44.笑顔
───家には比較的早く着いた。
アルバートを連れて帰ってきたヴァンスに、両親は驚いていた。───それはそうだ、今のアルバートは正装ではなく私服姿だが、腰に騎士団の紋章の入った剣をさげていて、一目で騎士だと分かるのだから。
アルバートはアルバートで普段より口数が少なくなっている。
「どうしたんだよ。……もしかして、緊張してるのか?」
「……否定は、できない」
「いや否定しろよ…」
冗談のつもりで言ったのに肯定されて、ヴァンスはため息をついた。何だか、アルバートのイメージが崩れていっている気がする。真面目な騎士はどこに消えた。
強張った顔のアルバートを両親の前に押し出し、
「ほら、自己紹介。得意だろ?騎士様」
嫌味っぽく言うと、彼は一礼し、
「───私はアルバート・カールトン。騎士団に所属していますが、本日はヴァンスの…友人として来ました。気軽にアルバートとお呼び下さい」
先ほどの緊張した様子はどこへやら、流麗に名乗るアルバート。彼の声には人をひきつける何かがあった。ヴァンスは呼吸を忘れていたことに気付き、息をはく。
「…前に言ってた、ステラとの繋がりになってくれてる騎士がアルバート。……繋がりってなんか嫌だな」
聞き入ってしまったことを隠すように口にすると、我に返った父が、
「ご丁寧にどうも。ヴァンスとジュリアの父です」
互いに自己紹介し終え、ソファーに向かい合って座った。
「突然帰ってきたけど、用でもあったの?」
「そりゃもちろん、アルバートが母さん達に会ってみたいって……冗談だよ」
隣に座るアルバートに睨まれ、言葉を中断。
ヴァンスは咳払いし、
「実は、もう用は済んだんだ。さすがに即帰るのは厳しいから、泊まっていこうとは思ってるけど」
「私は別に、今すぐ帰っても……」
「お前はジュリアといたいだけ……とにかく!急で悪いけど、今日は泊まってく!泊まらせてください!」
思わずアルバートとジュリアの関係性を暴露してしまいそうになり、誤魔化した。父の目が光った。正直怖い。
アルバートがそっぽを向き、その子供っぽい態度にヴァンスは内心でげんなりしたのだった。
久しぶりの自室に懐かしさを覚え、ヴァンスは窓を開けた。入りこんできた風が髪を揺らす。
どこかで蝉が鳴いていた。
荷物を部屋のすみに置き、ベッドに倒れ込んだ。
ぼんやりと天井の模様を目で追いかけていると、自覚はなかったが馬車での移動に疲れていたのだろう、睡魔が襲ってきた。
ほんの少しだけ、と言い訳し、瞼を閉じるとあっという間に眠りの中に引き込まれていった。
───どれだけ時間がたったろうか。
意識がゆっくり浮上してきて、ヴァンスは目を開けた。開いたままの窓から夕日が差し込んでいて、かなり長く眠っていたのだと分かる。
階段をおりていくと、何やら話し声が聞こえてきた。
「───手伝ってもらって助かったわ、ありがとう」
「いえ、こちらは泊めさせていただく身。当然のことです」
「アルバートくん、私とチェスで勝負をしようじゃないか」
「……!はい、望むところです」
…ヴァンスが寝ている間に、アルバートはすっかり家に馴染んでいた。
「あ、ヴァンス。二人のチェスが終わったら、夕飯にするわよ」
「……ハイ」
ヴァンスはチェスが得意ではないが、一応駒の動かし方は知っている。真剣な表情でポーンを二マス進める父の姿に、長期戦になる予感がした。
約一時間後。
アルバートがナイトをことりと置き、
「チェックメイト、ですね」
「…負けたよ」
父が詰みを認め、勝負はアルバートの勝利で終わった。
駒を黒と白に分けて片付け始めるアルバートに、
「この人に付き合わせてごめんなさいね、前はジュリアがチェスの相手をしてたのだけど…」
「お母様が気に病むことではありません。それに……懐かしいです。───昔、父とこうしてチェスをしていたので」
「今は、されていないの?」
そのとき、アルバートの横顔によぎった感情は、何だったのだろうか。
僅かに表情を翳らせ、
「……父は、亡くなりました。…魔獣の毒にやられて」
「───っ」
ヴァンスは先週の出来事を思い出した。魔獣の針を持ち帰ろうとするヴァンスに、怒りを露わにしたアルバートの姿を。
らしくない彼の様子、それが、過去に起因するものだとしたら。
『君は知っているのか?───その毒で何人も亡くなったことを』
亡くなったのが、アルバートの身近な人物なら納得がいく。
黙り込んだ母から視線をそらし、アルバートは父に目をむけた。
「───また、勝負してください、お父様」
「……私で、いいのなら」
父の返事を聞いたアルバートは、笑顔を浮かべた。
先ほどまでの、どこかノスタルジックな笑みではない。ずっと見せてきた、苦笑に近いものでもない。
ただ純粋に、嬉しいから笑った。それだけの笑み。
───ごく普通で自然な笑顔が、彼がヴァンスの前で初めて見せた素顔のような気がして。
過去に何があったかは知らない。こちらからは聞かない。いつか、自分で話してくれればと思うから。
ただ。
ヴァンスの家が、家族が、心を許せる場所になったなら。
───良かったなと、そう思った。