45.嘲笑
翌日、帰りの馬車に揺られ、ヴァンスは空を見上げていた。強い日差しに顔をしかめ、
「…アルバート」
「何だろうか」
「───信じてる、からな」
ヴァンスの言葉にアルバートは瞠目した。
黒髪をゆらし、口を開く。
───馬車が木の根でも乗り越えたのかがたんと大きな音がして、アルバートの言葉はかき消されてしまった。
二度は言わない。ヴァンスも、聞き返そうとはしない。
互いに無言のまま、揺れに身を任せていた。
───毎日は飛ぶように過ぎ、ローランド国は冬を迎えていた。先日は初雪が降り、ついこの間まで夏だったのにと思ったほどだ。
───あと、三日。ステラが二十歳の誕生日を迎えるまで、三日を残すのみとなった。
もっと早くに助けに行けば良かったのに、と言う人がいるかもしれない。だが、これが最善なのだ。
《穢れた者》達が収容されている建物には、多くの騎士達が常駐している。ステラがどこに囚われているのかもよく分からず、賭けに出るには分が悪い。
なら、少しでも可能性があるほうを選ぶのは当然だ。
普段閉じこめられているステラ、彼女が檻から出されるときが一度だけある。
───それは、ステラを海へつきおとすために足に重りをつけるタイミング。
崖の上ではあるが、建物内よりはいいはずだ。
この八年間、やれることはやった。
だから、あとは。
───ヴァンスは身動きすることなく、じっと精神統一につとめるのだった。
同時刻、アルバートは、いつものように地下へ続く階段を下りようとして───足をとめた。
階段の途中に、騎士の姿があったからだ。
「……ディラン」
「───最近お前、休日になるとどこかに出かけてるよなぁ?どこに行ってるのか、気になるんだが?」
灰色の髪の騎士、ディランとはあまり仲が良くない。口調に嫌悪感を覚え、それを表情に出さぬように苦心する。
「別に、どこに行っていようと君には関係がないはずだ」
引き返そうと背を向けるが、そこで止まる。───いつの間にか、アルバートは前後を騎士達に塞がれていた。
しゃらんと音をたてて剣が抜かれ、アルバートに向けられた。逃げ場はないと観念してディランに向き直る。彼の灰色の目を見て、悟った。
───ディランは分かって聞いている。アルバートが誰と会っていたのかも、全て。
「───さぁ、聞かせてもらおうか。お前が手を貸している反逆者が、何をしようとしているのかを、な」
アルバートはため息を零し、そして───
突然玄関のドアが開く音がして、ジュリアは顔をあげた。今日はアルバートのくる日ではないはず、と思いながら、自室から出た。
「アル……」
バート、と続けようとして、ジュリアは口を噤んだ。
───数人の騎士が、足を踏み入れていた。
彼らは何事かと顔を出した者達を睥睨し、よく響く声を発した。
「ヴァンス・シュテルンをここに!」
何故かは分からないが、ヴァンスを連れてきてはいけないと直感が叫んでいた。
誰も動かないことに舌打ちし、一人の騎士が一歩足を踏み出そうと───
そのとき。
「───なんの、さわぎだ?」
ヴァンスが玄関ホールに顔を出した。
今、来て欲しくなかった。だって、来てしまったら───
「なに、するんだよ…‼」
怒鳴るヴァンスはなすすべもなく騎士達におさえこまれた。手足を縛られるヴァンスを一瞥した灰髪の騎士が、
「反逆者、ヴァンス・シュテルンを連行する‼」
その言葉は、頭の中で何度も反響した。
絶句し、動けないジュリアをおいて、ヴァンスが外に引きずり出されていく。と、一人の少女が飛びだして、ヴァンスにしがみついた。
「邪魔だ‼」
少女───レティシアは騎士に振り払われ、ジュリアの足元まで転がってくる。
「ぅ……」
「レティ!」
レティシアを呼んだのを最後に、ヴァンスは馬車に押し込まれて見えなくなってしまう。
「なんで、ここに騎士達が……?」
呆然と呟いた。この施設のことは、誰にも言っていなかったはずだ。
───ただ一人を、除いては。
認めたくなかった。
認めたくなくて、今更ながら扉にかけよって。
「───ジュリア」
「嘘、でしょ……嘘だって、言ってよ…」
震える声で囁くが、返事はない。
ジュリアは新たに建物内に入ってきた騎士の名を呼んだ。
「アルバート……」
なんども会って、ひそかに想いを抱いていた黒髪の騎士は、ジュリアを視界にいれても無感動な瞳のまま、灰色の騎士の隣に並んだ。
───徐々に冷えていく手のひらを握りしめ、ジュリアは運命が嘲笑う声を、聞いた気がした。