47.信頼
───ジュリアは呆然と振り払われた手を見つめた。
赤くなっているわけではないのに、アルバートが触れた部分は微かに痺れている。
冷たい、手だった。
これまで何度も触れてきた彼の手。いつだって包み込むような温もりを持っていた手。
さっきの彼の指先は、冷え切っているジュリアの手で分かるほど、冷たかった。
「───ジュリア」
小さな声がして、ジュリアは顔を動かした。
声の主はレティシアで、ジュリアのそばにやってくると、
「きっと、大丈夫です。ヴァンスは、ステラさんを連れて帰ってくる」
レティシアの言葉は、自信に満ちていた。
「どうして、言い切れるの……?」
「ヴァンスが私の名前を呼んだとき、目が合いました。……彼は、絶望しても諦めてもいなかった。いつもと同じ、目でした」
「───」
「───だから、私は信じます。たとえ彼がどこへ行こうと、何をしようと、信じています」
ヴァンスを欠片も疑っていない表情。
ジュリアには、レティシアの表情が眩しく見えた。
信じていた人に裏切られて、傷付いて。
絆はまやかしだったと言われて、胸にぽっかり穴があいたようで。
悲しくて、寂しくて。絶望、して。
───それでもまだ、彼の手の感触が消えないから。
もう一度だけ、希望を持ってもいいだろうか。
信じてみても、いいだろうか。
顔をあげる。───皆の顔が見えた。
数年間、一緒に過ごしてきた皆の顔。
何度傷つけられても、前を向いている顔。
───皆は、強いね。
私は全然弱くて、今も心が折れてしまいそうだけれど。
皆みたいに、在れたらと思うから。
「───そうだね」
レティシアを引き寄せて、零れそうな涙を必死にせき止めて、ジュリアは続けた。
「私も、信じる。信じてみる」
祈るように手を組んで、目を閉じて。
───どうか、穏やかな毎日を、私の愛する全ての者達と、過ごせますように。
───檻を出て、拳を構えるとようやく騎士達が我に返った。
「い、くら力が強くても、この人数に一人で勝てるとでも思って───」
ヴァンスは灰髪の騎士の言葉をため息でさえぎり、無理解を浮かべる相手に突き付けてやる。
「───俺が、いつ一人だって言った?」
言うと同時に、騎士達の後方でどさりという音が響いた。慌てて振り返った騎士達の視線の先には、白目をむいて昏倒した仲間と、悲鳴すらあげさせずにそれをやってのけた人物の姿が。
「お前……っ!」
驚愕して動きを止めた騎士達ごしに、ヴァンスは叫ぶ。
「遅い!来ないかと思ったぞ」
「───すまない、上で少し手間取ったものでね」
その人物は自身の騎士剣とは別に腰にさげていた剣を外すと、ヴァンスに投げた。剣は唖然とした騎士達の頭上をくるくると回転しながら飛び、すっぽりとヴァンスの手におさまった。
ヴァンスは鞘から刀身を抜かないまま騎士達に向ける。
「剣も抜かずに、何のつもりだ‼」
「ん?だって、今の俺が剣を抜いて斬りかかったら……」
───迸る剣気に、騎士が青ざめた。先ほどとは比べものにならない、強烈な圧迫感が騎士達を襲う。
「───全員、死ぬぞ」
騎士達の足が一歩下がった。
それぐらい、ヴァンスの纏う鬼気は異様だった。
怖じ気づき、下がってしまうのも仕方ない。
だが、騎士達はヴァンスに気を取られるあまり、あることを失念していた。
「こちらの存在も忘れないでもらえると助かる」
黒髪の人物が剣の柄で二人の後頭部を強打し、意識を刈り取る。
「アルバート──────‼」
「そう吠えないでもらいたいな、ディラン」
ヴァンスにちょっかいをかけてきた騎士はディランという名前らしい。彼は凄まじい形相で黒髪の人物───アルバートを睨み付けた。
「お前、騎士を捨てるのか……⁉国を、巫様を裏切って……‼」
「───どうやら、誤解が生じているようだ」
「誤解?」
ディランが聞き返す。アルバートは焦らすように瞑目し、
「私は騎士を捨てるつもりは毛頭ないよ」
「なら何故だ‼」
アルバートは笑い、はっきりと口にした。
「───騎士として、誰にも大切な人を失う哀しみを味わわせないためさ」
「───」
ディランは目を見開いたが、すぐに戯言と切り捨てた。
派手な音を立ててディランが抜刀し、まわりの騎士達もそれにならう。
騎士達は半分に分かれ、片方はヴァンス、もう片方はアルバートに向きなおった。
「アルバート!」
声をかけると、アルバートの紫紺の瞳がちらりと向けられる。
「そっちは任せた!」
信頼を預け、ヴァンスは目の前の騎士達に意識を集中させた。
アルバートもそれに応えるように剣を構え───
「私も、君に任せる」
───地下室内の戦意が急激に高まり、戦闘が始まった。