21.準備
「お兄ちゃん。昨日、お母さん達から手紙が来たでしょ?それで、思ったんだけど」
宿の食堂で遅い昼食を食べていると、ジュリアが言った。
「一度、家に帰らない?」
確かに、今ならばヴァンスは森へ行きたくとも行けないし、時間は沢山ある。一生ものの大怪我をしたことも伝えねばなるまい。
問題があるならば───
「帰るのには賛成だけど、仕事はどうするんだ?」
「三日間だけお休みがもらえたから、大丈夫。あとは、何で帰ろう……」
馬だけなら、比較的安く借りることができる。だが、片腕が利かないヴァンスでは長時間馬上で揺られ続けるのはキツいだろう。
そうなると、一番いいのは馬車なのだが───
「……相当金かかるし、行商人達が使ってるから、残ってないだろうなぁ」
考え込む二人に、声がかけられた。
「───俺の馬車に乗せてやろうか?」
ヴァンスはいきなり入ってきた第三者の顔を見て、
「……誰だ?」
くすんだ緑髪の男はヴァンスの返答に大袈裟に肩を落とす。
その反応に見覚えがあって───
「…あの、魔石買ってくれる……ええと、名前なんだっけ?」
「ロイドだよ!ロイド・オルティス!二年間毎日会ってただろ⁉」
あんまりな扱いに男───ロイドが叫んだ。
四十過ぎだろうに、落ち着きというものがない。
「……何でここにいるんだよ?」
「たまたまこの宿の前を通ったらヴァンスが見えたんだ。…馬車がいるんだってな?」
ロイドの話によれば、彼はヴァンス達の故郷に用があり、三日ほど滞在するらしい。
「代金は?」
「……最近、商人が獣に襲われるらしいんだよな。一人だけだと不安だなぁー…」
ヴァンスはわざとらしい言葉に苦笑し、
「なら、俺はあんたの護衛をするよ」
ロイドは満足げに笑うと、左利きの彼は左手を差し出してきた。
「……?どうしたんだ?」
一瞬反応に迷い、動かないヴァンスを訝しげに見て、ロイドが疑問の声を上げる。
「……ああ、悪い。それと…右手にしてくれないか」
右手で握手してから、ヴァンスは皿に残っていたおかずを食べる。
───食事のとき、ぴくりとも動かない左腕に気付いてロイドが驚いた。
「……ヴァンス。お前、その腕……」
バレてしまってはしょうがない。護衛をするならいずれバレていただろうけれど。
「魔獣に噛み千切られて、な。…傷が癒えても腕は動かないそうだ」
絶句したロイドを見やり、
「しばらくは森に行けない。まあ、獣相手なら何とかなるから、安心してくれ」
ロイドは、だからここのところ店にこなかったのか…と呟いている。彼を放置し、
「ジュリア。今日は確かアルバートが来る日だよな」
「うん。今のうちに荷物まとめておこう」
───アルバートはまだ明るいうちにやってきた。荷物が片付いた部屋を見回して、どこかに行くのかと聞いてくる。
「ちょっと…久しぶりに、家に帰ろうと思ってな」
「そうか。……どうりで」
納得の呟きを零すアルバートに視線を向ける。
「やけに君が嬉しそうだったものでね。何か良いことでもあったのかと思っていたんだ」
「ベ、別に嬉しくは……」
じっと見つめてくるアルバートの瞳には珍しく面白がっているような色が浮かんでいた。彼の唇が緩んでいるのは、そればかりではない気もしたが。
ともかくヴァンスは、何て言っても誤魔化せないと悟り、せめてもの意思表示として顔をそらす。そんなヴァンスをアルバートはしばらく見ていたが、
「さて、明日予定があるのなら、早く用を済ませて立ち去るとしよう」
ステラの伝言を聞こうと、仕事を抜け出してジュリアが部屋に入ってきた。
アルバートの美声が、慣れ親しんだステラの想いを代弁する。
───皆、元気にしてる?
お母さんもお父さんも、どんなことをしているのかな……。
ヴァンスにはヴァンスの生活があると思うけど、もし会いに行くことがあれば、伝えてほしいことがあるの。
私は、ちゃんと生きて帰るから、待っててって、伝えて。
ヴァンス、無理しないでね。ジュリアも、気をつけて。
呼吸を忘れて聞き入っていたヴァンスは息をはいた。
「……凄い、タイミングだな。行く前に聞けて良かった」
「私も驚いたよ。君からは何かあるか?」
「───俺達が会いにいくってことと、しっかり伝えるってことを頼む」
アルバートが頷くのを見て、ヴァンスは目を閉じた。
翌日、ヴァンスとジュリアはロイドの馬車に乗り込んだ。
「準備はいいか?」
少量の荷物と、ささやかな想いを持って。
準備は大丈夫だ。あとは、行くだけ。
ちらりとジュリアを見て、ぐっと顎を引き。
「ああ‼」
───馬車は、走り出した。