27.初めての言葉
いつしか胸を締め付ける感情は虚しさへと変わっていて、ヴァンスは空虚感を誤魔化そうと素振りを始めた。
斜めに走る斬擊が精彩を欠いていることは自覚している。だが、何もしないでいることに耐えられそうにはなかった。
「───」
空を裂く音に紛れて、足音が聞こえた。気配を感じて振り返ると、施設の中に戻っていたはずのエドガーが立っていた。
少し時間が経って、エドガーの頬は腫れてしまっている。ちょっとどころかかなりやりすぎたと後悔した。
「……どうした?」
できる限り平静を装いながら声をかけてやると、エドガーはこちらに歩み寄り、言った。
「───ごめんなさい」
瞠目したヴァンスの前で、エドガーは深く腰を折り、頭を下げていた。
全く予想もしていなかったものだから、ヴァンスは困惑するしかない。
エドガーはそんなヴァンスの反応を気にせず、顔を上げて謝罪を口にした。
「……僕は、ヴァンスさんのことも、アルバートさんのことも……何も知らないで、ひどいことを言いました」
「───」
「まるで、僕たちが世界で一番不幸みたいな顔をして……本当に、ごめんなさい」
───ステラとジュリアが話したのだろう、とヴァンスは混乱した頭で考えた。
この短時間でエドガーが考えを改めたのはそうだとしか思えない。
エドガーは、ウォレスの───愚か者の末路を知ったのだ。今の口ぶりでは、アルバートの過去も。
不思議と、腹は立たなかった。
ヴァンスはその場で片膝をつくと、俯いて地面を見つめていたエドガーと目を合わせた。
「───痛むか?」
そっと赤黒い痣になりかけている頬に触れながら聞くと、エドガーは意表を突かれたかのように目を瞠り、こくりと頷いた。
すぐにエドガーはしまった、という顔になったが、ヴァンスはそのことには触れずに、
「俺のほうこそ悪かった。ついカッとなったんだ」
言葉だけならまだしも、手を出すべきではなかった。感情が振り切れると抑えがきかなくなるのはヴァンスの悪い癖だ。
「ちょっと待っててくれ。氷取ってくるからさ」
遅いかもしれないが、冷やしたほうが腫れは引くだろう。そう思って施設の中に入ろうとしたヴァンスはエドガーに呼び止められ、振り返った。
「…どうして、ヴァンスさんはそんなに………優しいんですか……?」
風に攫われ、消えてしまいそうなほど小さな声だったが、『どうして』という言葉がやけにはっきりと耳に届いた。
──どうして、そんなに優しいのか。
──どうして、良くしてくれるのか。
どうして。それは、エドガーが施設にやってきてからずっと抱えていた疑問だったのだろう。
ヴァンスは自分の心に、どうしてと問いかける。
その答えは、きっと───、
「───俺自身、いろんな人に助けられて生きてきたからかな」
人に恵まれて、優しい人達に救われて、生きてきた。
ウォレスだったときも、たくさんの人々に手を差し伸べてもらった。
幼馴染み達に、大人達に、竜に───エストレイアに。
施設の皆に、リュンヌとダグラスに、両親に。
ジュリアとアルバート───そして。
───ステラに、助けられて。
「…返したくても、返せない人のほうが多い。だから……せめて、俺は優しいままで在りたいんだ」
「……優しいままで、ありたい」
「そうだよ。…まあでも、そればっかりじゃないかな」
ヴァンスはエドガーの両肩に手を乗せ、目を細める。
「エドガーが、昔の俺に似ているような気がしてさ」
守りたい、だけど自分には何もないという絶望にも似た気持ちは覚えがある。
無為に過ごしてきた日々を後悔し、無力さを恨んで───ヴァンスは強くなるため魔獣の森へと向かった。
その果てで、手を貸してくれる人に出会ったときヴァンスがどれほど嬉しかったか、きっと誰にも分かるまい。
だから───今度はヴァンスがそれをしてやりたいのだ。
「……僕も、ヴァンスさんのようにティアを守れますか………?」
ウォレスのことを知って、それでもそう言ってくれるエドガーに何とも言えない心地になりながら───どこかで、悪くはないなと思って。
「努力し続ければ、きっとな」
「───」
「偉そうなこと言ってるけど、俺はまだまだ足りないところばかりだ。だからさ」
息を吸い、エドガーの瞳の奥を覗き込んで、言葉を紡ぎ出す。
「───一緒に、頑張ろう。足りない俺とお前とで、大切な人を守れるように」
笑みすら浮かべて言い切ったヴァンス───その目が、見開かれる。
当然だ。───エドガーが、栗色の瞳からぽろぽろと涙を零していたのだから。
「ぅ…ふ……」
「ど、どうしたんだよ、いきなり……⁉」
突然の涙にヴァンスは慌てるが、エドガーの頬を伝う雫は勢いを増していく。
「アルバート、俺何か変なこと言ったか……?」
後ろのアルバートに助けを求めるが、彼は唇を緩めて首を横に振るのみ。
「───はじ、めて」
しゃくり上げながらエドガーが何か言って、ヴァンスは顔を近付けた。
「初めて、努力すればって……誰かに一緒に頑張ろうって言って、もらえた………‼」
「───」
エドガーが、どんな生活をしてきたのか、ヴァンスは知らない。けれど───今彼が味わっている喜びは、知っていたから。
「───お前は、ひとりじゃないよ。だから、大丈夫だ」
エドガーの、まだ子供である彼の小さな背中を落ち着かせるように撫でる。
強がるヴァンスを、ステラが抱き締めてくれたように。感情の行き場に困ったとき、アルバートが肩に手を置いてくれたように。
───ステラ達が呼びに来るまで、撫で続けていた。
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本当に嬉しいかぎりです。ありがとうございます!
まだまだ物語は続いていきますので、どうかよろしくお願いします!