33.最善の道
───エドガーとバレンティアが、連れ去られた。
レティシアの一言に、室内が凍りつく。
中でも動揺が大きいのは、やはりヴァンスだろうか。
「エドガー達が、連れ去られた……?」
───よく考えれば、エドガーは言っていたはずだ。眠っている間に、バレンティアが連れ去られそうになったと。
事情を知っていたにもかかわらず、祭りという誰でも参加可能なイベントに二人を送り出してしまったのはヴァンスのミスだ。
「また、俺は……」
───間違いを犯し、大切な人を失うのか。
次いで、全身を貫いたのは抗いようのない恐怖だ。
失うことに対する、圧倒的な恐怖。
手足がかたかたと震え始め、呼吸が浅くなる。倒れてしまうわけにはいかないのに体がいうことをきかず、気を抜けば頭を抱えて蹲ってしまいそうだ。
「───ヴァンス、落ち着いて」
そんなヴァンスの背を、隣に座るステラが落ち着かせるように撫でる。ヴァンスは強く目を瞑り、その手の温もりに意識を集中させた。
「今は後悔するより、行動すべき時だろう。それに、誘拐犯がバレンティアの力を欲しているなら、二人に命の危険はないと考えるべきだ。だが……」
「殺さない程度に、痛めつけることはできる、か。───悪い。もう大丈夫だ」
最後に長く息を吐いて、ヴァンスは顔を上げる。
───アルバートの言うとおりだ。後悔なら、後でいくらでもできる。己の考えの甘さを悔やむくらいなら、どうやって助けるか考えた方がずっといい。
「───レティ、シエル。そのときの状況を説明してくれ」
レティシアとシエルは顔を見合わせると、互いに補足しながら語り始めた。
「…商店街に着いて、簡単にどこに何の店があるのか説明してから、私達はエドガー君とティアから少し離れてついて行ったんです……」
───レティシアとシエルが距離を開けてついて行った理由は、エドガーとバレンティアの二人の邪魔をしたくなかったからだ。せっかくの祭りであるのだし、二人で楽しめばいいという気遣いのつもりだった。
勿論、離れると言っても二人の様子が分かるくらいの距離である為、レティシア達はさほど心配していなかった。
エドガーとバレンティアが、屋台で買ったたこ焼きを洋服店の壁に寄り掛かりながら仲良く頬張っているのが見え、
「お昼食べたばかりだけど……私達も何か買いましょう」
そうレティシアが提案すると、シエルも賛成した。
───レティシアは何度か来たことがあるが、シエルにとっては初めてのお祭りなのだ。フードに隠れているため表情は見えないが、口元が緩んでいるのが分かる。
レティシアとシエルは、露店を見て回ろうと歩き出し───、
「───?」
───誰かに呼ばれたような気がして、レティシア達は足を止めた。
周囲を見回すが、知り合いの姿は見当たらない。ならばエドガーかバレンティアが呼んだのかと、洋服店のほうに目をやった。
「いない……⁉」
二人には、あまり遠くへ行くなと言ってある。エドガー達が、約束を破るとは思えない。
嫌な予感がして、レティシアとシエルは人混みをかき分けて、さっきまでエドガー達のいたあたりへと駆け寄った。
───二人の姿がないかわりに、石畳の上には食べかけのたこ焼きがひっくり返されていた。
咄嗟に浮かんだのは、誘拐、という二文字だった。
見れば、洋服店の脇は薄暗い路地になっていて、一本向こうの通りと繋がっている。その向こう側の通りで、路地を塞ぐように止まっていた馬車が走り出すのが見えた。
「待って!」
叫び、レティシアは路地の奥へと走ったが、待てと言われて待つ泥棒がいないのと同じように、当然馬車は行ってしまう。レティシアが通りにたどり着くころには、馬車は見えなくなっていた。
遅れてやってきたシエルも呆然と馬車の走って行った方向を見つめる。
「…早く、ヴァンスに伝えないと」
レティシアは呟き、息を乱したシエルを気遣う余裕もないまま、施設へと戻って───
「…で、俺のところに来たってわけか……」
ひととおり聞き終え、ヴァンスは息をついた。
レティシアとシエルが俯いて「ごめんなさい」と呟いたのに対し、
「二人は悪くないよ。むしろ、責められるべきは俺だ。───だから、俺が助けにいく」
決意を口にすると、隣のステラが頷いた。
助けにいかない選択肢など初めから存在しない。問題があるとすれば───、
「その馬車がどこに行ったか、だな……」
レティシアによれば、馬車は施設の反対方向に向かっていったそうだが、それだけで目的地を特定するのは難しい。
何か、エドガー達の居場所が分かるような、そんな『繋がり』があれば───、
「あ」
「何か分かったか……⁉」
不意にシエルが掠れた声を零し、ヴァンスは何かに気付いたのかと前のめりになる。
「モフちゃんが、ティアさんの鞄の中に潜り込んでいたんです。───ステラさん、モフちゃんの居場所が分かったりとかは……」
「……ごめんなさい、分からないの。私は自分の体の中にある力を感じることはできるけど、他人の力までは……。…目視できれば、分かるんだけど」
申し訳なさそうに答えるステラと、しょんぼりしたシエル───だが、ヴァンスは別の視点を得ていた。
ステラに居場所が分からなくても、他に方法があるはずだ。
ヴァンスは自身の髪をぐしゃぐしゃと乱暴にかき混ぜ───ぴたりと動きを止めた。
それから、驚く周囲を余所にポケットに手を突っ込むと、
「ノア!モフリアの居場所が分かるか⁉」
ポケットの中で説明を聞いていたらしい灰色のもふもふは問い返す愚を犯さず、すぐさま目を閉じた。
片耳をぴくぴくと動かしていたノアはやがて顔を上げ、
「───繋がりは薄いけど……大まかな位置は特定できるわ」
「ほんとか⁉」
鞄をバレンティアが今も持っているなら、モフリアの居場所はエドガー達の居場所だ。レティシアの話では、連れ去られた現場に鞄は無かったらしいので、可能性は高い。
何故鞄に入っていたのかは知らないが、帰ってきたらモフリアを思いっきり褒めてやろう。モフリアとの繋がりでヴァンス達に希望を与えてくれたノアにも同等の感謝をしなければならない。
そこまで考えてから、ヴァンスはふと引っかかるものを感じた。
「繋がりが薄いって、どういうことだ?……モフリアの力が、それだけ弱まってるってことか……⁉」
「寝てるだけね、きっと」
「あいつこの肝心なときに何やってんだ‼」
力が弱まるくらい差し迫った状態なのかと心配して損した。
せっかく心の底から感心したというのに、プラマイゼロである。いや、上がった評価よりも下がった評価のほうが多いので、マイナスに傾いたと言うべきか。
「場所の特定は可能だ。───ヴァンス」
「ああ。───クロード、万が一のことがあるから、悪いけど騎士を何人か連れてきて欲しい」
ここまで沈黙を貫いていたクロードは頷くと、ちらりとステラに目を向けた。
「ステラ様はどうする?」
「───。そうか、それもあるのか……」
戦いになったときの戦闘要員として、アルバートには一緒に来てもらいたい。しかし、それではステラのそばに戦える人間が残らないということでもある。───割り切るのは容易いが、今回の誘拐が陽動ではないと誰が言えるのだ。
時間が無い中、どうすべきか考えを巡らせるヴァンスの肩が叩かれた。───手の感触で分かる。ステラだ。
「私をひとりにしたくなくて、戦える人がここに残れないなら、答えは簡単。───私も、ヴァンスと一緒に行く。私の視る力が役に立つかもしれないから」
「ステラ、それは……」
危険だと言おうとしたが、唇に人差し指が当てられたことで叶わない。ステラはヴァンスの反論を封じて、続けた。
「ヴァンスが、私のことを守りたいって思ってくれてるのは分かってる。だけどね……私も、ヴァンスには傷付いてほしくないの」
「───」
「今ヴァンスは、傷付くかもしれない……ううん、傷付く場所に行こうとしてる。それを止められないのも分かってるし、私自身止めたくない。だから───せめて、私はヴァンスの隣にいたい」
息をのんだ。だって、今のステラの言葉は。
───泣きそうで、哀しげで、どうしようもなく胸が掻き乱される声が、よみがえる。
『ウォレスが、私を守りたいと思ってくれてるのと同じように、私もあなたを守りたいんだって───傷付くことがさけられないなら、せめて隣に立っていたいんだって、どうして分かってくれないの……⁉』
あのとき───ウォレスは、エストレイアの求める答えを返してやれなかった。
約束を、そこに込められた信頼をずたずたに引き裂いておいて、言われるまでそのことに気付かなかった愚か者、それがウォレスだ。
───ならば、ヴァンスは。
「分かった。───一緒に行こう」
───同じ事は、繰り返さない。
大切な人の願いを汲んだ上で、彼女が傷付かない道を探そう。
心も身体も、どちらも傷付かない道を。
それが、この場での『最善』だと思うから。
クロードが何か言いかけたのを、アルバートが手で制す。クロードは躊躇った後、しぶしぶ引き下がった。
「大丈夫だ。───ステラは絶対に、俺が守ってみせるから」
守らねばならない誓いだから声に出し、この場にいる皆に証人になってもらう。
誓ったから、きっと上手くいくはずだ。
───ウォレスと違って、ヴァンスが約束を破ったことは一度もないのだから。