29.新たなお仲間
日が暮れるまで、ヴァンス達は剣の稽古を続けた。
初日である今日は基本の動きを教えたのだが、エドガーは教えられた動作をひたすら繰り返し、確実に刻み込んでいく。
天才とは努力する凡才のことである、とはよく言ったものだ。───エドガーはまさにそれだ。
エドガーは、これといって運動神経がいいわけではない。体力はあるようだが、『子供にしては』という前置きがつく。
普通は、自分には向いていないのだと諦める場面だ。
───だが、エドガーはできるようになるまで何時間も愚直に剣を振り続ける。
「…エドガーは、伸びるな」
隣に立つアルバートが、ヴァンスにだけ聞こえる声でぽつりと呟いた。素振りをするエドガーから視線を外さないまま顎を引いて、ヴァンスは言った。
「そうだな。でも」
「───力に溺れなければ、か」
「ああ」
そう言ってはみたが、エドガーなら大丈夫だろう。バレンティアが共にいるかぎり、例え間違えたとしてもまっすぐ歩いていけるはずだ。
剣を振るエドガーの足が縺れ、ヴァンスはそろそろやめにしようと声をかけるために歩み寄った。
***
「そういや…モフリアはどこにいるんだ?朝見たっきりだけど」
食堂の自分の席に腰を下ろしたヴァンスは、隣に座るステラにもふもふの毛玉の居場所を聞いた。ジュリアが「アトリアだから!」と抗議してくるのを、ヴァンスはさらりと躱す。
その様子を見ていたステラは口元を緩め、ワンピースのポケットに手を入れた。
手の上に乗っていたのはもちろんモフリアだが、やけにへにょんとしている。
「朝食の後から、ずっとこうなの。……多分触られることに疲れたんじゃないかな」
最後のほうだけ声の音量を落としたステラの言葉で、レティシア達にモフられていたことを思い出す。
ステラからモフリアを受け取ったヴァンスは、縦方向や横方向に引っ張ってみた。嫌がりそうなものだが、モフリアは「ふにゃあー」とされるがままになっている。
「しおしおしてるモフリアで、略してしおリア……!」
「ふぁっ⁉」
「あ、起きた」
目をぱっちり開け、急に元気を取り戻したしおリアは───それでもしおしおしているのだが───ヴァンスの手のひらにかぷりと噛み付いた。
「痛……って思ったけど、全然痛くないな」
そう言うと、モフリ……訂正、しおリアはぺちぺちと前足でヴァンスの手を叩いた。
「なかなか気持ちいい………ん?」
しおリアの見た目は真ん丸の毛玉だ。
手足のようなものは見当たらないが───確かに前足で叩かれた。
「お前の前足って、これか?」
毛玉の一部をつまむと、しおリアはヴァンスの指を軽く引っ掻いた。
間違いない───毛玉に紛れているだけで、しおリアには手足がある。
納得して頷き、ヴァンスは叫んだ。
「お前足短っ───‼」
「ふぁ───⁉」
しおリアが短足だった新事実を叫ぶと、毛玉本人はこれまでにない悲鳴を上げた。
そのままぺたりと耳を伏せ、しおリアは誰が見ても分かるくらいにしょんぼりした。しおしお具合が×2くらいになっている。
「…気にしてるのに……大声で………」
語尾から『にゃ』が消えているところを見ると、どうやら本当に気にしているらしい。
放心状態となったしおリアにどう反応するか悩み、ヴァンスはとりあえず左手でもふもふを存分に楽しんだ。
ふわふわの毛並みが手のひらに心地良くて、頬が緩むのを抑えられない。
「なぁステラ、こいつみたいなのをもう一匹作ってくれないか?」
作る、という言い方はアレだが、他に言いようがないので気にしないことにする。
レティシア達がいいな、という顔をし、ステラも戸惑いを瞳に浮かべたが、一番反応が大きかったのはしおリアだった。
「ふぁ……ぁぁぁ」
───しおリアにとって、今のヴァンスの頼みは『姿形が同じ別の個体が欲しい=自分はもういらない』と言われたのと同義だ。
精神に致命的な一撃を食らったしおリアは、ころんと横に転がり───足が短いため体を支えられなかった───ヴァンスの手から落下し、床に落ちる前にステラにキャッチされた。
ステラはしおリアをポケットに戻すと、
「別にいいけど、モフリアが可哀想かなって……」
「いや、俺だって別にモフ…じゃなくてしおリア……ああもうモフリアでいいや、こいつが嫌だからこういうこと言ってるわけじゃなくてさ」
最終的に面倒くさくなったヴァンスによって、モフリアに戻された。アトリアと呼んでもらえないあたり、哀れな奴である。
「俺が思いっきりモフりたいってのが一番だけど、その……モフリアにも仲間がいたほうがいいかなって」
「───」
「か、勘違いするなよ、あくまでも俺がモフりたいからだから!」
「はいはい。……もう、照れなくていいのに」
微笑ましいような生温かいような目で見られ、ヴァンスはそっぽを向く。
ステラはヴァンスの頬に手を添えて、顔の向きを戻してから言った。
「今、魔石持ってるの?」
「ああ、一個だけ持ち歩いてるのがあるから」
そう言ってポーチから取り出したのは、青く透きとおった魔石だ。
ひとりこの街にやってきて、ベスティアの森に通うようになった最初の頃に採ってきたもので、以来ずっと持ち歩いている。
大きめな魔石で、身体能力の底上げを図ったのもあるが───本当のところは違う。
ヴァンスは魔石をステラの顔の前にかざした。───守るべき彼女の、瞳と全く同じ色。
ヴァンスの動作で、何を思ってその色の魔石を持っていたのかがステラに分かったのだろう。ステラはその雪のように白い頬を染めて、魔石を受け取った。
「───」
モフリアのときと同じ現象が起こり、光を予期していたヴァンスは先んじて両目を覆う。
光が消えたのを感じ、おそるおそる手をどかすと、
「……おぉ」
ステラの手の上には、予想どおりの物体が乗っていた。
姿形は同じだが、モフリアが白かったのに対して、新たに出現したもふもふは青みがかった灰色だ。
指先で軽くつついてみると、それは悲鳴を上げて飛び上がった。
「ぴゃ───⁉」
もふもふは周囲を見回すと、敵意に毛を逆立てて霞むほどのスピードで跳躍し、ヴァンスの顔面にへばり付いた。
「なんだこの快楽……‼」
「───⁉」
もふもふの渾身の仕返しは、ヴァンスを不快にするどころか楽しまれて終わってしまう。
「お、覚えておきなさいよっ!いつか倍返しにしてやるんだから……ぴゃっ‼」
負け惜しみのようなものを口にする灰色のもふもふだが、言い終えることすらできずにヴァンスのモフりたい欲望の餌食となった。
「ふふ……ちょっと、やめ……あはは!」
先ほどまでのツンツンした様子はどこへやら、もふもふは身を捩って笑い転げた。じたばたと暴れているのは、ヴァンスのくすぐり攻撃を受けているからである。
ひとしきり構ってから攻撃を止めてやると、灰色のもふもふはヴァンスの肩の上に移動して脱力した。
「さてと……こいつの名前どうするかな………」
皆に新たなお仲間の名前のアイデアを出してもらうと、『ふわリア』や『クロ』などの意見が寄せられた。…誰の意見であるかは察してほしい。
中でも───、
「『毛玉』でいいんじゃないかしら……」
と、どこかで聞いたような案を出したのは、ここまで静観していた母だった。
ステラとジュリア、アルバートが何とも言えない顔をし、首を傾げる母にヴァンスは言った。
「…何で俺と全く同じこと考えたんだよ……」
───そう、『もふもふ』というのはモフリアの名前を考えていた際にヴァンスが出したアイデアだ。
「蛙の子は蛙だな」
「そうだね」
アルバートとジュリアの二人が何か言っているが、ヴァンスはあえて聞かなかったふりをした。
肩の上で顔を背けている灰色の毛玉だが、聞き耳を立てているのが丸分かりだ。
ヴァンスはしばらく無言で考え込み、
「───ノア」
「───」
「お前の名前はノアだ。……いいか?」
やけに舌に馴染む音───どこかで聞いた名前なのだが、何だったのかはどうしても思い出せなかった。
灰色のもふもふ───ノアはちらりとヴァンスを見ると、
「───」
無言のままツンと視線を逸らした。ノアが怒ってしまったわけではないことは、こちらに向いたままの耳が証明している。
ヴァンスは苦笑し、
「俺はヴァンスだよ。───よろしくな」
それを聞いたノアは迷った末、ヴァンスの首筋にその丸くて小さな体を押し付けたのだった。