41.事態の収束
──外から鳥の鳴き声が聞こえ、ヴァンスはベッドに横たわったまま窓のほうに顔を向けた。
窓の向こうは青空が広がっており、絶好の素振り日和──だが、ヴァンスは起き上がらずにじっと空を見上げていた。
「……素振りしたいなぁ」
願望が呟きだけに留まるのは、左腕の負傷が原因だ。
──麻痺毒を塗られたナイフで刺された傷は熱を持って疼き、包帯を解けばきっと腫れ上がっていることだろう。
魔石の力で治療すればいいのだろうが、数が少ないためあまり使いたくない。
失血したのと、麻痺毒の残滓のせいか体が重く、ヴァンスの素振り欲求が満たされるのは当分先のことになりそうだ。
ヴァンスは天井を睨み付け、ため息をついた。
──ボヌールから施設に帰ってきたのは、昨日の夕方だ。移動に時間がかかるとはいえ、こんなにも遅くなってしまったのには理由がある。
端的に言えば──事後処理に追われていたため、だ。
──合流した騎士達に事の次第を説明すると、クロードは「情状酌量の余地はあるが、罪であることに変わりはない」と黒フード以下数名の男達を騎士団に連行する意思を示した。
これといった異論はなく、馬でやってきたクロード達はエドガーとバレンティアの誘拐に使われた馬車を使用して、男達を護送することになった、のだが。
──そこで待ったをかけたのは、他でもないヴァンスだった。
「ヴァンス殿、何故……」
「少しだけ待ってほしい。──あいつらに、街の人々を弔う時間を与えたいんだ」
ヴァンスの言葉に、周囲はさまざまな反応を見せた。
クロード達は黙り込み、黒フードの男達は弾かれたように顔を上げる。
そして、アルバートは──、
「……そうだな」
彼は誰よりも早くヴァンスの意見に賛成し、一歩足を踏み出すと言った。
「僕からも頼む。ほんの少しでいい、待ってくれ」
──ヴァンスとアルバートに揃って頭を下げられたクロード達が首を縦に振るまでに、さほど時間はかからなかった。
騎士と男達が遺体を広場の中央に移動させる中、黒フードの人物だけはヴァンスのほうを向くと、一言だけ口にした。
「感謝する」
一切の不純物を感じさせない、心からの感謝の言葉だったが、こちらとしては礼を言われることをしたつもりはない。
何故なら、
「俺は、あんたに情けをかけたわけじゃない。──あんたらがやらなきゃいけないことだからだ」
黒フード達がやらねばならないことだから、それをする時間を作っただけのこと。
素っ気ないヴァンスの声を受けた黒フードは無言のまま目礼し、遺体を運び始めた。
──黒フードの男に言ったことは、全て事実だ。
見送ってから行くべきだとヴァンスは考えるし、そうすることが罪滅ぼしになると思う。
けれど──、
「──本音はそれだけじゃない、でしょ?」
突然後ろからかけられた声に内心を言い当てられ、ヴァンスはやや狼狽した。
声の主はステラで、ヴァンスは図星だったことをどうにか誤魔化そうと、隣に立つアルバートに目を向けたのだが──助けを求めた相手である黒髪の騎士はポーカーフェイスを決め込んでおり、ヴァンスは彼を恨みたい気持ちで嘆息した。
「…ああ、そうだよ。あいつらが家族を思ってるのは、確かだからな……」
──実現不可能な願望に縋り、目的のために誘拐までしたのは間違いだ。
だが──家族を思っていた、黒フードの男の気持ちまで、間違いにしたくはなかった。
たったひとつの間違いで、何もかも奪われるようなことがあってほしくない。
ヴァンスは──ウォレスは、その辛さをよく知っていたから。
──黒フード達の手により、遺体が火葬されるのを見届けてから、ヴァンス達は帰路についた。
クロードは黒フードの人物と男達の身柄を拘束し、施設に寄ることなくシュティアへと戻っていった。黒フード達の今後などを伝えに、近々また施設にやってくると言い残して、だ。
長距離の往復で疲れているだろうに、何とも仕事熱心な騎士殿である。
──そんな感じで帰宅して、施設に着いた途端両親やジュリアの質問攻めに遭い、左腕の手当てをした後倒れ込むように眠ってしまったのだろう。気が付いたら朝で、ヴァンスは自室のベッドに運ばれていた。
──目が覚めるまでのことをぼんやりと振り返っていると、新鮮な空気が流れ込んできて、部屋の戸が開いたのが分かった。音を立てずに入ってきたのは、ステラとアルバート、ジュリアの三人だ。
「──お兄ちゃん、起きてたの?」
「…ちょっと前から、な」
持ち上げた右手をひらひらと振ると、近付いてきたステラがヴァンスの額に手を当てた。ひんやりとした手のひらの感触に、からからに渇いた唇から思わず吐息が洩れる。
すぐに手は離れていき、名残惜しさを隠すようにヴァンスは右腕を瞼の上にのせた。
「……ん、熱はそんなに高くないし、寝てれば大丈夫じゃないかな。──あ、素振りとかはしないでね」
「うぐ」
あっさりと素振りしたいという願望がバレてしまい、ヴァンスは息をつめた。
…何だか、ここのところステラに見破られてばかりいるのは気のせいだろうか。
もしや、さっき触れたときに内心を視たのかと思ってしまってから、すぐさま邪推だと考えを否定した。
ステラの能力以前に、ヴァンスが分かりやすいだけだろう。きっとそうだ。
「……エドガーは?」
ヴァンスは少しだけ腕をずらし、隙間からステラを見て聞いた。
「エドガー君は、まだ眠ってる。傷は治ったけど、疲れ切ってるみたい。ティアも、ね」
──火葬している間、ステラとバレンティアはエドガーの治療をしてくれていたのだ。
治療の途中で眠ったエドガーは、ステラの話だとまだ起きていないらしい。
「『僕は、ティアを守れました』か……」
「ヴァンス?」
「いや、何でもない」
──眠りに落ちる直前、エドガーが笑顔で言った一言が耳に焼き付いていた。抱えていたものを下ろしたような、晴れやかな表情も。
本当に、エドガーはよくやってくれた。心の底から、そう思う。
ふと思い立って、ヴァンスはポケットに手を入れた。つまみ出したのは灰色のもふもふ毛玉こと、ノアである。
普段はぱっちりとあいている目は閉じられ、ゆすっても起きる気配はない。こちらもぐっすりと熟睡中だ。
──ちなみにモフリアだが、ヤツはバレンティアの鞄から取り出されるや否や、ヴァンスに思いっきり投げられた。
…後から聞いた話ではあるが、ちょうどそのころに白っぽい飛行物体が観測されたとか、されていないとか。
飛行物体は冗談だが、回収されたモフリアは『モフられ地獄』という刑に処された。きっと今ごろ、厳格なる執行人──レティシアとシエルの二人によって刑を執行されているはずだ。
まったく、ノアとはえらい違いである。──そういうところが、からかい甲斐があるのだが。
ウォレスのときの自分は、魔獣にカテゴライズされる生き物と家族になるなど考えもしていなかった。人生とは分からないものだ。
八百年前に竜が力を与えてくれなかったら、結界が存在しないどころかとっくに人類は死に絶えていたかもしれない──。
「──?」
何かが引っかかり、ヴァンスは違和感の原因を探った。
魔獣?違う。家族?──それも違う。
こめかみのあたりを押さえ、思索に沈んでいたヴァンスは突然「あ」と声を上げた。
──ヴァンスは一ヶ月ほど前、結界がどのようにできたかを竜に聞きに行った。
そこでまあ、前世の記憶を取り戻してなんやかんやとあり、最終的に結界は竜に力を与えられた人々が作り上げたものだと結論付けたのだが。
何故今の今まで気付かなかったのだろう。──その結論には疑問点があるのだ。
──呪いの騒動のとき、ヴァンス達は力の所持者が死ぬと、その力が体の外へと放出されるから、術者が死んだ呪いは効力を失うのではないかと推測した。
賭けの要素が濃かったが、ヴァンスは術者であるロイドから力を吸い取るという擬似的な『死』の状況を作り上げ──結果、解呪に成功した。このことから、推測は正しかったと言える。
これを踏まえて、もう一度考えてみよう。
八百年前の人々が結界を作った。──ここは良しとする。
だが、結界を張った者達が死んだら?
人間は竜と違い、八百年もの長い年月は生きられない。結界は彼等が亡くなった時点で、消滅していたことになる。
──現在も結界が存在し続けているなどということは、あり得ないのだ。
あり得ないことがあり得ている。──どう考えてもおかしい。
子孫達が結界を維持し続けていたという考え方もあるが、可能性はほぼないと思ったほうが良いだろう。
もしそうだったのなら、もっと力の存在は人々に知れ渡り、結界について語り継がれているはずだからだ。
つまり──あの結論は間違っていたということになる。
「──ねぇ、さっきからどうしたの?」
ジュリアに声をかけられ、ヴァンスはようやく心配そうな三人の視線に気付いた。
ヴァンスが指折り数えながら説明すると、ステラ達は目を見開いた。
「確かに、そうだね。…どうなってるんだろう……」
三人は考え込んだが、こればっかりは考えてでてくるものではない気がする。
やはりここは、竜に聞くべきで──、
「──そうだ、ヴァンス。当たり前のことだけど、怪我が治るまではベスティアの森に行かないでね」
「俺の心読んだのか⁉」
──またしてもステラに釘を刺され、ヴァンスは戦慄した。
「ヴァンスは分かりやすいから」
ジュリアとアルバートにも頷かれ、ヴァンスは本日何度目とも知れないため息を零した。
──素振りはお預け、事実を知るのも後回し。おまけに誤魔化しもきかないときた。
──これは時間がかかりそうだと、ヴァンスはひそかに頬を引きつらせるのだった。