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2EP.17,5



「なんで勝手にLINE教えたの」

「ごめん。あまりにもしつこいからつい」


私の恨みを込めた視線を二分するように手を合わせた奥にあるのは赤縁の眼鏡。母親譲りだと言う茶髪は一束に丁寧に結われていて、成長した胸元にゆったりと乗っている。中学生には珍しい髪型のチョイスが私には大人びて見えて、彼女の内面を表しているみたいでとても好きだ。

彼女の名前はきた あんず

保育園から小学校まで同じだったけれど、彼女は中学受験して私立へ。私の過去の境遇を知る数少ない友達で、月に一回は連絡を取り合って出かけるような仲だ。

あんちゃん、みっちゃんと呼び合うことに恥ずかしさを覚える年頃の私たちは、いつの間にか自然と名前で呼び合うようになっていた。


「それにしても意外だよ。美晴がこういう集まりに参加するなんて」

「こっちもしつこくて」


疲労を隠せない私の顔を見て、杏の綺麗な顔が歪む。

レンズの奥が前の集団にいる一人を捉える。


「人は変わるって良い意味で捉えてもらえないことが多いの、なんでだろ」

「なにそれ皮肉?」

「当たり前じゃん」


後ろを追う私たちの声は向こうにはきっと届かないし、届ける気もない。

それが私の口を軽くする。


「盛者必衰の理が働いてるからじゃないの」

「驕れる者久しからず、ねえ。頂上まで登れば後は降るだけってことか」


平家物語をなぞって会話をしてしまうあたり、私も兄のことを馬鹿に出来る立場にはない。

最近読んだ書物を、さもすでに自らの血肉として吸収した気持ちでいるのは、痛い奴で、立派な中二病だと思う。

女子にだって中二病は蔓延する。周囲にバレていないのは、もっと重い病気にかかっているからだ。


「彼、私と同じ中学なんだよね」


さりげない言葉だった。

けれど私の歩みを止めるには十分で、濁った波の音が鼓膜を震わせる。

ここで杏がこの話をした理由。したくもない嫌な勘繰りが脳内を駆けていく。

友情という名の砂の城を、自覚のない波が飲み込んでいくかもしれないという不安。

けれどそれは、続く言葉にあっさりと打ち消された。


「って言っても最近知ったんだけど」

「LINEで話したの?」

「違う違う。あれと話したのは本当に最低限。既読無視しても執拗にメッセージ送ってくる人無理だから私」


おぇ、と言いながら舌を出す杏を見て安心する。

と同時に疑問に思う。では、どういう経緯であれを知ることになったのか。

私たち二人だけの会話と理解しながらも、杏はその声をしぼませて続ける。


「いじめ」

「いじめ?」


おうむ返しの声が大きかったために、軽く頭をチョップされた。


「聞かれたらどうすんの。気をつけて」


珍しく焦りを見せるその様子に不可解を覚える。

ボリュームを下げてごめんと言い、了承と謝罪を兼ねる。


「でも驚いた。杏の学校でもそういうのあるんだ」

「勉強が出来るからって頭のいい子ばかりじゃないよ。プライド高かったり、勉強の枷が強いぶん、フラストレーションを他で爆発させる人多い」


杏が進んだのは、調べればその偏差値に驚くような学校で昔見たパンフにはこれでもかと進学実績が掲げられていた。

これは後から聞いた事なのだけれど、保育園の頃からピアノだけでなく塾も通っていたのだという。本人は「テキトーじゃなく適当にこなすのがコツ。お母さんも言うて束縛してこなかったし、周りに比べたら私は恵まれてるよ」と言っていたがそれでも、二足のわらじをそつなくこなしていた杏は本当に凄いと思う。


「で、今の様子を見ると……あれはいじめてた側なのかな」


ネックレスとリングのようなごてごてとした装飾品。頭髪は自然の法則に抗いながら不自然な光沢を持つ。まだ新品の残り香が有る初々しいジージャンと、靴のかかとを隠すほどには丈が長いカーキのチノパンはどちらもオシャレ初心者のようでださい。

しばらく会っていないはずの友人たちと、笑みを交わしながら歩く姿は、豪快で自信に満ち溢れている。

私の記憶にあった像とは正反対と言っても、言いすぎだとは思わない。


「そう思うじゃん?」


今度立ち止まったのは杏だった。

振り返る私は息を飲む。

一括りで結われた髪、その毛先を指でいじる杏の姿が過去と重なる。

ピアノの発表会の前日、一緒にお人形遊びをした保育園の教室。下校時に変な男の人に付けられた話を打ち明けてくれた喫茶店。相手を傷つけないラブレターの返事を一緒に模索した杏の家。

いつも彼女は髪の毛先を触っていた。


「いじめられてた側なんだよ。それにずっと不登校だった。だから私も驚いたんだ。あの件の被害者が保育園の同級生だったことも、聞いた話とまるで違うあれの様子も」


開いた距離を詰めて、杏は私の手を取る。


「気をつけて。あれ、危ないかもしれない」


出掛ける前に居間で流れていたテレビの音が、なぜが今になって脳内で反芻する。

__今日の天気は晴れ。ですが、場所によってはゲリラ豪雨が発生するかもしれません。傘のご準備を。

あ、折り畳み傘忘れた。



***



私の嫌な予感は嫌な予感と言うより嫌な必然であると思っている。

思考が傾けば、現実はそれに引っ張られていく。

あの日もそうだった。

あの日も、あの日も、あの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日も。

私が全てを失うのはきっと必然だった。


「大丈夫?」


声を掛けても答えてはくれない。

誰かが泣いているかのような雨模様は、その上にあるであろう美しい空の片鱗すら見せようとはしない。

何の因果だろうか。

この場所はあの公園。全てが終わり、全てが始まったあの公園。

ブランコに乗っているせいで、上手い傘の差し出し方が見つからない。かろうじて、地面を睨み続ける頭だけは雨を凌げているけれど、強い飛沫は容赦なく身体へと降りしきっている。

最初は嘲笑う気でいた。

けれど果たして、今の私は笑えているだろうか。生憎、今日は手鏡を持ってきていない。

足元に出来た大きな水たまりは濁っていて、輪郭すら覚束おぼつかない。

だから私は、自分が笑えているつもりで話を続ける。


「何があったの?」


情が移ったのか?

違う。

壊れた障害を治すのか?

違う。

では、何のために駆け寄った?

わからない。

ひどい耳鳴りは、雨音と混ざり合って薄れていく。

相変わらず答えはない。

けれど私は待ち続けた。その声を、その叫びを、その想いを。

それはきっと私にしか理解できないものだから。

形は違えど、その本質を私が認めないことは一度もなかった。


「もう……、……い」

「わかった」


私は静かに、凍え切った今にも折れそうな身体を引き寄せた。




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