19.愚か者の約束
本日二度目の更新です。
「思い出した…って、どういうこと……?」
隣に立つステラの問いかけに、ヴァンスは「そのままの意味だよ」と返した。
───思い出した。ああ、思い出した。どうして今まで忘れていたのかと不思議に思うくらい、鮮明に覚えている。
「───俺がウォレスだったときの記憶を、取り戻した」
その台詞に、ステラだけではなくジュリアとアルバートも息をのんだ。
唯一竜だけが鷹揚に頷き、
『思い出せたのならば、貴殿から話すべきであろう』
竜の気遣いに感謝し、ヴァンスは『ウォレス』の記憶を語り始めた。
***
今から、約八百年前───。
俺は、『ウォレス』という名でこの世に生を受けた。
八百年前と言っても、ほとんど今と変わらない。もちろん服は違うが、言葉は同じだし、家のつくりも何となく共通点が見受けられる。
ただ───ひとつだけ、現在にはあってウォレスのいた時代に無かったものがある。
───それが、結界だ。
結界がなく、人々と魔獣を隔てる壁は存在しない。人々は買い物中に、あるいは自室で眠っている時に魔獣に襲われ、大勢の命が失われた。
危険の上に成り立つ暮らしだったから、俺達は幼い頃より大人から護身術を叩き込まれてきた。
けれど、犠牲者は減るどころか、増えるばかりだった。
護身術を習い始めたばかりの子供や、思うように動けないお年寄りから先に、魔獣に襲われてその命を散らしていった。
ここから先は、俺達の住んでいた街の話になる。
俺を含む若者達は初め、魔獣を殲滅しようと考えた。
半数近い若者が意気軒昂と討伐に乗り出し───呆気なく全滅した。
普通の獣だったならどうにかなったのかもしれないが、毒などを持つ魔獣の群れに敵うはずもなかった。
俺は、はっきりと覚えている。───殲滅に向かった、幼馴染みたちの顔と声を。
俺は護身術を習ってはいたものの、運動が苦手なのもあって、まわりの少年達に負けてばかりいた。だから、討伐に行くなど自殺行為だと思われたのだろう、大人達に止められた。
万が一の可能性を考えて、若者達の半数は残ることになっていたから、俺は皆に責められることはなかったけれど───事実は言葉より雄弁に、俺を責め苛んだ。
「おれたちは魔獣どもを倒して帰ってくる。だが……万が一のときは、後を任せるからな、ウォレス」
戦いに行く直前、幼馴染みは俺の肩に手を置いて、悲壮な決意を瞳に宿してそう言った。
───それが、幼馴染みとの最後の会話だった。
止めれば、良かったのだと思う。
隠しきれない怯えが滲んだ声に、堪えきれない手の震えに、俺は気付いていたのだから。
いっそ、怯えや震えに気が付かないくらい、鈍感な人間であれたなら。
───自責の海に囚われることなく、純粋に友の死を悼めただろうに。
そう、思わずにはいられなかった。
***
話していくうち、当時の思いがぐっと胸に迫ってきて、ヴァンスは吐息を零した。
ステラ達は言葉もなく、ヴァンスを凝視している。
───まだ、肝心のエストレイアのことについて話していない。
ウォレスにとって誰より大切で、誰より守りたいと願っていた少女のことに、触れてすらいない。
果たして、ヴァンスは話せるのだろうか。
感情に流されず、事実を伝えることができるだろうか。
───きっと無理だろうな、とヴァンスは思った。
語りを、再開する。
遠い遠い記憶を、手繰り寄せながら。
***
残された俺達が選べる選択肢は、二つ。
ひとつは、このまま死を待つ。これは、選びたくはなかった。───死んでいった人々のためにも。
ふたつめは───竜に助けを求めること。
古来より、人々は竜と関わってきた。
魔獣に似た恐ろしい見た目であるにも関わらず、竜は人を襲うことはなかったのだ。
もしかしたら助けてくれるかもしれないと、人々は淡い期待を抱き───すぐに打ち砕かれた。
竜の住処は、森の奥深くにある。───魔獣の住まう森の。
若者達ですら勝てなかった魔獣が生息する地へ、誰が入っていけるものか。
話し合いの最中、俺は右の手のひらを見つめていた。
───俺が行くと、言いたかった。
それが、仲間達を止められなかった俺にできる贖罪だと、思って。
不意に、俺の手より幾分小さな手のひらがそっと重ねられた。
「ウォレス。……お願いだから、ひとりで行ってしまわないで」
息がかかるほどの距離で投げかけられたのは、銀鈴の声音。
青い瞳が憂いを浮かべ、俺を見つめていた。
「……エストレイア」
「あなたが行くときは、私もついていくから。だから……約束」
俺は息を詰め───左手で、エストレイアの手を包み込んだ。
「ああ───約束な」
破ると分かっていながら、俺はエストレイアと『約束』した。
彼女を危険な目にあわせたくないという理由から、連れて行くことはできないと分かっていたにもかかわらず。
───エストレイアも同じように俺を案じてくれていることなど、このときの俺は愚かにも気付こうとしていなかった。