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20.自分勝手な贖罪の果てに



───頭の中で銅鑼が鳴っているような不快感とともに、ぼんやりしていた意識はひとつにまとまり、浮上し始めた。

全身を燃えるような熱が支配し、指先をほんの少し動かすことも叶わない。

 ふと、銅鑼の音に紛れて、何か声が聞こえた。


「……ス!」


上手く聞こえない。音が多すぎて、求める声にたどり着かない。


「ウォレス…!」


───ああ、今度はちゃんと聞こえた。

 声に力をもらい、どうにか瞼を持ち上げると、悲痛な顔で俺を見るエストレイアの姿があった。



***



「…俺は、エストレイアとの約束を破って───ひとりで森へ向かったんだ。当然、魔獣に襲われて……なんとか逃げのびたけど、俺は大怪我を負った」


 馬鹿なことをしたと、『ウォレス』から『ヴァンス』になった今なら思える。

 ウォレスはどうせ傷つくのは俺なんだから、といとも簡単に約束を破った。


違った。何もかもが間違っていた。───ウォレスの行動が真に傷付けていたのは、守りたいと、隣にいたいと願った少女の心だった。


「馬鹿だ。ああ、馬鹿だよ俺は。馬鹿で愚かでどうしようもないまま───最後には、大切なものまでなくすんだ」


 ヴァンスは口の端を歪めて、自嘲の笑みを浮かべようとした。だがそれは、ステラ達の目にはひどく哀しげなものにしか映らなかった。


「ヴァンス……」


「最後まで、聞いてほしい。───愚か者の、結末をさ」



***



 大怪我はしたものの、俺はどうにか命を繋いだ。

ただ───それを幸いと言っていいのかは、俺には分からなかった。

 多くの者が命を落とした森から生きて帰ってこれたのは幸運としか言えない。けれど、喜ぶ気にはならなかった。

 原因は、目覚めた後のエストレイアの言葉だ。

彼女は俺の意識が戻ったことに気付くや安堵の吐息を零し、部屋の外にいた大人達を呼びに行った。それからはもう大騒ぎで、自分の行動を顧みる暇はなかったのだが。


「………約束、したよね。ひとりで行かないで、って……」


 大人達が去った後、ベッド脇に腰掛けたエストレイアは首から下げられた青い石のペンダントをぎゅっと握りしめ、絞り出すようにして言った。

 怒っているのだろうかと、俺は痛む体を強張らせる。

彼女は、怒っているわけではなかった。───裏切られた哀しみに、ただただ肩を震わせていた。


「約束…したのに、それを破って……こんなにまで傷付いて………」


「レイア……」


潤んだ青い瞳で俺を見据えるエストレイア。

そのとき、俺は初めて───彼女を深く傷付けてしまったことを悟った。


「どうして、言ってくれなかったの……?一緒に行こうって、何で……?」


それは、君を危ない目にあわせたくなかったから───という返答を言葉にする前に、エストレイアは髪を振り乱して叫んだ。


「ウォレスが、私を守りたいと思ってくれてるのと同じように、私もあなたを守りたいんだって───傷付くことがさけられないなら、せめて隣に立っていたいんだって、どうして分かってくれないの……⁉」


 その言葉に、胸を引き裂かれるような思いを俺は味わった。

約束を破られたとき───信じていたものに裏切られたときに彼女が味わった胸の痛みは、おそらくこんなものではなかっただろう。


「………ごめんな、レイア」


 それしか、俺は言うことができなかった。

エストレイアは瞳を揺らし、立ち上がる。


「……今日は帰るから」


部屋を出る前、彼女は一度だけちらりと振り返った。

視線が交錯し───ひと言もかわされないまま、扉の開閉音が響き、静寂が訪れる。

 目を閉じて眠ろうとしても、エストレイアが最後に見せた、哀しみの表情が瞼の裏に焼き付いて離れようとはしなかった。




───悪いことは重なるのだろう。

翌朝、魔獣によって新たな犠牲者が出たとの知らせが俺のもとに届いた。

犠牲者、その響きに、心臓がどくんと跳ねるのを感じる。

 両親も、知り合いの大人たちもみんな、この部屋に集まっているはずだ。

ならば誰が───、


──。

───エストレイアが、いない。


 全身から血の気が引き、俺は無理矢理に体を起こした。

大人たちがとめるのも振り払って立ち上がり、外に出る。

 ぽた、ぽたと血が滴る。───塞がりきっていない傷口が開いたのだ。構わない。頭にあるのは、エストレイアだけ。


──無事で。頼むから無事でいてくれ。

もう二度と約束を破ったりしないから、神様───、


 エストレイアの家へ続く道で、俺は足を止めた。

痛みで、動けなくなったわけではない。───視界に入るものに、思考が停止したからだ。


 足元には血の海が広がり、その中に───青い石のついたペンダントが落ちていた。

膝をつき、それを拾い上げる。

エストレイアの瞳と同じ色の、ブルートパーズのペンダントは、他でもない俺が彼女にプレゼントしたものだった。


 これだけで、十分だった。

ここで、魔獣による残虐な食事が行われ───その餌食になったのがエストレイアだったと理解するには。


「あ……ぁぁ……ぁぁあああ‼」


俺は、自分勝手な贖罪の果てに。

───何に代えても守りたかった、ひとりの少女を失った。



***



 俺はペンダントを握りしめたままふらふらと歩き、森へ向かった。もちろん竜達に会うために、だ。

何故エストレイアが亡くなった今、会いに行こうとしているのか、俺にも分かっていなかった。

───襲われてなお生きて戻れたのが幸運なら、今回は奇跡だったのだろう。俺は一度も魔獣に出くわすことなく、竜たちを見つけ出すことに成功した。

 竜族の長を筆頭に、沢山の竜達が空に浮かんでいる光景は壮観だったが、今の俺には何の感慨ももたらさなかった。


『何用じゃ』


長の問いかけに、俺もまた、簡潔に答えた。


「力を───俺達に分けてほしいんだ」


竜達がざわめき、翼が空気を叩く音が響く中、長だけが頷き、続きを促した。


「魔獣たちに襲われて、俺達の街では多くの犠牲者が出た。だから、魔獣と街をへだてるために………」


『───それは、貴様の本心か?』


 俺の言葉を、長が遮った。俺は瞬きし、強張った口元に笑みのようなものを浮かべた。


「な、にを……本心にきまって………」


『人間という生き物は、何かを為そうとする際強い意志を持つものじゃ。───今の貴様には、それが感じられない』


 俺は、黙り込むしかなかった。───長の言葉が正しいと、俺自身分かっていたからだ。

エストレイアを失って、抜け殻のような俺では意志が感じられないのもある意味当然なのかもしれなかった。


「…俺が、守りたかった人は……もういないんだ」


『───』


「銀色の髪と青い目が特徴的で、俺に対しても……誰に対しても優しかった」


 竜達が、こいつは何を言い出したのだというようにふたたびざわめき出す。だが、長が強く羽ばたいたことで、ふっと静まった。


『ならば…貴様は何故、そこに立つのじゃ』


何故。

ここへ来るまで、俺は自問自答を繰り返した。

明確な答えは分からない。だから───今、この胸を占める思いを、声に出した。


「レイアは……エストレイアは、どれほど痛かったんだろう。どれほど辛かったんだろう。───どれほど、救いを求めたんだろう」


 俺に裏切られて、魔獣に襲われて。

───ひとりぼっちで、最期を迎えて。


エストレイアだけではない。

みんな、そうだった。俺が見た皆の最後の表情で、笑っているものはひとつもなかった。


幼馴染み達の、怯えの混じる表情。

エストレイアの、哀しそうな表情。


幼馴染み達にとって、どれだけ俺が羨ましかったことだろう。

魔獣の群生地に行くことが、怖くなかったはずがない。そんな中、街に残る俺に見送られて出ていったみんなは、どれだけ。

───記憶に残るみんなの表情が悲痛なのは、全部俺のせいだ。


「力があって、愚かな人間じゃなければ……俺は大切な人達に、あんな顔をさせずにすんだんだ」


『───』


 もう、遅い。

───後悔しようが、懺悔しようが……もう、遅いのだ。


だから。



「誰にも、こんな思いを……味わわせたくなんてないんだよ─────ッ‼」



 声が枯れるまで叫んで、俺は荒い息をついた。

 頬の傷が沁みて、俺は初めて泣いていたことに気付く。拭っても拭っても、涙は止まるどころか勢いを増し、俺は遂に片手で顔を覆った。


『……貴様の思いは分かった。協力するのも(やぶさ)かではない。が……代償が必要じゃ』


「代償……?」


 顔を上げて聞き返した俺を見据え、竜は続けた。


『人類全てに与えるわけではないにせよ、大勢に力を授けるのじゃ。わしの力だけでは足りん』


「そんな……!お、俺にできることなら何でもするから……」


『───何でもと、そう言ったのじゃな?』


その長の声は、ぞくりとするような冷気を纏っていた。

竜達すらも、体を強張らせる中───俺は怯むことなく、見つめ返した。


『代償は───貴様の命じゃ。貴様の命を力に変換するほかに、方法はない。───貴様は、どうする?』


───俺に、迷いはなかった。


「頼む。俺の命でいいなら、使ってもらって構わないから………お願いします。人々を、助けて下さい」


間を空けずに答えた俺に、ここまで悠然とした態度をとっていた長が瞠目した。


『貴様は……いや。言葉にするのは無粋というものじゃな。───良かろう』


 突然、長と俺の体が光り輝いた。

光の粒子が零れ出すと同時に、強烈な寒気と倦怠感が俺を襲った。

霞む視界の中、光が幾つもより合わさって、空へ昇っていくのが見えた。光はある高度に達すると向きを変え、あらゆる方向に飛んでいく。

 体を支えられなくなり、俺は横倒しになった。いよいよ感覚が薄れ、意識が遠ざかる。


───その、意識の糸がぷつりと切れる直前。



『願わくば───貴殿が輪廻(りんね)を繰り返した果てで、想い人と共に在らんことを……』



そんな言葉が聞こえた、気がした───。

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