34.祈り
翌日。まだ日の出ぬ頃からヴァンスはベスティアの森にやってきて戦いを続けていた。
いつもはまだ寝ている時間帯に出てきたのには理由がある。
───昨日の、ジュリアとの話。
レティシアがそんな風に見ていることに、ヴァンスは気付いていなかった。
ジュリアも躊躇ったわけだ。自分が同じ立場であったら、やはり察しろと言っていただろう。
姿を見せた魔獣を一太刀で斬り伏せる。体内から魔石を取り出し、腰につけた袋に入れた。
───俺は馬鹿だ。
ジュリアの言うとおりだった。ヴァンスはレティシアを見て、彼女の青の瞳を見て、ステラを思い出していた。
それがレティシアを傷つけていたことは想像に難くない。
近くの木によりかかり、ほぼ真上にきた太陽を見上げる。幹に頭をあずけるとジュリアに叩かれたところがつきん、と痛んだ。
二食───もうすぐ昼だから三食か───抜いてしまったが、空腹は感じない。一睡もしていないが、目は冴えている。特におかしなところはない。
───胸の中に何かが詰まったような重さを除けば。
これが精神的なものだということは分かっている。
ため息をつくヴァンス。───彼は、行動を誤った。
ここは、魔獣の群生地。常に気を張っていなければ、容易く死ぬ。
そういうところで、何かに気をとられていれば、どうなるか。ましてや、足元には魔獣の死骸。血と死の匂いに、魔獣が集まってくるのは必然で───
───ヴァンスの後ろから羽音が聞こえ、同時に空気を切り裂く音が響いた。
ジュリアは宿の受付でぼんやり壁を眺めていた。今日はアルバートがくる日なのだ。
「お兄ちゃん、来るかな……」
朝起きたときはもういってしまったあとだった。昨日の今日だ、来てくれるといいが。
「ジュリア」
名を呼ばれ、振り返る。扉の前にアルバートが立っていた。
「早いね、まだ昼だよ」
「思いのほか早く着いたのでね。それに」
「それに?」
「───。忘れてくれ」
アルバートは目をそらし、呟く。
その態度を不思議に思いながらも、部屋に案内した。
ジュリアが手伝っているせいか、寝泊まりしなくなっても宿の人々はこの日だけ部屋をひとつ開けておいてくれるのだ。ひそかに感謝しながら中に入り、扉をしめた。
たわいもない話をしていると、時間がたつのはあっという間だ。気がつけば、窓の外はすでに薄暗くなっている。
「……遅いな、お兄ちゃん」
「出かけるとき、何か言ってなかったのか?」
「それが……今日は姿を見てすらいないの」
昨日の夜の出来事を簡単にアルバートに説明する。アルバートは瞑目すると、
「忘れているだけかもしれない。君の家に行ってみよう」
「あ……」
一瞬、迷った。現在銀髪青瞳の者は施設にいないが、いずれ匿うことになるかもしれない。そうなったときに、騎士に知られていていいのか。
迷った末、ジュリアはアルバートを信じることに決めた。
施設の扉を開けると、ざわめきが起こった。
彼らはみな、差別されてきた者達だ。《穢れた者》を連行していく騎士に、良い気はしないだろう。
アルバートは眉を上げたが、何も言わなかった。
「誰か、お兄ちゃん見てない?」
なるべく早く用を済ませるために、ジュリアは大声で聞いた。だが、誰も頷かない。
「……帰ってきてないみたい。まだ、森に……?」
何かあったのではないか。不安を隠せないジュリアの耳に、小さな声が届いた。
「───私の、せい?」
「レティ」
「私が、あんなこと言ったから……?」
レティシアはどこか虚ろな目でささやく。
「───っ」
アルバートが立ち尽くすジュリアの肩に手を置いた。
「私は森へ行ってくる。ジュリア、君はその少女を」
ジュリアが森に行っても、足手まといになるだけだ。レティシアも、放っておけない。
「お願い。……気を、つけてね」
アルバートは固まり、ジュリアを至近距離で見つめた。
それから周囲が自分達を好奇の目で見ていることに気付き、視線を泳がせる。
「あ、ああ。……ありがとう」
外へ出て行ったアルバートを頬を染めて見送り、レティシアのそばに駆け寄る。震え、嗚咽を漏らす少女を抱きしめ、ジュリアはただヴァンスの無事を祈った。