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28.大切な人を守る剣



 エドガーの嗚咽が小さなすすり泣きに変化し、ヴァンスはそっと撫でる手を止めた。


「落ち着いたか?」


 優しく声をかけてやると、エドガーは涙に濡れた顔で頷いた。

喋り方のせいか、かなり大人っぽく見えていたのだが、こうしていると年相応の少年だ。自分もこんな感じだったのだろうか、と考える。

───何だか、やけに家が懐かしく思えた。


「ヴァンス」


 後ろから呼ばれて、ヴァンスは振り返った。気配で分かっていたが、ステラとジュリアがこちらにやってくるのが見えた。


「お昼用意でき………ぁ」


 ジュリアの声が途切れたのを不審に思い、彼女の視線を辿ると、


「………は?」


「───結婚式ぶりだな。元気にしていたか?」


 間抜けな声を出して硬直したヴァンス。アルバートも、思わぬ人物の登場に目を瞠った。

当然だ。

何故ならそこには、遠く離れた街───シュティアにいるはずの、ヴァンスの両親が立っていたのだから。



***



「……来るのは一向に構わないんだけどさ………」


 急遽二人分の席が増えた食卓を囲みながら、ヴァンスはぼやいた。

家が懐かしくなっていたのは事実なので、タイミングが良いと言えば良いのだが。


「やっぱり事前に連絡というものを……」


「…お兄ちゃんがそれを言うの?あれだけ手紙も無しに突然家に帰って、いろいろやらかしてるのに?」


「ぐ……」


 ジュリアの言葉が正しすぎて、ヴァンスはもう何も言えない。

 何か用でもあったのかと問いかければ、「ふとどんなところに住んでるのか気になったから」ときた。

行商人の馬車に乗せてもらって来たと言うが……何というか行動力が凄い。『ふと気になったから』でここまでやってきてしまうのだから、さすがヴァンスの両親、と言いたいところである。


「変わりはないか?」


「………変化ならたくさんあったけどな」


 父の質問に嘆息しながら答える。変化など数え切れないほどにある。───否、まわりが変わったというよりもヴァンスの内に変化があったと言うべきか。


「そ、そろそろお昼食べようよ」


 顔に出したつもりはなかったのだが、表情が翳ってしまったのだろう。両親に何か言われる前に気を遣って話を変えてくれたジュリアに感謝し、ヴァンスは食器を手に取った。


「───」


父と母は何か言いたげな顔だったが、結局何も言わずに食べ始める。

 これといって会話が交わされないまま食事を終え、お茶を飲んでいるとエドガーがヴァンスの席までやってきた。

どうした、と聞くと、エドガーは躊躇った末に口を開いた。


「───午後から、もう一度僕に剣を教えて下さい。言われたことはちゃんとやりますから…だから……」


 ヴァンスはじっとエドガーを見ていたが、ふっと相好を崩すと、くしゃくしゃと少年の茶髪を撫でた。


「もちろん、いいよ。どのみち午後も素振りする予定だったし……あ、でも」


「でも?」


「───部屋で休んでから、っていう条件付き。頬冷やしながら剣なんて振れないから、少なくとも一時間はゆっくりして、それからだ」


 エドガーは平気そうにしているが、それなりの力で叩いてしまったので痛いだろう。おまけに号泣した後だ、疲れていないはずがない。

エドガーは迷う様子を見せたが、やがて頷いた。

ステラが渡したという氷嚢はすっかり溶けてしまい、布は完全に乾いていたため、新しく氷を包んでやる。

 エドガーが自室に戻っていくのを見送ると、ヴァンスは立ち上がって壁に立てかけておいた剣を手に取った。

ヴァンスはステラをちらりと見て、


「俺は先に外で素振りしてるから、エドガーが下りてきたら伝えてほしいんだ」


「…いいの?」


「……今は、体を動かしてるほうが気が楽なんだよ」


 それを聞くと、ステラは何もかも分かっているというふうに頷いた。

何だか申し訳ないような気持ちになりながら、ヴァンスは食堂を後にした。



***



 ヴァンスが立ち去り、事情を知る三人は吐息した。

何かあったのかと聞かれでもしたら、きっとヴァンスは辛い思いをする。少しでも気が休まるのなら、彼の両親には申し訳ないが外で素振りしてくれているほうがずっといい。


「さっきは聞かなかったが…やっぱり、何かあったんだな?」


 ヴァンスの父親が言葉を発し、ステラは息を詰めた。…ヴァンスの目の前で言われなくて本当に良かったと思う。

 ステラはジュリアとアルバートに目配せした。二人はいいのか、と視線で問いかけてきており、ステラは覚悟を決めて頷いた。

───あとでヴァンスに何を言われようとも、彼の辛そうな姿を見ることに比べればなんてことはないのだから。

 ステラはひとつ息を吸うと、ヴァンスの前世について彼の両親に語り始めた。



***



 一時間が経ち、外に出てきたエドガーはひとりではなかった。

アルバートがいるのは納得する。だが───もう一人は完全に予想外だった。


「何で父さんまで見に来てるんだ……」


 少し離れたところで腕を組む父。剣が届くことはないだろうが、声は普通に聞こえる距離だ。

 干渉してこないのならまあいいかと思い、さっそくエドガーに教え始める。

午前中と同じように、抜き身の剣に手を添えて、


「大して切れはしないから、ちょっと滑らせてみてくれ」


 父がこちらに足を踏みだしかけるのを横目に、ヴァンスはエドガーに近付く。

エドガーはぐっと奥歯を噛み締め、言われたとおり剣を真横に滑らせた。

ヴァンスの手に横一線の傷が刻まれ、みるみるうちに血の珠が盛り上がる。

ヴァンスは切れたあたりに取り出した布をあて、その上から指先で押さえた。浅いため血はすぐに止まり、ヴァンスはできたばかりの傷をエドガーに見せた。


「そんなに力を込めずに滑らせただけで、こんな風に皮膚なんか簡単に切れる。体重を乗せた斬擊なんてもっとだよ。───エドガー、剣を滑らせたとき何を思った?」


「…痛かったです。自分が斬られたわけじゃないのに、痛みを感じた」


 エドガーの呟きに頷き、ヴァンスは地面に置いておいた鞘を拾った。剣を納めて、続ける。


「それが当然だよ。俺も最初、そうだった」


 ヴァンスの場合はいきなり魔獣と戦ったものだから、滅茶苦茶に剣を振り回して───肉を斬る感触と、返り血の温かさを知った。

───そのときに味わった感覚は忘れ難い。

魔獣も他の動物と同様に血肉を持ち、生きているのだ。あまりの生々しさに何も喉を通らなくなったほどである。食事を削って回復薬に依存するようになったのはそういう理由もあったのだが。

───ともかく、生き物を斬るのは精神的な抵抗が凄まじいのだ。


「その痛みは、忘れちゃ駄目だ。剣は人を傷付けるもので、斬られたほうは斬る側の痛みの何倍も痛い。───剣を持つ時は、常に覚えておかなきゃならないことだよ」


 微かに怯えの色を覗かせたエドガーに、ヴァンスは「だけどな」と続けた。


「同時に、これも覚えておいてほしい。剣はひとを傷付けるものだけど───守るためのものでもあるんだってことを」


 エドガーが目を見開いた。

傷付けるという行為に変わりはない。けれども、それによって救える命もあるのだ。


「傷付けることを恐れて、守ることを忘れたら本末転倒だ。…まぁつまり、何が言いたいかっていうと……」


 一拍置き、全身から剣気を迸らせながら、打って変わって厳しい声でエドガーの頭に、体に───心に、刻み込む。


「必要ないときは剣を抜くな。剣を抜かざるを得なければ可能な限り苦しめるな。そして───本当にどうにもならないとき以外は、命を絶つな」


 剣気に慣れているはずのアルバートさえも、意識がヴァンスに吸い寄せられるほどの気迫。

それほどの圧力を真っ正面から浴びて、エドガーは後ずさりかけ───踏みとどまった。

額に汗を浮かべながらも、エドガーはヴァンスの目を直視して、はっきりと答えた。


「───はい!」


 周囲を席巻していた剣気が霧散し、ヴァンスは先ほどの気迫が嘘のように穏やかな笑みを浮かべた。


「分かったなら、本格的に教えるよ。───大切な人を守るための剣を、さ」


 気安い口調だったが、ヴァンスの決意が感じられるひと言。

 ヴァンスとエドガーを見守っていた二人は、それぞれ別々の反応をした。

アルバートは口の端を僅かに持ち上げて、ゆっくりとヴァンス達に歩み寄り───ヴァンスの父は、組んでいた腕を解いて呟いた。


「───大人になったな、ヴァンス」


───哀しみと呼ぶにはあまりに切なく、後悔と呼ぶには重すぎるものを抱えても、大切な者達だけは変わらず守ろうとする息子を、そう評したのだった。



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