52.一時
全身がずっしりと重くて、沈んでいくような感覚を覚える。手足はぴくりとも動かず、ただ凍るような寒さが支配していた。
深淵に光は届かず、残っていた空気が零れだしていく。
恐怖。
このまま沈んでいったら、自分はどうなるのだろうという、恐怖。
───消えて、なくなるのだろうか。
「ぃ…や、だ……」
重さが増し、必死に腕を持ち上げようとして、はたと考える。
───俺は、何のために。
何のために、ここまで生に縋りつくのだろうか。
これまで、強くなろうとしてきたのは、何のために。
重い。ただひたすら重くて、重たい。
呼吸が、苦しい。───何もかもがどうでもいい。
沈んでしまえば、楽になれるだろうか。
瞳に諦念を宿し、力を、抜いて───。
『ヴァンス』
『……助けてくれて、ありがとう』
目を、見開いた。
今の、声は。
「ステラ……」
彼女の、声だ。
助けにくると、そう誓った彼女の声。
ずっと一緒にいようと、約束した声。
何で、忘れてしまっていたのだろうか。
こんなにも、大切で愛しいのに。
───ふわりと、手のひらを温もりが包みこんだ。
不思議と、体が軽くなっていく。呼吸が楽になり、俺は───ヴァンスは目を閉じた。
物置がして、ヴァンスの意識は現実に帰還した。───美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。ジュリアが料理をしているのだろうか。
途端、空腹が主張を始め、ヴァンスは瞼を持ち上げた。銀色の輝きが視界に飛び込んできて、何度か瞬きする。
「───ヴァンス」
どうやら、ステラが手を握っていてくれたらしい。
「大丈夫?うなされてたけど……」
ステラの一言を聞いて、夢の内容を思い出す。
───のし掛かるような重さのせいで、あんな夢を見たのだろうか。
「…あの温もりは、ステラの手だったのか……」
「───?」
「何でもないよ。もう、大丈夫だ。……ありがとう」
手を離さないまま、ヴァンスはゆっくり起き上がった。───どこも、おかしいところはない。むしろ、調子が良すぎるくらいだった。
「俺、どれぐらい寝てた?」
「多分、二日くらいかな。私はずっとここにいたから、あってるかどうか…」
そばについていてくれた、という事実が嬉しくて、つい口元を緩める。悪夢から救ってくれたのはステラだ。包み込むような温もりがなければ、夢に囚われたままだったろう。
「…じゃあ、私みんなにヴァンスが起きたこと、伝えてくるね」
ヴァンスの手を離し、立ち上がって部屋を出て行こうとするステラの腕をつかんだ。怪訝そうに振り返る彼女に、
「もう…もう少しだけ、二人きりでいたい。……駄目…か?」
皆に心配をかけている。それは分かっている。
でも───今は。
彼女の優しさに、溺れていたい。
「……うん。いいよ」
ステラは柔らかく微笑み、椅子に腰を下ろした。
無言が続く。でもそれは、張り詰めたものではない。
穏やかで、柔らかくて、そんな静かな一時。
誰にも邪魔されない、誰も知らない、二人だけの時間。
こんな何気ない一瞬を、守るために、取り戻すために。
───強くなろうと、強く在ろうとしたのだ。
「…ああ、そうだよな」
確かめるように呟いて、ステラの体を引き寄せる。細くて滑らかな銀髪に手をすべらせると、ステラが体重を預けた。
───二人の息遣いだけが、響いていた。