16.深憂
───大量の出血があるにもかかわらず、ヴァンスの双眸はぎらりと恐ろしいほどの光を放っていた。
アルバートはジュリアを少し離れた地面に降ろしてから、ヴァンスに歩み寄る。
思いのほか、ヴァンスの傷は深い。立っているのも難しいはずの激痛が彼を襲っているはずなのに、そんな様子は微塵も見られない。
「遅くなってすまない。───大丈夫か?」
気遣った発言に、ヴァンスは目の上の傷から流れ落ちてくる血を拭い、
「俺のことはいい。あれを、どうやって倒す」
虎型の魔獣も、無傷というわけではない。片翼は切断され、脇腹にも深い傷を負っている。
この傷を、ヴァンスが片手が使えない状態で刻んだというのだろうか。───そのことに、アルバートは驚きを隠せない。
二年間、ヴァンスが相当な無茶をしてきたということは分かっていた。
でも───ここまでとは。
「私が、魔獣の一撃を受け止める。君はその隙を」
「……いいのか?」
「君のその腕では、受け止められまい。───それとも、もう斬る気力は残っていないか?」
「上等‼」
アルバートの挑発に叫び声をもって応え、ヴァンスは剣を握り直す。
虎は身をかがめ、二人にとびかかってきた。
ヴァンスは跳躍し、爪の攻撃範囲から抜け出す。
一方アルバートは、頭を喰いちぎらんと大きく開いた魔獣の口に躊躇うことなく剣を突き出した。口内を抉られ、閉じようとしていた口が開く。
魔獣が叫び声を上げもがいた。動きを止めた、瞬間───。
死角から飛び出したヴァンスの剣が、虎の首に深々と刺さった。根本まで魔獣の体に埋まり、反対側からは血に濡れた刃の先端が見えている。ゆっくりと、虎は横倒しになった。
魔獣が完全に沈黙すると、ヴァンスは剣を引き抜いた。軽く振って、血を落とす。
───その上体が、ふらりと揺れた。
「お兄ちゃん⁉」
「ヴァンス‼」
意識を失ったヴァンスを抱え起こし、アルバートは全身の傷を診る。己の白いマントを破き、それを使って止血していった。
宿に戻り、ようやく落ち着いたころには外は暗闇につつまれていた。
「…すまないが、これで帰らなければならない。また一週間後に来る」
ジュリアは頷き、
「アルバート、ありがとう。……ひとつだけ、お願いがあるの」
アルバートは眉を上げ、続きを促す。
「───お兄ちゃんが大怪我したこと、ステラには言わないで。…きっと、ステラは傷付くから」
「…分かった。君がそういうのなら」
それから思い出したように、宿に置いてあったメモに何かを書き、
「これが、ステラの伝言だ。ヴァンスの意識が戻ったら渡してほしい」
ジュリアが頷くのを見届けて、アルバートは宿から出て、木にくくりつけていた縄をはずし、馬で去っていった。
アルバートを見送り、ジュリアはベッドに横たわるヴァンスを見た。
痛々しく巻かれた包帯。頬のかすれた血のあと。
アルバートが応急処置をしてくれたおかげで、命に別状はないとのことだ。
だが───完治するまでは、相当な時間がかかるだろう。
特に、左腕の傷。
恐らく傷が塞がっても使い物にならないと、アルバートは言っていた。
切り傷なら、良かったかもしれない。
しかし、ヴァンスの傷は噛み傷であり、肉を持っていかれてしまっているのだ。
そして何より───時間が足りないと焦っているヴァンスが、大怪我をして寝ていなければならない状態に、耐えられるかどうか、だ。
きっとヴァンスは苦しむ。自分を呪い、追いつめられてしまう。
それを隣で見て、励ますことがジュリアにできるのだろうか。
兄に早く意識を取り戻してほしいという想いと、目覚めないでという想いが真っ向から衝突し、ジュリアは深い憂いにため息をついた。