をしてくれることはなかった。しかし、放っておくこともできず、ぎこちなく話を振ったとき。


「…ほうって、おいて」


「……。…でも」


「あなただって、私のこと憐れんでるんでしょう」


「わ、私は……」


憐れみで、声をかけていたわけではない。そのことを伝えたいのに、言葉が出てこない。

───それを、エレナは図星だったからと捉えた。


「誰の役にも立たない。誰にも必要とされない。生きてる意味なんて、ない。……もう、消えてしまいたい」


「そんな、こと……生きたくても生きれない人だって……」


「───なら!」


言葉に詰まったシエルのかわりに、レティシアが声を上げる。エレナの言葉を、否定しようとする。だが、エレナはテーブルを叩いて途中で遮った。

初めて明確な感情を覗かせて、彼女は叫んだ。



「なら…どうして!神様は生きたいと思ってる人を生かさずに、生きてる価値もない───生きていたくない人を、生かしているの……⁉」



───シエルもレティシアも、その場にいた全員が息をつめる。

虚しい静けさが、楽しいはずの食卓を支配していた。







エレナは、全身の熱さとそれを上回る虚無感に包まれ、荒い息をはいた。

───ついに、言ってしまった。長いこと、胸のうちで抱え込んできた思いを。


言ってはいけない言葉だと分かっている。どれだけ思っても、寿命が延びるわけではないのだから。

それでも、言わずにはいられなかった。


そして、口では消えたいと言ったとしても、死を選ぶ強さが自分にないこともエレナは分かっていた。


弱くて、脆くて。

情けない自分が嫌で。


すれ違う人々が「お前なんていらない」と言っているように見えた。

夢の中で、優しかったはずの皆に「消えてしまえ」と繰り返し存在を責められた。


きっとこれは事実なんだと、エレナは思って、なのに。


死が、恐ろしかった。

痛いのも、苦しいのも、怖かった。


結局のところ、自分は弱い人間なのだ。

嫌なことから逃げて、そんな自分が嫌なのに変えていくこともできない。

挙げ句の果てに、優しくしてくれる施設の人々にきつくあたって。


エレナは、自分が。

───誰よりも、大嫌いだった。







「……今までは、嫌でも頑張ろうって思えた。だけど、突然……やろうっていう気持ちが、どこかへ消えていった」


食事の手を止めて、全員がエレナの話を聞いていた。

黙り込むのは、施設に住まう人々───差別を受けてきた皆が、一度は考えたことがある内容だからだ。

───重苦しい沈黙を破ったのは、シエルだった。

シエルは視線を浴びながら立ち上がると、ただ一言、口にした。


「…分かります、その気持ち」


「あ…あなたは巫でしょう。あなたなんかに、わたしの気持ちが分かるわけ……」


「───分かる。だって」


寂しげに目を伏せ、シエルは続ける。



「私もずっと、自分の価値を見いだせずに生きてきたから」



確かに境遇は違う。いじめられたりといったことがないだけ、シエルは良い方だ。

けれど、共感できる部分は確かに存在したから。


「私は五歳のときから、聖堂にいました。巫は外に出ることを禁じられていて……」


毎日が、巫としての勉強の日々。友達と遊ぶことも、子供らしく悪戯(いたずら)することもない、灰色の時間。

自分の存在を認められてそこにいるならまだ良かった。


「…皆が見ていたのは、私ではなかった。私の中の、神の使いとしての力だった」


シエルだからではない。力を持っているからだった。

───唯一の存在価値でさえ、嘘なのだ。言われるがまま、頷いただけ。


嘘偽りの力で、この場所に立って。ならば自分はなんなのか。


力があることでしか、重要視されないなら。

───価値は、ない。



今、ようやくシエルは理解した。

エレナを最初に見たときの既視感は。

シエルだ。───エレナの目は、シエルに似ていた。


「───だから、分かります。あなたの気持ちが」


エレナの瞳が揺れた。揺れは激しくなり、幾つもの水滴になって頬を滑り落ちる。

彼女を引き寄せ、抱きしめると震えが嗚咽に変わった。




シエルに顔を押し付けて涙を流しながら、エレナは思った。

エレナが本当に欲していたのは。


───『分かる』という、たった三文字の救いだった。







朝食のあと、食器を片付けようとしたシエルの服が引っ張られた。見れば、八歳くらいの少女が小さな指で裾をつまんでいる。


「……お姉ちゃん、いっしょに遊ぼう?」


「え……私と……?」


二人を見つけた施設にいる子供達が駆け寄ってきて、騒ぎ出した。


「いいな、オレも!」「ぼくも遊ぶ!」


いきなりの誘いに、シエルは混乱しかない。

───巫だった自分は、施設の人達に避けられていたはずで。


「私…で、いいの……?」


「いいよ!」「いいにきまってる!」


無邪気な子供達の笑顔が、滲んだ。


「どうしたの?」「どこか痛いの?」


零れそうな涙を堪えるのに精一杯で、答えられない。

指で熱い雫を拭い、心からの笑顔を浮かべて、


「大丈夫。───嬉しかったから」


返答を聞くと、皆は首を傾げた。───理解はできないかもしれないが、それでいい。


子供達に腕を引かれたシエルはあたりを見渡した。求めた姿を柱の陰に発見し、手招きする。

おそるおそる陰から出てきた少女───エレナの手を、掴まれていないほうの手で握った。


「───ぁ」


「行きましょう」


躊躇った末、泣きはらした顔でこくりと頷いたエレナに微笑みかけると、シエルは歩き出した。

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