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7.過去と『温もり』



微睡みから意識が浮上し、ステラは息をするのも億劫なほどの重さに抗い、目をうっすらと開けた。

複数の人の話し声が聞こえる。こもったような音が入ってくるだけで、何を言っているのかはわからなかったが。

ぼやけた視界の端に金色の光があって、安堵した。頭の下には温かい感触。───膝枕されているのだと、遅まきながら理解した。

安心したのと同時に、再び眠りへと引き込まれていく。瞼を閉じたステラの聴覚に、音が───否。声が、届いた。


「…どんなに苦しくても、俺は…俺だけは、君の隣にいるよ」


はっきりと、聞こえた。想いをよせる人の、声が。

彼の言葉に唇をゆるめ、ステラは意識を手放した。





眠っているときは少し幼く見えるステラの寝顔を堪能し、ヴァンスは顔を上げた。三人が何とも言えない目で自分を見ているのに気付く。


「……何だよ」


「別に。…ただ、ヴァンスにしてはふやけた顔をしていると思っただけだ」


アルバートの指摘に鼻を鳴らす。だが、何も言い返さないのは自覚があるからだ。

可愛いのは仕方ない。ましてや、八年会っていなかったとなればなおさらだ。彼女の白い頬をつついてみたい衝動にかられるが、それはなんとか自重する。

そんなヴァンスの葛藤を知ってか知らずか、アルバートが脱線しかけた話を戻した。


(かんなぎ)と儀式が生まれた経緯は分かった。……酷なことを聞くようだが、聖堂に連れてこられたときの話をしてくれるか?」


シエルは乾ききっていなかった涙を拭うと、湿った声で話し始めた。


「私は、貧しい家で生まれました。巫の特徴はありましたが、両親はまだ幼いからと言って、私達はひっそりと暮らしていました……」



大きくなるにつれて、家はどんどん貧しくなっていきました。それでも、私は幸せでした。地面に生えている草を煮て食べる暮らしでも良かった。

ですが……私が思っている以上に、生活は困窮していました。

そんなとき、騎士が私の家に来たのです。

身内に、巫になる資格を持つ者がいた場合、その家族に多額のお金が払われるのだと騎士は言いました。



「───シエルは巫だった。…ってことは……」


「はい。…両親は、豊かに暮らせる未来を選びました。……そのことが、当時は堪らなく悲しかった」


ステラが眠っていなければ、感情のままにテーブルを叩いていたはずだ。

だって。

シエルの両親は。

娘と共に暮らす未来ではなく、自分達が楽に過ごせる未来を選んだのだ。


「…そんなのって、ないだろ……」


シエルに、人の命を奪う重責を、力があると嘘をつき続ける罪悪感を、背負わせておいて。


「どこまで…本当にどこまで……っ」


───どこまで、人の運命をねじ曲げたら気が済むのだ。


「ヴァンス、落ち着くんだ。感情的になっても良いことはない」


押し殺されたアルバートの声が、何故か癇に障る。


「落ち着けるわけないだろ。こんなの……」


「いたたまれない思いなのは僕も同じだよ。…でも」


アルバートの言うとおりだ。今怒っても、怒りをぶつける相手はここにはいない。ヴァンスは渋々、握りしめていた手を開いた。





沈鬱な空気のまま、たった五人の情報共有の時間は終わった。シエルが部屋を出て行くのを見送り、ジュリアはドアの前で振り返った。


「お兄ちゃん、いつまでそうしてるの。もう行くよ」


「あー、悪い。実はステラが俺の服を掴んでてさ、抱き上げられないんだよ。起こすのも可哀想だし」


困った風を装いながらもどこか嬉しそうなヴァンスを見て、ジュリアは何か呟いた。

てっきりからかわれるものだと思っていたヴァンスは若干の肩透かしを味わいながら、


「……なんて言った?」


純粋な疑問をぶつけると、彼女は顔を真っ赤にして、後ずさった。下がった拍子にドアに後頭部をぶつける。涙目になったジュリアは部屋を飛び出していき、ヴァンスは何だったのだろうと考えた。


「なぁアルバート、なんて言ったのか聞こえたか?」


不思議なことに、彼までも目をそらし、ジュリアを追いかけていく。

動けないヴァンスは、しょうがないのでステラが起きるまで彼女の髪をいじっていた。


「…そこだけ取ると、俺ってヤバい奴だな……」


…などという、呟きを聞く者は誰もいなかった。





ヴァンスを置いて部屋を出たアルバートはすぐにジュリアに追いついた。


「ジュリア」


声をかけると、彼女はびくんと肩をはねさせる。


「あ、あの…さっきのは、その…」


『さっきの』というのは、呟きのことだろうか。ヴァンスには聞こえなかったようだが、彼女の隣に立っていたアルバートの耳はしっかりと捉えていた。

───確かに、『いいな』と聞こえた。


アルバートは無言でジュリアの背に手を回し、ひょいっと抱え上げて歩き出す。


「え、ちょっ……」


「…すまない。膝枕はここでは無理だった」


「そ、そういうことじゃなくて!」


ジュリアが横抱きにされた状態で体を起こそうとするので、アルバートは足を止めた。


「前も、抱き上げたことはあるが?」


「あれは!でも…」


頑なに下りようとするジュリアの瞳をじっと見つめると、彼女の頬が心配になるぐらいまで赤く染まった。


「それとも…僕は嫌、か?」


心臓が痛いほど脈打ち、自身の顔が燃え上がりそうなほど熱い。なおも見つめていると、ジュリアは首を横に振った。

微笑みが生まれ、アルバートは強く彼女を引き寄せる。


「……温かいな」


過去の話ばかり、聞いていたから。

───腕の中の温もりが、こんなにも愛おしい。


ふと、気になって問いかける。

嫌か、という質問に対し、彼女は否定した。

聞くのは恐ろしくもあったが、問わずにはいられなかった。


「……僕で」



「僕で……良いか……?」


「───」


沈黙は長く、時が止まってしまったように感じた。

少し前に、言いそこなった言葉とは違うが、込めた想いは同じ───いや、それ以上だ。


あのときは、自分が幸せに手を伸ばすことへの躊躇いがあった。

けれど、今は。

───もっと自分を大事にしろと、そう言われてしまったから。

微動だにせず、返答を待ち続ける。

初めて会ったときも、こうして彼女を抱いていたという、感慨を胸に。


ジュリアが、出した答えは───



「───アルバートが、いい」



「───」



「アルバートだから、いいの」



彼女の、(みどり)の瞳から光が溢れ、頬に美しい線を描き、空気に溶けて消える。

満面の笑みを浮かべるジュリアは、これまで見たどんな姿よりも綺麗だった。

アルバートは顔を近付けると、彼女の───世界一愛しい女性の唇を優しく奪った。



「僕も、ジュリアが良い」



唇を離して、もう一度見つめ合って。


想いが通じ合うのは、これほど嬉しいことなのか。

愛する人の体温を感じられるのは、これほどの幸福をもたらすのか。


誰も通らない廊下で、誰も邪魔しない空間で、誰も知らない時間を過ごして。

───二人は、想いを()わした。

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