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40.死者よ、どうか安らかに



「───待たせたな」


───黒フードに剣の切っ先をぴたりと据えながら、ヴァンスはエドガーを安心させるように言った。


「ヴァンスさん……‼」


 声を震わせるエドガーに、ヴァンスは心の中で頑張ったな、と呟いた。

 ちらりと見ただけだが───エドガーは執拗に痛めつけられたのだろう、破けた服からのぞく肌は赤く腫れ上がっている。命に関わる傷はなさそうだが、苦痛は相当なもののはずだ。

───なるべく早く終わらせると、ヴァンスは息を吸って、止めた。


「───早かったな。もっとかかるものだと思っていたが」


「人を待たせてたからな。ゆっくり休憩してる暇なんかなかったんだよ」


 黒フードとの何気ない会話───だが、実際は穏やかではない。互いの剣気により、空気はびりびりと震え、地面に細かいヒビが幾つも入っていく。

 そのとてつもない圧力に、様子をうかがっていた男達は腰を抜かしており、立っているのはヴァンスと黒フードの人物、そしてアルバートの三人だけだ。


「───」


 不意に───黒フードがぱちんと指を鳴らし、同時にアルバートの近くにいた人影が姿を消した。

 黒フードの力が『分身』だというのは、割り込む機を狙っていたときに聞こえたステラの話で分かっている。だから驚きはしないが、いつどこから現れるか分からないというのはかなり、集中を削がれるもので───、


「邪魔だから、消しただけだ。───分身に気を取られていては、全力が出せないからな」


 奇襲を仕掛けるつもりかと、身構えたヴァンスの考えを黒フード自身が否定した。無論、その言葉が油断を誘っているのだと思えなくもないが───、


「分身に自分の力を分け与えることで、分身にも身体強化が行えるようにしてるんだと思う。その分、本体の力の総量は少なくなるから……」


「だから、分身を消して全力を出せるようにしたと。……正直、喜んでいいのか微妙だな」


 ステラの囁き声での分析に納得し、ヴァンスは嘆息した。

 ヴァンスが足止めを食らう原因にもなった、ナイフで襲ってきた人物は本体なのか分身なのか───おそらく後者だろう。

分身が何なのか、大まかな知識しか持ち合わせていないが、分身が死んだとしても本体には毛ほどの傷もつかないはずだ。わざわざ本体で出てくるメリットが思いつかない。

 以上の理由によって、分身ではないかと仮定したわけだが───全力ではない状態であの強さとは、とんでもない実力者である。

 最初に襲ってきた人物、それからたった今消えた人影を分身とすると、目の前の黒フードが本体。…本体に消えたり現れたりする能力がないことを切に願う。

 ともあれ───やるしかないのは変わらない。


「アルバート、エドガー達を。さっきみたいな奇襲がないとも限らないからな」


「君は……」


「いざ戦い始めたら、まわりを気にしてる暇なんかない。───お前だから、任せるんだ」


「……。了解した」


 アルバートの理解を引き出して、ヴァンスは黒フードに向き直った。


「あんたがエドガーとティアをさらったのは、やっぱり」


「ああ、そうさ。皆を、生き返らせるためだ。…といっても、その少女にこだわり続ける意味はなくなったがな」


 広場の光景を目にした段階で、黒フードが何を目的としているのか分かっていた。───分からぬはずがない、これほど腐臭の漂う場所にいて、バレンティアの能力がどのようなものなのかを知っていれば。


 それだけではない───黒フードは、ステラの素性に気付いている。

《穢れた者》が聖なる巫の座についたことは周知の事実だ。見るからに騎士の出で立ちをした男が銀髪に青い目という目立つ容姿の女性を守るように動けば、どんなに血の巡りが悪くても気付くだろう。

 別に気付かれても、これといった問題はない。ただヴァンス達がステラを守れさえすれば、それでよかった。───目的を知るまでは。


「あんたは……ステラを利用するつもりなのか。ティアが、思い通りにならなかったから!」


───巫は、神の使いだ。神の力を以て穢れを払い、世を清める、常人とはかけ離れた存在とされている。

信仰も厚く、人々の精神的支柱となっている巫。

 そういう存在であるステラが、死者を生き返らせるという奇跡を望む者達の前に現れれば、どうなる?

───答えは簡単だ。神の力を行使し、死した魂を呼び戻すことを強制するだろう。


「目的が果たされるなら───生き返ってくれるなら、その過程はどうでもいい。誰がどんな方法で、生き返らせようとも」


 狂気にも似た感情を宿し、黒フードは言った。

 戦意が急激に高まり、ヴァンスは剣を構えた。息をつめた沈黙の中、風が吹く音だけが響く。

───その風の音が、揺らいで消えた瞬間。


「───」


 ヴァンスと黒フードの人物は同時に動いていた。

先ほどの静けさが嘘のように、鋼同士がぶつかり合う音があたりに響き渡り、剣戟が始まる。

 攻撃を受け流しながら、ヴァンスは唇を噛んだ。


 予想はしていたものの、黒フードの一撃は重く、速い。対して、ヴァンスは自分の剣が常の精彩を欠いていることを自覚していた。

 四肢が重いのは麻痺毒の影響か。だからといって、毒のせいにはできない。───一度戦いの場に立ったら、体調がどうのこうのというのは誰も聞いてはくれないのだから。

 とは言え、ヴァンスの動きにキレがないのは事実だ。黒フードの剣を受けたヴァンスは、そのまま数十センチほども後ろに下がった。


 上から押し込まれるような形になりながら、どうにか押し返そうとするヴァンス。ヴァンスは懸命に圧力に耐えながら、口を開いた。


「何、で……」


───こんなに多くの人々が、骸として転がっているのか。

 言い切ることは不可能だったが、黒フードはヴァンスの目で何を言いたいのか察したらしい。


「行商人の護衛として、家族を置いておれは街を出た。昔から、腕っ節だけがおれの取り柄だと思っていた……」


 行商人とは、あの男達のことだろうか。

よそ見をする余裕などあるわけないので見れないが、おそらくそうなのだろう。

 黒フードは続ける。


「数年ぶりに、故郷に帰ってきたら…あったのは、死体だけだった。流行病だろう……誰も残っていなかった」


 黒フードの人物の言葉が事実なら───あの中のどれかに、彼の家族の死体もあるのだ。

もっとも、白骨化しているものもある死体の中から黒フードの家族を見つけるのは容易ではないだろうが。

 ともかく───黒フードが生き返らせることに拘る理由は分かった。

分かりはしたが───、


「だからって……何の関係もないエドガーとティアを、連れ去っていい理由にはならないんだよ……‼」


 僅かにヴァンスの剣が持ち上がる。しかしすぐに、押し戻されてしまった。

膝が悲鳴を上げ、塞がりきっていない左腕の傷口に激痛が走る。


「く、ぅ……っ」


 背中に、視線を感じた。

エドガーの、バレンティアの、アルバートの。

───ステラの、視線。


 一瞬でも力を抜けば斬られる、そんな状況にもかかわらず、笑みがこぼれた。

───負けるわけにはいかない。皆が、見てくれている。ヴァンスなら大丈夫だと、信じてくれているのだ。

 場違いな笑みに、黒フードが困惑するのを感じながら、ヴァンスは顔を上げた。


「───大事な人が亡くなって…生き返ってほしいって願う気持ちは分かるよ」


───失ってから、気付くのだ。楽しかった日々を取り戻せなくなってから、ひとはその大切さに気付く。

当たり前のように繰り返されてきた日常は、薄氷の上の脆く儚いものだったのだと。


 もう一度、言葉を交わしたい。もう一度、共に笑い合いたい。もう一度、もういちど───。

壊れてしまいそうなほどに願って、渇望して。

けれど───、


「あんただって、分かってるんじゃないのか。死んだら、死んでしまったら───二度と生き返りはしないんだってことを!」


 音を立てて、ゆっくりだが確実に剣が持ち上がり始めた。

左腕に力を込めたことで止まっていた血が再び流れ出したが、大丈夫だ。限界など、とっくに超えている。


「死んだら、そこで終わりだ!どう頑張ったって、死者は生き返らないんだよ!」


 言葉を、絞り出す。汗が散った。黒フードが奥歯を噛み、さらに体重をかけてくる。


「煩い……うるさい‼」


 理解を拒み、感情に任せて吠えた黒フードの男。それは、ここまで冷静さを保っていた彼がヴァンス達の前で初めて見せた、感情を露わにした姿だった。

 だが、ヴァンスはやめない。その願いは実現不可能なものだと、求めてはいけないものなのだと言い続ける。

───自らの口にする一言一句に、胸を切り裂かれるのを感じながら。


「生き返らせることはできない!だったら……せめて、安らかに眠らせてやることが───それだけが!俺達がしてやれる唯一のことじゃないのかよ‼」


 渾身の力で、剣を跳ね返した。水滴が宙を舞うのが見える。汗ではない。汗に混ざったそれは、涙だった。

 受けるばかりだったヴァンスが攻め手にまわり、一回剣を振るごとに斬擊をより速く、正確にしていく。黒フードは受けるのに手一杯で、攻撃を差し込む暇がない。


 黒フード達は、蘇らせるという願望に溺れ、供養するでもなく遺体を放置していた。

───とっくに魂が抜けてしまっているというのに、生き返らせるという生者の勝手な望みのため、命脈の絶えた肉体は腐敗したまま晒されていて。

 供養するのも、残された者が満足するためなのかもしれない。だけれど───何もせず放置しておくのは、死者を辱める行為に他ならない。それだけは、どうしても許せなかった。

 ヴァンスがそう強く思うのは、きっと───、


「俺は、レイアを…エストレイアを、せめてちゃんと葬ってやりたかった」


 フードの奥の瞳が揺らぐ。───否、最初から、揺らぎはあった。


「レイアには、その唯一すらなかった……!誰にも見送られず、ひとりで…裏切られた思いを抱えて、最期を迎えたんだ……‼」


 胸を覆う感情をのせた声と剣に、黒フードがじり、と後退した。

畳みかけるような斬擊に、黒フードの反応が遅れてくる。

コンマ一秒の遅れはだんだんと大きくなり、やがて───、


───剣がくるくると宙を飛び、誰もいない地面に突き刺さった。


 そして、ヴァンスの剣が───黒フードの人物の首筋に。


 つう、と黒フードの首筋から細い血の筋が流れた。ヴァンスはそれをちらりと見、いくらか落ち着きを取り戻した表情で口を開いた。


「あんたが本当に街の人達を……家族を大事に思ってたなら───」


 眠らせてやれ、とヴァンスは口だけを動かして言った。

 黒フードがふらりと後ずさり、ヴァンスは首に押し当てていた剣を下ろす。


「本当は、分かっていたさ」


「───」


「あの日常は……もう、戻ってこないのだと」


 囁き声を零し、黒フードの人物は地面に膝をついた。

 ヴァンスに、バレンティア達を誘拐し、エドガーをひどく痛めつけたこの男を責める権利はあるはずだ。でも、ヴァンスは何も言おうとはしなかった。


 草を踏みしめる音がして、ヴァンスは慌てて服の袖で頬を伝う雫を拭った。


「ステラ……?」


 ステラはヴァンスの横を抜け、黒フードの男の前を通り過ぎると、遺体が並ぶ前で足を止めた。

 瞳が伏せられ、ステラは右手を己の口もとに近付ける。何をするのだろうと見守るヴァンス達の前で、ステラはふうっと上向けた手のひらに息を吹きかけた。

 ヴァンスはそちらに足を踏みだしかけ───やめた。動きを止めた理由は目の前の光景にある。

───ステラに近いところにある遺体がぼんやりと光り始め、その現象が同心円状に広がっていくのだ。


「光が……」


 声を上げたのは誰だったか。

不思議な現象はそこで終わらず、遺体から光の靄のようなものが溢れ出した。

───ステラがルビーに囚われたままになっていた巫達の思いを、解き放ったときに見た光と同じ。

 光はさまざまな軌道を描いて宙を舞い、上昇していく。


「あ……」


 上昇する光の粒子たちの中から、二つの光が進路を変え、黒フードの前にやってきて停止した。

二つの光は他のものとは違い、それぞれ長髪の女性と幼い少女の姿を形作った。


「フィオナ、シャル……」


 女性と少女に手を伸ばした黒フードは、震える唇から名前を紡ぎ出した。

───二人がきっと、黒フードの男の家族。妻と、娘だろうか。

 フィオナと呼ばれた女性は、そっと右手を伸ばして黒フードの人物に───愛する男の頬に触れた。シャルという少女もまた、フィオナの右手に小さな手を重ねる。

 触れ合いは一瞬で、二人の手は光の粒となって解けた。姿が完全に光に還る寸前、フィオナの唇が何かを囁く。


 あ り が と う


───見間違いではなかった。フィオナは最後に、そう言っていた。


「あ……ぁ……」


 黒フードの男は触れられていた頬を押さえ、前かがみになった。土に汚れるのも構わず、額を地面に押し付けて、声にならない声を上げる。


「───」


───ああ、何と哀しく、切なくなる声なのか。

 双眸に熱いものが滲み、光がぼやけた。

上を見上げ、それを溢れさせることだけはどうにか堪えていると、隣に誰かが立ったのを感じる。滲んだ視界でも、見慣れた銀髪と青い目でステラだと分かった。


 ヴァンス達は何も言わず、ただ光を見送り続ける。

───死者よ、どうか安らかに。

死後の世界が穏やかなものであることを、祈りながら。



───クロードと、彼が連れてきてくれた騎士数人がやってきたのは、それから一時間ほど後のことだった。



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