9.好きで『いてくれる』少女のために
何度も中身を確認し、手を止めたヴァンスは頷いた。
「お、終わったあー…」
───そう、着替え等を袋に詰め込んでいたのだ。
時刻はすでに十一時。何故こんな時間に荷作りをしているのかというと、昼間は馬車の準備に追われてできなかったからだ。
ステラを助けたあと、施設に戻ってくるために使用した騎士団の馬車。それに不備がないか、確認していたら日が暮れてしまっていた。
「風呂、入ってくるか……」
湯船のお湯はすでに抜かれているはずなので、シャワーだけ浴びて早く寝ようと思い、タオルと着替えを持って部屋を出る。
「ん……?」
食堂を通ると、調理場に明かりがついていた。
こんな時間に誰が、と思い、ひょいと覗き込む。
「レティ……?」
レティシアが、調理台にさまざまな食材を並べ、何やらぶつぶつと呟いていた。
ヴァンスの声が響いた途端、レティシアは肩をはねさせ、勢いよく振り向く。
「…ヴァンス、どうしてここに?」
「俺は風呂入りに行くのに通りかかっただけだよ。レティこそ、どうしたんだ?」
「……明日からの、食事のメニューを考えていたんです。私がやると言った以上、ちゃんとしないと」
それで食材が並んでいるのかと、ヴァンスは納得した。
「邪魔して悪かった。俺は風呂に……」
「ヴァンス」
言って立ち去ろうとするヴァンスを、レティシアが呼び止める。首だけで振り返ると、彼女は逡巡し、聞こえるか聞こえないかの音量で囁いた。
「……もう少し、話しませんか……?」
ヴァンスは答える代わりに食堂の椅子に座る。レティシアも、ヴァンスのすぐ隣に腰掛けた。
「…ジュリア、嬉しそうでしたね」
「ああ。まだ婚約するってだけだから、結婚するのはまだ先だけどな」
「それでも、嬉しいですよ。…好きな人と結婚できるのは、きっと」
「……レティ」
思い返すのは、半年前のこと。レティシアに『拒絶』されたときの記憶。
あのときは、彼女の想いに欠片も気付いていなかった。
───レティシアは、今も自分のことが好きなのだろうか。
お前が言うなと言われるかもしれないが、ヴァンスはレティシアに幸せになってほしいと真剣に思っている。
彼女を幸せにしてくれる人に、出会ってほしいと。
「ヴァンス。私は…」
「私は、あなたが好きです」
「───」
突然の告白に、頭が真っ白になる。
分かっていたことではあったが、面と向かって口にされるのは衝撃を受けた。
「…俺は……」
「───知ってます」
「え……」
言葉にならないヴァンスの声を優しく遮り、レティシアは微笑みを絶やさずに言った。
「ヴァンスが、ステラさんを想っていることは、知ってます。…幸せになってほしいとも、思います」
「───」
「私が、あなたのそばにいたいだけなんです。───想ってもらえなくても、そばにいられるだけで、幸せなんです」
胸に手を当て、彼女はヴァンスの目を見つめた。
恥じることなくまっすぐに見つめられ、ヴァンスは己の心を見透かされているような感覚を味わう。レティシアは息を吸うと、続けた。
「───だから、私を幸せにしないとなんて、考えなくていいんですよ?」
内心を当てられ、ヴァンスは何も言えない。動揺を悟られぬようにするので精一杯だ。
───隠そうとしても、バレているだろうが。
見抜かれていると分かっても、誤魔化し続けるのはただの意地だ。
───自分を想ってくれる相手に、格好悪いところを見られたくないというつまらない意地。
つまらなくて、つまらないけれど、ヴァンスは意地を張り続ける。
「……ごめん」
「謝る必要なんてないですよ。私は、今の日常がこれまでで一番、幸せなんですから」
レティシアは笑い、立ち上がった。つられてヴァンスも立つと、彼女は見上げるようにして引き止めたことを謝った。
「それは大丈夫だよ。……レティ」
「……?」
小首をかしげるレティシアを見て、適切な言葉を探す。
───謝る必要はないと言われてしまったから。
「ありがとう」
たったそれだけ口にすると、ヴァンスは片手を軽く持ち上げて、背中を向けた。
浴場に歩いていく背を見つめ、レティシアは両手で頬を挟む。暫し頬の熱を手のひらで感じてから、調理場へ戻った。
温かいお湯をかぶり、腰にタオルを巻いただけの格好のヴァンスは頭を振った。
施設の皆が利用する風呂は、ちょっとした広さを持っている。真ん中で仕切られていて、外から見ると右側が女性用、左側が男性用だ。
誰もいない浴場で体を流すのは少し落ち着かない。ちらちらと入り口のほうを見ながら、髪を洗った。
自然と、レティシアの声が脳内で再生される。
『私が、あなたのそばにいたいだけなんです。───想ってもらえなくても、そばにいられるだけで、幸せなんです』
───自分は、同じように思えるだろうか。
ステラが、ヴァンスでない誰かを見ていたとしたら、彼女がその誰かと結ばれることになったら、自分は笑って祝福できるだろうか。
おそらく、無理だ。
そう考えると───
「…レティは、凄いな…」
レティシアの想いに答えられないのに、そばにいられるだけでいい、なんて。
彼女のためにできることは、幸せな日々を繋ぎ続けることだ。
「…頑張るか」
───ヴァンスを、好きでいてくれる少女のために。