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EP.EX

『ついている女』を読んでから、お読みいただければ、二割増しくらいで面白く読めるかもしれません。

「この学校、幽霊がいるらしいわよ」


涼しげな顔で、清涼感を持った声音を俺に届けてくる白髪の少女は、表情の変化を敏感に感じ取り、その口角をにやりと歪ませる。

くっきりと浮かび上がったえくぼは、片側にだけしかできず、それが返ってニヒルな笑みを演出している。

嫌な女だ。

出会ってから何度目になるかわからないそんな感想を、この日の昼休みにも抱いてしまった。

図書室という空間には、甘美にも似た居心地の良さを感じることがある。

静謐を好む者が集まる聖域。学校という隔離施設の、そのまたさらに隔離された場所。

名も知らぬ書物たちは、ゆっくりとその身がめくられることを待ち、その空間全てがせいを表している。

図書室に並ぶ長机。無数にある空いた座席から俺の対面を選んだ白髪は、今日は綺麗なポニーテールに結われている。

ただ、その髪を結っている張本人である髪留めが、どうしてビニール袋なのかは、訊いたところで逆にこの少女を喜ばせてしまいそうなので、触れないでおこう。

あの笑顔を連続で見せられるなんて嫌気がする。

魅せられるなんて本当に嫌だ。


「学校の七不思議…みたいなやつか」

「そんな都合良く七つも不思議があるわけないじゃない。この学校にある奇々怪界はたったの一つよ。残念だったわね。秀吉君の七不思議を集めて、願いを叶えもらおうという野望は今日で頓挫とんざしたわね」

「残念だ。お前を消し飛ばしてくれ、って願おうと思ってたのに」


思いの外あっけらかんと否定されてしまったおかげで、少し恐怖が減った。

二人きりの図書室は、空間としての利用人数に適していないせいで、かえって窮屈に感じてしまう。昼休みの当番であるはずの図書委員は、どうやら今日はサボっているようで、図書の貸し借りが行えないこの教室は、ただの本置き場に成り下がっている。

まあ、そのおかげでこうして飲食をしていてもお咎めがないので、悪いことばかりではない。


「そんなこと言って。私が居なくなったら秀吉くん、ぼっちになっちゃうじゃない。寂しくて寂しさで死んでしまうじゃない」

「俺はウサギじゃない」

「あら、ごめんなさい。秀吉くんの心がいつもぴょんぴょんしているからウサギと勘違いしてしまったわ」

「三期おめでとう!!」


俺の内心を読み取る力は相変わらずのようで、年季の長さすら感じさせる。


「涙を流すほどのことかしら?」


メロンパンを頬張りながら少女はそれかけた話にブレーキをかける。


「学校に幽霊がいるって、なんだかワクワクすると思わない? 日常に潜むホラーって、すごく心をくすぐると思うの」

「で、お前がくすぐられてしまったと」

「どうせ秀吉くんは暇人でしょ。私、暇な人って嫌いなのよね。私に愛され続けたいのなら忙しい人間になりなさい。忙しない人間になるのよ」

「それはただ落ち着きのない人だろうが」

「ちなみに私は四字熟語なら、冷静沈着より沈思黙考の方が好きよ」

「あっそ……痛っ!」

「ごめんなさい。秀吉くんの靴下の柄が白と黒のチェック柄だったから、サッカーボールと間違えて蹴ってしまったわ」

「嘘がつけないのかお前は」

「好きな人には嘘をつかない主義なの」


ここで照れてやるのが、男の甲斐性の見せ所なのかもしれないけれど、これまでろくに嘘しか付かれていない人生を送ってきたためか、心臓の鼓動は平常運転だ。

俺の靴下は赤と黒のチェック柄。こんなに目に優しくない色のサッカーボールは存在しない。


「じゃあ俺はお前の好き人じゃないってことだな。良かった良かった」

「ただし、愛している人には嘘を吐くわ。嘘に塗り固められた私であろうと、貴方に愛してもらえればそれでいいもの」

「愛が重い…」


戻ったと思われた話題は、なかなか前に進むことを知らないので、こちらから背中を押すことにする。


「学校の幽霊って具体的にどういう話なんだ。イメージだと、トイレの花子さんとかそういうのを想像するけれど」

「そのイメージで間違っていないわ。学校という敷地内に縛られた地縛霊。花子さんとの違いは、それがトイレなのかベンチなのかということよ」

「ベンチ?」


理科室の人体模型。昇降口の大鏡。東棟二階から三階への階段。

訊いただけで怪しさを醸し出す聞き慣れた単語群からは、大きく外れたその単語に、拍子抜けなオウム返しをしてしまった。


「ベンチってあのベンチか?」

「ベンチといえばベンチしかないでしょう。想像通りのあのベンチよ」


両端に取り付けられた白パイプに、それらに支えられるプラスチック製の青台座。

何処にでもあるようで、何処にもなかったりする。もし強引にでも幽霊とベンチを括るならば、そんな曖昧さくらいしか共通項がない。

いるのか、いないのかわからない。

見えているのか、それとも見えないのか。

それは視界に入っているのに、見ようとしていないだけなのか。


「幽霊は夜に出る、幽霊は人気のない場所に出る、とは限らないのよ。朝や昼、夕方にだって出てこようと思えば出てこれるものだと思うわ」

「へー。でもだからってベンチに出るなんて、物好きな霊もいたもんだな」

「何かこだわりがあるんじゃないかしら」


拘り、ね。

俺がもし幽霊になれるなら女子トイレか銭湯に地縛じばくるけどなあ。まあ、しかし、そんな都合よくピンポイントで、場所に怨みを持つことなんて出来ないので、その幽霊とやらも自らベンチに取り憑いてるわけじゃないのかもしれない。


「それで、学校の一不思議をいい加減教えてくれないか。焦らされたせいで興味を惹かれてしまった」

「私の話術の賜物ね」


満足気に笑うその口元には砂糖の粒が付いていることに気がついたが、特別注意することはしない。

うちの購買のメロンパンは甘すぎることで有名だった。

こほんとひと咳払いして声の調子を整えると、白髪の少女は言う。


「校庭沿いに置かれたベンチは呪われていて、そこに座ると幽霊が出るらしいの」


うらめしやー、と小声で言いながら両手をお化けのように胸の前に出す。

幼さすら感じさせるその動作に、どうリアクションしようか考えあぐねていると、向こうの方が耐えられなくなったようで。


「反応がないわ⁉︎」

「…わ、悪い」


雪化粧のように白い肌。その頬が仄かに赤みを帯びていた。

声のトーンが少し下がる。


「昔、ベンチの上にある教室から飛び降り自殺をした女子生徒がいたらしいの。その生徒は当時、クラスメイトからいじめを受けていたらしくて、深い深い怨念が彼女を地縛霊にしてあのベンチに縛り付けているらしいわ」

「へー、こわーい」

「私の熱弁を棒読みで流すなんて良い度胸してるじゃない秀吉くん」

「だってどこかで訊いたことあるような話だし」


自殺、飛び降り、女子生徒。

この三単語が並んだ怪談は耳が腐るほど、世に溢れている。


「何年かの間隔で被害者も出てるって話なのよ」

「被害者?」

「そう。その女子生徒に取り憑かれた男子生徒は次第に狂ったような挙動を繰り返すようになって、最後には呪われたベンチに向かっていくかのように飛び降りちゃうんだって」

「そんなことがあったなんて話は、今まで訊いたことなかったけどなあ」

「ぼっちの秀吉くんの元にはそもそも情報が集まらないでしょ。あなたの情報網は幼稚園児と同じサイズよ」


そうでした☆

俺の知っている全てが世界の全てとは限らないんだった。

教室で噂の一つや二つ、しっかり耳を傾けていれば学校の不思議を七つくらい集められていたかもしれない。

情報網だけでなく、人脈すら幼稚園サイズだった。


「そんな呪われたベンチがあったとは。ちょっと気になってきたかもしれん」

「でしょでしょ」


いつになくハイテンションで、食い気味に言ってくる。

冷たい鼻息が俺の眼球を凍えさせる。

……距離が近過ぎる。

こいつが俺にこの手の話題を提供したことは珍しい。

普段も話題を提供してもらっている身なので、感謝の意も込めてここは付き合ってやるのが良いだろう。

それに噂に踊らされるのは嫌いだが、自らの好奇心に任せて噂を巡るのは嫌いじゃない。


「ちょっと行ってみるか」



**


簡素なベンチ。

言ってしまえばただそれだけのものだった。


「これに幽霊が憑いてるとは思えないんだが」

「まあ、普通のベンチだものね」


活発な声は昼休みに校庭に出ている男子生徒達のもの。

陽射しが眩しいのか、その姿が眩しいのか。判断がつかないまま、自然に目を細めてしまう。


「とりあえず座ってみましょうか」


促されるまま座ってみる。

呪われていると知りながらも、簡単に座ろうと思えるほどに、そのベンチには威厳がなかった。

校舎の日陰にあたるこの位置は、ひんやりとした空気に満ちていて、食後に過ごす空間としては適しているように思える。

欠伸を噛み殺して伸びをすると、ぎしぎしとプラスチックが悲鳴を上げた。


「遊ぶ子供を見守る夫婦みたいね。私たち」

「あんなちゃらちゃらしたガキなんて嫌だね」

「私と結婚するのは嫌じゃないのね」

「付け足し忘れた。結婚も嫌だ」

「相変わらずのツンデレさん」

「萌えんなよ」

「無理よ」


被せるように言われた肯定につい言葉が詰まってしまう。

あまり間が空いても気まずいので裏返らないように努めて声を搾り出す。


「幽霊なんて現れないじゃないか」

「おかしいわね」


顎に手を当てて考える仕草を取る。


「その幽霊はいちゃいちゃしてるカップルを見ると現れるっていう噂だったのだけれど…」

「なんだそりゃ。ただのひがみ霊じゃねえか」

「これはいちゃいちゃが足りないのかもしれないわ。キスのひとつやふたつくらいした方が良いのかもしれないわね」

「それ、ただのお前の願望じゃねえか」

「そうよ」

「言い切るなよ…」


ここまで言われると、学校の一不思議はこいつが俺をここに呼び出したいがための、口実じゃないのかとさえ思えてくる。

弛緩しかんした空気に引っ張られるように、口が開いた瞬間だった。


「あの…」


腰が抜けそうになった。というか驚き過ぎて立ち上がってしまった。

突然、隣から現れた聞き慣れない声。

いつの間にベンチに座っていたのか、初めからそこに居たかのような佇まいでその女子生徒は座っていた。

影に隠されているとは思えないほど白い肌に、完璧なパーツが完璧な配置で置かれている。

この存在を表すには可愛いでは物足りない。

薄氷を踏み歩くような脆く危うい美しさを、俺は始めてこの目で目視した。


「あら、誰かしらその女は。私の気付かぬうちに女を隣に侍らせるなんて、秀吉くんもいよいよ戦国武将の趣が備わってきたみたいね」


背後から黒いオーラを出しながら、突如現れたその女子生徒を睨みつける。

睨まれた女子生徒は、その視線にたじろいだように視線を逸らすと、か細い声で弁明する。


「あの、仲良さそうに話していらっしゃるので、私、邪魔だったのかなぁと思って…」

「邪魔もなにも存在にすら気づいてなかったんだけど……」

「秀吉くんは私と二人だけの世界に埋没していたものね」

「うわあ、熱々なんですね」


まるで自分のことのように頬を染める女子生徒は、顔を覆った細い指の間から視線を送る。

クラスにも可愛い女子はいる。けれど彼女はそのどれとも違う。

他の女子を見下すような濁った瞳。男子に媚びるためだけに特化した猫撫で声。自分が世界の中心だと言わんばかりの横柄な態度。

俺が人間に汚さを見るそのどれもを彼女は有していない。

しかし気になるのはこの女子生徒、この容姿でありながら、全く見覚えがないのだ。この学校の生徒となって二年目になる俺が、こんなにも庇護欲をそそられる女の子を見逃していたとは思えない。

小柄な体躯に吊り合う小さな顔。首元でカールする光沢ある髪に、一挙一動、細やかな仕草に理想の女性らしさを見る。

それはあまりにも理想的で、そして、作り物じみていた、


「なぜお前は俺の頬を指でぐりぐりしている」

「女の前で女を褒める悪い口にお仕置きしているのよ」

「口に出した覚えがないのだが」

「あら、やっぱり褒めてたんじゃない。これは貫通するしかないかしら。いや、する、しましょう、しやがれ」

「ブラフだったのかよ…」


指のことは気にしないことにして、俺は女子生徒の方に向き直る。


「顔色悪いけど、君幽霊?」


めりめりめり。

肌が出していい音じゃない。


「あなたにはデリカシーというものがないの? それ、普通に悪口よ」

「え、だって青白いし血色悪いし」

「ごめんなさいね。この男には気遣いという概念が存在しないの。貴女のデリカシーを侵害してしまった代わりに、この男のプライバシーを侵害するわ。ちょっと待ってね、この男のスマートフォンを見せてあげるから…」

「おぉい!いつの間に盗んだ⁉︎」

「あなたの心を盗んだ時によ」


なんとかスマートフォンを取り返し、胸ポケットにしまい直す。

乱れた髪を直しながら涼しい顔をしているこの女。本当に油断ならない。


「幽霊じゃ、ないですけど」


けど?

気になる切り方で言葉を区切った女子生徒は、まるで自分の事ではないかのように単調に、俺の質問に答えた。


「それは私の思い込みなのかもしれません」



**


眞鍋まなべ ゆめ

それが彼女の名前だった。


「学校の中の誰もが、私の存在に気づいてないみたいなんです」


だから驚きました。

二人に私の声が聴こえて、しかもこうしてお喋り出来ているなんて。

久々の会話を楽しんでいるようで、ついさっきの単調さが嘘のように夢は喋る。元々、お喋りが好きな子なのかもしれない。

心の内に闇を抱える女子かもしれない、と勝手に勘ぐってしまったけれど、話を訊いているうちに、自分の身に起きたあまりの不可思議に、困惑を超えてどこか他人事のように事を見ているらしかった。


__学校の人間から彼女は視認されない。


それが彼女が今まさに陥っている状況だった。


「正確に言えば、私は存在していない扱いになっているんです」


教室には夢の席がある。クラス名簿には夢の名前が載っている。一年の時にコンクールで入賞した美術の作品も残っている。

彼女が存在した、いや、存在している痕跡は確かにあるのに、彼女の存在だけがこの学校には存在しない。


「その存在しない範囲は学校の中…だけなんだよな?」

「学校から出ると皆は私が見えるようになるの」


夢は自らの状況判断をきちんと行なっていたようで、下校のタイミング、仲の良い友人たちが校門を出てきたタイミングで質問をしたことがあるのだという。


「ねえ、私っていつも学校で何してるの?」


友人たちは笑って答えた。


「何言ってんの。さっきまで教室で一緒に授業受けてたじゃん」


その言葉に、夢は背中を駆け抜ける恐怖を感じた。


「学校にいる間、夢の体が奪われているかもしれない……と」


自分の身体を抱きしめながら夢は頷く。


「幽体離脱からの幽体交換。そんな芸当が出来るのは幽霊くらいなもの、そう言いたいのね?」

「それだけじゃないんです。私がこうなってしまったのは、このベンチで女の子と話してからなんです」


知らない顔の女の子でした。

夢は二週間前の空と重ねるように、今日の空を仰ぐ。

__あの日の私は、憔悴しきっていました。身も心も引き裂かれたような気持ちでした。どうしてそんな状態だったのか……は、ごめんなさい。協力してくれる二人にも教えられません。

__とっても疲れていた私はあの日、放課後の、無人になった教室で自分の机に突っ伏していました。一人になりたかった。その一心で、友達の誘いも全て断って、部活も無断でお休みして、ただ机で死んだように突っ伏していたんです。

__四時半の、いや、五時だったかもしれませんけど、こつん、こつん、って音がしたんです。私は夕暮れと夕闇の混ざった教室を見回しました。突然の音に、無の空間に前触れなく現れた音に、恐怖を感じたからです。でも教室には私以外、誰もいませんでした。けれどこつん、こつん、と音は続いていたんです。

__私は動けなかった。電気の消された教室は、まるで私を閉じ込めた棺桶のように感じられて、私は動けなかった。私は光を求めました。安心を欲した本能だったのかもしれません。そして気づきました。音の正体に。

__窓に石が当たる音だったんです。

__現象に意味があるとわかった時、私の好奇心は動きを取り戻しました。誰が窓に石なんかを投げているんだろう、そう思って窓から下を見てみました。

__そこにはベンチの上に立ちながら、右手いっぱいに小石を持って、今にも左手から石を離そうとしている女の子がいたんです。


「やっと気がついた」


__女の子はそう言うと静かに笑いました。綺麗な目元が三日月のようにうねって、薄い唇の先にちょこっと笑窪が出来て、けれどその顔には痕が残るほどの傷があって。とっても素敵な笑顔でした。


「こっち、おいでよ」


__包み込むような声は、選択を委ねているのだとすぐに気づきました。彼女は私を呼んでいる、けれど、ここに来なくてもいいとも言っている。そういう温かい気遣いって、短い言葉にこそ宿るんだって、思いました。だからこんな状況になっても、もし、もしも彼女のせいで私がこうなっているのだとしても、あの日、ベンチで待っていた彼女の元に行ったことを後悔はしていません。

私の胸に空いた穴に、それほど彼女の声は優しく注ぎ込まれたんです。


**


「秀吉くんは、彼女の話をどう捉えているのかしら?」


放課後になってもこの図書室はまるで人気がない。

夜に向かうにつれて、空気も冷え込んでいくこの時間帯。誰が開けたのかわからない窓から吹き込む風が、カーテンを小さく揺らしている。

窓際に座る俺は、その影響を少なからず受けていて、薄手の靴下はもうタンスにしまってしまおうと思った。


「嘘を付いているようには見えなかったな」

「あら、珍しい。全てを否定から入る否定吉くんともあろう人が、誰かの話を肯定するなんて」

「全てを否定から入るというのは肯定するけれど、俺の名前を否定と間違ったのは肯定せずに否定するぞ。俺の名前は秀吉だ」

「ごめんなさい。噛んでしまったわ」

「嘘つくな。わざとだ」

「私としては、化よりも刀のほうにネタを持って行って欲しかったわ」

「しまった!!全てを否定する姫……そっちだったのか!!」

「これが本当の断罪炎刀ね」


俺としたことが、これではファン失格だ。

もう一度既刊全作読み直して、読書感想文を書かなくては。

けれどその前に、この事件を解決しないと読書を楽しむ気持ちにはなれない。


「彼女がいじめにあっているっていう可能性はないかしら?」

「それはないだろ。クラス規模ならまだしも、学校全員からいじめられるなんてあり得ない」


それに夢は今日も友人たちと下校している。

日中に空いてしまった関係性を埋めるように、手探りの過去を彼女は必死に探している。

まず問題なのは、夢が接触した女子が本当に幽霊なのかということだ。


「生徒一人を学校から存在ごと消す。それだけで十分に、人外の仕業と思うのだけれど」

「仮に、本当にベンチの幽霊による仕業だとしても、どうして幽霊が彼女にこんなことをするのかが、全くわからない」


犯人がわかっていても、その動機がわからない。

男女の馴れ合いを怨むというベンチの幽霊。幽霊は男に取り憑き狂わせ、対象の命をベンチに落とす。

けれど今回、幽霊の対象になったのは女子生徒だ。加えて、夢に狂乱の兆しは見られなかった。学校という限定的な場所でのみ起こる事象。外に出れば何事もなかった日常に戻る、その安心感が彼女をまだ正常な思考に押し留めているのかもしれない。

__学校に行くと存在が消える。

文字にすれば、たったの十二文字でもその言葉が持つ意味と恐ろしさは想像に難くない。

死ぬよりも恐ろしいとさえ思う。


「だからこそ幽霊の真意がわかれば、きっと夢は元に戻れるはずだ」

「ふーん。珍しく熱いのね」


つまらなそうに目を細めて俺を見てくる。

けれど、たじろぎはしない。


「誰が困っていたら助けてあげたいと思うのは当たり前だろうが」

「ふーん。複雑な心境だわ。私得の勇ましい秀吉くんが半分、他の女のために動く秀吉くんが半分。……あら?考えてみると、私のための秀吉くんが半分しかないじゃない。一割、いや二割増しで私側にリソースを割きなさい」

「夢が元に戻れば、あのベンチを二人占めできるようになる」

「よ、よろしい。あの、ごめんなさい、ちょっとお花が濡れちゃったから拭いてくるわね」

「隠語から真実がだだ漏れしてますよ?」


私のダムを決壊させたのはあなたよ。

急ぐように教室から出て行く背中に向けて言う。


「後で床拭いとけよ。つゆの道出来てんぞ」

「今日は舐めても怒らないわよ」


舐めるわけねえだろ。

舐めたら終わりだ。きっと。いろいろと。

十分後、顔が艶やかになって戻ってきた。


「まずは彼女の情報を集めることが先決だと思うの。どうして幽霊に見初められたのか、幽霊が今までの慣例を無視してまで彼女に接触した理由。きっと、彼女が私たちに話したくないと言った事と関係がある」

「それは同感だ」


夢が俺たちに話すことを渋った。

唯一、自分に気がついてくれた人達だっとしても、自分の全てを語らないのは至極当然のことだ。

けれど裏を返せばそれは夢が、俺たちに言いたくない事は言わない、というのがわかったことにもなる。

夢の話にはまだ語られていない部分がある。

そこに幽霊を惹きつけた理由があるのなら、彼女が意図的にそれを隠している可能性もゼロではない。


「問題なのは…」


嘲笑、からの、嘲笑。


「秀吉くんに情報収集なんて出来るのかしら」

「まず無理だな」

「そうね」


間髪入れずに同意してきやがった。

楽しそうだなぁこいつ。


「大丈夫そう?話しかけられる?言葉のキャッチボールできる?呼吸困難にならない?発疹でない?死なない?」

「俺はコミュニケーションにアレルギーでもあるのか」


いっそアレルギーにでもなってくれた方が、治せる確率が高くなっていいのかもしれないけれど。


「仕方ないから、情報収集は私がやるわ。秀吉くんがアナフィラキシーショックに殺されるなんて我慢ならないわ。秀吉くんを殺すのは私の役目なのに」

「未来の殺人犯と会話できる時点で、俺のコミュ力MAXだと思うんだけど気のせい?」

「秀吉くんのMAXは常人にとっての一割よ」

「最大値低過ぎぃ!」


常人は、未来の殺人犯と会話するのも容易いらしい。

常人のMAXとはいかがなものなのだろうか。

俺の知らぬ間に、神と会話するのも簡単な世の中になっているのかもしれなかった。


**


彼女を認識できていない人間と、彼女を認識できている人間。その間で彼女の話をした場合はどうなるのか。

今思えば、どちらに転んでもおかしくない賭けだった。

結果から言ってしまえば、彼女のパーソナリティを彼女の友人から聞くことが出来た。らしい。

けれど。


「水の底から泡が上がってくるようなものね。浮かんだ瞬間、外に現れた瞬間に弾ける。それが眞鍋 夢の記憶」


彼女を思い出すことはできる。けれど、会話が終わればその存在は、また消えてしまうということのようだ。

眞鍋 夢。二年四組。出席番号三十六番。右利き。好きな食べ物、寿司。嫌いな食べ物、パクチー。クラスでは上位のグループに属している花形。

そんな在り来たりな情報なんて要らない。そう言おうとしたところで、話が大きく動いた。


「彼女、失恋していたらしいわ」


失恋。恋を失う。

幸せからの急降下。


「顔も良くて、性格も悪くない。男女問わず人気があったみたいね彼女」

「じゃあ幽霊は今回、カップルではなく華やかな存在に嫉妬したってことなのか」

「話を最後まで訊きなさい」


やれやれと、後頭部の束が揺れる。


阿久津あくつ 信二しんじ


名前を訊いて、その顔とが頭の中で結びつく。

サッカー部の次期エース候補。一年の頃からスタメンとして、三年生と混ざって大会に出場していた。

覚えにあるのは体育祭だ。阿久津信二が走るだけで、会場からは黄色い声援が沸く。まるで阿久津信二のために体育祭があって、他の生徒は阿久津信二を引き立てるためだけに用意された前座であるかのような。

美少女と冴えない男子に恋が生まれる。なんてのは空想上の夢物語もはなはだしい。

魅力ある華をついばむことを許されるのは、力のある雄鳥。

眞鍋 夢は悪くない。

誰だって顔の良い男と顔の悪い男のどちらかを選べるのなら、間違いなく前者を選ぶだろう。

彼女はただ選べる存在であっただけ。

俺の中できーんという耳鳴りと共に、彼女の存在が離れていく。


「阿久津に告白された眞鍋 夢は、頑なに異性関係を築かなかった経歴を打ち壊した。二人は恋人だった」


ここまで訊くと、確かに幽霊に疎まれるには十分すぎる理由を持っている。

むしろ幽霊だけではなく、人間からも疎まれるくらいに。

けれども、話の結末はバットエンドだ。眞鍋 夢は失恋をした。阿久津信二と別れた。


「別れた理由に幽霊が絡んでくるんだな。オーケー、訊かせてくれ」

「は?」

「は?」


怪訝な視線が絡み合ってそれぞれの眼球へ入り込む。


「付き合ってたって話までしか訊けなかったわ。訊けば眞鍋 夢は口が堅かったみたいよ。惚気は言わず、あくまでも慎ましやかな交際をしていたみたい」

「結局、話は進んでないじゃないか…」


背もたれに引っかかる肩甲骨が音を立てる。

趣味の悪い天井の柄に、不快なため息が口から漏れる。


「これを見てもそんなことが言えるかしら」


時代に似合わない現物の写真が、テーブルの上でスライドする。

背景から、ロケーションが体育館裏であることがわかった。目を奪われたのは、その被写体。すらっとした高身長の男子と、小柄の女子が口付けをしている。

男子は阿久津信二その人だ。けれど女子の方は__。


「しゅっ、しゅっ、しゅっ、しゅっ…!」


手裏剣を投げる仕草で、次々と写真がテーブルを滑る。

共通項。その全てが学校内で撮られたものであり、被写体である阿久津信二は同じ。けれどその全てに写る女子は違う。


「これ、何股してんだよ」

「友達はやめた方が良いって、悪い噂も多いって釘を刺してたみたい。けれど、彼女には響かなかった」


恋は盲目。

あらゆる論理的な思考も、正常な判断も、恋の前では無力になる。

眞鍋 夢が幽霊に出会った日。

あの日、彼女は一人教室で、目を覚ましていたのだ。目を伏せていた現実が、一気にその身に襲い掛かってきたのだ。

そして、泣いていた。


**


しかし、だからと言ってどうしてそのことが幽霊と結びついていくのか、という核心は未だに掴めていない。

幸せの絶頂から落ちた少女。

幽霊から見れば、抱いていた嫉妬が融解し、むしろ上機嫌になるかのような結末だ。

どうして失意に咽ぶ眞鍋 夢に接触し、その存在を消すまでに至ったのか。

彼女と幽霊との間で交わされた会話。

眞鍋 夢が口を開かないうちは、それはどうあがいても知ることが出来ない。


「なんで彼女は話そうとしないのか。そこにポイントがあるんじゃないかしら」

「話そうとしない理由…」

「口を閉ざす、っていうのは何も後ろめたさや、恥ずかしさから来るものとは限らない」

「どういうことだ?」

「自分を守るために口を閉ざす。けれどそれはマイナスの感情だけじゃない」


口を開けばマイナスになるのではなく。

口を閉じていることでプラスになる。

他愛なく思える言葉遊びは、けれど明確な形を保って俺の心に落ちる。


「眞鍋 夢はこの状態でいることを望んでいるのか…?」

「解決を渋るが故の閉口。好きだった人にとって、自分は数ある女たちの中の一人に過ぎなかった。彼女が可憐な女子生徒であるなんて誰が決めたのよ」


そうだ。俺は勝手に眞鍋 夢を健気な、恋に羨望し、恋に溺れ、恋に泣く美しさを押し付けていた。

自分が“ただの”遊び相手だった。

自らに多大な価値を見出している女子にとって、それはどんな屈辱よりも許しがたいことであったのかもしれない。

学校の人気者にたぶらかされた女の一人。

もしも眞鍋 夢に高尚すぎるプライドがあったのなら、友人から向けられる同情の視線それ全てが、彼女の身を引き裂く刃だった。

どんな人間にも裏があり、歪んだ自我を持っている。

その日、眞鍋 夢が流していた涙は、澄み切った水晶ではなかった。どろどろとした憎しみを内包した黒い血涙だった。

そんなことを不意に、想像してしまった。


**


何がきっかけだったのかはわからないけれど、事件はあまりにもあっさりと終焉を迎え、それは事件と呼ぶほどでもない事柄と成り下がった。

翌日から、眞鍋 夢は学校から認識されるようになった。

まるで昨日までのことが嘘だったかのような結末は、夢から覚めたような清々しさはなく、例えるならゲリラ豪雨の方がしっくりと来るものがある。

俺は眞鍋 夢を正確に認知するようになった。

眞鍋 夢自身も、自然の流れを迎合して、何事もなかったかのように日々を過ごしているようだった。それは廊下ですれ違う時や、移動先の教室であったりと、シチュエーションは様々であったが、俺と眞鍋 夢が会話を交えたことはあのベンチを最後にしている。

消えていたはずの彼女から消された俺。

複雑な気持ちを表すには、俺の語彙力が足りない。

昼休み。今日はいつもの図書室から場所を移して、校庭沿いのあのベンチに来ていた。

特に理由はない。水曜日は図書室が閉館なのだ。今までは屋上に忍び込んでいたが、あの一件以来、毎週水曜日はこのベンチに来ると決めている。

先客は今日もメロンパンを頬張っている。

口元に大粒の砂糖を付けて。


「あれから眞鍋さんとは話したの?」


俺たちは決して視線を交えない。

二人とも日陰から日向を眺める。暗い世界から、眩しすぎる現実をおかずに胃袋を満たすのだ。


「話してない。というか、俺が話せるわけないだろ。それはお前が一番わかってるはずだ」

「ふふっ、そうね。悪戯な質問をしちゃったわ。仲間が出来たと内心喜んでいた秀吉くんが、可愛くてついいじめたくなっちゃう」

「うるせ」


日陰から日向はよく見えるのに。

日向から日陰はよく見えない。


「なんで眞鍋 夢に取り憑いた」


視界の端で、白髪が風に揺れる。


「私、嫌いなのよね。あーいう、何の努力もしてないくせに勝ち誇っている女が」


言葉その全てに力が入っているとは言わない。けれど、確かな感情がその声にはあった。


「念写なんて出来たんだな。言えよ」

「女は秘密があったほうが輝くの」


写真の被写体。その全ては人気のない場所で情事に耽っていたけれど、あまりにも警戒心がなかった。

何股もしている男だ。隠すということに関しての技術は、他を卓越しているはず。

なのにその男が撮られていることに気づかないだけでなく、複数も写真を撮られているなんて。

特殊能力を持つ幽霊とか、ちょっとだけかっこいいからやめてほしい。


「本当はあの子も、あなたを落とすための小道具に過ぎなかったのよね」

「狂わなくて悪かったな」

「本当よ。数ヶ月、誰からも認知されなくても狂わないなんて。秀吉くんから見れば、眞鍋 夢は小鳥のようだったのかもね」

「まあ、同情はしたよ。俺は慣れてたけど、あいつは違うだろ。きっと無視されたのなんて」


__ベンチの幽霊は男に取り憑き、狂わせ、ベンチに向かって落とす。

恋は、落ちるという言い方をする。

ならば今までこいつに落とされてきた男は、恋に落ちていったのかもしれない。

人を狂わせる恋に、落ちていった。


「その白髪、まじで驚いたんだけど、どういう風の吹き回し?」


髪色で印象はがらりと変わる。初めて見た日本人の白髪は、驚くほど様になっていて、こいつのポテンシャルの高さを再認識した。

痛ましい傷の跡でさえ、その美しさに掻き消されていた。


「ここまで付き合ってくれたことのお礼よ。危ない女に気をつけて、っていう私からの警告」

「俺のこれからの人生に白髪の女と関わるような部分はないと思うけどな」

「わからないわよ。中学生の認識なんて小学生と変わらないんだから。高校生になったら、こんな子に会うことになるかも」

「それなら俺はずっと中学生でいいや」


どこか身の入らない会話が続く。

会話にも隙間風が通る。


「秀吉くんとの時間、とっても楽しかった」

「そりゃどうも」

「逆境に居ながら、他人を思えるあなたを誇りに思うわ」

「光栄だよ」

「恋に落ちて、地獄に落ちる。ベンチに落ちるのも悪くなかったって思えたのは、秀吉くんのおかげよ」

「良かったな」

「最後に一つだけ、私のお願いを訊いてくれない?」


散々、会話に付き合っていたというのに最後の最後まで俺を付き合わせるなんて、本当に嫌な女だ。


「名前を、呼んでくれないかしら」


俺は隣を見ることが出来ない。

だって、見た瞬間に彼女は消えてしまう予感がしていたから。


「俺も楽しかったよ。ありがとう。穂波」

「一度しか名乗っていないのに、ちゃんと覚えていてくれる貴方が大好きよ」


彼女は恋に落ちていたのだろう。

だから狂ってしまった。自分の性分を歪めて、女子生徒に取り憑いてまで、俺を落とそうとした。

恋はタイミングだ。

傷心した心に甘美な言葉を注ぐのが、最も手早く、最も簡単な手口だ。

今、優しくされたら、俺は男でも好きになる自信がある。それほどに俺は、落ちる寸前だった。


「あー!ひでくんそんな所にいたー!」


校舎から俺を呼ぶ声がする。

しばらく訊いていなかった声は、懐かしさを感じるほどで、軽く手を振り返しておいた。

廊下を走る姿がふっと消える。

きっとこちらに向かっているのだろう。そしてあの日のように、俺たちはこのベンチに座るのだ。


「このメロンパン、甘じょっぱくて食えたもんじゃねえな」


かさり、と。

すぐ横から返事がくる。

綺麗に折り畳まれたメロンパンのビニール袋が、小さく風に鳴った。









ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

相変わらず需要があるとは思えませんが、趣味全開で書かせていただきました。

少しでも楽しんでいただけたのなら、作者としてこんなにも嬉しいことはありません。

皆様に使っていただいた時間に見合うような、読書を提供できていることを祈りながら、後書きもここまでとさせていただきます。

ありがとうございました。




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