2EP.9
「これは…A5ランクの松坂牛ね…さすが富永さん家の朝食は食べているものが違うわ」
「昨晩の残り物です。スーパーで買った豚肉です」
美少女2人に囲まれた食事。箸が進まないのは何故だろう。
母はすでに仕事のため家を出ている。社会人に夏休みという概念は存在しないようだ。自分もあと数年後には社畜になるのかと思うと、夏なのに寒気を感じ身震いしてしまう。もっとも寒気を感じる理由はそれに限った話ではないかもしれないが。
「これ、美晴ちゃんが作ったの?とっても美味しいわ。ミシュラン黒子から三つ星を送らせてもらうわ」
「母が作ったものです。帰ったら伝えておきますね」
笑顔の黒子、それと対照的に表情のない美晴。先日、黒子と出かけた出来事の時にも思ったのだが…ひょっとしなくてもこの子たち仲悪くね?
普段の美晴からは想像できないほど淡々と箸を進めるその姿。楽しそうに学校での出来事などを話すことなどは一切なく…盛り付けられた白米は器からどんどん無くなっていく。
「黒子さん、兄の蛮行に付き合わせてしまったのは妹の私からも謝らせてもらいます。でも、なんでそのままうちで朝ご飯食べてるんですか?」
「ふふふ…。黒子さんじゃなくて黒子お姉ちゃんで言いのに」
「パンダでも食ってろよ…このくそアマ…(小声)」
え…ちょっ…なにこれ。美晴ちゃんのダークな部分出てるやん。黒子を黒●徹子、略して黒子と勘違いしちゃってるやん。
俺のことを完全無視で話が進んでいるようだが、あまりにも無視しすぎて女子の裏トークが始まってしまっている。裏というか本音ダダ漏れの深淵トークが始まってしまっている。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを見ている、なんて名言があるが深淵2人はこちらなんて見てはいないようだ。
仕方ない…ここは解説役に徹することにしよう、飛び火を貰わないようにここからは解説者…富永秀吉による女の争い朝の陣、心中解説版をお送りすることにしよう。朝ごはんは1日の始まり、1日を楽しく過ごすためには朝食を楽しいものにしなければならないからな。
「私の家って両親が海外赴任中でしょ?女子高生の一人暮らしって思ったよりも寂しいものよ…家族の温もりをお隣さんに求めるのは許されることじゃないかしら?」
まずは黒子選手による軽いジャブだぁ!家族のことを持ち出すことによってカウンターを封じてキタァ!ここで美晴ちゃんが下手な返しをすると好感度が下がってしまうぅ!
「うちに来て楽しくご飯を食べるくらいなら私も大歓迎です。私が気にくわないのは、毎回兄にちょっかいを出している点です。昔から黒子さんに弄られて…兄がドMになっちゃったらどうするんですか!?」
おおっとぉぉ!?これは美晴選手、殴る相手を間違えているぞー。解説者に向かってストレートだぁ!
「責任は取るわ」
「どうやって、ですか…?」
「私が永遠に秀吉くんを弄り倒してあげる。ずっと彼の隣で無限に言葉責めを続ける…こんなに幸せなことはないわ」
黒子選手のデンプシーロールが決まったぁ!!秀吉選手の恐怖心を確実に捉えているぅぅううう!!!無限の言葉責め…デンプシーロールの動きに合わせたと言わんばかりのインフィニティが掛かっている!!秀吉選手の手札はゼロだぁ!!
「兄は私に永遠に奉仕する義務があります!黒子さんに構ってる暇があるなら私のためにたくさん働いてお金を稼いで貰わないと!」
美晴ちゃんのガゼルパンチが決まったあぁぁぁああ!本来ならデンプシーロールへ繋ぐための技が今回は逆のコンビネーションだ!ガゼルならではの冷たいノーザンインパクトが秀吉選手を凍りつかせているぅ!!可愛かった妹のキャラが崩壊しかけていることに凍りついているぅ!!秀吉選手のTPはゼロだぁああ!!
「あらあらあら。秀吉くんはすでに私の財布よ。デートの時のお金も実は彼が全部出してくれたのだから。私という課金対象に秀吉くんは散財不可避…春日黒子というコンテンツに一生を捧げるの」
「兄は私のATMです。Aんな幼馴染はほっといて、Tりあえずお金の使い道ないから妹のために使おうかな…Mさしくこれこそ兄の鑑だぜ、略してATMです」
なんだか目頭が熱い気がするんだけどなんでかな…。さっきからモーニングコーヒーが喉を通らないのはなんでかな…。中学校へ向かうために着替えたYシャツの脇が濡れているのはなんでかな…。
僕は…ハーレムというものに、憧れていました。可愛い女の子に囲まれ、皆が僕のことを取り合って日々ドキドキするような出来事の連発。時にはラッキースケベなんてものが起きたりして…なんて思ったり。まるで世界が自分を中心に回っているのかと言わんばかりのご都合主義があったら良いな、なんて思ってました。僕の何気ない行動が女の子からの好意に繋がるかも、なーんて淡い期待を抱いていました。陰キャラの僕ではありますが、ギャルと突然交際できたり…痴漢から助けた女の子に猛烈アピールされたり…宇宙人から婚約を申し込まれたり…転校生から転校初日に告白されたり…なんて思ってました。
そうだよね。
脇汗でYシャツを湿らせてしまうやつなんか好きになってくれる女の子いないよね。汗くさい男を好きになる女の子なんていないよね。うん、知ってた。陰キャラは可愛い女の子に囲まれたとしても、それはお金目当てだということを。
騙されないで!!みんな!!
女の子ってやっぱり顔よ!!ブサイクなんてお金を吐き出す機械、革製品と同じと考えているわ!!
居間から聞こえてくる風鈴の音が俺の心に虚しさを招く。窓越しに見える風に揺れる洗濯物。それを照らす太陽は光り輝いていて。青い海に浮かぶ白い浮き輪たち。あの雲、あの雲の裏にはきっとラピュタあるな。絶対ある。だってなぜかめっちゃ唱えたいもん、バ●ス。ラピュタ墜落で世界が滅びて欲しいもん、バ●スバ●スバ●スバ●ス!!!
ふははははは、俺はゴミのようだ!!!
そんな荒れる俺を尻目に続いていた女子2人の話はひと段落ついていたようで。
「ふぅ…なんだかスッキリしたわ。美晴ちゃんには嫌われてしまっているようだけれど、あなたと話すのはやっぱり楽しいわ。ありがとう、美晴ちゃん」
「いえ、私も黒子さんのことは苦手ですけど、こんなに真っ向から言い争える同性の人って黒子さんくらいだから…私も、楽しかったです。月に1度くらいなら私の前に現れても良いですよ」
「ふふっ…ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
良いね、固い握手、良いね。女の子が和気藹々と仲良くしているのは、目に優しいものだ。涙が出尽くして砂漠のように干上がった今の俺の目には、2人の握手がオアシスだった。それでも心は乾いたままなんですけどね…潤ったのは眼球だけでした。
立ち上がった黒子はその腰を再び椅子に下ろすことはなく、そのまま富永家を後にした。去り際に見た黒子の後ろ姿はその白髪と相まって、異質ではあったがかっこよかった。黙って残りの白米とおかずをたいらげ、食器を洗う妹の後ろ姿はいつもと変わらないはずなのにかっこよかった。結論、2人とも男の俺よりかっこいいし俺よりも遥かに目立っていた。激闘の後に残る余韻が主人公と悪役のどちらも輝かせるあの現象は異常。
重すぎる人としての扱いの事実に体を縮こませながら食器を持っていき、洗う作業に参加する。隣でお茶碗を洗う妹に対してかける言葉なんて見つからない。今さっき兄をATM扱いした妹になんて話しかければいいのか…。普段から人と話さないせいでこういう時にボキャブラリーの無さを実感する。水が流れる音と気まずさが場を満たしていた。
だが腐っても兄妹。妹に朝起こしてもらえる程度には仲が良い富永さん家の兄妹の沈黙が長く続くはずもなく。
「ごめんね…お兄ちゃん」
「何が…?」
「お兄ちゃんのことATMなんて言っちゃって」
「あー別に気にしてないって、俺の生きる意味なんてお金を稼ぐことくらいだろうし…誰かと結婚なんてのも無理だろうからお金は貯まる一方だろうし…あながち美晴の言う通りになるかもしれないぜ?」
「嘘…お兄ちゃん外の雲眺めて呪文唱えてたでしょ?」
な、なーんのことかしらん?僕はあの場から解放されたくて解放の呪文を唱えていただけだよー?
「バ●スって"閉じろ"って意味じゃなかったけ?解放の呪文とは反対に位置するものだよね?」
「いや…それは…」
いじわるな笑顔でこちらを見る美晴。俺があやふやな返事しかできないことが可笑しいのか笑い出す。
「そ、そんなに笑うことないだろ…俺だって気にしないわけじゃないんだぞ」
「ほら!やっぱり気にしてんじゃん!」
あ…。
再びのいじわるな笑顔。してやったりとでも言いたげなその顔には不思議と怒りの感情は湧かなかった。
「だから、ごめん。黒子さんの前だとなぜか強気に出ちゃうんだよね…気をつけないと」
「反省してるならいいさ。特に考えもせず脊髄反射で言ったんなら気にしないよ」
「えへへ、やっぱ優しいねお兄ちゃんは」
自称、"心の広さはサハラ砂漠"というのを掲げている秀吉くんだ。確かに少し傷ついたが、妹が反省しているならこれ以上波風たてるつもりはない。妹の笑顔にお兄ちゃんは敵いません。
洗い物も終わり、濡れた手を拭こうとタオルに手をかけたその時。不意に同じように拭こうとしていた美晴の手と重なった。
焦って手を離す俺。なぜか美晴も同じく焦った様子で手を離す。お互いがお互いの顔を見合い、先程とは違った気まずい雰囲気が流れる。
え…なにこれ。
その後、唐突に放たれた顔を赤くした美晴がぼそぼそと紡ぐ言葉は、食後のデザートのように甘いものだった。
「お兄ちゃんがATMっていうのは…ありかも…」
「は、はぁ!?おまえ、反省してないじゃ…」
「お、お兄ちゃんに結婚する相手がいなかったらさ…私が相手に…じゃなくてATMとしてずっと使ってあげてもいい、よ…?」
いつの間にか向かい合うよに立ち尽くす俺と美晴。顔をうつむかせながら手をもじもじさせている美晴は、なんというか…その、可愛くなくない、つまりは可愛い。
耳まで赤くなっていることに気づいた後の秀吉くんといえば、あたふたするだけ。
え…ちょっ待って。
俺は鈍感、耳悪くて声が聞こえない系男子ではない。はっきり聞こえた地獄耳。普段から血が出るほど耳掃除をしている秀吉の地獄耳は、はっきりと妹の言葉をキャッチしていた。
『結婚する相手がいなかったら…私が相手に…』
だと…………。
あははは待て待て待て。この娘は妹だ。義妹だが妹だ。腐っても兄妹であることに変わりはないとさっき言ったではないか。妹に手を出すなんて健全な男子がやることじゃないぜ。あははははは、冗談はよしてくれよ。
…………。
*日本の法律では三親等以内での結婚は認められていない。父親の兄弟の娘にあたる美晴は俺と従兄妹の関係にあたる、つまりは四親等。法律上では結婚できてしまう。
……………。
「ご、ごめん!!やっぱなんでもない!!今の忘れて!先に学校行ってるから!お兄ちゃんも早く準備して来てね!!」
俺の思考回路がショート寸前というか、爆発している間に美晴は走って部屋を出る。玄関にすでに準備されていた鞄を持って足早に家を出てしまった。取り残される兄。ただ呆然と立ち尽くす兄。口をぽかんと開けた兄。
え…なにこれ。
美晴って俺に好意持ってたの?え…なんで?
それよりも…なにこの甘い展開!?
いや、確かにモテたいって願望を洗いざらい曝け出したけどさ、まさか本当に叶うなんて思ってなかったわけで。生まれてこのかたモテ期から逃げられてきた俺に好意をもってくれたのが妹とかどんなギャルゲー!?
新手のドッキリか…?とにかくやばいやばいやばい…。
脇を見ると色が変わった面積が増えていた。いつもならオーストラリア大陸くらいのシルエットなのに、今は余裕でユーラシア大陸規模。噴き出る汗が俺の心情を表していた。
とりあえず、今はできることをしよう。そうだ、このままあたふたしてたらラブコメ主人公と一緒だ。俺はあいつらとは違うぜ。
今の俺にできることは…!
「やっぱラピュタ落ちないでぇ!!スルバスルバスルバスルバぁぁぁあああ!!!!」
崩壊の呪文を、反対から読むことで再生の呪文に改変することだけだった。




