22.帰宅
特に何事もなく、馬車は生まれ育った街へ到着した。
ロイドとの待ち合わせ場所を決め、家に向かう。
心なしか、ジュリアの足取りは軽い。その様子を眺め、ヴァンスは何て言おうか考えた。
今日帰るとは言っていない。手紙を出すより、帰った方が早いからだ。
何より、怪我について説明しなければならないのだ。正直気が重い。
気がついたら、家の前に立っていた。
「……お兄ちゃん」
見上げてくるジュリアに頷きかけ、ヴァンスはドアをノックした。
ぱたぱたという音がしたあと、鍵が開いた。
出てきた女性は二人を見て、目を見開く。
「ただいま、母さん」
帰宅したのがお昼頃だったので、話は食事をしながらということになった。ヴァンスとジュリアが横に並び、両親と向かいあう形だ。
食事には慣れたものの、知らない人が見れば違和感のある食べ方である。ましてや、相手は親。すぐ、違和感の原因に気付いた。
「ヴァンス……」
母のかすれた呟きを聞き、ヴァンスは食事を中断し、匙を置いた。
「伝えないといけないことが、あるんだ」
「───左腕が、利かなくなった」
───部屋を、重い空気が支配していた。
「怪我?…大丈夫なの……?」
母の言葉に頷くかわりに、袖をまくる。包帯をくるくるとほどいた。
もうひと月たち、傷痕になっているそれを目にし、両親は息をのんだ。
「魔獣に、噛み千切られたの。手当てしてくれた人がいたから助かったけど……一生、動くようにはならないって」
ジュリアが目を伏せ、補足する。
部屋に落ちる沈黙を破り、
「……ね、もうやめて。このまま、ここで暮らせばいいじゃない」
母の言葉はもっともだ。ヴァンスもこれ以上心配をかけたくない。
でも。
「───なら、ステラを見殺しにして、自分は安穏と暮らせと?母さんは、そう言うのか?」
───事はそうすると頷けるほど、軽くはないのだ。
「見捨てるのは、自分の手でステラを殺すのと同義だ。その罪と後悔を背負って生きていきたくはない」
言葉に詰まった母にかわり、腕をくんで瞑目していた父が、口を開いた。
「だが、その腕では戦えないだろう」
ヴァンス自身も同じように思った。ステラを助けられないと、絶望した。
もしかしたら、今もずっと絶望したままだったかもしれない。
そうならなかったのは、アルバートの言葉があったからだ。
諦めるなと、戦えと叱咤してくれた言葉があったからだ。
耳に焼き付いているアルバートの声をなぞる。
「『───利き手は残っている。足も、走れる。攻撃を見極める目も、敵の足音を聞き取る耳も、考える頭もある』」
「───」
「『剣がある。指が動く。足を踏み出せる。───まだ、戦える』……騎士様のお墨付きだ」
両親に自分の覚悟と決意を伝えるには、これ以上の言葉はないだろう。
「ステラが、俺が助けに行くって信じてくれてる。諦めないで、待っててくれてる。───俺は、それに応えたい」
「何があろうと、俺は止まらない。諦めない。絶対に、ステラを助け出してみせる」
何も言わない両親をじっと見つめて、
「……不安にさせると思う。でも、俺は必ずステラと一緒に帰ってくる。それだけは、信じてくれ」
立ち上がり、深く頭を下げた。
そのまま、ヴァンスは部屋を出て行った。
残された三人は、食事を再開する。
「……お兄ちゃんね、腕が動かないって分かった直後は戦えなくなったって絶望してた。何にもしゃべってくれなくなって、思いついたように自分の体を傷つけて……見てられなかった」
「───」
「でも、ある人に励ましてもらって、お兄ちゃんは立ち上がれたの。だから」
「お願いします。───お兄ちゃんに、ステラを助けさせてあげて」
先ほどのヴァンスと同じように頭を下げる。
「ジュリア」
「ヴァンスは止められない。───ジュリアもついて行くんだろう?」
ジュリアが頷くと父は、
「気をつけて、な」
───それが、ヴァンスの想いとジュリアの願いへの二人の答え。
ジュリアは息をつめ、目を伏せる。
やがて、目を開けると、
「ありがとう、お母さん、お父さん」
そう、いつもと変わらない笑顔で言ったのだった。