2EP.16
「あ、美春ちゃーん」
わぁー、と心から嬉しそうに手を振る黒子さん。
あまりにも屈託のない笑みに、琴奈を含めてクラス全体の毒気が抜かれてしまう。
この魅力はきっと魔性だ。声、表情、仕草、その全てが男を惑わせる。突っ伏していた村田ですら、その声を聞いて即座に顔を上げたのだ。誰か有名な声優の声にでも似ていたのだろう。
これが浅黒いニキビ跡を残した、髪もボサボサの女子高生ならどうだろう。程度の違いはあれど、大半の人間が「空気を読めないのかこいつは」と、思ったはずだ。
完全容姿主義のヒエラルキー。学校は社会の縮図、とはよく言ったもので、縮尺され圧迫され色濃くなった社会がこの教室にはある。
「どうも」
軽く頭を下げた私に好奇の視線が集まる。
「つれないなー、相変わらず。まあ、簡単に変わってしまう女の子だったら、私は元々興味も関心もないんだけれどね」
頬が膨らみ赤みを帯びる様は、女子ながら可愛いと思ってしまう。この気持ちを私と同じように、兄が感じているのだとしたら。そう思うと複雑な気持ちになる。
「つまらない子って本当につまらないから」と黒子さんの目がちらりと横にずれる。
目を向けられた本人はその視線に気づいていない。
「ビックリした? まさか私が来るなんて思ってなかったでしょ」
「別に。おとなしいって言葉が全く似合わないですから、黒子さんは」
「私から見れば美春ちゃんだってそうだよ。全然おとなしくない。まあでも、特防ばかり上がって、防御が低いって面では美春ちゃんほどおとなしいが似合う人はいないかもね」
「私、ポケモンじゃないんですけど」
「へぇ。自分が怪物じゃないって言うんだ?」
「黒子さんみたいなのを怪物って言うんですよ。比べれば私は人間です」
噛み合い、擦れ、離れる。
互いが互いを見ていない会話は、クラスメートたちには馴染みがなかったみたいで、視線が少し痛い。
それに隣にいる琴奈が気分良くなさそうな顔をしている。美少女高校生と知り合い、という看板をたった数秒で私に取られてしまったのだから、琴奈の自尊心がそれを良しとしておくはずがない。
まだ私と喋りたそうな黒子さんを遮って、琴奈は彼女を連れてきた理由を喋り始める。
「こちらの黒子…ちゃんは、文化祭の催し物が壊されたと思われる夏休み最終日に、この学校に来てたの」
「秀吉くんが忘れ物したって言うからお使い頼まれちゃって。うちの秀吉くんがお世話になりました」
朗らかに口添えする黒子さん。
ちっ、と心の中で舌打ちする。
教室のどよめき。その中心が兄にあることは誇らしいことだけれど、私が苛立ちを覚えたのは黒子さんに対してではない。
__あんな人がこんな可愛い子と付き合ってる。
そのギャップに驚いているクラスメートに心底腹が立つ。
ここにいる奴らは、自らの怠慢により進行の遅れた文化祭の準備をわざわざ手伝いに来てくれた兄を密かに見下していたのだ。
「それで夕方、この教室を最後に出て行った生徒を見たらしいの」
「私、あんまり視力が良くないから、断定はできないのだけれど、力になれるかもしれないから」
教室の喧騒がさらに加速する。
犯人を見たという人物の登場は、諦観し乾いていた事件に潤いを与える。と同時にクラスメートの数名の身が硬く引き締まる。視線を上げることが出来ないその数名には私も含まれている。
「最終日に来ていた人は立って」
愉快を隠しきれていない琴奈の声。表情にまで出してしまっている時点で、彼女に女優の才能はない。ミス青学から芸能プロダクションにスカウト、果てはイケメン俳優と結婚できたらという華々しく馬鹿馬鹿しい人生設計を聞かされた時は、笑うことも呆れることも通り越してただ恐怖したことを覚えている。
私は静かに、けれど速やかに席を立った。悪あがきは重々承知だけれど、事態が最悪を迎えている今、その悪あがきですら怠ることが出来ない。
私を一番に五人の生徒が席を立つ。
毛利__小野寺 琴奈が想いを寄せる男子。
高松__兄と仲良さげに話していたオタク。
ゆかりん__真の女神。
伊藤さん__一人称が「僕」のちょっと変わった人。
ぐるりと教室を見渡して、また奇妙な事が起きたものだと思う。最終日に来ていたのは、各担当グループのリーダーだ。各グループの最終結果を擦り合わせ、当日の動きを確認するために集まった面子。
例えば高松なんかは装飾担当のリーダーで、ゆかりんは接客担当のリーダー。
そしてここで立ったリーダーたちは、クラスの各グループの顔でもある。毛利は女子とも容易く喋れる男子上位。反対に高松は同系統の男子としかつるまず、女子から敬遠されがちな男子下位。ゆかりんは女子同士の交流が主だが、男子からよく話しかけられる女の子上位。伊藤さんは趣味に生き趣味に死ぬような女の子の集まり女子下位。
私は……中途半端な立ち位置と言ったところ。
そして六人目。
黒子さんを除いて、この教室で現在立っている生徒がもう一人いる。
気に入らないものは排除し、気に入ったものは意地でも手に入れようとするおぞましき”女の”集団。小野寺琴奈その人も容疑者の一人である。
「黒子ちゃん、よく見て。この中にあの日、最後に教室を出た人はいる?」
容疑者の一人であるはずなのに、まるで被害者のような振る舞い。
ここで黒子さんに指を刺されるのは自分かも知れないのに、琴奈にはまるでその不安が無い。親戚に政治家がいるような子供は、あーいう悪い顔を頻繁にするのだろう。あくまで私の偏見だけど。
気怠そうに立つ毛利と高松と伊藤さん。ゆかりんは一見静かに立っているけれど、目を凝らすと忙しなく目線がずれているのがわかった。
琴奈もそれを見逃すはずがなく、悪意を隠そうともせずに。
「黒子ちゃん、せっかくなんだしもっと近くで顔を見てみなよ。皆も別にいいよね?やってないならどれだけ見られようと構わないもんね?」
その理屈だと、万引きしてないなら体のどこを探しても平気だよね?と、言っているのと同じだ。
正しさの名の下にある悪行。兄の持っていた同人誌はひょっとすると人生経験の教科書なのかもしれない。
「川溝さんの方から」そう言って黒子さんへ促す。
「ほーぅ。可愛い娘だなあ。ゆかりちゃん……だっけ?」
「は、はい」
息が当たるほど他人の顔が迫る。
それは少女漫画なんかでは、背景に華やかなトーンが貼られヒロインが赤面する場面だけれど、現実的に言えば純粋に恐怖だろう。
「うん、可愛い。次」
求めていた言葉を無視して、黒子さんは次の生徒へと近づく。胸を撫で下ろしたゆかりんとは対照的にはなら琴奈の顔がわざとらしく歪む。
「ふーん。ふーん」
毛利と高松は驚くほどあっさりと。
その思考の裏に兄がいると思うと、比べるべくもない男子たちへの反応は当然なものだと納得できる。
伊藤さんの前で止まると、初めて黒子さんの顔がマイナスを示した。
「あなた…」
眩しい光に照らされて目がくらむのはわかる。
ただ自分のグループではこれでもかと大きな声を出す伊藤さんが、あからさまに萎縮している姿は珍しい光景だった。琴奈の前でも毅然とした態度を崩していなかった経緯があるゆえに、私の目にはそれが異様に写る。
そしてがっかりした。
私に無いものを伊藤さんは持っている。そう思っていたのだけれど、それは杞憂だったらしい。伊藤さんにがっかりしたのではない。伊藤さんに期待した自分にがっかりしている。
「あなたに罪がないことはわかっているのだけど、あなたのような人を私は恨まずにはいられない」
「……」
「やつあたりって人間が自己完結出来ていない所以の最たる例よね。人は独りで生きていけるかもしれないけど、一人で生きていくのは無理。あなたは私を一人にした女によく似てるわ」
鋭い剣幕に気圧されながらも、伊藤さんがゆっくりと口を開く。
「私は…、一人で生きてるとは思ってません」
一人称が戻った。やっぱりキャラだったんだ。
一方的に言われたことへの報いか、苦し紛れに出た言葉かは私には判断が付かなかったけれど、そのか細い声に黒子さんは表情を崩した。
「ごめんなさい。あなたを買い被っていたみたい。誰も彼もが同じとは限らないものね。この子は犯人じゃないわ。断言する」
誰も理由を問わない。
黒子さんは、ただのやつあたりと言ったけれど、今のやり取りには確かな意味があった。
羨望を招く美貌。
他に取り繕わない物言い。
強烈なカリスマは、痛烈な恐怖へと直結する。
教室の正義が変わりつつあることを、肌で感じていたのは私だけだろうか。




