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42.二人の距離

お待たせしました、更新です。



 施設に帰ってきてから二日経って、ヴァンスは動き回れる程度には回復し、朝食をとるために食堂へとやってきていた。


「──ヴァンス、もう大丈夫なの?」


 声をかけてきたのは母で、ヴァンスは包帯が巻かれた腕をちらりと見てから頷いた。

腫れは引いてきているし、左腕が使えないのにも慣れている。日常生活に、これといった支障はなかった。

全身の怠さは無茶したのもあるだろうが、やはり毒の影響によるものが大きい。…単なる寝過ぎという説もあるが。


「まさか、また毒にやられるとはなぁ……」


 一回目は致死毒、二回目である今回は麻痺毒と、もう勘弁してほしい。

 不意にジュリアが調理場から顔を出し、言った。


「二度あることは──」


「言わないでくれよ、頼むから」


 ジュリアが最後まで言わないうちにとヴァンスは言葉を被せ、じと目で妹を見た。──言葉にしてしまうと実際に起こりそうで怖いのだ。

ヴァンスの視線による抗議に、ジュリアは小さく舌を出して戻っていった。…三度目はない。ない、はずだ。たぶん。


「──三度目なんてあるわけないでしょ。気にしすぎなんだから、ヴァンは」


 耳元で声がして、ヴァンスは己の右肩に目を向けた。肩の上にのっていたのは頼れるもふもふ毛玉、ノアだ。

つん、とそっぽを向くノアはいつも通りで──否、変化はあった。


「なんか、『ヴァン』って呼ばれるのに慣れないな」


「そ、それは……い、嫌ならやめるわよ」


「いや?むしろ、嬉しいかな」


「……っ」


 誘拐騒動のときに大切な家族だと伝えてから、ノア自身の意識が変わった。そのせいか、ヴァンスのことを愛称で呼んでくれるようになったのだ。

照れくさいやら何やらだが、距離が縮まったようで嬉しい。


 足音が聞こえたので振り返ると、エドガーとバレンティアがレティシア達と話しているのが見えた。

二人とも、誘拐などなかったかのような明るい表情で、ヴァンスはほっと息をついた。

──施設に戻ってきてから、二人と顔を合わせたのはこれが初めてなのだ。助けに行ったヴァンス自身が負傷し、自室での静養を命じられてしまったからである。

 と、エドガーがヴァンスの視線に気付き、こちらにやってきた。


「ヴァンスさん…腕、大丈夫ですか?麻痺毒が塗ってあるナイフで刺されたって……」


「それはこっちの台詞だよ。あれだけ鞭で打たれて、痛かっただろ?」


「痛かったことは痛かったですけど……ティアが傷付くことにくらべれば、僕にとって鞭で打たれるぐらい、何でもないことなんです」


 ヴァンスは鋭く息を吸い込み、しばし硬直していたが、やがてゆっくりと空気を嘆息へと変えた。


「…俺に言えた話じゃないけど……もうちょっと、自分を大事にしたほうがいいぞ」


「ほんとにお兄ちゃんに言えた話じゃないね」


「自覚はしてる」


 途中でジュリアの茶々が入ったが、ヴァンスは真面目な表情で頷いた。珍しい反応にジュリアが目を丸くし、食堂にいる全員の視線がヴァンスとエドガーの二人に集まる。


──すぐに言葉が出てこなかったのは、エドガーの口にしたそれがヴァンスにも覚えがある思考だからだ。


 ステラを助けると誓ったとき、ジュリアに呪いがかけられていると分かったとき、エドガー達が連れ去られたとき。

それから──約束を破って、エストレイアを置いてひとりで森に行ったとき。


 幾度もヴァンスはエドガーと同じ事を考えて、必死に大事な者達を守ろうとした。

──守りたい誰かが傷付くくらいなら、千の痛苦を受けるほうがまだましだと思ったのも事実だ。


 だが──ヴァンスは守られる側の心痛もまた理解していた。

だから、同じ気持ちを抱えた相手に、同じ間違いを犯さぬように、教えてやる。


「俺もそんなだから、傷付くなとは言わないよ。──けど」


「───」


「なるべく自分も守りたい相手も、どっちも傷付かないようにな。そうするための努力は、欠かしちゃダメだ」


 エドガーがバレンティアを守りたいと願うように、彼が傷付くことで心を痛める人がいるのだ。

ヴァンスもそのひとりだし、バレンティアもそうだろう。もしかしたら施設の全員かもしれない。

 バレンティアが──他の皆が言えないのなら、ヴァンスが言う。無茶するなと言うかわりに、忘れるなと語りかけよう。


「大切な人を守り抜いて迎えた未来には、お前もいなくちゃならない。──それは、絶対に忘れるなよ」


「……はい」


 エドガーが頷くのを見届け、ヴァンスは息をついた。

そこでようやく、さっきまで響いていた話し声が消え、注目されていることに気付く。


「…どうかしたのか?」


「別にー?」


「別にって何だよ……」


 ジュリアの返答に腑に落ちないものを感じつつ、ヴァンスはエドガーに向き直った。

悄然とした少年の様子にふっと唇を緩めると、エドガーの頭に右手をのせる。少しばかり乱暴に頭を撫でてやってから、ヴァンスは出せる限りの優しい声で言った。


「──頑張ったな、エドガー」


 それを聞くと、エドガーは唇を震わせ、栗色の瞳を揺らめかせた。揺らぎは瞬く間に大粒の涙へと変わり、頬を伝い落ちて絨毯に染みこんでいく。

ヴァンスは微苦笑すると、エドガーの頭をぽんぽんと優しく叩いた。


「──エディ」


 少し離れたところでやり取りを見ていたバレンティアが近付いてきて、ヴァンスは一歩下がった。

さすがに泣き顔を見られたくなかったのか、エドガーは袖で涙を拭ってからゆっくりと顔を上げる。


「エディは、言ってたよね。自分から関わっていったんだって、巻き込まれたなんて思ってないって」


「───」


「わ…わたしが言いたかったことは、ヴァンスさんに言われちゃったから…その……」


 次第に早口になっていったバレンティアは躊躇う素振りを見せていたが、それも数秒のことで、少女は意を決したように前に出た。

 時の流れが何倍にも引き延ばされたかのような感覚の中、バレンティアはほんの少しだけ背伸びをし──二人の距離が零に変化する。

バレンティアの唇が頬に触れ、エドガーは目を見開いた。


「──ありがとう、エディ」


 バレンティアは頬を染め、恥じらいながらもはっきりと言った。

軽く触れただけのキス──だが、それをするのにバレンティアが勇気を振り絞ったことは想像に難くない。

 エドガーは瞠目したまま、今起きたことが信じられないような顔で己の頬に触れていたが、はっと我に返った様子で口を開いた。


「──どう、いたしまして」


 バレンティアが微笑み、つられてエドガーも笑う。

そんな微笑ましい光景に、見ているこちらも笑顔になって。


──穏やかな日常が、施設に戻ってきていた。



***



──普段よりも遅くなった朝食の後、ヴァンスとステラは食堂の片付けをしていた。

 片付けと言っても、洗い物はジュリアとレティシアがやっていてテーブルを拭くくらいしか仕事がないのだが、寝てばかりで鈍った体を慣らすにはちょうどいいだろうと、こうして手伝っているわけだ。


 拭く作業も終わりを迎える頃、ここまで無言でいたステラが話しかけてきた。


「…エドガー君もティアも、幸せそうだったね」


「そうだな」


 ステラの言うとおり、頬を染めながら言葉を交わす二人はこれ以上ないくらいに幸せそうだった。

──この光景を見るために戦ったのだと、そう思えるほどに。


「エドガーにとっては最高のご褒美かもな……」


「──ヴァンスにもあげようか?」


 何気ない呟きに返ってきた言葉に、ヴァンスはぶんぶんと勢いよく首を横に振った。

 キスしようと言ってするのは恥ずかしいから、というのも勿論ある。けれども、一番の理由は別にあるのだ。

──エドガーとバレンティアの後では、きっと霞んでしまうから。


「冗談だよ。キスは、相応しいときにとっておくから。──結婚式とか」


「───」


 思わずステラを見ると、彼女は素知らぬ顔で食堂から出ていこうとする。


「ステラ」


 ヴァンスは無意識のうちに、彼女の背中に声をかけていた。

 言いたいことはまとまっていないし、そもそも何を思って呼び止めたのかすら分からない。

だけど──ステラはヴァンスの言葉を、じっと待っていてくれたから。


「結婚式、しよう」


「───」


「もちろん、いろんなことが片付いてからだけど──ステラと、結婚式をあげたいんだ」


 巫が何故結婚を禁じられているのか──衝撃の事実を知った今となっては、もうヴァンスとステラを阻むものは何もない。結婚しようと思えば、いつでもできるのだ。

否、できるからではない。──ヴァンスがそれをしたいから、言った。

 本当は、もっと良いタイミングで言おうと考えていたのだが──、


「──はい」


──準備も何もあったものじゃないプロポーズを受け、ステラは本当に嬉しそうに笑った。



 この日──ヴァンスとステラの関係は、恋人から婚約者へと変わったのだった。



ありがとうございました(*^-^*)

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