19.叱咤
一週間立ち、アルバートはいつもより早めに宿の扉を叩き…その変わりように目を見開いた。
ジュリアの目の下には隈ができており、自分のいない間の苦労を見て取った。
アルバートはジュリアを部屋の外に連れだし、
「ヴァンスは」
「……目を離すと、自分を痛めつけてるの。一言も話してくれないし……」
話しているそばから、部屋の中で破砕音が聞こえ、ジュリアは弾かれたように顔を上げて戻っていく。一瞬だったが、床に血の雫が滴っているのが見えた。
───このままでは、だめだ。
だが、何を言えばいい。
そもそも、自分は《穢れた者》を助けるのを止める立場なのだ。伝言を伝えるのはともかく、本来ヴァンスの心を砕くべきではないのか。
いや。
アルバートの本分は『騎士』だ。
民の安寧を守るのがつとめだ。
ならば。
───何も、迷うことはない。
アルバートは扉を開け、部屋に足を踏み入れた。
ヴァンスはどこか虚ろな表情で床に座り込み、入ってきたアルバートを見ていた。
「ジュリア、少し席を外してくれないか」
ジュリアは素直に頷き、部屋を出て行く。アルバートは殊更明るい口調で、
「君らしくないな。これまでの君は……」
「───これまでの、俺?」
言葉を遮り、呟く。ヴァンスの目に、アルバートは口を閉じてしまう。
「これまで俺がやってきたことは、全て水の泡になった。……片腕しか使えないやつが、両腕のやつに勝てるはずがない」
ヴァンスは左手を見た。
ステラを救えなくなった腕を、見た。
悔しくて、哀しくて、自分がどうにかなってしまいそうで。
「もう、俺は戦えない。あいつを…ステラを、助けられない……っ」
己の腿に爪を突き立て、声を震わせて叫んだ次の瞬間───
ヴァンスは胸ぐらを掴まれ、無理矢理立たされていた。
アルバートの顔が視界に入り、ヴァンスは紫紺の瞳の中で燃え上がる激情に、振りほどこうとする意思を奪われる。
「努力が無駄になった?片腕では勝てるはずがない?───やってみなければ分からないだろう。勝手に見切りをつけるな」
「───」
息を詰めるヴァンスに、アルバートが続ける。
「助けると、そう誓ったのだろう。待っていろと、そう言ったのだろう。君はその誓いを反故にし、彼女の希望を、心の支えを砕くのか?」
「そんな、こと……!俺だって……‼」
「俺だって、ステラを救いたい!でも…俺は……‼」
言葉にならず、ヴァンスは荒い呼吸をするのみ。
アルバートはヴァンスの瞳をじっとのぞきこみ、言った。
「───利き手は残っている。足も、走れる。攻撃を見極める目も、敵の足音を聞き取る耳も、考える頭もある。……何もかも、無くしたわけではない」
「剣がある。指が動く。足を踏み出せる。───まだ、戦える」
アルバートの言葉が強く、激しくヴァンスを打った。
「───何でだ」
「何で、そこまで……」
アルバートは苦笑した。他でもない、ヴァンスが教えてくれたことなのだ。
「───『一番』があれば、理由なんて考えるわけがないのだろう?」
ヴァンスは瞬きし、アルバートの言葉の意味するところを悟る。
しばし瞑目し、目を開けると、ヴァンスの緑色の瞳には光が戻ってきていた。
傷は癒えていない。ステラを助けられるのか、自信もない。正直に言おう、話の全てに納得できたわけではない。
でも。
戦えるはずと、そう叱咤してくれたことには、素直に。
「───ありがとう」
───ヴァンスが救われたことは、確かなのだから。