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44.相反する思い



 浴場で軽く体を流したヴァンスは、部屋に戻ってくるやベッドに倒れ込んだ。


「はぁ……」


──やはり、傷の影響なのだろうか。

たいして動いていないのに体が重く、寝っ転がるとふうっと眠気が押し寄せてくる。

薄く瞼を持ち上げると光が目に飛び込んできて、ヴァンスはランプを点けたことを後悔していた。

ステラが湯浴みの後顔を出すと言っていたことを思い出したが、それまで起きていられそうにない。

彼女に申し訳ないような気もしたが睡魔には勝てず、ヴァンスは夢の中へと引きずり込まれていった。



***



──真っ暗闇に、ヴァンスは立っていた。


 何故、こんなところにいるのだろう。

あたりは自分の手のひらも見えないほど暗く、夜目のきくヴァンスでも何も見通せなかった。

 不意に気配を感じて振り向くと、いつからいたのか人影が見えた。徐々に容姿が露わになっていき、ヴァンスは息をのむ。

星ほどの光も射し込まない暗闇で、人影──少女の銀髪は煌めいていた。


 一瞬、ステラに見えてはっとした。だが、すぐに別人だと分かる。──否、よく見知った相手だった。

 この少女は──エストレイアだ。

記憶にあるより少しばかり幼いが、エストレイアで間違いない。


──あれほど思い描いた彼女の姿が、今、目の前にある。


 その事実が信じられなくて、ヴァンスは一歩前に踏み出そうとし──足が動かないことに気付いた。

 エストレイアは、ひどく哀しげな目でヴァンスを見ていたが、やがて無言のまま背を向ける。


「ぁ……」


 喉からは掠れた声しかでてこなかったが、心の中では彼女の名を何度も叫んでいた。

足が、石に変わってしまったかのように動かなくて、エストレイアを追いかけられない。


「まって…待って、くれ……!」


 ようやく絞り出したヴァンスの声にも、何の反応も見せないまま、エストレイアは遠ざかっていく。行ってしまう。


 彼女の手から、何かがこぼれ落ちた。暗闇にのまれて消える寸前、青い光を放つ。

それが一体何なのか、分かったのは奇跡だったのだろう。


──青い光の正体は、宝石だ。

エストレイアが落としたのは、ヴァンスが──否、ウォレスがプレゼントした、あのブルートパーズのペンダントだった。


 手を伸ばす。届かないと分かっても、伸ばさずにはいられなくて。


虚しく空を掴んだ手に、何かが触れた気がした──。



***



──すぐヴァンスの部屋に行くつもりが、ジュリアと喋っていて遅くなってしまった。

 食事を終え、食堂で別れたヴァンスとは寝る前に話す約束をしていたが、少し疲れていたみたいだし、もう寝ているかもしれない。それならそれで構わないし、ただでさえ無理をしがちなヴァンスだ、体調の面を考えればそうしてくれていたほうが安心できる。──だから、こうして足を速めるのは完全にステラの自己満足のためだ。


 明かりが消えている部屋も多い中、ステラは見慣れた扉──彼の部屋の前で立ち止まった。


 多くの人が共に生活する施設だ、部屋を間違えないようにするために、扉にはドアプレートが取り付けられている。プレートに刻まれているのは文字や数字ではなく絵だ。絵柄は千差万別で、花といった可愛らしいものから剣が描かれたものまである。

ちなみに、花はジュリアの部屋、剣はアルバートの部屋だ。

ステラの部屋は星の絵で、目の前の扉──ヴァンスのプレートには小鳥が描かれていた。小鳥の瞳には青く透き通る石が嵌まっており、神秘的なものを感じさせる。

ヴァンスが小鳥を選んだというと驚かれるかもしれないが、誰のことを思ってそれにしたのか、施設の皆は分かっていた。──もちろん、ステラも。


 瞳の石をじっと見つめてから、ステラはようやくヴァンスに会いに来たことを思い出した。

ドアの隙間からは光が洩れていて、ステラはほっと息をつく。だが、ノックをしてみると返事がなかった。やはり寝てしまったのだろうか、と思ったが、明かりがついたままでは火事になる危険性もある。


 ステラは迷った末──ドアノブに手をかけ、ゆっくりと捻った。

部屋を見渡すと隅に置いてあるベッドにヴァンスが寝ているのが見えて、ステラは音を立てないようにしながらランプの火を吹き消した。

ステラは暗さに目が慣れるのを待ってから、そっとベッドのほうに近付いていく。


──窓から射し込む月の光が、ぼんやりとヴァンスの横顔を照らしていて、ステラはつい見入ってしまった。

線の細い見た目からは想像つかないほど、彼の肉体が引き締まっていることをステラは知っている。なのに、目を閉じて眠っている姿は少女と見紛うほど脆く、儚い雰囲気を醸し出していた。

 いつまでも見ていられそうだったが、さすがにずっといるわけにはいかないと、ステラは部屋を出ていこうとしたのだが──、


「───」


 呻くような声が鼓膜を揺らし、ステラはヴァンスの顔をのぞきこんだ。さっきとは打って変わり、悪夢でも見ているのか寝苦しそうな様子の彼は、嫌々と首を横に振っていた。


「ヴァンス…?」


 すうっと、水滴が頬を流れ、シーツに染みこんでいく。

それを見た瞬間、ステラはヴァンスの頬に指で触れていた。

人差し指に、濡れた感触。──同時に、ある映像がちらついた。


『……て…待って、くれ……!』


 聞こえてきたのは、紛れもないヴァンスの声。

──闇の中を、ひとりの少女が歩いていく。

ゆっくりと離れていく背中。肩に流れる、銀色の髪──。


 映像が途切れ、ステラは呆然と己の指先を見つめた。

だってあれは、あの少女は──話に聞いた特徴と、一致していて。


「──っ」


 分かっていた。気付いていた。心のどこかで。

──ヴァンスが、ステラをエストレイアと呼んで涙した日から。

ウォレスの心はずっと、エストレイアを見ている。

そして──ヴァンスはヴァンスであって、ウォレスでもあるのだ……。


 ヴァンスは、ステラと結婚したいと言った。

だがそれは、結婚したい相手は本当に、ステラなのか?


 こんなこと、考えてはいけないのはわかっている。けれど、ステラはその考えを振り払えなかった。


「───」


──突然、ヴァンスが何かを掴もうとするように右手を天井に伸ばした。起きたのかと思ったが、相変わらず瞼はぴったりと閉じられている。

 あまりにも、彼の表情が辛そうで──ステラは直前の思考を忘れ、思わず手を握っていた。

糸が切れたようにふっと体の力が抜け、ステラはヴァンスの腕を抱き抱える。

ステラは暫し、安堵したかのように静かな寝息を零す彼の顔を見つめていたが、視線を外すと額を手のひらに押し付けた。


 起こしてしまいたかった。起きて、ステラの顔を見て微笑んでほしかった。たとえ、ひとり置いていかれる夢に怯えた表情だったとしても──エストレイアではなく、ステラに安堵を求めてほしかった。


 でも──同時に、こうも思うのだ。

 起きないでほしい。今、彼が安堵に包まれているなら、せめて朝、目が覚めるまではこのままであってほしい、と。


 相反する思いに、ステラはぎゅっと目を瞑り──零れそうになった涙を押し隠した。

押し隠して、温もりに何かを見出そうとでもするかのように縋りついて。


──ステラは長いこと、そうしていた。



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